日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(145)「雑説、韓愈」に於ける「連言の否定」(Ⅴ)

2019-01-27 17:32:19 | 訓読
― 「記事(141~144)」を書き直します。―
(01)
(a)
1  (1)~(Q& P) A
 2 (2)  Q     A
  3(3)     P  A
 23(4)  Q& P  23&I
123(5)~(Q& P)&
       (Q& P) 14&I
12 (6)    ~P  35RAA
1  (7)  Q→~P  26CP
  8(8)  Q& P  A
  8(9)  Q     8&E
1 8(ア)    ~P  78MPP
  8(イ)  P     8&E
1 8(ウ)  P&~P  アイ&I 
1  (エ) ~Qaaaaaaaaa8ウ
1  (オ) ~Q∨~P  エ∨I
(b)
1   (1) ~Q∨~P  A
 2  (2)  Q& P  A
  3 (3) ~Q     A
 2  (4)  Q     2&E
 23 (5) ~Q& Q  34&I
  3 (6)~(Q& P) 25RAA
   7(7)    ~P  A
 2  (8)     P  2&E
 2 7(9) ~P& P  78&I
   7(ア)~(Q& P) 29RAA
1   (イ)~(Q& P) 1367ア∨E
従って、
(01)により、
(02)
① ~(Q&P)=(QであってPである)といふことはない。
②  ~Q∨~P=QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
① ~(Q&P)=QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない。
然るに、
(04)
② ~(Q)&P=QでなくてPである。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ~(Q&P)=QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない
② ~(Q)&P=QでなくてPである
に於いて、
①=② ではない
然るに、
(06)
①「QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない。」
といふのであれば、
Pであって、尚且つ、「QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない。」とすれば、「Qでない。」
加へて、
(07)
②「QでなくてPである。」
といふのであれば、
Pであって、尚且つ、「QでなくてPである。」とすれば、固より、「Qでない。」
従って、
(06)(07)により、
(08)
① Pであって、尚且つ、「QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない。」とすれば、「Qでない。」
② Pであって、尚且つ、「QでなくてPである。」とすれば、固より、                  「Qでない。」
従って、
(05)(08)により、
(09)
「記号」で書くと、
① P,~(Q&P)├ ~Q
② P,~(Q)&P├ ~Q 
従って、
(10)
① P,~(Q&P)├ ~Q
② P,~(Q)&P├ ~Q 
といふ「連式(sequents)」に於いて、
① P,~(Q& P)
② P,~(Q)&P
といふ「前提(premisses)」 は、「同じ」ではないが、
①         ├ ~Q
②         ├ ~Q 
といふ「結論(conclusions)」は、「同じ」である
従って、
(10)により、
(11)
① P,~(Q&P)
② P,~(Q)&P
といふ「連式」は、「結論」が「同じ」である。といふ「意味」に於いて、「等しい」。
従って、
(05)(11)により、
(12)
①   ~(Q&P)
②   ~(Q)&P
に於いては、
①=② ではない。が、
その一方で、
① P,~(Q&P)
② P,~(Q)&P 
に於いては、
①=② である
然るに、
(13)
~ = 不
& = 而
従って、
(12)(13)により、
(14)
①   不(Q而P)。
②   不(Q)而P。
に於いては、
①=② ではない。が、
その一方で、
① P、不(Q而P)。
② P、不(Q)而P。
に於いては、
①=② である
従って、
(14)により、
(15)
P=食(馬を養ふ)。
Q=知其能千里(其の能の千里なるを知る)。
であるとして、
①    不〔知其能千里而食馬〕。
②    不〔知其能千里〕而食馬。
に於いて、
①=② ではない。が、
その一方で、
① 食馬、不〔知其能千里而食馬〕。
② 食馬、不〔知其能千里〕而食馬。
に於いては、
①=② である
然るに、
(16)
「馬を養ふ者(食馬者)」 は、当然、
「馬を養ふ(食馬)」。
従って、
(15)(16)により、
(17)
① 食馬者、不〔知其能千里而食馬〕。
② 食馬者、不〔知其能千里〕而食馬。
に於いては、
①=② である。
然るに、
(18)
「馬を養ふ者(食馬者)」が、
「養ふ」のは、言ふまでもなく、
「馬」である。
従って、
(17)(18)により、
(19)
① 食馬者、不〔知其能千里而食〕。
② 食馬者、不〔知其能千里〕而食。
に於いては
①=② である
然るに、
(20)
「AB (AはBである)。」と、
「AB(AはBであるのだ)。」は、「同じ意味」である。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 食馬者、不〔知其能千里而食〕也。
② 食馬者、不〔知其能千里〕而食也。
に於いては
①=② である
然るに、
(22)
(ⅰ)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
に於いて、
① 食( )⇒( )食
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也⇒
① (馬)食者、〔(其能千里)知而食〕不也=
① (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり=
① 馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。
(ⅱ)
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
に於いて、
② 食( )⇒( )食
② 不〔 〕⇒〔 〕不
② 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也⇒
② (馬)食者、〔(其能千里)知〕不而食也=
② (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕ずして食ふなり=
② 馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であること)を知ら〕ずに養ふ。のだ。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① 食(馬)者、〔知(其能千里)而食〕也。⇔(馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり。
② 食(馬)者、〔知(其能千里)〕而食也。⇔(馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕して食ふなり。
といふ「漢文・訓読」の、
① 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知って養ふ。といふわけではない
② 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知らに、養ふ。
といふ、その「意味する所」に於いて、
①=② である
然るに、
(24)
◆ 不 其能千里 而食 也 この句は、別に、
「不 其能千里 而食  也」と返り点をつけて「その能の千里なるを知らずして食ふなり。」(=その能力が千里もあるのを知らずに養っている。)と訓読することができる(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973、156頁)。
従って、
(23)(24)により、
(25)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
といふ「漢文」に対する、
① 不 其能千里 而食 也。
② 不 其能千里 而食  也。
といふ「二つの、返り点」は、「意味としては同じである。」といふ、ことからすれば、「どちらでも良い」。
従って、
(23)(25)により、
(26)
① 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。
といふ風に、「訓読(書き下し文)」が異なるにも拘らず、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
である所の、
① 不 其能千里 而食 也。
② 不 其能千里 而食  也。
といふ「漢文」自体は、「同じ意味」になる。
然るに、
(27)
① ~(Q&P)=QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない。
② ~(Q)&P=QでなくてPである。
③ Q&~(P)=QであってPでない
に於いて、
① は、② とは「異なり」、
① は、③ とも「異なる」。
② は、① とは「異なり」、
② は、③ とも「異なる」。
③ は、① とは「異なり」、
③ は、② とも「異なる」。
従って、
(27)により、
(28)
P=食(馬を養ふ)。
Q=知其能千里(其の能の千里なるを知る)。
であるとして、
① 不〔知其能千里而食〕也。
② 不〔知其能千里〕而食也。
③ 知〔其能千里〕而不食也。
であるならば、
① は、② とは「異なり」、
① は、③ とも「異なる」。
② は、① とは「異なり」、
② は、③ とも「異なる」。
③ は、① とは「異なり」、
③ は、② とも「異なる」。
然るに、
(29)

従って、
(26)(28)(29)により、
(30)
① 食(馬)者、不〔知其能千里而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知其能千里〕而食也。
③ 食(馬)者、知〔其能千里〕而不食也。
ではなく、
①       不〔知其能千里而食〕也。
②       不〔知其能千里〕而食也。
③       知〔其能千里〕而不食也。
に於ける、「その意味」に関しては、「それぞれが、互いに異なる」ものの、
①       不〔知其能千里而食〕也。
②       不〔知其能千里〕而食也。
③       知〔其能千里〕而不食也。
に於ける、
語順」に関しては、①=② であって、
訓読」に関しては、①=③ である。
然るに、
(31)
(ⅲ)
③ 知(其能千里)而不(食)也。
に於いて、
③ 知( )⇒( )知
③ 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
③ 知(其能千里)而不(食)也⇒
③ (其能千里)知而(食)不也=
③ (其の能の千里なるを)知りて(食は)ざるなり=
③ (其の馬の能力が千里であることを)知っているのに、(養は)ないのだ。
従って、
(22)(31)により、
(32)
① 不〔知(其能千里)而食〕也。⇔〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり。
② 不〔知(其能千里)〕而食也。⇔〔(其の能の千里なるを)知ら〕して食ふなり。
③ 知(其能千里)而不(食)也。⇔(其の能の千里なるを)知りて(食は)ざるなり。
といふ、ことになる。
然るに、
(33)
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味や品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)。このように「」がにきているときは、どこまでかかるのか、ということをじっくり押さえてみることだ(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、326頁)。
従って、
(32)(33)により、
(34)
〔知(其能千里)而食〕也。⇔〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり。
〔知(其能千里)〕而食也。⇔〔(其の能の千里なるを)知ら〕して食ふなり。
といふ「違ひ」が生じる「所以」は、「の、管到」が、「それ」である。
然るに、
(35)
否定詞前置の原則、打ち消しの言葉は、打ち消す単語の前に置く日本語)(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)。和文否定は文の最後尾につきます。「・・・ではない」という形式です。すると、直前の語を否定しているのか、文全体を否定しているのか、別の語や句読点を補わない限り区別がつかなくなります(新井紀子、数学は言葉、2009年、123頁)。
従って、
(32)(35)により、
(36)
〔知(其能千里)而食〕也。⇔〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり。
③ 知(其能千里)而(食)也。⇔(其の能の千里なるを)知りて(食は)ざるなり。
といふ「違ひ」が生じる「所以」は、「打消しの助動詞()の、管到」が、「それ」である。
cf.
未然 連用 終止 連体 已然 命令
ず  ず  ず 
         ぬ  ね  〇
ざら ざり ざり ざる ざれ ざれ
従って、
(33)~(36)により、
(37)
漢文」は、「否定詞」が「」にあるが故に、『否定詞の、の語の、どこまでが「否定」されてゐる』のかが、「曖昧」であり、
訓読」は、「否定詞」が「」にあるが故に、『否定詞の、の語の、どこまでが「否定」されてゐる』のかが、「曖昧」である。
然るに、
(38)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’という空所にいれて書くことにしよう;しかし丸括弧はその内部が連言でないかぎり削除しよう。
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
然るに、
(39)
「括弧の内部が連言でない場合に限り、括弧削除しよう。」といふことは、
(α)「内部が連言ある」⇒「括弧は、削除しない」。
(β)「内部が連言ない」⇒「括弧は、削除する」。
従って、
(39)により、
(40)
① ~(Q&P) ⇔ ~(Q&P)
② ~(Q)&P ⇔  ~Q&P
然るに、
(41)
① ~(Q&P) ⇔ ~(Q&P)
② ~(Q)&P ⇔  ~Q&P
といふ「ルール」を、「適用」するならば、
① 不(知其能千里而食也)。⇔ ~(知其能千里&食也)。
② 不(知其能千里)而食也。⇔  ~知其能千里&食也。
然るに、
(42)
① ~(Q&P) ⇔ ~(Q&P)
② ~(Q)&P ⇔  ~Q&P
といふ「ルール」は、「論理学」にはあっても、「漢文」にはない
従って、
(43)
(35)でも、「引用」したやうに、
このように「」がにきているときは、どこまでかかるのか、ということをじっくり押さえてみることだ(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、326頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(44)
(33)でも、「引用」したやうに、
管到」とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の訓読では、それぞれの漢字の意味品詞自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えねばならない。
といふことから、「管到」が「問題」になるのは、「」が頭にある時だけはない。
従って、
(45)
例へば、
蓋我朝之初建國也政體簡易文武一途擧海内皆兵而天子爲之元帥大臣大連爲之褊裨未嘗別置將帥也豈復有所謂武門武士者哉故天下無事則已有事則天子必親征伐之勞否則皇子皇后代之不敢委之臣下也是以大權在上能征服海内施及三韓肅愼無来王也
といふ「漢文」を、私が「訓読」できないとするならば、この「漢文」の「管到」が、私には、分からないからである。といふことになる。
然るに、
(46)
仮に、
蓋し我が朝の初めて國を建つるや、政體簡易、文武のこと、一途に、海内を擧げて皆、兵にして、天子は之が元帥たりて、・・・・・・。
といふ風に、読めて、尚かつ、それがマチガイでない(?)のであれば、その「漢文」の「管到」が、私には、分かってゐる。といふ、ことになる。

