個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

ひきこもりについて④~オーストラリアへの旅

2017-05-23 17:30:19 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きです。

約3年間のひきこもりの生活は意外にあっさりと終わりをむかえました。

10月頃に兄から、「お前、オーストラリアに行かんか?」という電話がありました。兄は結婚していて将来オーストラリアに移住するという夢を持っていました。そこで義姉がオーストラリアの大学に行きながらホームステイをするんだけど、1人で行かせるのは心配だから、ついていってあげてくれんかということでした。オーストラリアに着けば、すぐに日本に帰ってきてもいいし自由にすればいいという話でした。今となってはどうしてこの時心が動いたのかはっきりわかりませんが、「よし、行こう!」と思ったのです。ひきこもっていた3年間は「アルバイトくらいしないといけないな。就職どうしようか」とそればかり考えていて、「ああ。でも今の俺には無理やー」と身近なできないものばかりに目がいっていました。ですが、海外に行くというのは1度も考えたことがなかったので、アルバイトの面接に行くよりオーストラリアに行くことの方が、私にはハードルが低く感じたのです。

出発の日は12月の終わりか1月と決まっていました。そうなるとまず考えないといけないのはお金のことです。往復の旅費だけでもなんとかしなければなりません。そこでアルバイト情報誌を買ってきて、ある配達業者に電話して面接を受けに行き、無事に採用が決まりました。あれほどできなかったアルバイトでしたが、その頃にはもうオーストラリアに行きたいという気持ちになってましたので、そのために頑張ろうと思うことができました。しかし、バイト初日から何度も心が折れそうにはなりました。3年間のブランクは大きく、人と話すときに以前にもまして緊張するようになっていましたし、従業員の人たちが集まって仕事が始まるまで休憩や雑談する場所があるのですが、そこにはまったく近づくこともできず、離れたところで1人でポツンといました。少しも楽しくなかったし苦痛でしたが、とにかく2か月の辛抱だからと自分に言い聞かせて期日まで働きました。そしてあれこれ準備をしていよいよ出発の日がやってきました。

行きの飛行機は義姉と一緒で安心でしたが、オーストラリアに着いたら義姉はホームステイ先に行ってしまいました。残された私は急に不安になりました。というのも、オーストラリアに着いてからどうするかを何も決めておらず、まったくのノープランで来てしまっていたのです。振り返って考えると、この無計画さが当時の私にはよかったんだと思います。現地についてからのことをすべて準備しようとしていたら、以前のブログで書いたように、出発する前からしんどくなっていて、やっぱりめんどくさいから行くのやめようとなっていたかもしれませんから。

せっかくオーストラリアまで来たのだから、すぐに帰るのはやめようと思いました。日本国内ですら1人で旅行したことがなかったので、何をどうすればよいのかわかりませんでしたが、まずは今日寝る場所を確保しないとと思い、適当に乗ったバスを降りホテルを探しました。ようやく見つけたホテルで泊まらせてもらおうとフロントにいくと、さあ困りました。当たり前ですが、受付の人は全員外国人です。「今日ここに泊まらせてください。1泊おいくらですか?」これだけのことを英語で言えばいいのですが、「How much」以外何も思いつきません。ノープランで来ていましたので、もちろん辞書も英会話の本も何も持ってきていません。理系とはいえ、それなりに英語の勉強をしてきたはずなんですが、何一つ話すことができませんでした。このときほと学校教育を恨んだことはありませんでした(笑)ですが、こんな見知らぬ場所で一晩外で過ごす勇気なんてあるはずなく、思いついた単語を必死で話し続けたらなんとか伝わったようで無事に泊まることができました。ようやく泊まるホテルが見つかったのでしばらくここに滞在しようと思い、朝になると街に出かけました。英語であふれ、外国人に囲まれながら街をぶらぶらと歩くことは不安でいっぱいでした。お腹が減って何か食べるときも一苦労で、注文の仕方やお金の払い方など、言葉が通じないってこんなキツイことなんかと初めて気づきました。たまに日本人らしき人を見かけると嬉しくて思わず声をかけそうになることもありました。

しかし、2週間をすぎた頃からオーストラリアでの生活にも少しなれてきて(英語はあいかわらずまったく通じませんでしたし、相手が何を言っているのかもほとんどわかりませんでしたが)、お店で買い物をしたり、ご飯を食べたりすることにもほとんど不安はなくなり、長距離バスに乗っていろいろな場所に行くことができるようになりました。本当に久しぶりに毎日が楽しいと感じるようになり、日本ではほとんど飲めなかったお酒も毎晩飲むようになっていましたし、泊まるホテルが見つからず浜辺で野宿したこともありました(笑) 

