ギタリスト岡本博文 生徒諸君!

プロギタリストのリアルな経験談、本音を語って行きたいと思います。

平和について考える

2010-08-07 00:29:13 | Weblog
3年前に書いた日記。反響の大きかった日記。コピペしました。

今日、金曜日は、うちの近所、山科地区はゴミの日。
あの日は、朝出されるゴミの袋の山が、すべて死体だった。
そう思い、想像したのが3年前の今日。
ここのところ毎年、自分でその事を思いだす。

想像してみると、本当にシュールな光景。
そんな事を繰り返さないように。
今年も、黙祷しました。


以下、3年前の日記。
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8月6日は原爆記念日。
今年、広島を離れて、20年ぶりぐらいに初めて、8時15分に
テレビの前で、黙祷した。

広島を離れると、何と8月6日が、普通の日であることか。
広島の実家では、仏壇に線香が焚かれ、テレビの前にすわり、その時刻には、テレビの前で手を合わせる。TVもアニメとか無くなり、特別番組でうめられる。子供心に面白くない日だった。

ここ数年、お袋は、原爆体験を話す事が多くなった。
「あんた達には、元気なうちに話しておこうと思うんよ」

お母さんが、その日、広島中心地に、建物疎開でかり出され、正面から爆風を浴びて、お化けみたいに火傷をした事。

安古市の疎開先にお父さんが、大八車で迎えに来た事。「避けとれんけん、死体はいっぱい轢いて来た。」と言われ「帰りとうない」と泣いた事。

お母さんが、やけどの薬を「また、落ちたらいけんから、塗らんで、とっておきなさい」と言った事。と言ったが、「何バカなこと言うとる!」と言って塗った事。

宇品は、幸い焼け残ったが、近所の僕の行ってた小学校にお化けのようになった人が一杯来て、水を飲ませたら死んだ事。

山のような死体に灯油をかけて焼いた事。頭が先に落ちてくるので、手でつかんで、上に乗っけた事。臭かったこと。

お母さんは、数日後に亡くなり、お父さんも、翌年8月1日に亡くなったこと。

「大変じゃったよー。」と一言で言う母。

昨年、気がついたら8月6日は、過ぎていた。
朝、ごみ収集車が、大きな音をたてた。
うちの親は、黒いビニール袋の山、すべてが死体だった経験をしたのだ。
そう想像すると、目がくらくらした。

昨年、夏、暑い日に照らされたゴミ収集の山を見ると、
その幻想に悩まされた。

今年は、久しぶりに手を合わせた。
広島生まれの責任をちょっと、果たした気がした。

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これを書いたのが、3年前。
最近は、家庭ゴミの山を見ると、反射的にこの事を思い出す事も多いのです。
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