(144)「雑説、韓愈」に於ける「連言の否定」(Ⅳ)。

2019-01-26 21:07:50 | 訓読
(01)
(a)
1  (1)~(Q&P)  A
 2 (2)  Q     A
  3(3)    P   A
 23(4)  Q&P   23&I
123(5)~(Q&P)&
       (Q&P)  14&I
12 (6)   ~P   35RAA
1  (7) Q→~P   26CP
(b)
1 (1)  Q→~P   A
 2(2)  Q& P   A
 2(3)  Q      2&E    
 2(4)     P   2&E
12(5)    ~P   13MPP
12(6)  P&~P   45&I
1 (7)~(Q& P)  26RAA
(02)
(c)
1  (1) Q→~P   A
 2 (2)    P   A
  3(3) Q      A
1 3(4)   ~P   13MPP
123(5) P&~P   24&I
12 (6)~Q      35RAA
1  (7) P→~Q   26CP
(d)
1  (1) P→~Q   A
 2 (2)    Q   A
  3(3) P      A
1 3(4)   ~Q   13MPP
123(5) Q&~Q   24&I
12 (6)~P      35RAA
1  (7) Q→~P   26CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ~(Q& P)=Qであって、Pである。といふことはない。
②   Q→~P =Qであるならば、Pでない。
~(P→~Q =Pであるならば、Qでない。
に於いて、
①=②=③ であるが、このとき、
①=② を、「含意の定義」と言ひ、
  ②=③ を、 「対偶」と言ふ。
然るに、
(04)
1 (1)     Pである。          仮定
 2(2)QであってPである。といふことはない。 仮定
 2(3)Qならば、Pでない。          2含意の定義
 2(4)Pならば、Qでない。          3対偶
12(5)     Qでない。          14前件肯定。
∴ (6)Pである。QであってPである。といふことはない。├ Qでない。 
従って、
(04)により、
(05)
(a)
1 (1)  P     A
 2(2)~(Q& P) A
 2(3)  Q→~P  2含意の定義
 2(4)  P→~Q  3対偶
12(5)    ~Q  14MPP
∴ (6)P,~(Q&P)├ ~Q
従って、
(04)(05)により、
(06)
① Pである。QであってPである。といふことはない。├ Qでない。 
といふ「連式(sequent)」、すなはち、
① P,~(P&Q)├ ~Q
といふ「連式(sequent)」は、「妥当(valid)」である。
然るに、
(07)
(b)
1(1)P&~(Q&P) A
1(2)P        1&E
1(3)  ~(Q&P) 1&E
1(4)   Q→~P  3含意の定義
1(5)   P→~Q  4対偶
1(6)     ~Q  25MPP
1(7)   P&~Q  26&I
∴(8)P&~(Q&P)├ P&~Q
(b)
1(1)P&~(Q)&P A
1(2)P        1&E
1(3)   ~Q    1&E
1(4)P& ~Q    23&I
∴(5)P&~(Q)&P├ P&~Q
従って、
(07)により、
(08)
① P&~(Q&P)├ P&~Q
② P&~(Q)&P├ P&~Q
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
従って、
(06)(08)により、
(09)
① P,~(P&Q)├ ~Q
① P&~(Q&P)├ P&~Q
② P&~(Q)&P├ P&~Q
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
従って、
(09)により、
(10)
① P,~(Q&P)├ P&~Q
② P,~(Q)&P├ P&~Q
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
従って、
(10)により、
(11)
① P,~(Q&P)├ P,~Q
② P,~(Q)&P├ P,~Q
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
然るに、
(12)
~ = 不
& = 而
├ = 故、
である。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① P、不(Q而P)。故、P、不Q。
② P、不(Q)而P。故、P、不Q。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
従って、
(13)により、
(14)
P=食馬(馬を養ふ)。
Q=知其能千里(其の能の千里なるを知る)。
であるとして、
① 食馬、不〔知其能千里而食馬〕。故、食馬、不〔知其能千里〕。
② 食馬、不〔知其能千里〕而食馬。故、食馬、不〔知其能千里〕。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
然るに、
(15)
馬を養ふ者(食馬者) は、当然、
馬を養ふ (食馬)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 食馬者、不〔知其能千里而食馬〕。故、食馬者、不〔知其能千里〕。
② 食馬者、不〔知其能千里〕而食馬。故、食馬者、不〔知其能千里〕。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
然るに、
(17)
(ⅰ)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
に於いて、
① 食( )⇒( )食
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也⇒
① (馬)食者、〔(其能千里)知而食〕不也=
① (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり=
① 馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。
(ⅱ)
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
に於いて、
② 食( )⇒( )食
② 不〔 〕⇒〔 〕不
② 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也⇒
② (馬)食者、〔(其能千里)知〕不而食也=
② (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕ずして食ふなり=
② 馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であること)を知ら〕ずに養ふ。のだ。
(ⅲ)
③ 食(馬)者、不〔知(其能千里也)〕也。
③ 食(馬)⇒( )食
③ 不〔 〕⇒〔 〕不
③ 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
③ 食(馬)者、不〔知(其能千里也)〕也⇒
③ (馬)食者、〔(其能千里也)知〕不也=
③ (馬)を食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕ざるなり=
③ (馬)を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
従って、
(16)(17)により、
(18)
① 食馬、不〔知其能千里而食馬〕。故、食馬、不〔知其能千里〕。
② 食馬、不〔知其能千里〕而食馬。故、食馬、不〔知其能千里〕。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。が故に、
① 馬を養ふ者は、〔其の馬の能力が千里であることを知って養ふ。〕といふわけではないのだ。故に、馬を養ふ者は、〔其の馬の能力が千里であることを知ら〕ないのだ。
② 馬を養ふ者は、〔其の馬の能力が千里であることを知ら〕ずに養ふ。のだ。故に、馬を養ふ者は、〔其の馬の能力が千里であることを知ら〕ないのだ。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当(valid)」である。
然るに、
(19)
① 食馬者、不〔知其能千里而食馬〕。故、食馬者、不〔知其能千里〕。
② 食馬者、不〔知其能千里〕而食馬。故、食馬者、不〔知其能千里〕。
といふ「連式(sequents)」の「結論(conclision)」が、両方とも、
①                 故、食馬者、不〔知其能千里〕。
②                 故、食馬者、不〔知其能千里〕。
である。といふことからすると、
① 食馬者、不〔知其能千里而食馬〕。
② 食馬者、不〔知其能千里〕而食馬。
といふ「前提(premisses)」に於いて、
①=② であるとしも、ヲカシクはない。
然るに、
(20)
① 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知って養ふ。といふわけではない。
といふのであれば、
② 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知らずに、養ふ。
といふことになるし、
② 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知らずに、養ふ。
といふのであれば、
① 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知って養ふ。といふわけではない。
といふ、ことになる。
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
① 食馬、不〔知其能千里而食馬〕。故、食馬、不〔知其能千里〕。
② 食馬、不〔知其能千里〕而食馬。故、食馬、不〔知其能千里〕。
といふ「連式(漢文)」は、「結論」が「等しい」が故に、
① 食馬、不〔知其能千里而食馬〕。
② 食馬、不〔知其能千里〕而食馬。
といふ「漢文(命題)」は、「同じ」であると、すべきである。
従って、
(17)(21)により、
(22)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。⇔(馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。⇔(馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕ずして食ふなり。
といふ「二つの、漢文訓読」は、「書き下し文」は違ってゐても、「意味」としては、「同じ」である。
然るに、
(23)
◆ 不 其能千里 而食 也 この句は、別に、
「不 其能千里 而食  也」と返り点をつけて「その能の千里なるを知らずして食ふなり。」(=その能力が千里もあるのを知らずに養っている。)と訓読することができる(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973、156頁)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
といふ「漢文」に対する、
① 不 其能千里 而食 也。
② 不 其能千里 而食  也。
といふ「二つの、返り点」は、「意味としては同じである。」といふ、ことからすれば、「どちらでも良い」。
然るに、
(25)
(a)
1  (1)~(Q& P) A
 2 (2)  Q     A
  3(3)     P  A
 23(4)  Q& P  23&I
123(5)~(Q& P)&
       (Q& P) 14&I
12 (6)    ~P  35RAA
1  (7)  Q→~P  26CP
  8(8)  Q& P  A
  8(9)  Q     8&E
1 8(ア)    ~P  78MPP
  8(イ)  P     8&E
1 8(ウ)  P&~P  アイ&I 
1  (エ)nnn~Qnnnnnnnnn8ウ
1  (オ) ~Q∨~P  エ∨I
(b)
1   (1) ~Q∨~P  A
 2  (2)  Q& P  A
  3 (3) ~Q     A
 2  (4)  Q     2&E
 23 (5) ~Q& Q  34&I
  3 (6)~(Q& P) 25RAA
   7(7)    ~P  A
 2  (8)     P  2&E
 2 7(9) ~P& P  78&I
   7(ア)~(Q& P) 29RAA
1   (イ)~(Q& P) 1367ア∨E
従って、
(25)により、
(26)
① ~(Q& P)=(QであってPである)といふことはない。
②  ~Q∨~P =QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(27)
② ~(Q)&P =QでなくてPである。
従って、
(26)(27)により、
(28)
① ~(Q& P)=QでなくてPであるか、PでなくてQであるか、QでなくてPでない
② ~(Q)&PQでなくてPである
に於いて、
①=② ではない
従って、
(11)~(14)(28)により、
(29)
① 不(知其能千里而食馬)。
② 不(知其能千里)而食馬。
に於いて、
①=② ではない。
従って、
(21)(29)により、
(30)
① 食馬、不(知其能千里而食馬)。
② 食馬、不〔知其能千里〕而食馬。
に於いて、
①=② であるが、
① 不(知其能千里而食馬)。
② 不(知其能千里)而食馬。
に於いて、
①=② ではない

(143)「雑説、韓愈」に於ける「連言の否定」(Ⅲ)。

2019-01-26 09:36:46 | 訓読
―「昨日の記事(142)」を書き直します。―
(01)
(a)
1  (1)~(Q&P)  A
 2 (2)  Q     A
  3(3)    P   A
 23(4)  Q&P   23&I
123(5)~(Q&P)&
       (Q&P)  14&I
12 (6)   ~P   35RAA
1  (7) Q→~P   26CP
(b)
1 (1)  Q→~P   A
 2(2)  Q& P   A
 2(3)  Q      2&E    
 2(4)     P   2&E
12(5)    ~P   13MPP
12(6)  P&~P   45&I
1 (7)~(Q& P)  26RAA
(02)
(c)
1  (1) Q→~P   A
 2 (2)    P   A
  3(3) Q      A
1 3(4)   ~P   13MPP
123(5) P&~P   24&I
12 (6)~Q      35RAA
1  (7) P→~Q   26CP
(d)
1  (1) P→~Q   A
 2 (2)    Q   A
  3(3) P      A
1 3(4)   ~Q   13MPP
123(5) Q&~Q   24&I
12 (6)~P      35RAA
1  (7) Q→~P   26CP
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ~(Q& P)=Qであって、Pである。といふことはない。
②   Q→~P =Qであるならば、Pでない。
③   P→~Q =Pであるならば、Qでない。
に於いて、
①=②=③ であるが、このとき、
①=② を、「含意の定義」と言ひ、
  ②=③ を、 「対偶」と言ふ。
然るに、
(04)
1 (1)  P     A
 2(2)~(Q& P) A
 2(3)  Q→~P  2含意の定義
 2(4)  P→~Q  3対偶
12(5)    ~Q  14MPP
∴ (6)P,~(Q&P)├ ~Q
cf.
1 (1)     Pである。          仮定
 2(2)QであってPである。といふことはない。 仮定
 2(3)Qならば、Pでない。          2含意の定義
 2(4)Pならば、Qでない。          3対偶
12(5)     Qでない。          14前件肯定。
∴ (6)Pである。QであってPである。といふことはない。├ Qでない。 
従って、
(03)(04)により、
(05)
① Pである。QであってPである。といふことはない。├ Qでない。 
といふ「連式(sequent)」、すなはち、
① P,~(P&Q)├ ~Q
といふ「連式(sequent)」は、「妥当(valid)」である。
然るに、
(06)
~ = 不
& = 而
├ = 故
である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① P、不(Q而P)故 不Q。
といふ「連式」は、「妥当」である。
従って、
(07)により、
(08)
P=食馬(馬を養ふ)。
Q=知其能千里(其の能の千里なるを知る)。
であるとして、
① 食馬、不(知其能千里而食馬)。故、不知其能千里。
といふ「連式」は、「妥当」である。
然るに、
(09)
① 馬を養ふ者(食馬者) は、当然、
① 馬を養ふ(食馬)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 食馬者、不(知其能千里而食馬)。故、不知其能千里。
といふ「連式」は、「妥当」である。
然るに、
(11)
也(断定) は、「・・・・・であるのだ」といふ「肯定」を「意味」する。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 食馬者、不(知其能千里而食馬)也。故、不知其能千里也。
といふ「連式」は、「妥当」である。
然るに、
(13)
(ⅰ)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
に於いて、
① 食( )⇒( )食
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也⇒
① (馬)食者、〔(其能千里)知而食〕不也=
① (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり=
① 馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。
(ⅱ)
① 不〔知(其能千里也)〕也。
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
① 不〔知(其能千里也)〕也⇒
① 〔(其能千里也)知〕不也=
① 〔(其の能の千里なるを)知ら〕ざるなり=
① 〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
従って、
(12)(13)により、
(14)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。故、不〔知(其能千里也)〕也。⇔
① (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。故に、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
といふ「連式(漢文・訓読)」は、「妥当」である。
然るに、
(15)
① 馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。
といふのであれば、
①「知る・知らない」の「主語」は、
①「馬を養ふ者」である。
従って、
(14)(15)により、
(16)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。故、不〔知(其能千里也)〕也。⇔
① (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。故に、馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
といふ「連式(漢文・訓読)」は、「妥当」である。
然るに、
(17)
① (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。故に、馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
といふ「連式(訓読)」が、「妥当」である。以上、当然、
② (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ずに養ふのだ。故に、馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
といふ「連式(訓読)」も、「妥当」である、はずである。
然るに、
(17)により、
(18)
① 故に、馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
② 故に、馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
といふ風に、「結論が等しい」といふのであれば、
① (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。
② (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ずに養ふのだ。
といふ「前提」は、「同じ意味」であるに、違ひない。
然るに、
(19)
① 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知って養ふ。といふわけではない。
といふのであれば、
② 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知らずに、養ふ。
といふことになるし、
② 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知らずに、養ふ。
といふのであれば、
① 馬を養ふ者は、其の馬の能力が千里であることを知って養ふ。といふわけではない。
といふ、ことになる。
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 故に、馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
② 故に、馬を養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ないのだ。
といふ風に、「結論等しい」が故に、
① (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知って養ふ。〕といふわけではないのだ。
② (馬を)養ふ者は、〔(其の馬の能力が千里であることを)知ら〕ずに養ふのだ。
といふ「前提」は、「同じ意味」になる。
cf
1 (1)  P     A
 2(2)~(Q& P) A
 2(3)  Q→~P  2含意の定義
 2(4)  P→~Q  3対偶
12(5)    ~Q  14MPP
12(6)  P&~Q  15&I
∴ (7)P,~(P&Q)├ P&~Q
  (〃)食馬者、不(知其能千里&食馬)。故、食馬者&不(知其能千里)。
  (〃)食馬者、不(知其能千里&食馬)。故に、馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らず。
  (〃)食馬者、不(知其能千里&食馬)。故に、馬を養ふ者は、其の能の千里なるを知らずに養ふのだ。
然るに、
(22)
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
に於いて、
② 食( )⇒( )食
② 不〔 〕⇒〔 〕不
② 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也⇒
② (馬)食者、〔(其能千里)知〕不而食也=
② (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕ずして食ふなり=
② 馬を養ふ者は、(其の馬の能力が千里であることを知ら)ずに養ふ。のだ。
(13)(21)(22)により、
(23)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。⇔(馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。⇔(馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕ずして食ふなり。
といふ「二つの、漢文訓読」は、「書き下し文」は違ってゐても、「意味」としては、「同じ」である。
然るに、
(24)
◆ 不 其能千里 而食 也 この句は、別に、
「不 其能千里 而食  也」と返り点をつけて「その能の千里なるを知らずして食ふなり。」(=その能力が千里もあるのを知らずに養っている。)と訓読することができる(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973、156頁)。
従って、
(23)(24)により、
(25)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
といふ「漢文」に対する、
① 不 其能千里 而食 也。
② 不 其能千里 而食  也。
といふ「二つの、返り点」は、「意味としては同じである。」といふ、ことからすれば、「どちらでも良い」。