もちろん楽しいことばかりでばく、嫌なこともありました。歩いていたら急に車が私の横にとまり、2人の男の人がでてきて私に向かってめちゃめちゃキレて怒ってるんです。何を言っているのか理解できない英語力のおかげて内容がわからなかったのは幸いでしたが怖い目にあいました。同じようなことが3回ほどあり(おそらく日本人に対して、よい感情を持っていない人たちだと思いますが)そのときは怖かったり、少し凹んだりしましたが、そんなことを軽く吹っ飛ばすほどオーストラリアでの生活は楽しく充実していました。日本に帰らず、ずっとここにいたいなと強く思いましたが、残りのお金も少なくなって、帰国しなければいけない時がきました。

次回に続きます
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ひきこもりについて③~どん底

2017-05-22 17:22:12 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きです。

就職活動をやめた私でしたが、初めのうちはそれほど危機感もなく、そのうちなんとかなるかなあと軽く考えていました。しかし、これが想像以上に深い穴だったのです。

アルバイトもしなくなると家から外に出る用事がなくなります。たまに高校の友人と遊びに行くことはありましたが、彼らはみな働いていました。そうなると自然に話題は仕事関係が多くなっていきます。学生時代一緒にバカなことをいっぱいしていた友人たちが、なんだかずいぶんと遠くに行ってしまったような、自分とは違ってすごく立派な人になったような、そんな感覚になることが増えていき、せっかくの友達の誘いも断るようになってしまいました。

また、地元の知り合いに会ったりすると「今何やってるん?」と必ず聞かれました。中学生の頃から勉強だけは頑張って高校・大学と進学校に合格できたことにより、当時の私は優越感を持っており周りからも「松下は頭いいから、ええとこ就職してるんやろ」と思われてるんだろうなあと、とにかく自意識過剰でした。ですから、「就活失敗して今は無職やねん」と素直に言うこともできず、適当にごまかしていました。

こういったことすべてが嫌になり、できるだけ外に出ることをせず、家族以外との関わりをなくしていきました。時間だけはありますので、好きなときに寝て、起きてる時間はテレビを見てるかゲームをしてるか、生活リズムも完全に昼夜逆転していました。心の中では「俺何やってるんやろ?」と思いながらも、だんだんとこの生活に慣れてきたのです。

ただ、こんなほとんど社会と関わらない生活をするにしても、お金は必要でした。食事は母が作ってくれていたので困りませんでしたが、ゲームや漫画などの自分の持て余した時間を解決する道具を買うお金がありませんでした。そこで私は弟に小遣いをもらうようになりました。3歳下の弟はもう働いていまして、嫌な顔せずお金をくれました。そうしてもらったお金を持って、弟の服を借りて、弟の車を運転し、ゲームを買いに行く。そんな自分が情けなくて、みじめで、「ああ。いつから俺の人生はくるってしまったんだろう? なんとかしたい!なんとかしたい!」でもどうすればいいのかわからない。

5年後10年後の自分を何度も想像しました。何回想像しても、今以上にみじめな暮らしをしている姿しかイメージできませんでした。不安で不安でたまらなくなり、眠れない日もありました。

そんな生活が3年ほど続きました。他人との会話することがますます困難になり、弟がときどき買い物に連れて行ってくれたのですが、そこの店員さんと話することができず弟に代わりに尋ねてもらったり、家でピザなどの出前を注文したりするのも電話をかけることができないというところまで悪化していました。不眠もひどくなってきたこともあり、父親に心療内科や自律神経訓練法などの病院に連れて行ってもらったりもしましたが、病院の待合室などで座っていると、「俺は病気なんかな。一生こんな生活続くんかな」とよけいに落ち込む結果となっていきました。

中学校の頃にこんな大人になりたいなと思い描いていた自分とは正反対の生活をしていることが情けなく、なんとかしたいけれども出口が見つからず毎日不安の中でもがいていました。ただ人生を100%あきらめていたわけではなく、10%くらいは「いつか絶対になんとかする。何か道がみえてくるはずだ」と信じていた部分はありました。

もう少し続きます。
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ひきこもりについて②~私の引きこもり時代

