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台湾でシェア7割の電子マネーが日本に上陸 琉銀と提携 7月から全国へ拡大

2020-02-19 05:50:07 | ニュース

琉球銀行の川上康頭取(左から3人目)と提携を発表する台湾のイージーカード社の陳亭如社長(同2人目)ら=17日、那覇市久茂地の琉球銀行本店

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琉球銀行(川上康頭取)は17日、台湾の電子マネー「悠遊カード」を発行するイージーカード社(陳亭如社長)と提携し、悠遊カードの日本国内での加盟店業務を7月から始めると発表した。同カードの台湾以外での展開は初めて。琉銀は全国の地方銀行などと協力して加盟店を拡大していく。

悠遊カードは交通系のICカードで、地下鉄などの公共交通機関やコンビニ、飲食店などで盛んに利用されている。2019年10月時点で発行枚数は約7890万枚、月間の使用額は約400億円に上り、台湾で電子マネーのシェア7割以上を占める。

琉銀は17年からビザやマスターカードといった国際ブランドのクレジットカード加盟店業務を手掛けており、県内の飲食店やホテルなど約5千店舗が加盟している。台湾内で最も使われている悠遊カードを加えることで、手数料収入をさらに強化する狙いがある。

加盟店から得る手数料収入はイージー社と折半し、台湾観光客がカードを利用する際の為替手数料は琉銀に入る。


 

加盟店の全国展開では、日本国内で同カードを使用するためのシステム構築に「億単位」(川上頭取)を投資する。全国の地銀などにシステムを提供して加盟店を広げてもらい、決済額に応じた手数料を琉銀が地銀などから得る。

18年度に台湾から沖縄を訪れた観光客は91万7千人。日本全体では480万人を超える観光客が台湾から訪れている。台湾人観光客にとっては日頃使っているカードを日本でもそのまま使えることで利便性が大きく向上する。

川上頭取は「全国で悠遊カードを自由に使えるようにしたい。台湾観光客をさらに誘致することで、沖縄経済全体を下支えしていきたい」と話した。

陳社長は、琉銀を提携相手に選んだ理由として「猛アタックがあった。既に5千の加盟店を有し、システム構築にかなりの額を投資する」と説明し、「両替やおつりの手間を省き、便利になることで旅行者が増えることを期待している」と話した。

琉球新報

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懐かしの1964年 オリンピック東京大会

2020-02-16 13:29:11 | 日記

1964年 東京オリンピック 

クリック後、「この動画はYouTubeでご覧ください」をクリックしてご覧ください。

エピソード

1964年8月21日、ギリシャ国王臨席の下、オリンピアの遺跡で採火されたオリンピックの聖火は、当初、9月6日に日航機シティ・オブ・トーキョーで香港から那覇に到着する予定でした。

ところが当日、香港は台風に見舞われ、聖火を運ぶべく待機していたシティ・オブ・トーキョー機は補助翼が破損。救援のため、東京から急派された代替機も出発時にはエンジンの不調で離陸できなくなってしまいました。

結局、このときはさらに後続の日航機を手配して聖火を那覇まで運んだものの、那覇への聖火の到着は1日おくれて9月7日になり、当時の琉球郵政が予定していた「オリンピック聖火リレー」の記念切手発行も、一日延期されています。

画像:沖縄での聖火リレー

看板が日本政府ではなく琉球政府(1952年~1972年)というのが時代を物語っています。

では、なぜ、アメリカによる占領下で、日本の国旗も通常は掲揚できかった沖縄が聖火リレーの1番最初にスタートとなったのでしょうか?

実は、当時アメリカによる占領下にあった沖縄でしたが、沖縄が日本体育協会(現:日本スポーツ協会)に加盟していたことから、聖火リレー特別委員会により、国内聖火リレーは沖縄から開始されることに決定したのでした。

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その第1走者は宮城勇氏が務めました。

聖火リレー第一走者 宮城勇さん (当時22歳)

全身で感じた、日本人の誇り

1964612日。宮城勇さんは、新聞の大きな見出しに書かれた自分の名前を見つけた。
「聖火リレー第一走者に内定」といった内容、顔写真も掲載されていた。
その日から、取材が殺到した。沖縄だけでなく、本土や海外からも。「人生の一大事が勃発したという感じでした」と宮城さんは振り返る。
終戦から19年、沖縄はまだ米国統治下に置かれていた。自動車は右側通行でドルが使われていた。隣の鹿児島県へ船で行くにもパスポートが必要だった。
日の丸の掲揚は、祝祭日を除いては禁じられていた。それゆえに、沖縄の沿道に日の丸がたなびく聖火リレーは、沖縄の人々が待ちに待っていた出来事だったのだ。

1年に1回、正月だけは遠慮がちに日の丸を揚げる人もいましたが、わが家では揚げたことはなかったですね。沖縄では日の丸を揚げないことが普通でしたから」

/Totyo2020NHK情報サイトより

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99日、午前658分に沖縄を出発した聖火号(全日空)は、大観衆が見守る中、鹿児島に寄港後、宮崎を経由し千歳(北海道)に向かいました。

この鹿児島、宮崎、千歳が聖火リレーの3起点となりました。

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沖縄での聖火リレーを記念し発行された琉球切手について

3セントの切手で、価値はほとんどないですが、珍しさはあるのでは?