(142)「雑説、韓愈」に於ける「連言の否定」(Ⅱ)。

2019-01-25 12:31:09 | 訓読
―「昨日の記事(142)」を書き直します。―
(01)
「原文」と「括弧(返り点)」と「訓読(書き下し文)」と「通釈(翻訳)」は、次の通りです。
(原文)
世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有、而伯楽不常有。
故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、
駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
馬之千里者、一食或盡粟一石。
食馬者、不知其能千里而食也。
(括弧)
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖有(名馬)、祇辱於(奴隷人之手)、
駢-死(於槽櫪之間)、不〔以(千里)称〕也。
馬之千里者、一食或盡(粟一石)。
食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
(訓読)
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人之手於辱かしめられ、
槽櫪之間於駢死し、千里を以て称せられ不るなり。
馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を盡くす。
馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
(通釈)
この世には、伯楽のような馬の鑑定の名人があって、そこではじめて一日に千里も走る名馬が見いだされることになるのである。
一日に千里走る名馬はいつもいるのであるが、(これを見わける)伯楽はいつもいるとはかぎらないのである。
それゆえ、せっかく名馬がいるにしても、(その才能が見いだされず)ただいやしいしもべたていの手にかかって粗末なあつかいをうけ、
(駄馬といっしょに)馬小屋の中で首をならべて死んでいき、千里を走るという評判をえられずに終わってしまうのである。
馬で千里も走る能力があるものは、一回の食事に穀物一石をたいらげるものもある。ところが、
馬の飼い主は、自分の馬が千里も走る能力があることを知って飼うことをしない。
(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973年、154頁)。
然るに、
(02)
◆ 不 其能千里 而食 也 この句は、別に、
「不 其能千里 而食  也」と返り点をつけて「その能の千里なるを知らずして食ふなり。」(=その能力が千里もあるのを知らずに養っている。)と訓読することができる。例文の場合、書き下し文だけを読むと
「知 其能千里 而不食也」(その能力が千里もあることを知りながら養わない。)と混同するおそれがあるのでじゅうぶんに注意しなければならない(赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973、156頁)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里〕而食〕也。
③ 食(馬)者、知(其能千里)而不(食)也。
に於いて、
① と ② は、「原文(漢文)」が「共通」であるが、「訓読(書き下し文)」が「異なる」。
① と ③ は、「原文(漢文)」は「異なる」が、  「訓読(書き下し文)」が「共通」であって、尚且つ、「意味」が「異なる」。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
「赤塚忠・遠藤哲夫、漢文の基礎、1973」の中では、
① と ② は、「原文(漢文)」が「共通」であるが、「訓読(書き下し文)」が「異なる」際に、
① と ② の、「意味」が「同じなのかか、同じではのか」といふことが、述べられてゐない。
然るに、
(05)
(ⅰ)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
に於いて、
① 食( )⇒( )食
① 不〔 〕⇒〔 〕不
① 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也⇒
① (馬)食者、〔(其能千里)知而食〕不也=
① (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知りて食は〕ざるなり=
① 馬を養ふ者は、(其の能が千里であることを知って養ふ。)といふことがない。
(ⅱ)
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
に於いて、
② 食( )⇒( )食
② 不〔 〕⇒〔 〕不
② 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也⇒
② (馬)食者、〔(其能千里)知〕不而食也=
② (馬を)食ふ者は、〔(其の能の千里なるを)知ら〕ずして食ふなり=
② 馬を養ふ者は、(其の能が千里であることを知ら)ずに養ふ。
(ⅲ)
③ 食(馬)者、知(其能千里)而不(食)也。
に於いて、
③ 食( )⇒( )食
③ 知( )⇒( )知
③ 不( )⇒( )不
といふ「移動」を行ふと、
③ 食(馬)者、知(其能千里)而不(食)也⇒
③ (馬)食者、(其能千里)知而(食)不也=
③ (馬を)食ふ者は、(其の能の千里なるを)知りて(食は)ざるなり=
③ 馬を養ふ者は、(其の能が千里であることを)知って養ふ。
従って、
(05)により、
(06)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里〕而食〕也。
③ 食(馬)者、知(其能千里)而不(食)也。
といふ「漢文」に於いて、これらは、
① 馬を養ふ者は、(其の能が千里であることを知って養ふ。)といふことがない。
② 馬を養ふ者は、(其の能が千里であることを知ら)ずに養ふ。
③ 馬を養ふ者は、(其の能が千里であることを)知って養ふ。
といふ「意味」になる。
然るに、
(07)
② 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知らずに養ふ。
③ 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知って、養ふ。
であるならば、
② 知らずに養ふ。
③ 知って、養ふ。
であるため、明らかに、
① の「意味」と、
② の「意味」は、「同じ」ではない。
従って、
(05)(07)により、
(08)
② 食(馬)者、不〔知(其能千里〕而食〕也。
③ 食(馬)者、知(其能千里)而不(食)也。
といふ「漢文」に於いて、
② の「意味」と、
③ の「意味」は、「同じ」ではない。
然るに、
(09)
① 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知って養ふ。といふことがない。
といふのであれば、
② 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知らずに、養ふ。
といふことになるし、
② 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知らずに、養ふ。
といふのであれば、
① 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知って養ふ。といふことがない。
といふ、ことになる。
従って、
(09)により、
(10)
① 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知って養ふ。といふことがない。
② 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知らずに、養ふ。
といふ「日本語」は、「同じ、一つの命題」の、「言ひ換へ」に過ぎない。
従って、
(10)により、
(11)
① 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知って養ふ。といふことがない。
② 馬を養ふ者は、其の能が千里であることを知らずに、養ふ。
といふ「命題」に於いて、
① の「意味」と、
② の「意味」は、「同じ」である。
従って、
(05)(11)により、
(12)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里〕而食〕也。
といふ「漢文」に於いて、すなはち、
① 食 馬者、不 其能千里 而食 也。
② 食 馬者、不 其能千里 而食  也。
といふ「漢文」に於いて、
① の「意味」と、
② の「意味」は、「同じ」である。
然るに、
(13)
(a)
1   (1)  P     A
 2  (2)~(Q&P)  A
  3 (3)  P     A
   4(4)    Q   A
  34(5)  Q&P   34&I
 234(6)~(Q&P)& 
        (Q&P)  25&I
 23 (7)   ~Q   46RAA
 2  (8) P→~Q   37CP
12  (9)   ~Q   18MPP
12  (ア) P&~Q   19&I
∴   (イ)P,~(Q&P)├ P&~Q 
(b)
1   (1)  P     A
 2  (2)~(Q)&P  A
 2  (3) ~Q     2&E
12  (4)  P&~Q  13&I
∴   (5)P,~(Q)&P├ P&~Q
従って、
(13)により、
(14)
① P,~(Q&P)├ P&~Q
② P,~(Q)&P├ P&~Q
といふ「連式(sequents)」は、「妥当」である。
従って、
(15)
① P,~(Q&P)├ P&~Q
② P,~(Q)&P├ P&~Q
といふ「二つの連式」は、「妥当」であって、尚且つ、「結論(P&~Q)」としては、「同じ」である。
従って、
(15)により、
(16)
P=馬を養ふ。
Q=其の能の千里なるを知る。
であるとして、
① P,~(Q&P)├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
② P,~(Q)&P├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当」であって、「結論(馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。)」としては、「同じ」である。
従って、
(16)により、
(17)
P=食馬。
~=不
Q=知其其能千里。
&=而
であるとして、
① 食馬,不(知其能千里而食馬)├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
② 食馬,不(知其能千里)而食馬├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当」であって、「結論(馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。)」としては、「同じ」である。
従って、
(12)(17)により、
(18)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里〕而食〕也├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
といふ「連式(sequents)」、すなはち、
① 食 馬者、不 其能千里 而食 也├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
② 食 馬者、不 其能千里 而食  也├ 馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。
といふ「連式(sequents)」は、「妥当」であって、「結論(馬を養ひ、其の馬の千里なるを知らない。)」としては、「同じ」である。
然るに、
(19)
(c)
1  (1)~(Q)&P  A
1  (2) ~Q     1&E
1  (3)     P  1&E
1  (4)  P&~Q  23&I
∴  (5)~(Q)&P├ P&~Q
(d)
1  (1)~(Q&P)  A
 2 (2)  P     A
  3(3)    Q   A
 23(4)  Q&P   23&I
123(5)~(Q&P)& 
       (Q&P)  14&I
12 (6)   ~Q   35RAA
1  (7) P→~Q   26CP
∴  (8)~(Q&P)├ P→~Q
従って、
(19)により、
(20)
③ ~(Q&P)├ P→~Q
④ ~(Q)&P├ P&~Q
「連式(sequents)」に於いて、
③ は、「妥当」であって、
④ も、「妥当」であるが、
その一方で、
③ ├ P→~Q
④ ├ P&~Q
でるため、
③ ~(Q&P)├ P→~Q
④ ~(Q)&P├ P&~Q
に於いて、「結論」に関しては、
③=④ ではない。
従って、
(15)(20)により、
(21)
① P,~(Q&P)├ P&~Q
② P,~(Q)&P├ P&~Q
③   ~(Q&P)├ P→~Q
④   ~(Q)&P├ P&~Q
といふ「4つの連式」は、それぞれが、「妥当」であるが、
③ だけは、 「結論(P→~Q)」が、「同じ」ではない。
従って、
(18)(21)により、
(22)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也├ 馬を養ひ、   其の馬の千里なるを知らない。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里〕而食〕也├ 馬を養ひ、   其の馬の千里なるを知らない。
③       不〔知(其能千里)而食〕也├ 馬を養ふならば、其の馬の千里なるを知らない。
④       不〔知(其能千里〕而食〕也├ 馬を養ひ、   其の馬の千里なるを知らない。
といふ「連式(sequents)」、すなはち、
① 食 馬者、不 其能千里 而食 也├ 馬を養ひ、らば、其の馬の千里なるを知らない。
② 食 馬者、不 其能千里 而食  也├ 馬を養ひ、らば、其の馬の千里なるを知らない。
馬者、 其能千里 而食 也├ 馬を養ひならば、其の馬の千里なるを知らない。
馬者、 其能千里 而食  也├ 馬を養ひ、らば、其の馬の千里なるを知らない。
といふ「連式(sequents)」は、それぞれが、「妥当」であるが、「結論」に関しては、
①├ 馬を養ひ、らば、其の馬の千里なるを知らない。
②├ 馬を養ひ、らば、其の馬の千里なるを知らない。
③├ 馬を養ふならば、其の馬の千里なるを知らない。
④├ 馬を養ひ、らば、其の馬の千里なるを知らない。
であるため、
③ だけが、「他の3つの結論」と、「同じ」ではない。
従って、
(22)により、
(23)
① 食 馬者、不 其能千里 而食 也。
② 食 馬者、不 其能千里 而食  也。
馬者、 其能千里 而食 也。
馬者、 其能千里 而食  也。
といふ「漢文」に於いて、
① と ② は、その「結論」としては、「同じ意味」であるが、
③ と ④ は、その「結論」としても、「同じ意味」ではない。
然るに、
(24)

然るに、
(25)
① その能力を知っていることと、食うことの両方を否定する。
といふのであれば、
① その能力を知らないし、養ひもしない。
といふ「意味」であると、思はれる。
然るに、
(26)
① 不知其能千里而不食也=
① 不〔知(其能千里)〕而不(食)也⇒
① 〔(其能千里)知〕不而(食)不也=
① 〔(其の能の千里なるを)知ら〕ずして(食は)ざるなり=
① その能力を知らないし、養ひもしない。のだ。
従って、
(25)(26)により、
(27)
① その能力を知っていることと、食うことの両方を否定する。
といふのであれば、「漢文と、返り点」は、
(イ)不 其能千里 而食 也。
ではなく、
(イ)不 其能千里 而不食 也。
でなければ、ならない。
(28)
(イ)不 其能千里 而食 也。
といふ「漢文」は、飽くまでも、
①「その能力を知っていること」と、「馬を養ふこと」とが、「同時には、成り立たない」といふ「意味」である。
cf.
~(P&Q)=(~P∨~Q)=(P→~Q)=(~~Q→~P)=(Q→~P)
従って、
(28)により、
(29)
(イ)「馬を養ふ」ならば「其の能力を知らない」。といふことになり、
(イ)「其の能力を知ってゐる」ならば、「馬を養はない。」といふことになる。
然るに、
(30)
(イ)「馬を養ふ者」は、「馬を養ふ」。
従って、
(29)(30)により、
(31)
(イ)「馬を養ふ」ならば「其の能力を知らない」。然るに、
(イ)「馬を養ふ者」は、「馬を養ふ」。故に、
(イ)「馬を養ふ者」は、「其の能力を知らない」。
といふ「推論(三段論法)」が成立するのであって、「この記事」で言ひたかかったことは、要するに、さういふことである。

(141)「雑説、韓愈」と「連言の否定」。

2019-01-23 09:55:16 | 訓読
―「この記事」は、今日中に、書き直します。―
(01)
― 雑説、韓愈 ―
(a)
世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有、而伯楽不常有。
故雖有名馬、祇辱於奴隷人之手、
駢死於槽櫪之間、不以千里称也。
馬之千里者、一食或盡粟一石。
食馬者、不知其能千里而食也。
(b)
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖有(名馬)、祇辱於(奴隷人之手)、
駢-死(於槽櫪之間)、不〔以(千里)称〕也。
馬之千里者、一食或盡(粟一石)。
食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
(c)
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人之手於辱かしめられ、
槽櫪之間於駢死し、千里を以て称せられ不るなり。
馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を盡くす。
馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
(02)