2017-05-20 16:18:27 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きです。

正直に言いますと、私は大学でかなり落ちこぼれていました。第一志望の大学や学部ではなかったからという言い訳をしていますが、1回や2回生の間は学校は半分ほどしか出席しておらず、留年ラインぎりぎりのところでなんとか進級していましたが、勉強はさっぱりわかりませんでした。ですから4回生になって就職を考えるときに、学部の専門分野に関係する企業で働いていく自信がまったくありませんでした。困った私がだした結論は公務員試験を受けることでした。勉強して暗記してという作業だけは、高校受験・大学受験を通して飽きるほどしてきたものだったので、それほど抵抗はなく、なんとなくマッタリできて自分に合っているかな(公務員の方、失礼m(__)m)と思い勉強を始めました。

それなりに一生懸命勉強したつもりでしたが、いくつか受験した結果はほぼ全滅でした。もちろんショックはショックでしたが、実はこの結果はある程度予想できていたのです。というのも、私の受験した試験のほとんどは2次試験で集団討論や面接がありました。前回書いたように、当時の私は話すことが苦手で、しかもグループの輪に入ることができないため、集団討論にほとんど参加できなかったのです。同じグループにいた受験生の中には優しい人もいて、そんな私に話をふってくれるのですが、そこでビシッと話すことができす、とんちんかんなことを言ってしまったり、ほとんど話せなかったりと今思い出しても変な汗がでてきます(笑) また、個別面接でも当たり前のことですが、初対面の目上の人と話をするわけですから、緊張しまくってまともな受け答えができず、緊張していることを悟られずにいようとすると、ふてぶてしい感じになってしまったりと散々な面接で、面接官から「こいつはダメだなあ」という空気がはっきり伝わってきました。

そんな私の公務員試験ですが、1つだけ合格できたところがあったのです。本当はそれほど行きたくなかったのですが、他に就職先もなく、ここでもこの仕事なら面白そうかなというのを見つけて、できるだけ前向きな気持ちで働き始めました。それがなんと、たったの2週間で退職してしまったのです。理由は簡単に言うなら、居心地の悪さが半端なかったことです。私の気の弱いところや、集団になじめないところや、そういった部分とは正反対の能力が求められる職場で、私にとっては初日から地獄でした。なんとか1か月は頑張ろうと思ったのですが、気がつけば10日目に退職願を出してしまっていたのです。

それでも、このおそるべきスピードで退職したことに対してはほとんど後悔はなく、逆に「4月中に辞めたのだから今から就活すれば間に合うからラッキー」みたいな気持ちでした。そして次に私が目指したのは、もう1度公務員試験を受けることだったのです。結果は1年目とまったく同じでした。自分でも「あれ?デジャブかな?」というくらい集団討論や個別面接で見事に撃沈しました。あせった私はそれからいくつか就職試験を受けに行きましたが、すべて不合格。そのときに、ようやく私は気づいたのです。

「面接でうまく受け答えできないことや、集団になじめないこと、人前で話できないことなどは、社会に出てからは致命的な欠点じゃないのか」
そう思ったときに、私は就職活動をやめ、動けなくなりました。

もう少し続きます。
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ひきこもりについて①~居心地の悪いところ

2017-05-19 19:59:18 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

お店などに行かれたときに、いかにも仕事ができそうな店員さんと、そうでなさそうな店員さんがいますよね。私は仕事がそれほどできなさそうな人を見ると心がぎゅーっと痛くなるんです。特にまだ入りたての新人のような人が、何をしていいのかわからない様子だったり、店長さんや先輩に怒られている姿は、見るのがつらくなってしまいます。それはおそらく、私自身が同じ経験をしてきたからだと思うのです。

私は学生時代アルバイトをそれなりにしてきました。しかし、どのアルバイトも長続きはせず、すぐに辞めてしまったり、クビになったりしました。理由は単純で、どの仕事をしても他の人のようにテキパキと仕事ができなかったためです。何をしたらいいのかよくわからず基本的にはいつも指示を待っている状態で、「どうして他の人は次に何をすればよいのかわかるのだろう」と不思議に思っていました。このような仕事ぶりだったので、だんだんと周りからは「こいつ、大学に行ってるくせに仕事は全然でけへんな」というような空気を感じるようになり、ますます委縮してしまい職場に行くのがしんどくなってきました。唯一、家庭教師の仕事だけはそういったこともなく、楽しくのびのびと働くことができました。家庭教師と同じく、子どもに勉強を教えるという塾講師のアルバイトをしたときは、やはりあまり仕事ができない者と塾長や先輩講師の方からは思われていたように感じましたし、やはり居心地はよくなかったです。ですから、私の場合は自分の得意分野の仕事であるかどうかではなく、周りの人たちに教えてもらうような環境が苦手で、自分で何をするかを決めていくような場所でないとしんどくなってしまうタイプだったんですね。

