伊藤健太郎の話はしません。(期待してないか)
今、TVでは「アフターコロナ」なんて終わった事かのように
評論家が言っていますが、言っているのはみなさん「コロナとの共存する世界」。
「まぁ毎年来るインフルエンザとも共存しているし」なんて悠長なことを
言っているのは日本人と中国人くらいかも知れません。
この二国は「コロナはコントロール下にある」なんて勘違いしている
二国だと思うのです。
欧米では死者数が鰻上りで「非常事態宣言も間近か?」と感じさせるほどです。
今回書きますのは「コロナの最中で考えること」です。
コロナが日本でまん延し始めた時にマスクの買い占めによって
品薄になったり、新品のマスクが数メーター置きに捨てられてあったりと
「混乱時のモラルハザード(倫理の欠如 )」が起きてしまう。
これは必ずと言っていいほどの頻度で起きます。それも頻回に。
アメリカでは暴動、暴力、商店からの略奪。
たとえば、「我が国だけがコロナから助かれば良い」みたいな感じの
ナショナリズムの台頭、もそうです。ワクチンの買い占めなどは
日本で起きたマスクのそれと同じですよね。
日本は1億2千万回分のワクチンの契約をイギリスの製薬会社と結んでいるそうです。
このだびの「新型コロナ騒動」などは世界中の混乱ですが、
みなさんの人生に落とし込めば似たような「混乱の時期」が大なり小なり
あったのではないでしょうか?
その時、あなたは?周りの人は?どのように変化していったのでしょうか?
思うに、それは「混乱時の気の迷い」ではなくて「それが本来の自分」です。
それは考えひとつで修正出来るし「混乱し血迷った行動」はしないと思います。
「平常時に時々非常時を想定する」ことが大事です。
歴史を振り返る時、どのような失敗をしてきたのかを見ることにより
自分の指針が決まってくるのではないかと思います。
成功例からは学ぶことは少ない。
関係ない話しですが・・・
昨今、このコロナ禍で商売が立ちゆかなくなって廃業する個人事業者のみなさんや
会社を解雇されたり倒産により辞めざるを得なくなった人々がいる中、
Twitterで自称:事業家、投資家などが、「このツイートをリツイート、
アカウントをフォローしてくれた方の中から100名に✕✕✕万円(結構高額)
を差し上げます。」っていうのがけっこう頻繁に見られます。
中には「フォロワー数を増やしたいだけのデマ」もあるようですが、
ウソか誠かもらった方々からお礼のメッセージなどが紹介してありました。
「この行為はどうなのかなぁ~?」と思っています。
「お金くれるならいいでしょ!」というのが一般的な声なのかもしれません。
私が素直じゃなのか、デマか、もしくは本当にお金を送っているのならば、
「お金あげます。」というツイートに群がってくる人達をどう思っているのでしょうかね?
配る人は「ご満悦?」、「配るのに忙しくなって本業どころじゃなくなった?」
「この拝金主義者め!」なんて笑っているのでしょうか?
お金を配るというのは冠婚葬祭以外、あまり日常にある行為ではありません。
たとえば「年末年越し村」などではお金は配りません。正確には現金は配りません。
「QUOカード」などは配っているようですが、目的は「生活必需品を買ってください」
ということでしょう。なにが言いたいのかというと、非日常的な金額をもらうと
その人の人生を狂わせてしまう可能性が大(だい)ということです。
あげる人は「もらった人の自己責任」というかもしれませんが、
ある程度は「あげる人の責任」はあると思います。
Twitterには投稿者が札束が積んである山と一緒に映っており、
ウソじゃないことを証明しているそうです。
貯金残高を示す貯金通帳の写真、振り込み書の写真もTwitterに載せてありました。
ん~、私が問題にしたいのは送ったことも重要ですがもらった方のその後の人生です。
このような金満家(古い言い方ですが)の「ばらまき行為」も混乱時には見られるようです。
その時、自分はどうするのか?もらったら私はどうするのか?(応募したのかい!?)
金満家の気まぐれが人生を狂わさないようご注意、ご注意です。
人生一寸先は「非日常」です。
私のむかし言った言葉で「いつも心は臨戦態勢」。こんな事も必要です。