奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

三尾山 0606

2020-06-07 04:14:04 | 山登り
三尾山(サンノーの高)1106.6m[上ヶ瀬(岐阜2-4)]
2020年6月6日(土)4人 No112
 行程 6:25揖斐→ 7:35駐車地7:46→ 8:09登山口→ 10:08山頂(昼食)10:50→ 13:01駐車地→ 揖斐(集合場所)

 私は人がいいのか、頼まれたら嫌と言えない。何度も書いたがOSKが選定した美濃百山制覇目標の人がいて運転手を頼まれた。4人のうち2人(Aさん、Yさん)は三尾山初めて、もう1人(Sさん)は先月登ったばかり、Yさんに登山口までの道案内をお願いし、山はSさんに先導してもらった
 今日は乗用車できたので登山口手前の空き地に車を止め出発、するとSさん別の道を歩く、Sさん昨年私が登った三尾山(1213)ブログの下図黒コースで歩いたと思っていたが、ネットで調べた赤のコース(巡視道+大手製紙会社が作った道?)で登ったようだ。再度先導をお願いした

 8:09 看板に登山口の落書き

 8:11 堰堤にハシゴ

 8:13 沢沿いを歩く
 駐車地から林道を20分ほど歩き、沢沿いに歩く、少しトラバースして鉄塔から尾根を直登、郡市界の尾根に出るとすぐに山頂であった

 8:59 登山道あり
 Sさん曰く、道には赤布がたくさんつけられており、登山道もあり、間違うことはないと。昨年2人で登ったコースより登りやすい

 10:08 山頂着
 山頂で早い昼食を済ませ、同行3人を記念撮影、往路を戻りました

 12:20 軽快に下山

 12:50 手入れされた杉林

 13:01 駐車地

☆ 今日の反省など
・地図を読むのが苦手な私は、一人で行けない山はXさんに同行を頼んだ。Xさんは気持ちよくOKしてくれた。冒頭の “頼まれたらイヤと言えない” は、その恩返しと思っている
・今はGPSがあって便利になった。今日の帰り、別の道に下りかけた、みると来た道と違っている、すぐに元の道に戻れた
・近頃、左門岳、西台山とそう難しくない西美濃の山で遭難が相次いでいる。GPSを持つと山が面白くないと言って持たない人がいるが、今回の遭難騒ぎ、警察、家族らにどのくらい迷惑をかけたのか。自分の位置がわかるのですよ、私は予備電池を含め参加者全員がGPS持つべきと考える

 赤い線は今回、黒い線は昨年12月(2人)、水色は2012年6月(10人)、今回と昨年のコースがいかに簡単コースかがわかる

コメント (3)
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ブログ開設1周年 0604

2020-06-04 18:47:06 | 奥揖斐の歴史など
ブログ開設1周年
2020年6月4日(木)No111
 昨年6月にブログを開設し、1年が経過した
 大笠山から笈ヶ岳(敗退)に登った記事を書きたくて、ブログ “城台山日記” の先生に作り方を教えてもらった
 昨日(6/3)の人気記事順位を見ると1位は、きっかけとなった「大笠山から笈ヶ岳」、2位が先月28日の徳山道(坂内村広瀬~徳山村戸入の記事)、3位は昨年7月の徳山村名物“地獄うどん”であった
 ブログ:奥揖斐山荘は、旧徳山村のことを主に書きたかったので、2位、3位に徳山関係がきて、嬉しく思います
 1年間で110本ブログを書きました。最初は1本3時間強かかりましたが、今は2時間(写真選別→地図作成→文案・構成→作文・校正etcなど)ほどで書いています
 この1年間の思い出残るシーンなど紹介したいと思います

 大笠山手前から笈ヶ岳方面(昨年5月)
 田中陽希氏が6時間で往復した大笠山山頂から笈ヶ岳山頂までの激ヤブ、山友Kさんと8時間あれば行けるだろうと挑戦したが、竹ヤブの中にある立木らを跨いだり潜ったり、2時間で私の足がつりダウン、大笠山から下ったのと足のつりで戻りに4時間半かかった(敗退)
 同行のKさん、その後単独で再挑戦、往復8時間半で達成(スゴ)