こうして書くと、「そんなのだれでも同じや」と思われるかもしれませんが、私はその程度が大きかったのだと思います。中学生の頃からずっと話すことが苦手で、といっても仲の良い友だちとは普通に話せましたが、先生や先輩など目上の人との会話はとても苦痛で、できるだけそれを避けていました。それが生意気に思われたのか、嫌われてしまうことも少なくなかったです。もちろん人前で話すことなどできるはずもなく、授業中に先生にあてられるだけでも緊張して顔が真っ赤になるほどでした。中学・高校をこのような感じで過ごしてきたことや、もともとの消極的な性格もあり、大学生になっても他人と会話する能力や人の輪に入る能力がほとんど成長していませんでした。その結果上で書いたように、どこのアルバイトに行ってもすでにできているグループに入ることもできず、また仕事のやり方や次に何をすればいいのかなどを聞くこともできず、「役に立たないバイト」という評価をされることになったのです。

そんなことがあっても当時の私は、「バイトはしょせんバイトやから。大学卒業してちゃんと就職すれば大丈夫なはずや」と思い(そう信じようとしていたのかもしれません)、だんだんとアルバイトをすることからも遠ざかっていきました。そして大学4回生になり就職のことを考えなければならない時期がとうとうやってきました。

続きは次回にします。
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始める前の不安とどう向き合うか

2017-05-18 13:27:50 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の松下です。

問題の最後によく(〇〇高校)と書いてあることがあり、この問題は〇〇高校の入学試験で出題されたものとわかるようになっています。この高校名を見ただけで「自分にはこの問題は解けない」と思ってしまう生徒もいれば、偏差値の高い高校であればあるほど燃えてきて、何とかして解いてやろうと頑張る生徒もいます。私は学生時代柔道をしていたのですが、対戦相手がいかつい顔をしていたり、耳が餃子になっていたり(柔道の寝技の練習を続けることで耳が畳に擦れたりすることで耳が餃子のようにふさがってしまいます。それほど厳しい練習をしていた証でもあるのです)すると、試合が始まる前から完全に戦意喪失してしまい、頭の中は勝つことなんか少しも考えていなくて、ただ怪我なくきれいに負けることだけを考えていました(笑) そのものに対する自信があるかないかも大きいのでしょうが、性格的なものでも違ってくるのではないでしょうか。タイプによって問題の出し方や、宿題の方法をかえることによって、より効果的な学習ができます。

また、何かしなければならないことがあるとその準備や作業がどれくらい大変なものかを想像して不安になってしまい、やり始める前からその不安でしんどくなってしまうことがあります。実際にしてみると案外楽にできることが多いのですが、必要以上に大変なことと思ってしまうのです。1か月で100ページの宿題をしなければならないとしたら、きちんと計画を立てることができて「だいたい1日3ページすれば間に合うから頑張ろう」と思える子どもはいいのですが、「毎日続けるなんて絶対無理やわ」「遊びに行かれへんやん」などと始める前から100ページという量をとてつもなく大きいものと考えてしまう子どもは、計画を立てることで逆に不安になったり、やる気がなくなったりしてしまうことがあります。。そんな子どもに対しては、宿題が100ページあるということを伝えずに毎回少しずつ宿題を出すことで気がつけば100ページの宿題が終わっているという方法でしてあげればうまくいくことが多いですね。

人生においても、始める前からあれこれ考え不安になってばかりいてもしかたがありません。もちろんじっくり考えることは必要ですが、始める前からこれから起こるすべての問題を予測するなんて不可能ですから、ある程度考えや気持ちが固まればとりあえず前に進むことが大切なことで、できるだけ実践しようとしています。進み始めればそこで新たな課題や問題がでてきますが、それはそのときに対処していくしかないのだと思います。その中で成長していき、振り返ってみればそれなりに苦しかったけど、意外とうまくいったなと思えるときが来るはずです。勉強することや、受験を大きすぎるものととらえてしまっていて、前になかなか進みにくくなっている子どもを、うまく導いてあげて、「なんや、けっこう楽やな」「なんでこんな簡単なこと今までできなかったんやろ」そんなふうに思ってもらえるように頑張っていきたいと思います。

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