従って、
(01)(02)より、
(03)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
③ 食(馬)者、知(其能千里)而不(食)也。
に於いて、
① 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。
③ 馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
のやうに、「訓読」に関しては、
① と ② は、「異なり」、
① と ③ は、「等しい」。
ものの、「意味」に関しては、「三つ」とも、「同じ」ではない
然るに、
(04)
「結論」を先に言ふと、「中西先生の、見解」は「マチガイ」であって、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。
に於いて、
① の「意味」と、
② の「意味」は、「等しい」。
(05)
(a)
1  (1)~(P&Q)  A
 2 (2)    Q   A
  3(3)  P     A
 23(4)  P&Q   23&I
123(5)~(P&Q)&
       (P&Q)  14&I
12 (6) ~P     35RAA
1  (7) Q→~P   26CP
(b)
 1 (1) Q→~P  A
  2(2) P& Q  A
  2(3) P     2&E
  2(4)    Q  2&E
 12(5)   ~P  14MPP
 12(6) P&~P  35&I
 1 (7)~(P&Q) 26RAA
従って、
(05)により、
(06)
① ~(P& Q)
②   Q→~P
に於いて、
①=② である。
ものの、このこと(トートロジー)を仮に、「連言否定」といふ風に、呼ぶことにする。
然るに、
(07)
1 (1)  Q     A
 2(2)~(P& Q) A
 2(3)  Q→~P  2連言の否定
12(4)    ~P  13MPP
12(5) ~P& Q  14&I
然るに、
(08)
P=其の能の千里なるを知る。
Q=馬を養ふ。
従って、
(07)(08)により、
(09)
1 (1)馬を養ふ。 A
 2(2)其の能の千里なるを知って、馬を養ふ。といふことはない。 A
 2(3)馬を養ふならば、其の能の千里なるを知らない。      2連言の否定
12(4)        其の能の千里なるを知らない。      13MPP
12(5)其の能の千里なるを知らずして、馬を養ふ。        14&I
従って、
(09)により、
(10)
① 馬は養ふが、其の能の千里なるを知って、馬を養ふ。といふわけではない。
② 其の能の千里なるを知らずして、馬を養ふ。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
① 馬は養ふが、其の能の千里なるを知って、馬を養ふ。といふわけではない。
② 其の能の千里なるを知らずして、馬を養ふ。
に於いて、
①「馬を養ふ」の「主語」は、「馬を養ふ者」である。
②「馬を養ふ」の「主語」は、「馬を養ふ者」である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 馬を養う者は、其の能の千里なるを知って、馬を養ふ。といふわけではない。
② 馬を養う者は、其の能の千里なるを知らずして、馬を養ふ。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(13)
① 馬を養う者は、其の能の千里なるを知って、馬を養ふ。といふわけではない。のだ。
② 馬を養う者は、其の能の千里なるを知らずして、馬を養ふ。のだ。
といふ「日本語」を、「漢文」に「訳す」際は、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也。
といふ風に、「訳す」ことになる。
従って、
(04)(12)(13)により、
(14)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)(14)により、
(15)
① 食不 者、不 其能千里 而食 也。(本文の通りの読み方)
② 食不 者、不 其能千里 而食也。
に於いて、
①=② である。(Q.E.D)
然るに、
(16)
① Pであるか、またはQである。然るに、Qでない。故に、Pである。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
cf.
選言三段論法。
従って、
(16)により、
(17)
① Qでない。然るに、Pであるか、またはQである。故に、Pである。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(17)により、
(18)
① Qである。然るに、Pでないか、またはQでない。故に、Pでない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
然るに、
(19)
① Pでないか、またはQでない。
② Pであって、Qである。といふことはない。
に於いて、
①=② である。
cf.
ド・モルガンの法則。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① Qである。然るに、Pであって、Qである。といふことはない。故に、Pでない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(20)により、
(21)
「記号」で書くと、
① Q,~(P&Q)├ ~P
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(08)(21)により、
(22)
Q=馬を養ふ。
P=其の能の千里なるを知る。
であるとして、
① 馬は養ふが、其の能の千里なるを知って、馬を養ふ。といふわけではない。故に、馬は養ふ者は、其の能の千里なるを知らない。
といふ「推論(三段論法)」は、「妥当」である。
従って、
(22)により。
(23)
① 馬は養ふが、其の能の千里なるを知って、馬を養ふ。といふわけない。
② 馬は養ふ者は、其の能の千里なるを知らないで、馬を養ふ。
に於いて、
①=② である。
従って、
(13)(14)(23)により、
(24)
いづれにせよ、
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(25)
① Q,~(P&Q)├ ~P
Q,(~P&Q ├ ~P
ではあるが、
Q,~(P&Q)├ ~P
ではないし、
① ~(P&Q)
②  ~P&Q
に於いて、
①=② ではない
従って、
(24)(25)により、
(26)
① 食(馬)者、不〔知(其能千里)而食〕也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 食(馬)者、不〔知(其能千里)〕而食也=馬を食ふ者は、其の能の千里なるを知らずして食ふなり。
に於いて、
①=② である。としても、
① 不〔知(其能千里)而食〕也=其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
① 不〔知(其能千里)〕而食也=其の能の千里なるを知らして食ふなり。
に於いては、
①=② ではない
然るに、
(27)
① 不〔知(其能千里)而食〕=~(知其能千里&食)。
② 不〔知(其能千里)〕而食=~(知其能千里)&食。
に於いて、
① は、「連言」であり、
② も、「連言」である。
然るに、
(28)
任意の表述の否定は、その表述を’~(  )’という空所にいれて書くことにしよう;しかし丸括弧はその内部が連言ないかぎり削除しよう
(W.O.クワイン著、杖下隆英訳、現代論理学入門、1972年、15頁)
従って、
(27)(28)により、
(29)
クワイン先生も、述べてゐるやうに、「論理的」には、
① 不(知其能千里而食)=~(知其能千里&食)。
② 不(知其能千里)而食=~(知其能千里)&食。
に於いて、
① か、② の、どちらかでなければ、ならない。
従って、
(30)
① 不知其能千里而食。
② 不知其能千里而食。
といふ「漢文」は、
① 不(知其能千里而食)。 であるのか、
② 不(知其能千里)而食。 であるのか、が分からない。
といふ「意味」で、「非論理的(曖昧)」である。
従って、
(30)により、
(31)
① 不(知其能千里而食)=其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 不(知其能千里)而食=其の能の千里なるを知らして食ふなり。
といふ「2通りの訓読」がなされる「所以」は、「漢文」にあるのであって、「訓読の側」にあるわけではない。
従って、
(30)(31)により、
(32)
① 不知其能千里而食。
② 不知其能千里而食。
といふ「1通りの、漢文」に対して、
① 其の能の千里なるを知りて食はざるなり。
② 其の能の千里なるを知らして食ふなり。
といふ「2通りの、訓読」があるからと言って、そのことが、「漢文訓読」の「欠点」になってゐる。
といふわけではない

(140)『括弧』と『返り点』(続き)。

2019-01-21 19:00:57 | 訓読
―「昨日の記事(139)」の続きを書きます。―
(33)
① B(A)。
に於いて、『括弧の』を、「に読む」ならば、
① A→B。 
といふ「順番」で、「読む」ことになる。
従って、
(33)により、
(34)
② C〔B(A)〕。
に於いて、『括弧の』を、「に読む」ならば、
② A→B→C。
といふ「順番」で、「読む」ことになる。
従って、
(34)により、
(35)
③ #C〔#B(#A)〕。
に於いて、「#」に関しては、「そのまま、左から右へ、読み」、「アルファベット」に関しては、『括弧の』を、「に読む」ならば、
③ #→#→#→A→B→C。
といふ「順番」で、「読む」ことになる。
従って、
(35)により、
(36)
③ #C〔#B(#A)〕=
③ 我不〔常読(英文)〕。
であるならば、
③ 我→常→英→文→読→不。
といふ「順番」で、「読む」ことになる。
従って、
(37)により、
(38)
③ 我不常読英文。
といふ「漢文」を、
③ 我、〔常には(英文を)読ま〕ず。
といふ風に、「訓読して欲しい」のであれば、
③ 我不〔常読(英文)〕。
といふ風に、『括弧』を加へれば良い。
cf.
③ 我不 常読 英文
③ 私は、常に英文を読む。といふわけではない。
従って、
(38)により、
(39)
④ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文(大學、伝五章)」を、
④ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
④ そのため、大學の敎へを始める際には、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)ついて{[(その學者がすでに知っているの理に)依って、益々(これを)極め、以て〔(その極点に)至ることを〕求め]ないことが}無いやうに〉させる。
といふ「語順」で、「訓読して欲しい」のであれば、
④ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ風に、『括弧』を加へれば良い。
cf.
④ 是以、大學始敎、必使 學者皍 凡天下之物、莫上レ 其已知之理、益々極 之、以求上レ 乎其極
④ そのため、大學の敎へを始める際には、必ず學者をして凡そ天下の物について、その學者がすでに知っているの理に依って、益々、天下の物を極め、それによって、その極点に至ることを求めないことが、無いやうにさせる。
然るに、
(40)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(39)(40)により、
(41)
④ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
④ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
④ 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)皍、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
④ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「漢文訓読」に於ける、
④〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ『括弧』は、
(ⅰ)一つには、「漢文訓読」の「語順」  を示してゐて、
(ⅱ)一つには、「漢文自体」の「補足構造」を示してゐる。
従って、
(40)(41)により、
(42)
「漢文における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。」
といふ「事情」が、有るからこそ、
④ 是以、大學始敎、必使〈學者皍(凡天下之物)莫{不[因(其已知之理)而益極(之)以求〔至(乎其極)〕]}〉
に於ける、
④〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ『括弧』は、
(ⅱ)「漢文自体」の「補足構造」を示してゐる。
従って、
(41)(42)により、
(43)
④ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」を、
④ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)皍きて{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。 
といふ風に、「訓読」したとしても、
(ⅲ)「語順」  に関しては、「同じ」ではないが、
(ⅱ)「補足構造」に関しては、「変り」がない
然るに、
(44)
例へば、
⑤ ἐν ἀρχῇ ἐποίησεν ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν=
⑤ ἐν(ἀρχῇ)ἐποίησεν(ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν)⇒
⑤ (ἀρχῇ)ἐν(ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν)ἐποίησεν=
⑤ (初め)に(神は、天と地を)創造した。
の場合は、
(初め)に(神は、天と地を)
のやうに、  (神は、天と地を)の中に、
       (主語 と 目的語)が有る。
従って、
(44)により、
(45)
⑤ エン(アルケー)エポイエーセン(ホ テオス トン ウーラノン カイ テーン ゲーン)。
に於ける、  
⑤   (    )       (                     )
といふ「括弧」は、「補足構造」を、表してはゐない
加へて、
(46)
ギリシャ語の場合は、「屈折語」であるため、
⑤ ἐποίησεν ὁ ΘΕΟΣ τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν.
だけでなく、
⑥ ἐποίησεν τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν ὁ ΘΕΟΣ
といふ「語順」も、「可能」である。
然るに、
(47)
⑥ ἐποίησεν τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν ὁ θεὸς.
⑥ ἐποίησεν{τὸν-οὐρανὸν(καὶ〔τὴν-γῆν[ὁ θεὸς)〕]}⇒
⑥ {(〔[ὁ θεὸς)τὸν-οὐρανὸν〕καὶ]τὴν-γῆν}ἐποίησεν=
⑥ {(〔[神は)天〕と]地を}創造した。
に於ける、
⑥ { (  ) 〕 ] }
といふ「それ」は、『括弧』ではない
従って、
(43)~(47)により、
(48)
④ 是以大學始敎必使學者皍凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」とは異なり、『括弧』を用ひて、
⑤ ἐποίησεν ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν.
⑥ ἐποίησεν τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν ὁ θεὸς.
といふ「希臘語」の「補足構造」を、表すことは、出来ない
加へて、
(49)
「漢字」には、「音と釧」があるが故に、「(漢字は)日本語」であるが、「希臘語のアルファベット」には、「音」だけが有って、「釧」はない。
従って、
(43)(50)により、
(50)
⑤ ἐποίησεν ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν.
⑥ ἐποίησεν τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν ὁ θεὸς.
といふ「希臘語」は、固より、「訓読」は出来ないし、いづれにせよ、
⑤ ἐποίησεν(ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν).
⑥ ἐποίησεν{τὸν-οὐρανὸν(καὶ〔τὴν-γῆν[ὁ θεὸς)〕]}
といふ「それ」は、「希臘語の補足構造」を表してゐるわけではない。
従って、
(51)
漢文訓読」と、例へば、「希臘語訓読」等を、「同列に、論じる」べきではない。
然るに、
(52)
「訓読論」数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである。
(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)
従って、
(51)(52)により、
(53)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者の「見解」は、「正しくはない」と、言はざるを得ない。
然るに、
(54)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳すことにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる。
(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)
従って、
(51)(54)により、
(55)
「漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語訳すことにする。」といふ「やり方」も、「正しくはなかった」と、言ふべきである。

