ホテルは運河近くにとってあったので、夕食後運河界隈を散歩することにしました。日没が間近な時間帯でした。
浅草橋から「南運河」をー。
夕日が左斜めからスポットライトのように当たっています。
この時間帯でも団体の観光客がー。
ツタの黄緑色が映えています。
この散策路は運河を埋め立てたのでしょう。
向こうの建物は、レストランorカフェ?
小樽の最盛期の倉庫群。今は再利用されているようです。
そこに、ナント!⛴がー
「小樽運河クルーズ船」が登場!です。
船は、歴史ある小樽運河や街並みにマッチするようにデザインされたといいますがー。この船のエンジンは、小さなエンジンで、しかも環境にやさしいバイオディーゼルを使っているという。なお、発着場は中央橋。 中央橋➨小樽港➨北運河➨南運河の浅草橋までを約40分かけて巡るとのこと。 (大人;1,500円也と)
小樽運河クルーズ船のコース
向こうに見える浅草橋に向けてー。
この浅草橋手前でUターン。間もなく中央橋でフィニッシュ。
小樽運河は日本でも大変珍しい「埋め立て式運河」です。一般的に運河は、内陸を掘ってつくりますが、この運河は、海岸線を埋め立て造られたという。1923年(T12年)に完成。
運河存続のミニ史
S41年、小樽市内は慢性的に交通渋滞が生じ、その解決策として臨港線全路線を6車線化する計画がスタートしました。小樽の地形的な事情で、運河の埋立てと倉庫群の解体案が浮上。そのため、周辺の歴史的建造物を含めて保存に向けた市民運動が起きました、S48年に小樽運河を守る会が設立され、以後10年以上議論が続き、臨港線は運河区間を残して一部が開通されました。
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当時、私も関心をもち新聞やTVの放映を注視していました。その後も、紆余曲折あり、最終的に「運河の幅の半分を埋立てて道路とし、残りは小公園の配置や散策路を整備する」、ということで激論が決着。そして、計画から20年後のS61年に遂に完成し、現在の姿にー。いつもこの運河の風景を目の当たりにすると、立場の違いで戦いのドラマがあったことを回想します。