明治9年三原郡倭文村に生まれ20歳で第3高等学校(現京都大学)入学
高浜虚子と同級、共に俳句に親しみ五感を想いつつ作風には天(虚子)と地(
自分)と気付き大学3年時より勉学に励み司法試験(判事、検事、弁護士、高等
文官)合格 26歳で洲本中学校長(現洲本高校)に始まり明治末期~大正期に
大分県知事、石川、岩手、福島各県京都府にて要職に就き42歳時貴族院議員
47歳東京市長時大正12年関東大震災時、陣頭指揮取り105000人余を超える
死者を高野山に慰霊堂建立、御霊を安置され翌年国際オリンピックを東京に
市議会採択の立役者(のち太平洋戦争開戦にらみ幻のオリンピック返上)
私利私欲なく人のために尽くす人生を全うした淡路島の偉人に触れるシンポ
ジウムでした
【現在の国のお役人や政治家たちに永田秀次郎翁の爪の垢でも煎じて飲まして
やりたい心境になりました】