(139)『括弧』と『返り点』。

2019-01-20 18:11:02 | 訓読
(01)
①〈 { 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
②  { 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
③〈 { 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] }
に於いて、
① に対して、② であれば、〈 が「不足」し、
① に対して、③ であれば、 〉が「不足」する。
従って、
(01)により、
(02)
①( ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
②  ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
③( ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) )
に於いて、
① に対して、② であれば、( が「不足」し、
① に対して、③ であれば、 )が「不足」する。
然るに、
(03)
②{ 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
③〈 { 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] }
に対して、
②( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
③( ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) )
の場合は、「」の「過不足」が、「極めて、見えにくい」。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
①〈 { 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
に対する、
①( ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
の場合は、「極めて、読みにくく」、それ故、「役に立たない」。
従って、
(04)により、
(05)
 ( )
 ( )( )
 ( ( ) )
 ( ( ( ) )( ) )
 ( ( ( ( ) )( ) )( ) )
 ( ( ( ( ) )( ( ( ) ) ) ) )
といふ「括弧」等ではなく、
 ( )
 ( )( )
 〔 ( ) 〕
 [ 〔 ( ) 〕( ) ]
 { [ 〔 ( ) 〕( ) ]( ) }
 〈 { 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」等を、『括弧』とする。
(06)
① 3 2 1=
① 3〔2(1)〕。
に於いて、
① 2( )⇒( )2
① 3〔 〕⇒〔 〕3
といふ「移動」を行ふと、
① 3〔2(1)〕⇒
① 〔(1)2〕3=
①   1 2 3。
(07)
② 2 3 1=
② 2(3〔1)〕。
に於いて、
① 2( )⇒( )2
① 3〔 〕⇒〔 〕3
といふ「移動」を行ふと、
② 2(3〔1)〕⇒
② (〔1)2〕3=
② 1 2 3。
然るに、
(08)
①〔 ( ) 〕
②( 〔 ) 〕
に於いて、
① は『括弧』であるが、
② は『括弧』ではない
(09)
③ 4 3 2 1=
③ 4[3〔2(1)〕]。
に於いて、
③ 2( )⇒( )2
③ 3〔 〕⇒〔 〕3
③ 4[ ]⇒[ ]4
といふ「移動」を行ふと、
③ 4[3〔2(1)〕]⇒
③ [〔(1)2〕3]4=
③    1 2 3 4。
(10)
④ 2 3 4 1=
④ 2(3〔4[1)〕]。
に於いて、
④ 2( )⇒( )2
④ 3〔 〕⇒〔 〕3
④ 4[ ]⇒[ ]4
④ 2(3〔4[1)〕]⇒
④ (〔[1)2〕3]4=
④    1 2 3 4。
(11)
⑤ 2 4 3 1=
⑤ 2(4[3〔1)〕]。
に於いて、
⑤ 2( )⇒( )2
⑤ 3〔 〕⇒〔 〕3
⑤ 4[ ]⇒[ ]4
⑤ 2(4[3〔1)〕]⇒
⑤ ([〔1)2〕3]4=
⑤    1 2 3 4。
然るに、
(12)
③[ 〔 (  )〕 ]
④(   ) 〕 ]
⑤(  ) 〕 ]
に於いて、
③ は『括弧』であるが、
④ は『括弧』ではなく
⑤ も『括弧』ではない
従って、
(06)~(12)により、
(13)
『括弧』は、
② 2<3  >1
④ 2<3 4>1
⑤ 2<4 3>1
といふ「順番」を、
② 1<2<3
④ 1<2<3<4
⑤ 1<2<3<4
といふ「順番」に「並び替へ(ソート)す」ることが、出来ない
従って、
(13)により、
(14)
A、B、C が、「正の整数」であるとき、『括弧』は、
B<C>A &(B=A+1)
といふ「順番」を、
A<B<C
といふ「順番」に「並び替へ(ソート)す」ることが、出来ない
然るに、
(15)
上中下点(上・下、上・中・下)は、
一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる。数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁改)
従って、
(15)により、
(16)
(ⅰ)一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
に於いて、
(ⅰ)を挟んで「返る」場合に、
(ⅱ)を用ひ、
(ⅱ)を挟んで「返る」場合には、
(ⅰ)を用ひない。
従って、
(16)により、
(17)
⑥ 下 三 二 一 中 三 二 一 上
⑦ 三  二 一 中 三 二 一 上
に於いて、
⑥ は、『返り点』として、「正しい」ものの、例へば、
⑦ は、『返り点』として、「正しくない」。
然るに、
(18)
⑥ 下 三 二 一 中 三 二 一 上
⑦ 三  二 一 中 三 二 一 上
といふ「順番」は、
⑥ 9 3 2 1 8 6 5 4 7
⑦ 3  2 1 8 6 5 4 7
といふ「順番」に「等しい」。
然るに、
(19)
⑥ 9 3 2 1 8 6 5 4 7=
⑥ 9{3〔2(1)〕8[6〔5(4)〕7]}。
に於いて、
⑥ 2( )⇒( )2
⑥ 3〔 〕⇒〔 〕3
⑥ 5( )⇒( )5
⑥ 6〔 〕⇒〔 〕6
⑥ 8[ ]⇒[ ]8
⑥ 9{ }⇒{ }9
といふ「移動」を行ふと、
⑥ 9{3〔2(1)〕8[6〔5(4)〕7]}⇒
⑥ {〔(1)2〕3[〔(4)5〕67]8}9=
⑥ 1 2 3 4 5 6 7 8 9。
然るに、
(20)
⑥{ 〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] }
は、『括弧』であって、尚且つ、
⑥ 9 3 2 1 8 6 5 4 7
の中には、
⑥ B<C>A &(B=A+1)
といふ「順番」がない
然るに、
(21)
⑦ 3  2 1 8 6 5 4 7= 
⑦ 3〔{2(1)〕8[6〔5(4)〕7]}。
に於いて、
⑥ 2( )⇒( )2
⑥ 3〔 〕⇒〔 〕3
⑥ 5( )⇒( )5
⑥ 6〔 〕⇒〔 〕6
⑥ 8[ ]⇒[ ]8
⑥ 9{ }⇒{ }9
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 3〔{2(1)〕8[6〔5(4)〕7]}⇒
⑦ 〔{(1)2〕3[〔(4)5〕67]8}9=
⑦ 1 2 3 4 5 6 7 8 9。
然るに、
(22)
⑦〔 ( ) 〕[ 〔 ( ) 〕 ] }
は、『括弧』ではなく、尚且つ、
⑦ 3<>2 1 8 6 5 4 7
の中には、
⑦ B<C>A &(B=A+1)
といふ「順番」がある
従って、
(16)~(22)により、
(23)
(ⅰ)一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
に於いて、
(ⅰ)を挟んで「返る」場合に、
(ⅱ)を用ひ、
(ⅱ)を挟んで「返る」場合には、
(ⅰ)を用ひない。
といふ「ルール」に「違反」しないならば、そのときに限って、
(ⅰ)一 二 三 四 五 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
が付く「順番」に対しては、『括弧』を付けることが、出来る。
然るに、
(24)
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
に於ける、
(ⅰ)と(ⅱ)の「関係」は、
(ⅱ)と(ⅲ)の「関係」に「等しく」、
(ⅱ)と(ⅲ)の「関係」は、
(ⅲ)と(ⅳ)の「関係」に「等しい」。
従って、
(23)(24)により、
(25)
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
(ⅴ)〈 〉
といふ『5種類の、括弧』で、「不足」が生じない限り、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅴ)天 地 人
といふ『返り点』で表すことが出来る「順番」は、『括弧』でも、表すことが出来る。
然るに、
(26)
(ⅵ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ「レ点」は、「1つ上にしか、返らない」。
従って、
(25)(26)により、
(27)
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
(ⅴ)〈 〉
といふ『5種類の、括弧』で、「不足が生じない限り
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ『返り点』で表すことが出来る「順番」は、『括弧でも、表すことが出来る
然るに、
(28)

然るに、
(29)
⑧ 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕。秦必疑(楚)、不〔信(周)〕。是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也。周不〔敢不(受)〕]}〉⇒
⑧ 何〈{人(韓公叔)謂[秦之敢(周)絶而(韓)伐者、(東周)信也、公何〔(周地)与(質使)発(楚)之〕不。秦必(楚)疑、〔(周)信〕不。是韓(伐)不也]曰、又(秦)謂[韓彊(周地)与、将〔以(周於秦)疑〕也。周〔敢(受)不〕不]曰}令〉不=
⑧ 何ぞ〈{人をして(韓の公叔に)謂ひて[秦の敢へて(周)を絶って(韓を)伐たんとするは、(東周を)信ずればなり、公何ぞ〔(周に地を)与へ(質使を)発して(楚に)之かしめ〕ざる、秦必ず(楚を)疑ひ、〔(周を)信ぜ〕ざらん。是れ韓(伐たれ)ざらんと]曰ひ、又(秦に)謂ひて[韓彊ひて(周に地を)与ふるは、将に〔以て(周を秦に)疑はしめんと〕するなり。周〔敢へて(受け)ずんば〕あらずと]曰は}令め〉ざる。
従って、
(28)(29)により、
(30)
⑧ レ 丁 二 一 地 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 天レ レ 丙 二 一 三 二 一 乙 甲レ
といふ『返り点』が表す「順番」は、
⑧〈{( )[( )( )( )〔( )( )( )〕( )〔( )〕( )]( )[( )〔( )〕〔( )〕]}〉
といふ『括弧』でも、表すことが出来る。
従って、
(27)(30)により、
(31)
事実上」、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ『5種類の、返り点』で表すことが出来る「順番」は、
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
(ⅴ)〈 〉
といふ『5種類の、括弧』で、表すことが出来る。
加へて、
(32)
(ⅰ)( )
(ⅱ)〔 〕
(ⅲ)[ ]
(ⅳ){ }
(ⅴ)〈 〉
といふ『括弧』の方が、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・ ・ ・ ・ ・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ『返り点』よりも、「簡単(シンプル)」である。

(138)「括弧・管到(scope)」について。

2019-01-19 18:19:38 | 訓読
(01)
① 君子不以其所以養人者害人=
① 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
① 君子{[其〔(人)養〕所-以者]以(人)害}不=
① 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所-以の者を]以て(人を)害せ}ず=
① 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
従って、
(01)により、
(02)
① 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}。
に於いて、
① 不は、{以其所以養人者害人}に掛かってゐる
然るに、
(03)
「不(否定詞)」は、論理演算子である。
然るに、
(04)
括弧」は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ「範囲」のことをいう(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}。
に於ける、
①    { }
といふ「括弧」は、「スコープ(scope)」を明示してゐる。
然るに、
(06)
管到とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}。
に於ける、
①    { [ 〔 ( ) 〕 ]( ) }
といふ「括弧」は、「論理学」でいふ「スコープ」、「漢文訓読」でいふ「管到」を表してゐる。
然るに、
(08)
管到とは、ある語句がそのあとのどの漢字までかかっているか、という範囲のことである。白文の読解では、それぞれの漢字の意味品詞を自分で考え、その漢字が後ろのどこまでかかっているか、考えなければならない(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、143頁)。
従って、
(07)(08)により、
(09)
① 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」に於ける、
① 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}。
といふ「管到」が分かる。といふことは、
① 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」に於ける、「それぞれの漢字の意味と、それらの漢字の意味が、どの漢字にまで及んでゐるのか」が分かる。といふことに、他ならない。
従って、
(09)により、
(10)
① 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」に於ける、
① 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}。
といふ「管到」が分かる。といふことは、
① 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」の「意味」が分かる。といふことに、他ならない。
然るに、
(11)
② Being able to read KANBUN is exciting for me=
② Being{able[to〔read(KANBUN)〕]}is[exciting〔for(me)〕]⇒
②{[〔(KANBUN)read〕to]able} Being[〔(me)for〕exciting]is=
②{[〔(漢文を)読む〕ことが]出来るよう}になることは[〔(私)にとって〕エキサイティング]である。
従って、
(10)(11)により、
(12)
例へば、
② Being able to read KANBUN is exciting for me.
といふ「英文」に於ける、
② Being{able[to〔read(KANBUN)〕]}is[exciting〔for(me)〕].
といふ「管到」が分かる。といふことは、
② Being able to read KANBUN is exciting for me.
といふ「英文」の「意味」が分かる。といふことに、他ならない。
然るに、
(13)
日本人ならば、かなで書いてある『源氏物語』を誰でも読むことはできる。しかし、古語を学習していなければ、意味がわかることができないのと同じである。中国人でも古典を音読したからといっても内容は理解できないのである。だから、中国語読みだけで古典を研究し、行き詰まっている人の話も聞いている。それなのに、中国文学家の某氏は漢文訓読を口をきわめて排斥し、「漢文訓読法の最大の弱点は、意味がわからないと読めないことだと」と言っている(原田種臣、私の漢文講義、1995年、25頁)。
然るに、
(14)
例へば、
① 楚人有 鬻盾與矛者。
② 譽之曰、吾盾之堅、莫能陷也。
③ 又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。
④ 或曰、以子之矛、陷子之盾、何如。
⑤ 其人弗能應也。
といふ「漢文」を、
① 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。
② 之を譽めて曰はく、吾が盾之堅きこと、能く陷す莫き也。と。
③ 又た其の矛を譽めて曰はく、吾が矛之利なること、物に於いて陷さ不る無き也。と。
④ 或ひと曰はく、子之矛を以て、子之盾を陷さば何如。と。
⑤ 其の人應ふる能は弗る也。
といふ風に、「読める」からといって、
(15)
① 楚人有{鬻[盾〔與(矛)〕]者}。
② 譽(之)曰、吾盾之堅、莫(能陷)也。
③ 又譽(其矛)曰、吾矛之利、於(物)無〔不(陷)〕也。
④ 或曰、以(子之矛)、陷(子之盾)何如。
⑤ 其人弗〔能(應)〕也。
といふ「漢文」を、
① ソジンイウ、シュクヨジュンヨムシャ。
② ヨシヱツ、ゴジュンシケン、バクノウカンヤ。
③ イウヨ、キムヱツ、ゴムシリ、オブツムフツカンヤ。
④ ワクヱツ、イシシム、カンシシム、カジョ。
⑤ キジン、フツノウオウヤ。
といふ風に、「読めない」といふわけではないし、
(16)
私自身は、
① 楚人に盾與矛とを鬻ぐ者有り。
② 之を譽めて曰はく、吾が盾之堅きこと、能く陷す莫き也。と。
③ 又た其の矛を譽めて曰はく、吾が矛之利なること、物に於いて陷さ不る無き也。と。
④ 或ひと曰はく、子之矛を以て、子之盾を陷さば何如。と。
⑤ 其の人應ふる能は弗る也。
といふ「訓読」を、
① ソジンイウ、シュクヨジュンヨムシャ。
② ヨシヱツ、ゴジュンシケン、バクノウカンヤ。
③ イウヨ、キムヱツ、ゴムシリ、オブツムフツカンヤ。
④ ワクウェツ、イシシム、カンシシム、カジョ。
⑤ キジン、フツノウオウヤ。
といふ風に、「空で以て、それなりのリズムで、読む」ことが出来る。
従って、
(13)~(16)により、
(17)
私自身は、「漢文読法の最大の弱点は、意味がわからないと、読めないことだ。」といふ風には、思ってはゐない。
(18)
私自身は、「漢文読法の最大の弱点は、意味がわからないのに、読めることだ。」といふ風に、思ってゐる。