 古民家の囲炉裏で作る地獄うどん(昨年7月)

 鴨ステーキ( 同 )
 昨年、藤橋の古民家には4度ほど泊まった、参加者は各10名程度、メニューは炭火で焼く鮎串焼き、鴨ロースなど、最後は地獄うどんで締める。材料の鯖缶は、つまみで食えるのでいつまででも飲めるのが欠点(orいいところ)
 最後に泊まった夜、酔って転んで畳に顏で着地、1週間ほど顔に畳痣が残っていました
 

 夜叉ヶ池にて(昨年7月) 
 以前、冠山の頂上でお茶(野点)をご馳走になったことがあるが、山で豆を挽いたコーヒーを頂いたのは初めて(カップもお借りした)、あまりの美味しさに “もう一杯”、と言ったら、また豆を挽いてドリップしてくれた。その後、その方は、私の山友の山友と判明、世間は狭い


 Iさんの親子丼(肉と卵は伯耆の大山鶏、昨年12月畔ヶ丸避難小屋)


 烏帽子岳にて(昨年6月)
 親子丼は、私の山と料理の師匠、神奈川Iさん得意の一品、いつもは焼鳥の缶詰で作る
ので、僕も真似てつくってみた。もちろんご飯は、生米を研いで、コッヘルで炊飯
 勝負:卵ふっくら + 三つ葉で、Iさんの親子丼の方が美味しかった(食材も)


 門入Iさんの小屋で山菜の煮物(トウキチ菜、ワラビ)

 塚の河原でYさん料理(鯖みそ煮で山菜を煮る)

☆ 一年間の反省など
・ブログ目的が、奥揖斐の山、伝統文化、郷土料理ですが、伝統文化、郷土料理記事が少なかったと反省
・ブログ作成はそう難しくなかったが、添付する地図作成が面倒で、写真で済ませたのは手抜きでした
・訪問者数193人と閲覧数399ページは今年5月6日が最高でした。5/1に井出ノ小路山、5/6に徳山の四季(5月の風景)の直後、連休中だから多かったのでしょう
・藤橋の古民家、今年(今時点)はコロナで使えません。その分、徳山門入のIさん小屋に行こうと思っています

☆ 草刈り(ホハレ峠~旧門入集落)6月下旬実施予定
・今年で三年目、草刈り後は門入Iさん小屋に泊まり、翌日も戻りに草刈りします。5人位でやればもっときれいになるかも ← 夢です 今年は只今2名

 昨年7月2日素人の草刈り(ブログ参照)

☆ 今後も、面白い記事、頑張ります

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徳山道 0528

2020-06-03 17:56:18 | 奥揖斐の歴史など
徳山道(広瀬又:坂内広瀬から徳山戸入への道)
2020年5月28日(木)No110

 コロナ騒ぎで揖斐や池田の図書館が休館していたが、26日、揖斐川図書館が新館オープン、坂内村史(通誌編・民俗編)、美濃の山(第1巻)を借りてきた
 先月のブログ、0425五蛇池山で「広瀬又は、広瀬から戸入の交通路、文献探して後日説明します」と書きましたが、坂内村史のその記述がありました

 通誌編のP113に「徳山道ハ広瀬区北端ヨリ起コリ徳山村戸入ニ通行スル道路ニシテ・・・然レドモ道路嶮ニシテ通行希ナリ」、また「・・・さらに五蛇池山山頂を目指す路程だが、「点の記」に逸早く次のように書いている。[順路]戸入区ヨリ廣瀬区ニ至ル道路を行キ峠に出テ 左方ノ峰ニ沿ヒテ進メバ 本点に達ス 戸入区ヨリ二里半」。点と記の調査チームは、戸入に泊まり五蛇池山に登ったのですね
 そう、徳山には旅館たくさんあり、戸入だけでも藤丸屋、品川屋、増山屋(写真家の増山たづ子さん経営)があった。なんでそんなに旅館があるのかと調べたら、薬屋雑貨の行商の人をはじめ、芸人・鉱山・林業関係者・紡績工場の斡旋人・その他獣物の皮買い・漆かきなどの人が利用、なるほどと納得したものでした
 ちなみに藤丸屋旅館の宿泊人は、徳山村内からは別にして、川上より79名、広瀬より29名、横山より59名、根尾谷より88名(徳山村史P719図11より)、P723に(戸入・藤丸屋)(昭和13年6月~25年10月)

