昨日、2019年12月12日。 Okamoto Islandの最終章が始まりました。
今回の一連のツアー終わりで、 Okamoto Islandを去る荒玉哲郎(ベース)氏をご紹介。
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荒玉哲郎(ベース)氏は、彼が20代の頃から、
名前もプレーも知っていました。
今から30ぐらい年前、大阪のライブハウス、ロイヤルホースで、
日野皓正(トランペット)のバンドの石井彰(p)
亡くなった竹田達彦(dr)と毎晩のように演奏していて、
20代の頃から、関西の実力派として全国の大物を迎え撃って
セッションを繰り返して来た、関西トップのウッドベースの実力派です。
また、タンゴやブラジル音楽などウッドベースで弾けるありとあらゆる
音楽を経験し、吸収して来た人であります。
彼との最初の印象に残る演奏経験は、2005年ごろ、小川紀美代(バンドネオン)と
3人でタンゴのバンドを組んで、ツアーした頃でした。
ウッドベースを持って入ることもできないほど小さなライブハウスで
「明日はエレクトリック=ベースでやろうと思います」
と言って、エレベを持って来た彼は、タンゴをチョッパーで弾き、
それがものすごいカッコ良かった。斬新だったのです。
その時、「この人は、エレクトリック=ベースもすごい」と認識した
始まりでした。
それから何年かして、 Okamoto Islandのイスラエル=セデーニョ(b)が、
バンドを去る時、一番最初に思い浮かんだのが、荒玉哲郎(ベース)氏でした。
以前の荒玉氏のプレーが忘れられず、
ツアーの途中、名古屋を過ぎた休憩中のサービスエリアから、
朝っぱらにも関わらず彼に電話しました。
最初は、彼は冗談かと笑い、
「どうなっても知りませんよ」と快諾してくれました。
僕は、エレクトリック=ベーシストには、大変恵まれたキャリアがあると思います。
しかし、荒玉氏はジャズの名手であり、ラインの取り方がすごく自由で、
あまり誰も知らないタンゴやラテン音楽にも精通していて、
ウッドもバリバリ。何より、ベーシストにとどまらない音楽の観点が好きだったのです。
また、荒玉氏がエレキを弾くというだけで、エポックメイキングになる。
Okamoto Islandの可能性が広がる、と考えたのでした。
僕の読みは、その通りで、 Okamoto Islandになくてはならない
存在でした。
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荒玉氏は、誰より先にコードの間違いを指摘するほど、耳が良く、
人間的にもすごく合理的でフラットで、でも、たまに言うジョークも
気が利いていて、何をやっても趣味が良い。
Okamoto Islandで意見が噴出する時、
いつも最後まで黙っているんですが、みんなが意見を聞くと的確で
全員が「ああ、そうやね。そうしましょう。荒玉さんの言う通り。」
と言うのが、いつものうちの話し合いの流れでした。
今回、荒玉氏が「やっぱりこれから先、ウッドに力を入れたい」
との申し出があり、ヤヒロトモヒロ(パーカッション)と同時に
このツアーを最期に去ることになった時、 Okamoto Islandの次のベースに
やはり心当たりがなかった。
何より、荒玉氏のベースが変わると、もう Okamoto Islandではない、
との思いが強かったので、今回は、僕の決断で、 Okamoto Islandを
一度、活動停止する決断に至ったのです。
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荒玉さん、無理を承知で長い間お付き合い、ありがとうございました!
今回のツアーでバンドを去るヤヒロトモヒロ(パーカッション)と同様に
今後は、違った形で荒玉氏とのアーティスト活動が出来ればと思います。
本当にありがとうございました。お疲れ様でした!
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