(137)「君子不以其所以養人者害人」等の「不」について。

2019-01-19 06:59:18 | 訓読
―「昨日の記事(137)」を書き直します。―
(01)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
④ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のためであるならば、人々を害さない。
(02)
P=君子である。
Q=彼が人々を養うための手段である土地のために、
R=人々を害する。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
② P→ (Q&~R)
③ P→~(Q& R)
④ P→ (Q→~R)
然るに、
(04)
②(Q&~R)=QであってRでない。
④(Q→~R)=Qならば、Rでない。
に於いて、
②=④ ではない
従って、
(04)により、
(05)
② P→ (Q&~R)=Pならば、(QであってRでない)。
④ P→ (Q→~R)=Pならば、(Qならば、Rでない)。
に於いて、
②=④ ではない
従って、
(01)~(05)により、
(06)
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
④ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のためであるならば、人々を害さない。
に於いて、
②=④ ではない
然るに、
(07)
(a)
1   (1)P→~(Q& R)  A
 2  (2)P          A
12  (3)  ~(Q& R)  12MPP
  4 (4)    Q      A
   5(5)       R   A
  45(6)    Q& R   45&
1245(7)  ~(Q& R)&
          (Q& R)  36&I
12 5(8)   ~Q      47RAA
12  (9)    R→~Q   58CP
1   (ア) P→(R→~Q)  29CP
(b)
1   (1) P→(R→~Q)  A
 2  (2) P         A
12  (3)   (R→~Q)  12MPP
  4 (4)    Q& R   A
  4 (5)       R   4&E
124 (6)      ~Q   35MPP
  4 (7)    Q      4&E
124 (8)    Q&~Q   67&I
12  (9)  ~(Q& R)  48RAA
1   (ア)P→~(Q& R)  29CP
従って、
(07)により、
(08)
③ P→~(Q& R)=Pならば、(QであってRである)といふことはない。
④ P→ (Q→~R)=Pならば、(Qならば、Rでない)。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(01)(03)(08)により、
(09)
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
④ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のためであるならば、人々を害さない。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(06)(09)により、
(10)
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
④ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のためであるならば、人々を害さない。
に於いて、
②=④ ではないが、
③=④ である。
従って、
(10)により、
(11)
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
に於いて、
②=③ ではない。(Q.E.D)
然るに、
(12)
③ P→~(Q& R)=Pならば、(QであってRである)といふことはない。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない
に於いて、
といふことはない
といふ「否定」は、
③(QであってRである)
③ 彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。
に対する、「否定」である。
然るに、
(13)
否定詞前置の原則。打消しの言葉は、打ち消す語の前に置く(加藤徹、白文攻略 漢文ひとり学び、2013年、29頁改)。
従って、
(12)(13)により、
(14)
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない
といふ「語順」は、「漢文」であれば、
③ 君子であるならば、といふことはしない。彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。
といふ「語順」になる。
従って、
(14)により、
(15)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない
に於いて、
①=③ であるならば、
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せ
とふ「訓読」は、「原文(漢文)」に於いては、
① 君子は+「否定詞」+其の人を養ふ所以の者を以て人を害す。
といふ「語順」になる。
従って、
(15)により、
(16)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せ
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない
に於いて、
①=③ であるならば、
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せ
の「原文」である所の「漢文」の、「最初の3文字」は、
君子不
でなければ、ならない。
然るに、
(17)
① 其の人を養ふ所以の者を以て人を害す。
といふ「訓読」は、
① 以其所以養人者害人。
といふ風に、「復文」出来る。
従って、
(16)(17)により、
(18)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
に於いて、
①=② ではなく
①=③ であるならば、
① 其の人を養ふ所以の者を以て人を害す。
といふ「訓読(孟子、梁恵王 下)」は、
③ 君子不以其所以養人害人。
といふ風に、「復文」出来る。(Q.E.D)
然るに、
(19)
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
③ 君子{[其〔(人)養〕所-以者]以(人)害}不=
③ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所-以の者を]以て(人を)害せ}ず=
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
従って、
(18)(19)により、
(20)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
に於いて、
①=② ではなく、
①=③ であるならば、
③ 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
③ 君子{[其〔(人)養〕所-以者]以(人)害}不=
③ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所-以の者を]以て(人を)害せ}ず=
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(21)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
に於いて、
①=② であって、、
①=③ ではないならば、
② 君子以其所以養人者不害人=
② 君子以[其所-以〔養(人)〕者]不〔害(人)〕⇒
② 君子[其〔(人)養〕所-以者]以〔(人)害〕不=
② 君子は[其の〔(人を)養ふ〕所-以の者を]以て〔(人を)害せ〕ず=
② 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害さない。
といふ「訓読」が、成立する。
従って、
(20)(21)により、
(22)
③ 君子不以其所以養人者害人。
といふ「孟子の、原文」を見ない限り、
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せ
といふ「訓読」の「原文」が、
② 君子以其所以養人者害人。
であるのか、
③ 君子以其所以養人者害人。
であるのかが、分からない
従って、
(22)により、
(23)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せ
といふ「訓読」は、「曖昧」である。
然るに、
(24)

従って、
(23)(24)により、
(25)
① 君子は其の人を養ふ所以の者を以て人を害せず。
といふ「訓読」は、「曖昧」であって、
② 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣。
といふ「漢文」は、「曖昧」である。
然るに、
(26)
① 君子不以其所以養人者害人=
③ 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}⇒
③ 君子{[其〔(人)養〕所-以者]以(人)害}不=
③ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所-以の者を]以て(人を)害せ}ず=
③ 君子であるならば、彼が人々を養ふための手段である土地のために、人々を害する。といふことはしない。
といふ「漢文訓読」は、「曖昧」ではないし、
② 不有祝鮀之佞而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
② 不{有(祝鮀之佞)而有(宋朝之美)}、難乎免(於今之世)矣⇒
② {(祝鮀之佞)有而(宋朝之美)有}不、難乎(於今之世)免矣=
② {(祝鮀の佞)有りて而も(宋朝の美)有ら}不んば、難いかな(今に世に)免るること。
② 祝鮀のやうな弁舌と、その上、宋朝のような美貌が無ければ、今の時世で、無事でゐることは、難しい。
といふ「漢文訓読」は、「曖昧」ではない
従って、
(25)(26)により、
(27)
① 君子不以其所以養人者害人。
② 不有祝鮀之佞而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。
といふ「漢文」は、「曖昧」であるが、
③ 君子不{以[其所-以〔養(人)〕者]害(人)}。
② 不{有(祝鮀之佞)、而有(宋朝之美)}難乎免(於今之世)矣。
といふ、「括弧」がついた「漢文」は、「曖昧」ではない

(136)「先生不知(五柳先生伝)」について。

2019-01-17 12:04:31 | 訓読
(01)
五柳先生伝(陶潜)
① 先生不知何許人。
① 先生何許の人なるかを知らず。
① 先生、どこの人かわからない。
(日栄社、要説 諸子百家・文章、1970年、141・142頁)
然るに、
(02)
① 先生、どこの人かわからない。
といふ風に、「私言ふ」であれば、
この文の「先生」は主文の主語ではなく、名詞節の主語である。意味内容からすれば、「我不先生何許人」ということだが、この文のように表現するから注意を要する(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、60頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(03)
② 我不知先生何許人=
② 我不〔知(先生何許人)〕⇒
② 我〔(先生何許人)知〕不=
② 我、先生何許の人なるかを知らず=
② 私は先生何処の人であるかを知らない。
cf.
[一](格助詞)
連体修飾語 ・・・
② 主語    ・・・。・・・
(格助詞)
体言の代用 ・・・のもの。・・・のこと。
(旺文社、全訳学習 古語辞典、2006年、190・644頁)
cf.
② 私は(係助詞)先生が(格助詞、連体修飾語)何処の(格助詞、連体修飾語)人である(連体形)の(形式名詞、体言の代用)かを知らない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
であるならば、
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
である。
然るに、
(06)
言ふまでもなく、
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
②=③ ではない。
従って、
(04)(05)により、
(07)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
①=② であるが、
②=③ ではない。
従って、
(07)により、
(08)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
②=③ ではない。
然るに、
(09)
近年になって言語学や外国語としての日本語の分野では「主題」(あるいは「題目」)をマークするものとして「」を捉えることが常識となっている(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、101頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 先生不知何許人=先生、どこの人かわからない。
に於いて、
① 先生=先生
は、左辺も、右辺も、両方とも、「主題題目)」なのかも、知れない。
然るに、
(11)
② 我不知先生何許人。
に於いて、
② 我
を「省略」すると、
② _不知先生何許人。
(12)
② _不知先生何許人。
に於ける、
② _
の位置に、
②    先生
を、「移動」すると、
① 先生不知何許人。
といふ「語順」になる。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 先生不知何許人=先生、どこの人かわからない。
② 不知先生何許人=先生どこの人であるかは、わからない。
に於いて、
① の「先生」は、「主題(題目)」であって、
② の「先生」は、「主題(題目)」ではないのかも、知れない。が、
その辺のところが、私には、よくわからない。
(14)
固より、「主題(題目)」といふ「言葉の意味」が、何となく、わかるやうで、よくは、わからない。

(135)「以十五城(副詞句)」の位置について。

2019-01-15 16:31:00 | 訓読
(01)
①「十五城を以て」は、 「副詞(句)」であって、
「十五城「之に」は、「補足語(句)」であって、
①      「易ふ」は、    「動詞」である。
従って、
(01)により、
(02)
① 十五城を以て之に易ふ。
であれば、
①「副詞(句)」は、「1個」しか無く、
①「動詞」   も、「1個」しか無い。
然るに、
(03)
(ⅰ)「漢文」に於いて、 「副詞(句)」は、「動詞に」に置かれる。
(ⅱ)「漢文」に於いて、「補足語(句)」は、「動詞の」に置かれる。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 十五城を以て之に易ふ。
といふ「訓読」は、
以十五城之=副詞句動詞+補足語。
といふ「漢文」に、対応する。
cf.
① 以十五城易之=
① 以(十五城)易(之)⇒
① (十五城)以(之)易=
① (十五城を)以て(之に)易ふ。
然るに、
(05)
②「十五城を以て」は、 「副詞(句)」であって、
「十五城「之に」は、「補足語(句)」であって、
②     「易へん」は、    「動詞」であって、
「十五城「請ふ」も、    「動詞」である。
従って、
(05)により、
(06)
① 十五城を以て之に易ふ。
に対して、
② 十五城を以て之に易へむことを請ふ。
の場合は、
②「副詞(句)」は、「1個」であるが、
②「動詞」   は、「個」である。
従って、
(03)(05)(06)により、
(07)
(ⅰ)「副詞(句)」は、「動詞に前」に置かれる。
といふ「ルール」により、
② 十五城を以て之に易へむことを請ふ。
といふ「(つの動詞を持つ)訓読」に対しては、
② 請以十五城易之=動詞+副詞句動詞+補足語。
以十五城請易之=副詞句動詞+動詞+補足語。
といふ、「通りの、漢文」が対応する。
cf.
② 請以十五城易之=
② 請〔以(十五城)易(之)〕⇒
② 〔(十五城)以(之)易〕請=
② 〔(十五城を)以て(之に)易へんことを〕請ふ。
③ 以十五城請易之=
③ 以(十五城)請〔易(之)〕⇒
③ (十五城)以〔(之)易〕請=
③ (十五城を)以て〔(之に)易へんことを〕請ふ。
然るに、
(08)

従って、
(08)により、
(09)
和氏の壁)」=「寡人璧和氏の壁)」
であるため、
② 請以十五城易=請以十五城易寡人璧
③ 以十五城請易寡人璧=以十五城請易
である。
cf.
当時の中国で絶対的な力を持っていた秦の昭王が、趙国の恵文王が持っていた宝「和氏の壁」と十五の城塞都市とを交換しろと言ってきました(マナペディア)。
従って、
(09)により、
(10)
② 請以十五城易之。
以十五城請易之。
といふ「漢文」に於いて、
②=③ である。
従って、
(07)(10)により、
(11)
(ⅰ)「副詞(句)」は、「動詞に前」に置かれる。
といふ「ルール」により、
② 十五城を以て之に易へむことを請ふ
といふ「(2つ動詞を持つ)訓読」に対しては、
② 請以十五城易之。
③ 以十五城請易之。
といふ、「2通りの、漢文」が対応する。ものの、
② 請以十五城易之。
以十五城請易之。
といふ「漢文」に於いても、
②=③ である。
従って、
(12)
② 十五城を以て之に易へむことを請ふ。
といふ「訓読」は、
② 請以十五城易之。
といふ風に、「復文」しても、
③ 以十五城請易之。
といふ風に、「復文」しても、「両方とも、正しい」。

