狂人の頭の中

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狂人の頭の中 「第二次世界大戦 対ドイツ戦」と「イラク戦争」の誤算

2019-08-10 13:04:52 | 狂人の頭の中
広島・長崎の原爆投下の日。
そして無条件降伏/ポツダム宣言承諾の日。
この8月は深い反省と哀悼の日々が続きます。

      リトルボーイ            ファットマン

それとは別に原爆投下がなぜ日本だったのか?を考えてみたいと思います。
上の写真は左側が広島型原爆「リトルボーイ」、右が長崎型「ファットマン」です。
本来、原爆はナチスドイツに用いられる予定で製造を急いでいたのですが、
製造途中にナチスドイツは降伏し、目的を失いました。
そこで最後の交戦国である日本が目標となりました。
その際、議論が起きて「日本本土の都市に投下すべし」という意見と
「原爆実験の映像を日本に見せて降伏を迫るべき」という二論です。
しかし、開発した物理学者が「実戦で用いられた際にどのような被害があるか
検証してみたい」という強い意見と、アメリカ政府の「莫大な研究・開発費を
アメリカ国民にひた隠して費やしており、国民に納得してもらうためにも
投下すべし」という意見に押されて投下に至ったといわれています。
これはその当時の開発者や政治家の証言があるので間違いないところでしょう。

原爆投下には憤慨を覚えますが、しかしそのような背景で
広島に投下されたにせよ、間髪入れずに日本に降伏を考える時間も与えない
タイミングで長崎に投下されたことにも憤慨を感じます。

長崎に投下された原爆「ファットマン」は「リトルボーイ」より
量産化しやすい原爆と言われており、これもまた広島に続いて
長崎もまた「実験台」にされてしまいました。

この様なことでアメリカのドイツに投下する計画見込みが外れてしまった。
これがつい最近もあったことです。
それは「イラク戦争」です・・・。

写真:サダム・フセイン像の顔にアメリカ国旗を覆う兵士

イラク戦争の大義は「イラクが大量破壊兵器をを保有している」というものでした。
さて、結果はイラクは大量破壊兵器は無く、フセイン大統領を死に至らしめ、
また、イラク全土を焦土にしてしまいました。
アメリカを始めとする参戦国は謝罪も無く、ただ「終結宣言」をしたのみです。
これも「アメリカの誤算」で多くの犠牲者を生んでしまったのです。

この二つの事例から大国の誤算がどれだけの被害を生むのか、
またこの事がどれだけの犠牲者を生むのか、
この贖罪をだれも負うこと無く、ただ事実だけが時間の風化に晒されて
忘れ去られようとしています。

アメリカは万死に値すると私は思うのです・・・。












狂人の頭の中 「スイスのように永世中立国になれ!」のちょっとした勘違い

2019-08-10 01:06:17 | 狂人の頭の中
スイスは確かに永世中立国です。
ヨーロッパのど真ん中でその誓いを守っています。
日本人の「一国平和主義者」には時折、
『スイスのように永世中立国になれ!』てなことを言う人がいます。
この発言の内容は「武器を持たず、どこの国とも軍事同盟を結ばず」
ということが含まれます。
ちょいとね、そこが違います。
スイスというのは、自国の軍隊を持ち「予備兵」もある国です。
この様な体制を『平和・重武装中立国家』といいます。
「自国民を守るならば、生死もいとわない」という立場です。
スイスはヨーロッパの真ん中ですので、いざという時には意図せずとも
戦争に巻き込まれるのは自明の理でしょうから、
「軍事同盟は結ばないが、自国を犯すものであれば容赦はしない」

ではでは、日本はどうでしょうか?
極東とは言いながら、いわゆる『民主主義の最前線』と言って良いでしょう。
日本がこのまま民主主義を望むならば、「朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)」や
「中華人民共和国(中国)」が近くの民主主義国である「中華民国(台湾)」や
「大韓民国(韓国)」が『共産化』あるいは『独裁国家』になっては困るでしょう。
もし、「大韓民国」や「中華民国」が共産国や独裁国家になったら、
日本はどうすれば良いでしょうか?
その時はもはや「一国平和主義」では済まされません。
日本が民主主義を信じるならば、「対共産化」、「対独裁国家」から
自国を守らなければいけません。
私は『抗戦主義者』ではありませんが、やはり自国は自国民が守るのは当然でしょう。
当初、「アメリカ合衆国(アメリカ)」と『安全保障条約(軍事同盟)』を結んだ際の
日本側の狙いは「しばらくは日本が軍備に予算を割く余裕は無いので、
経済が立ち直ればアメリカは用済みになる」。
この様な見解にまま、日本は経済立国となり、「もはやアメリカは用済み」に
なったはずだが、『過保護の子は、甘えん坊になる』というようなわけで、
安全保障に関してなんの覚悟もなくすくすくと育ってしまった。

いま、改めて「自国のことは自国民で・・・」という覚悟が必要なのではないかと
思うのですがいかがでしょうか?