☆ 余談
・細見美濃国絵図(天保5年:西暦1834年)に、①鳥東山※、②武図棒立、③蘇茂岐山、④姥溺山とある
 「美濃徳山の地名」で②は「烏帽子山 」、③は蕎麦粒山と知っていたが、①は、美濃の山(第1巻)で「高丸」別称「鳥ヶ東山」とあった。谷の名(鳥ヶ東谷)からきたのだろう
④は? 坂内村史通誌編に、丁子山( 湧谷山の南東)、新撰美濃誌で姥溺山は「オボラ山」と読むそう ※トリガヒガシヤマと読む(民俗編P559)、③はソボギ

・徳山村史の本文(P7)や付図に西谷川のことを戸入川と書いてある。村の人は戸入川と呼んであったと初めて知った


☆ 最後に
・広瀬又を調べるのに徳山村史を開いた。広瀬又の記載はなかったが、P768の江州への道で、「昔は門入から入谷・高倉(コウクラ)峠を越えて越前南条郡との往来・・」とある。入谷から高倉峠へどうやって行ったかが地図を見てもわからない、知っている人教えてください
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タケノコ+余談  0525

2020-06-03 13:23:23 | 奥揖斐の料理など
タケノコと余談
2020年5月25日(月)No109

☆ タケノコ(私の竹藪は破竹と真竹)
 破竹は孟宗のタケノコが終わると生えてくる。私の竹藪は草刈りなどして手入れしているせいか、年に200~300本は採れる。これは出荷していない(孟宗のタケノコをくれる人、夏にアユをくれる人などに進呈する)。今年は5月16日から出てきた

 写真は5/21のタケノコ、採れはじめは太い

 5/24のタケノコ、後半のタケノコは痩せてくる。これも食べます

 今日(5/25)の収穫、多分最高(49本)
 破竹タケノコは、旬のもので、出始めから7日ほど経つと太さも細くなり、収穫も減り始める。その代わり、真竹のタケノコが出てきて、破竹と7日ほど並行して生え、さらに7日ほど真竹のタケノコが採れる、都合3週間は破竹・真竹のタケノコが食べれます

☆ 余談

 麦秋(大和北方幼児園付近から「東の山」方面)
 私は、麦秋(バクシュ―)という言葉が好きです、春なのに秋の気配!。私の生家から1時間半ほどで福岡の柳川に行けます。筑後地方は二毛作をしており、この時期に麦秋の写真(福島あたり)が新聞の一面を飾ります。有明海ではシャコが旬(麦の収穫される春に抱卵)で、とても美味しく、「麦シャッパ」といいます。他にクッゾコ、アゲマキ、タイラギ、蟹漬(がんづけ)、エツ、ウナギ、有明海の料理、懐かしいです 

シャコ(シャッパ)の塩ゆで

 クッゾコ(ムラサキシタビラメ)煮つけ(旬 冬~春)

 有明海郷土料理
 左上:ガザミ塩茹、左下:ムツゴロウ蒲焼、その右:ワケ(イシワケイソギンチャク)みそ煮、右上:クルマエビ、右中:アゲマキ、右下:シャコ、その左:メカジャ(ミドリシャミセンガイ)味噌汁、ほか
上記有明海料理写真3枚は、「有明海のさかな」福岡県水産林務部・福岡県有明海漁業協同組合連合会(平成5年10月発行)から写しました
 
☆ 追伸
・タケノコ:毎日朝5時から、私一人で採りに行きます。私の目を盗んで毎年タケノコ泥棒が入ります(笑い)
・有明海のタイラギ貝、最近は採れているのでしょうか?、私が柳川で働いた平成6年頃は、柱もヒモも(潜水して採る漁師さんから)直接、安く買え、ヒモの粕漬けを手間暇かけ、作ったものでした

☆ お詫び
 当初0525で載せたそら豆の記事・写真は、都合により6/3PMに削除しました
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