(134)「漢文の語順」について。

2019-01-13 19:00:37 | 訓読
(01)
① 病従口入=
① 病従(口)入⇒
① 病(口)従入=
① 病は(口)従り入る=
① 病は(口)より入る。
然るに、
(02)
② 学入乎耳=
② 学入〔乎(耳)〕⇒
② 学〔(耳)乎〕入=
② 学は〔(耳)乎り〕入る=
② 学は〔(耳)より〕入る。
cf.
小人之学乎=小人の学は耳より入る(荀子 勧学)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
「漢文」の場合は、「英語」とは異なり、
① 病 from 口 enters.
② 学 enters from 口.
といふ「語順」は、「両方とも、正しい」。
cf.
①   from 口     が、「副詞句」であることからすると、
①   from 口 enters.の方が、「一般的」であると、思はれる。
(04)
漢文では「ヲ・ニ・ト・ヨリ・ヨリモ」の送り仮名をつけて返る場合が多いが、これにかかわらず、訓読の際に下から必ず返って読む特別の文字がある。これを「返読文字」という(鳥羽田重直、漢文の基礎、1985年、22頁)。
然るに、
(05)
③ 世有伯楽=
③ 世有(伯楽)⇒
③ 世(伯楽)有=
③ 世に(伯楽)有り。
従って、
(04)(05)に於いて、
(06)
③ 世有伯楽=世に伯楽有り。
に於いて、
③ 有 は、「返読文字」である。
然るに、
(07)
④ 伯楽常有=
④ 伯楽は常に有り。
従って、
(04)(06)(07)により、
(08)
③ 世有伯楽=世に伯楽有り。
④ 伯楽常有=伯楽は常に有り。
であるため、
③ の 有 は、「返読文字」であって、
④ の 有 は、「返読文字」ではない
然るに、
(09)
④ 伯楽 は、「名詞」であり、
④ 巨人 も、「名詞」である。
然るに、
(10)
例へば、
④ 常在 は、「名詞」であり、
④ 常設 は、「名詞」であり、
④ 常備 は、「名詞」であり、
④ 常駐 は、「名詞」であり、
④ 常連 は、「名詞」であり、
常勝 は、「名詞」である。
然るに、
(11)
「漢文」の場合は、
④ A(名詞)+B(名詞)=AはBである。
といふ、「意味」である。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
④ 巨人常勝=巨人(名詞)+常勝(名詞)。
④ 伯楽常有=伯楽(名詞)+常有(名詞)。
であるならば、
④ 巨人常勝=巨人は、常勝である。
④ 伯楽常有=伯楽は、常有である。
といふ、「意味」になる。
従って、
(08)(12)により、
(13)
③ 世有伯楽=世に伯楽有り。
④ 伯楽常有=伯楽は常有なり。
であるため、
③ の 有(動詞) は、「返読文字」であって、
④ の 有(名詞) は、「返読文字」ではない
(14)
⑤ 少年易老=
⑤ 少年易(老)⇒
⑤ 少年(老)易=
⑤ 少年(老ひ)易し。
然るに、
(15)
⑥ 破山中賊易=
⑥ 破(山中賊)易⇒
⑥ (山中賊)破易=
⑥ (山中の賊を)破るは易し。
従って、
(14)(15)により、
(16)
⑤ 少年易老 =少年、老ひ易し。
⑥ 破山中賊易=山中の賊を破るは易し。
であるため、
⑤ の 易 は、「返読文字」であって、
⑥ の 易 は、「返読文字」ではない
然るに、
(17)
⑦ 山中賊易破=
⑦ 山中賊易(破)⇒
⑦ 山中賊(破)易=
⑦ 山中賊は(破り)易し。
従って、
(16)(17)により、
(18)
⑤ 少年易老 =少年は老ひ易し。
⑥ 破山中賊易=山中の賊を破るは易し。
⑦ 山中賊易破=山中の賊は破り易し。
であるため、
⑤ の 易 は、「返読文字」であって、
⑥ の 易 は、「返読文字」ではなく
⑦ の 易 は、「返読文字」である。
(19)
⑧ 謂AB=AをBと謂ふ。
に於いて、
⑧  A を、「倒置」すると、
⑨ A謂_B。
然るに、
(20)
⑨ A謂_B
に於ける、
⑨   _
の「位置」に、
⑨   之
を置くと、
⑨ A謂之B=Aは、之をBと謂ふ。
従って、
(21)
⑧  謂AB=AをBと謂ふ。
⑨ A謂之B=Aは、之をBと謂ふ。
に於いて、
⑧ に対する、「倒置形」が、
⑨ である。
従って、
(21)により、
(22)
⑧ 謂不教而殺虐=教へずして殺すを虐と謂ふ。
⑨ 不教而殺謂之虐=教へずして殺す、之を虐と謂ふ。
に於いて、
⑧ に対する、「倒置形」が、
⑨ である。
然るに、
(23)
倒置(とうち)とは、言語において通常の語順を変更させることである。表現上の効果を狙ってなされる修辞技法の1つで、強調的修辞技法の一つである(ウィキペディア)。
従って、
(22)(23)により、
(24)
⑧ 謂不教而殺虐=教へずして殺すを虐と謂ふ。
に於ける、
⑧   不教而殺 =教へずして殺す
といふ「目的語」を、「強調」してゐるのが、
⑨ 不教而殺謂之虐=教へずして殺す、之を虐と謂ふ。
といふ「倒置形」である。
cf.
教育を施してもゐないのに、悪いことをしたら、殺してしまふ。これこそを、虐といふのだ(論語 堯曰、拙訳)。
(25)
① 宋人有〔耕(田)者〕。
② 田中有(株)、兎走觸(株)、折(頸)而死。
③ 因釋(其耒)而守(株)、冀〔復得(兎)〕。
④ 兎不〔可〔復得)〕、而身爲(宋國笑)。
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んことを冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
従って、
(25)により、
(26)
③ 復得(兎)=復た兎を得る。
であるため、
③ 不[可〔復得(兎)〕]=復た兎を得べからず。
である。
従って、
(25)(26)により、
(27)
③ 不[可〔復得(兎)〕]=復た兎を得べからず。
④ 兎不〔可〔復得)〕  =兎、復た得べからず。
である。
従って、
(27)により、
(28)
③ 不可復得兎=復た兎を得べからず。
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
に於いて、
③ の   兎 を。「倒置」した形が、
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
である。
然るに、
(29)
④ 兎、復た得べからず。
といふ「訓読」は、
④ 兎、二度とは手に入れることが出来なかった。
といふ「日本語」に相当する(はずである)。
然るに、
(30)
従来の説でほぼ共通していると思われるのは、「」を「主題」、「が」を「主格」と呼び、両者は別々の次元に属するという規定である。
(淺山友貴、現代日本語における「は」と「が」の意味と機能、2004年、79頁)
従って、
(29)(30)により、
(31)
④ 兎、復た得べからず。
といふ「訓読」は、
④ 兎、二度とは手に入れることが出来なかった。
といふ「日本語」に相当する、はずであって、尚且つ、
④ 兎
は、「主題は」である。
然るに、
(32)
第一要素(文頭)には、「主語(S)」以外に、
① 副詞
②(倒置された)目的語(あるいは主題語
③ 助詞
など、様々な要素が現れる。
(加藤徹、白文攻略 漢文ひとりまなび、2013年、32頁改)
従って、
(28)~(32)により、
(33)
③ 不可復得=復た兎を得べからず。
不可復得=兎、復た得べからず。
に於いて、
③ の 兎 を。「倒置」した形が、
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
であるにせよ、
④ 兎不可復得=兎、二度とは手に入れることが出来なかった。
に於ける、
④ 兎=兎
④「主題語」としての「第一要素(文頭)」である。
といふ、ことになる。
従って、
(33)により、
(34)
③ 不可復得兎=復た兎を得べからず。
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
に於いて、
③ 兎 は、「純粋な、目的語」であって、
④ 兎 は、「主題語であって、目的語」である。
然るに、
(35)
⑤ 虎不可復得兎=虎、復た兎を得べからず。
に於いて、
⑤      兎
を、「省略」すると、
⑤ 虎不可復得 =虎、復た得べからず。
従って、
(34)(35)により、
(36)
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
⑤ 虎不可復得=虎、復た得べからず。
に於いて、
④ 兎 は「目的語(対格)」であって、
⑤ 虎 は「 主語 (主格)」である。
従って、
(36)により、
(37)
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んことを冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「文脈が無ければ
④ 兎不可復得=兎、復た得べからず。
に於ける、
④ 兎 が、「主語」なのか、「目的語であるのかが、分からない

(133)「漢文・訓読・音読」について。

2019-01-08 18:23:49 | 訓読
―「昨日の記事(132)」を、書き直します。―
(01)
発音に関しては、John Pasdenと言うアメリカ人の言語学者が書いた通り、日本語と中国語の学習曲線は逆です。日本語を使って、「お寿司食べますか」と「忍者はどこですか」等を日本人が分かるように言い出すのが誰でも出来そうです。これに反して、中国語の場合、母国で数年間勉強した事があるのに、中国人に通用できない欧米人が多いです。中国語は四つの声調だけではなく、発音し難しい子音も多いです。ピン音で言えば、学習者によって、zhu, ju, qu, chu, shu, xu等のような音を正しく区別するのが大変です(【コラム】欧米人にとって、中国語と日本語のどちらが難しい)。
(02)
音読になると、特別に北京語に依頼する必要がない。北京語に依る音読が他の音読と比べて優れた正確性を有するわけでもない。その他に広東語、上海語、台湾語、ベトナム語、韓国語に依る音読も皆同じく重要視しなければならない。また言うまでもなく、 日本呉音漢音に依る音読も極東の他の音読と平等な地位を占める。古典中国語の文章を原文のまま、文法的な変化を加えないで直接に読む限り、どんな音読でも同じぐらいの価値がある。また厳格に言えば、北京語に依る音読は他の発音に依る音読と比べると、古典中国語の正しい理解のためには特別な欠点をいくつか示す。その欠点発音や文法に関するものである(二十一世紀の漢文-死語の将来)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
例へば、
① 近塞上之人、有善術者。
② 馬無故亡而入胡。
③ 人皆弔之。
④ 其父曰、此何遽不爲福乎。
⑤ 居數月、其馬將胡駿馬而歸。
⑥ 人皆賀之。
⑦ 其父曰、此何遽不能爲禍乎。
⑧ 家富良馬。
⑨ 其子好騎、墮而折其髀。
⑩ 人皆弔之。
⑪ 其父曰、此何遽不爲福乎。
⑫ 居一年、胡人大入塞。
⑬ 丁壯者引弦而戰、近塞之人、死者十九。
⑭ 此獨以跛之故、父子相保。
⑮ 故、福之爲禍、禍之爲福、化不可極、深不可測也。
といふ「漢文」に対する、
① Jìn sāi shàng zhī rén, yǒu shàn shù zhě.
② Mǎ wúgù wáng ér rù hú.
③ Rén jiē diào zhī.
④ Qí fù yuē, cǐ hé jù bù wèi fú hū.
⑤ Jū shù yuè, qí mǎ jiāng hú jùnmǎ ér guī.
⑥ Rén jiēhè zhī.
⑦ Qí fù yuē, cǐ hé jù bùnéng wèi huò hū.
⑧ Jiā fùliáng mǎ.
⑨ Qí zi hǎo qí, duò ér zhé qí bì.
⑩ Rén jiē diào zhī.
⑪ Qí fù yuē, cǐ hé jù bù wèi fú hū.
⑫ Jū yī nián, hú réndà rù sāi.
⑬ Dīng zhuàng zhě yǐn xián ér zhàn, jìn sè zhī rén, sǐzhě shíjiǔ.
⑭ Cǐ dú yǐ bǒ zhī gù, fùzǐ xiāng bǎo.
⑮ Gù, fú zhī wèi huò, huò zhī wèi fú, huà bùkě jí, shēn bùkě cè yě.
といふ「中国語の発音」と、
① キンサイジョウシジン、イウゼンジュツシャ。
② バ、ムコボウ、ジニュウコ。
③ ジュンカイチョウシ。
④ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑤ キョシュウゲツ、キバショウコシュメジキ。
⑥ ジンカイガシ。
⑦ キホヱツ、シカキョ、フツノウヰカコ。
⑧ カ、フリョウバ。
⑨ キシコウキ、ダジセッキヒ。
⑩ ジンカイチョウシ。
⑪ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑫ キョイチネン、コジンタイニュウサイ。
⑬ テイソウシャインゲンjセン、キンサイシジン、シシャジュウキュウ。
⑭ シドクイハシコ、フシソウホ。
⑮ コ、フクシヰカ、カシヰフク、クワフツカキョク、シンフツカソクヤ。
といふ「日本漢字音」とを「比較した場合」、
「 日本漢字音 」の方が、「中国語の発音」よりも、「簡単」であり、尚且つ、
「中国語の発音」の方が、「 日本漢字音 」よりも、「(原文に対する)優れた正確性を有するわけでもない」。
然るに、
(04)
私自身は、既に、
① 近塞上之人、有善術者。
② 馬無故亡而入胡。
③ 人皆弔之。
④ 其父曰、此何遽不爲福乎。
⑤ 居數月、其馬將胡駿馬而歸。
⑥ 人皆賀之。
⑦ 其父曰、此何遽不能爲禍乎。
⑧ 家富良馬。
⑨ 其子好騎、墮而折其髀。
⑩ 人皆弔之。
⑪ 其父曰、此何遽不爲福乎。
⑫ 居一年、胡人大入塞。
⑬ 丁壯者引弦而戰、近塞之人、死者十九。
⑭ 此獨以跛之故、父子相保。
⑮ 故、福之爲禍、禍之爲福、化不可極、深不可測也。
といふ「漢文(塞翁ガ馬)」を、
① キンサイジョウシジン、イウゼンジュツシャ。
② バ、ムコボウ、ジニュウコ。
③ ジュンカイチョウシ。
④ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑤ キョシュウゲツ、キバショウコシュメジキ。
⑥ ジンカイガシ。
⑦ キホヱツ、シカキョ、フツノウヰカコ。
⑧ カ、フリョウバ。
⑨ キシコウキ、ダジセッキヒ。
⑩ ジンカイチョウシ。
⑪ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑫ キョイチネン、コジンタイニュウサイ。
⑬ テイソウシャインゲンjセン、キンサイシジン、シシャジュウキュウ。
⑭ シドクイハシコ、フシソウホ。
⑮ コ、フクシヰカ、カシヰフク、クワフツカキョク、シンフツカソクヤ。
といふ風に、「日本漢字音」で「暗唱」出来る。
従って、
(03)(04)により、
(05)
「中国語」ではなく、「漢文」にこそ「興味」がある私としては、今さら
① キンサイジョウシジン、イウゼンジュツシャ。
② バ、ムコボウ、ジニュウコ。
③ ジュンカイチョウシ。
④ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑤ キョシュウゲツ、キバショウコシュメジキ。
⑥ ジンカイガシ。
⑦ キホヱツ、シカキョ、フツノウヰカコ。
⑧ カ、フリョウバ。
⑨ キシコウキ、ダジセッキヒ。
⑩ ジンカイチョウシ。
⑪ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑫ キョイチネン、コジンタイニュウサイ。
⑬ テイソウシャインゲンjセン、キンサイシジン、シシャジュウキュウ。
⑭ シドクイハシコ、フシソウホ。
⑮ コ、フクシヰカ、カシヰフク、クワフツカキョク、シンフツカソクヤ。
といふ「日本漢字音による音読」を止めて、
① Jìn sāi shàng zhī rén, yǒu shàn shù zhě.
② Mǎ wúgù wáng ér rù hú.
③ Rén jiē diào zhī.
④ Qí fù yuē, cǐ hé jù bù wèi fú hū.
⑤ Jū shù yuè, qí mǎ jiāng hú jùnmǎ ér guī.
⑥ Rén jiēhè zhī.
⑦ Qí fù yuē, cǐ hé jù bùnéng wèi huò hū.
⑧ Jiā fùliáng mǎ.
⑨ Qí zi hǎo qí, duò ér zhé qí bì.
⑩ Rén jiē diào zhī.
⑪ Qí fù yuē, cǐ hé jù bù wèi fú hū.
⑫ Jū yī nián, hú réndà rù sāi.
⑬ Dīng zhuàng zhě yǐn xián ér zhàn, jìn sè zhī rén, sǐzhě shíjiǔ.
⑭ Cǐ dú yǐ bǒ zhī gù, fùzǐ xiāng bǎo.
⑮ Gù, fú zhī wèi huò, huò zhī wèi fú, huà bùkě jí, shēn bùkě cè yě.
といふ「中国語による音読」を始める気にはなれない。
然るに、
(06)
私の場合は、
① 近(塞上)之人、有〔善(術)者〕。
② 馬無(故)亡而入(胡)。
③ 人皆弔(之)。
④ 其父曰、此何遽不〔爲(福)〕乎。
⑤ 居數月、其馬將(胡駿馬)而歸。
⑥ 人皆賀(之)。
⑦ 其父曰、此何遽不[能〔爲(禍)〕]乎。
⑧ 家富(良馬)。
⑨ 其子好(騎)、墮而折(其髀)。
⑩ 人皆弔(之)。
⑪ 其父曰、此何遽不〔爲(福)〕乎。
⑫ 居一年、胡人大入(塞)。
⑬ 丁壯者引(弦)而戰、近(塞)之人、死者十九。
⑭ 此獨以(跛之故)、父子相保。
⑮ 故、福之爲(禍)、禍之爲(福)、化不〔可(極)〕、深不〔可(測)〕也。
といふ「漢文」を、
① 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
② 馬、故無くして亡げ而胡に入る。
③ 人皆之を弔す。
④ 其の父曰はく、此れ何遽ぞ福と爲ら不らん乎。
⑤ 居ること数月、其の馬、胡の駿馬を將い而歸る。
⑥ 人皆之を賀す。
⑦ 其の父曰はく、此れ何遽ぞ禍と爲る能は不らん乎。
⑧ 家良馬に富む。
⑨ 其の子、騎を好み、堕ち而其の髀を折る。
⑩ 人皆之を弔す。
⑪ 其の父曰はく、此れ何遽ぞ福と爲ら不らん乎。
⑫ 居ること一年、胡人大いに塞いに入る。
⑬ 丁壮なる者、弦を引き而戦ひ、塞に近き之人、死する者十に九なり。
⑭ 此れ独り跛之故を以て、父子相保てり。
⑮ 故に、福之禍と爲り、禍之福と爲るは、化極む可から不、深測る可から不る也。
といふ風に、「訓読」で「暗唱」出来る。
然るに、
(07)
① 近塞上之人、有善術者(塞上に近き之人に、術を善する者有り)。
に対して、「口語訳」は、例へば、
①(ある国境の)砦の付近に住んでいる人で、占いの術の上手な者があった(旺文社、漢文の基礎、1973年、43頁)。
である。
然るに、
(08)
① 砦の近くに住んでいる人で、占いの術の上手な人がいる。
に対する、「グーグル翻訳」は、
③ 有些人住在堡壘附近,並且有很好的算命技巧。
である。
然るに、
(09)
① 近塞上之人、有善術者。
② 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
であれば、「平仮名」を除けば、
① 近塞上之人、有善術者。
② 塞上近之人、術善者有。
であるため、「漢字」自体に、「変り」は無い。
然るに、
(08)(09)により、
(10)
① 近塞上之人、善術者。
③ 有些人住在堡壘附近,並且很好的算命技巧。
に於いて、両者は、「」の「一字」くらひしか、「一致を見ない」。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① 近塞上之人、有善術者。
② 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
③ 有些人住在堡壘附近,並且有很好的算命技巧。
の、「漢字(単語)」を、「比較」した場合、
①と② であれば、
①=② であるのに対して、
①と③ であれば、完全に
① ≠ ③ である。
従って、
(11)により、
(12)
① 近塞上之人、有善術者。
② 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
③ 有些人住在堡壘附近,並且有很好的算命技巧。
といふ、
① 漢文
② 日本語
③ 中国語
を「比較」した場合、
①と② は、「似てゐる」ものの、
①と③ は、「全く、似てゐない」。
従って、
(13)
① 近塞上之人、有善術者。
に対する「翻訳」として、
③ 有些人住在堡壘附近,並且有很好的算命技巧。
の方が、
② 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
よりも、「原文忠実である。」といふことは、有り得ない
従って、
(03)(13)により、
(14)
(α)「現代中国語」は知ってゐても、「現代日本語」は知らない。
(β)「現代日本語」は知ってゐても、「現代中国語」は知らない。
といふ場合に於いて、「漢文」を学ぶ上で、
(α)の方が、(β)よりも、「有利」である。
といふことは、有り得ない
従って、
(15)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。からと言って、日本人も、さうすべきである。といふことには、ならない。
(16)
① 近塞上之人、有善術者。
といふ「漢文(白文)」を、
① 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
といふ風に、「訓読」し、逆に、
① 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
といふ「訓読」を、
① キンサイジョウシジン、イウゼンジュツシャ。
といふ風に、「音読(復文)」します。
然るに、
(17)
そのやうに、
① 近塞上之人、有善術者。⇔ 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
① 塞上に近き之人に、術を善する者有り。⇔ キンサイジョウシジン、イウゼンジュツシャ。
といふことを、「何回も、繰り返してゐる」と、
① 塞上に近き之人に、術を善する者有り。
といふ「訓読」と、
① キンサイジョウシジン、イウゼンジュツシャ。
といふ「音読」の、両方を、「暗記」出来ます。
(18)
② から ⑮ についても、そのやうにすれば、
① キンサイジョウシジン、イウゼンジュツシャ。
② バ、ムコボウ、ジニュウコ。
③ ジュンカイチョウシ。
④ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑤ キョシュウゲツ、キバショウコシュメジキ。
⑥ ジンカイガシ。
⑦ キホヱツ、シカキョ、フツノウヰカコ。
⑧ カ、フリョウバ。
⑨ キシコウキ、ダジセッキヒ。
⑩ ジンカイチョウシ。
⑪ キホヱツ、シカキョ、フツヰフクコ。
⑫ キョイチネン、コジンタイニュウサイ。
⑬ テイソウシャインゲンjセン、キンサイシジン、シシャジュウキュウ。
⑭ シドクイハシコ、フシソウホ。
⑮ コ、フクシヰカ、カシヰフク、クワフツカキョク、シンフツカソクヤ。
といふ、「日本漢字音(呉音・漢音・唐宋音・慣用音の、ごちゃ混ぜ)」で、
① 近塞上之人、有善術者。
② 馬無故亡而入胡。
③ 人皆弔之。
④ 其父曰、此何遽不爲福乎。
⑤ 居數月、其馬將胡駿馬而歸。
⑥ 人皆賀之。
⑦ 其父曰、此何遽不能爲禍乎。
⑧ 家富良馬。
⑨ 其子好騎、墮而折其髀。
⑩ 人皆弔之。
⑪ 其父曰、此何遽不爲福乎。
⑫ 居一年、胡人大入塞。
⑬ 丁壯者引弦而戰、近塞之人、死者十九。
⑭ 此獨以跛之故、父子相保。
⑮ 故、福之爲禍、禍之爲福、化不可極、深不可測也。
といふ「漢文」を、「暗唱」出来ます。