1964
オリンピック東京大会
沖縄聖火リレー記念

日本切手カタログ番号:琉記46
発行日:昭和39年9月7日(1964年)
発行枚数:200万枚
発行:琉球政府
状態:未使用・黄ばみ、シミ有り。
額面:3¢×20枚(1シート)
図柄:守礼門と聖火と五輪マーク

 首里城の守礼門もデザインされているのでいいでしょ!

上記の切手を飾りたいと思い、額に入れて作ってみました。

 

 

東京オリンピックが開催できることを期待しましょう。

 

 

 

 

 

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全室に洗濯乾燥機とミニキッチン 東急ステイ那覇、19日に初開業 ビルにはドンキも出店

2020-02-15 17:19:21 | ニュース

東急ステイ沖縄那覇の客室「エグゼクティブツイン」。ベッド二つに加え、ソファベッドを活用して3人まで宿泊できる=14日、那覇市壺川

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那覇市壺川で19日に開業するホテル「東急ステイ沖縄那覇」は14日、施設内覧会を開いた。

全国26店舗目で、沖縄は初出店。

ビルの1、2階に大手ディスカウントショップのドン・キホーテが出店し、ホテルは5~11階に入居する。

客室数は199室。

東急ステイ沖縄那覇は全室に洗濯乾燥機やミニキッチンなどを備え、長期滞在しやすいつくりが特徴。部屋面積を21~59平方メートルと広く取り、定員は2~4人。

東急ステイの小先文三社長は「沖縄はまだホテル需要が伸びると見ており、立地場所やいい縁があればさらなる出店を検討したい」と述べた。

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暑 27度超、各地で最高 5月並み気温、きょうも

2020-02-14 08:22:05 | ニュース

照り付ける太陽の下、海辺で三線を弾き鳴らす女性たち=13日午後、浦添市西洲

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バレンタインデー前日の13日は県内各地で25度を超える夏日となり、チョコレートも溶けるほどの日差しが照り付けた。

この日の最高気温は石垣市で27.4度、多良間村で27.1度を超えるなど各地で今年最高を更新、那覇市でも26度を超え、4月中旬~5月上旬並みの暖かさとなった。

浦添市西洲の海岸で三線を弾いていたの3人は「日焼けするかも」と半袖姿で笑顔を見せた。

14日も県内各地で13日並みの気温となる見込み。

 

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移民120年で友好都市締結 金武町とホノルル市 交流深化を誓う

2020-02-12 19:03:58 | ニュース

友好都市協定を締結し、笑顔を見せる仲間一金武町長(前列中央)とホノルル市のカーク・コードウェル市長(前列左から5人目)=10日午前、米国ハワイ州ホノルル市庁舎(金武町提供)

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金武町(仲間一町長)と米ハワイ州ホノルル市(カーク・コードウェル市長)は11日(現地時間10日)、沖縄からの移民が金武町から初めてハワイに渡って120年を迎えたことを祝い、ホノルル市庁舎で友好都市協定を締結した。今後、両自治体は子どもたちの交流事業などを実施する。

締結式で仲間町長は「互いの立場を尊重しながら文化、人材交流をより一層盛んにしたい。先輩たちが金武町から新たな未来を切り開いたように、われわれも今日のこの瞬間から全く新たな未来を切り開いていきたい」とあいさつした。コードウェル市長は「締結を機に、これまでの交流事業がさらにレベルアップすることを期待している」と歓迎した。

沖縄県移民発祥の地とされる金武町は、1899年12月5日に移民の父といわれる町出身の當山久三が、金武町から第1回移民をハワイへ送り出した。

締結記念レセプションでは、金武町から参加した雄飛太鼓のメンバーが力強く太鼓を打ち鳴らし、会場は拍手と指笛に沸いた。

ハワイへの移住者やその子弟でつくる金武町人会の當山ジョウージ仁会長(38)は「友好都市締結は町人会にとっても大変意義深いことで心からうれしい。今後も金武町との絆をさらに深めて町とホノルル市の発展のため協力していきたい」と笑顔で話した。

締結式に先立ち、仲間町長らは8日、ホノルル市のミリラニメモリアルパークにある當山久三の墓を訪問し、追悼した。【琉球新報電子版】

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