凶弾に倒れた安倍元首相の国葬が日本武道館において執り行われた。銃撃事件直後からTwitterで「自民党葬は当然かも知れないが、国葬にまでなるのか?」とつぶやいていましたが、岸田首相にしては「即断」といえるタイミングで決断したと思うが、この背景のひとつは未だ自民党内で大きな勢力を誇る「安倍派」。岸田首相は安倍首相を裏切ってまで首相になったにせよ無視できない関係で閣僚人事に注文をつけたり、安倍元首相の実弟である岸信夫防衛大臣を健康上問題があるのにも関わらず続投し続けたことからも安倍元首相の影響力と配慮が窺える。国葬がさまざまな配慮や政治的やりとりの材料とされたのは、戦中に行われた山本五十六大将は戦意高揚、前回の国葬の吉田茂元首相は佐藤栄作首相(当時)の政治的なパワーバランスなど「純粋な思い」からはおおよそ掛け離れた思惑から執り行われている。
今回の安倍元首相の国葬を行ったことも一因となり内閣支持率は支持と不支持は同数の「40%」。国葬自体、反対派が多かったことから見ても岸田首相の決断は「短慮に過ぎた」と言わざるを得ない。国葬後、岸田首相は国葬に関して適切な取り決めが必要として今後国会で議論するような話しをしているが、これはすでに安倍元首相の国葬を行っており、「やったモン勝ち」で、今後の国会でもめて議論がながれても「やったモン勝ち」なのである。
一部の著名人?から国葬の議論を「死者を冒涜するような議論をするべきでない」という旨の話が出ているようだが、これは議論のすり替えで「故人の尊厳」と「国葬の正当性」は話が違って、合法なのかどうなのかとは世界が違うこのような一致しない次元の話しを感情論でつなげるのは非常に危険で、今後「ナショナリズムの渦」へ自ら巻き込まれるようなことの切っ掛けになりかねない。日本人はこの手の「人情論・感情論」に傾倒しがちで、国民の間にも冷静な議論が今後あることが必要である。