(132)倉石先生の「漢文訓読塩鮭論」について。

2019-01-07 19:34:59 | 訓読
(01)
私自身は、例へば、
① 虎求百獣而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獣。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我為不信吾為子先行。
⑥ 子随我後観。
⑦ 百獣之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以為然。
⑨ 故遂与之行。
⑩ 獣見之皆走。
⑪ 虎不知獣畏己而走也。
⑫ 以為畏弧也。
といふ「漢文(借虎威)」を、
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤ シイガヰフシン。ゴヰシセンコウ。
⑥ シズイゴガン。
⑦ ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧ コイヰゼン。
⑨ コスイヨシコウ。
⑩ ジュウケンシカイソウ。
⑪ コフツチ、ジュウイキジソウヤ。
⑫ イヰイコヤ。
といふ風に、「日本漢字音」で「暗唱」出来る。
(02)
それだけでなく、
① 虎求(百獸)而食(之)得(狐)。
② 狐曰子無〔敢食(我)〕也。
③ 天帝使〔我長(百獸)〕。
④ 今子食(我)是逆(天帝命)也。
⑤ 子以(我)爲〔不(信)〕吾爲(子)先行。
⑥ 子隨(我後)觀。
⑦ 百獸之見(我)而敢不(走)乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與(之)行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不[知〔獸畏(己)而走〕]也。
⑫ 以爲畏(弧)也。
といふ「漢文」を、
① 虎百獣を求めて之を食らひ狐を得たり。
② 狐曰く、子敢へて我を食らふこと無かれ(也)。
③ 天帝、我をして百獣に長たら使む。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふ也。
⑤ 子我を以て信なら不と為さば、吾子の為に先行せむ。
⑥ 子我が後に随ひて観よ。
⑦ 百獣之我を見て敢へて走ら不らん乎。
⑧ 虎以て然りと為す。
⑨ 故に遂に之与行く。
⑩ 獣之を見て皆走る。
⑪ 虎獣の己を畏れて走るを知ら不る也。
⑫ 以て狐を畏るると為す也。
といふ風に、「訓読」で、「暗唱」出来る。
然るに、
(03)
私の場合は、「中国語」を「勉強」したことが無いため、
3、狐假虎威
発音 mp3
发 音:hú jiǎ hǔ wēi
释 义:假:借。比喻依仗别人的势力欺压人。
故事:出自《战国策》。老虎寻求各种野兽吃掉它们,它抓到一只狐狸。狐狸说:“你不敢吃我!天帝派我来做野兽的首领,如今你吃掉我,就是违背天帝的命令。如果你认为我的话不诚实,那么我在你的前面走,你跟在我后面,看各种野兽看见我有敢不逃跑的吗?”老虎认为狐狸的话是对的,所以就和它一起走。野兽看见它们都逃跑了。老虎不知道野兽是害怕自己而逃跑的,认为它们是害怕狐狸。
といふ「現代中国語」を、
Gùshì: Chūzì “zhànguó cè”.
Lǎohǔ xúnqiú gè zhǒng yěshòu chī diào tāmen, tā zhuā dào yī zhǐ húlí. Húlí shuō:“Nǐ bù gǎn chī wǒ! Tiāndì pài wǒ lái zuò yěshòu de shǒulǐng, rújīn nǐ chī diào wǒ, jiùshì wéibèi tiāndì de mìnglìng. Rúguǒ nǐ rènwéi wǒ dehuà bù chéngshí, nàme wǒ zài nǐ de qiánmiàn zǒu, nǐ gēn zài wǒ hòumiàn, kàn gè zhǒng yěshòu kànjiàn wǒ yǒu gǎn bù táopǎo de ma?” Lǎohǔ rènwéi húlí dehuà shì duì de, suǒyǐ jiù hé tā yīqǐ zǒu. Yěshòu kànjiàn tāmen dōu táopǎole. Lǎohǔ bù zhīdào yěshòu shì hàipà zìjǐ ér táopǎo de, rènwéi tāmen shì hàipà húlí(グーグル翻訳).
といふ風に、読めないし、その「意味」が、
戦国時代の話。
虎は獲物を探し回り、運よく一匹の狐を捕えたので食べようとした。狐は「お前が俺を食べるのなんて無理。神は俺を百獣の王としたのだから、お前が俺を食べれば、神の意思を逆らうことになるのだぞ。」という。  虎は半信半疑で戸惑っていた。狐は「ウソだと思うなら、俺が前を行き、お前は後からついて来るがいい。動物たちが俺を見れば、きっと逃げていくだろう!」と言い放った。  虎は言われたとおりに狐の後について行った。動物たちは本当に逃げていった。もちろん、動物たちが怖がったのは、狐ではなく、虎だった。しかし、虎はこのことには気づかなかったのだ(Webサイト:中国語-成语故事3)。
であるといふことも、「100%、全く分からない」。
然るに、
(04)
例へば、
① 虎求百獣食之得狐(漢文)。
① 虎百獣を求めて之を食らひ狐を得たり(訓読)。
であれば、「(て)」を除けば、「漢字(単語)」自体は、「共通」である。
然るに、
(05)
虎求百獣而食之得(漢文)。
① 老各种野兽吃掉它们,它抓到一只狸(現代中国語)。
の場合は、「」以外は、「同じ」ではない
従って、
(06)
① 虎百獣を求めて之を食らひ狐を得たり(訓読)。
① 老虎寻求各种野兽吃掉它们,它抓到一只狐狸(現代中国語)。
に於いて、
① 虎求百獣而食之得狐(漢文)。
に「近い」のは、明らかに、
① 虎百獣を求めて之を食らひ狐を得たり(訓読)。
であって、
① 老虎寻求各种野兽吃掉它们,它抓到一只狐狸(現代中国語)。
ではない
従って、
(01)~(06)により、
(07)
(α)「現代中国語」は知ってゐても、「現代日本語」は知らない。
(β)「現代日本語」は知ってゐても、「現代中国語」は知らない。
といふ場合に於いて、「漢文」を学ぶ上で、
(α)の方が、(β)よりも、「有利」である。
といふことは、有り得ない
従って、
(07)により、
(08)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。からと言って、日本人も、さうすべきである。といふことには、ならない。
従って、
(08)により、
(09)
しかし、倉石の鋭さは、なによりもまず先にも触れた「漢文訓読塩鮭論」に余すところなく現われていると言える。それはすなわち次のような一節である。
論語でも孟子でも、訓読をしないと気分が出ないといふ人もあるが、これは孔子や孟子に日本人になってもらはないと気が済まないのと同様で、漢籍が国書であり、漢文が国語であった時代の遺風である。支那の書物が、好い国語に翻訳されることは、もっとも望ましいことであるが、翻訳された結果は、多かれ少なかれその書物の持ち味を棄てることは免れない、立体的なものが平面化することが想像される。持ち味を棄て、平面化したものに慣れると、その方が好くなるのは、恐るべき麻痺であって、いはば信州に育ったものが、生きのよい魚よりも、塩鮭をうまいと思ふ様なものである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、60頁)。からと言って、例へば、
① 虎求百獣而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獣。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我為不信吾為子先行。
⑥ 子随我後観。
⑦ 百獣之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以為然。
⑨ 故遂与之行。
⑩ 獣見之皆走。
⑪ 虎不知獣畏己而走也。
といふ「漢文」に対する、
① Hǔ qiú bǎishòu ér shí zhī dé hú.
② Hú yuē zǐ wú gǎn shí wǒ yě.
③ Tiāndì shǐ wǒ zhǎng bǎishòu.
④ Jīn zi shí wǒ shì nì tiāndì mìng yě.
⑤ Zǐ yǐ wǒ wéi bù xìnwú wèi zi xiānxíng.
⑥ Zi suí wǒ hòu guān.
⑦ Bǎishòu zhī jiàn wǒ ér gǎn bù zǒu hū.
⑧ Hǔ yǐwéi rán.
⑨ Gù suì yǔ zhī xíng.
⑩ Shòu jiàn zhī jiē zǒu.
⑪ Hǔ bùzhī shòu wèi jǐ ér zǒu yě.
⑫ Yǐwéi wèi hú yě.
といふ、「現代中国語」による「音読」が、
① コキュウヒャクジュウジショクシトクコ。
② コエツシムカンショクガヤ。
③ テンテイシガチョウヒャクジュウ。
④ コンシショクガゼギャクテンテイメイヤ。
⑤ シイガヰフシン。ゴヰシセンコウ。
⑥ シズイゴガン。
⑦ ヒャクジュウシケンガジカンフツソウコ。
⑧ コイヰゼン。
⑨ コスイヨシコウ。
⑩ ジュウケンシカイソウ。
⑪ コフツチ、ジュウイキジソウヤ。
⑫ イヰイコヤ。
といふ、「日本漢字音(呉音・漢音・唐宋音・慣用音)」による「音読」よりも、「優れてゐる」といふことには、ならない

(130)「白話文(北京語)」の、有り得ない「返り点」について。

2019-01-05 19:34:59 | 訓読
(01)

従って、
(01)により、
(02)
② 要=我ガ ヤッカイニナル。
に付く「それ」は、
 二  一
である。
然るに、
(03)
 二 一 
 二  一
に於いて、
① であれば、「上下点」が、「一二点をまたいでゐるが、
② であれば、「上下点」は、「 二点」だけを、またいでゐる。
然るに、
(04)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁改)
従って、
(01)~(04)により、
(05)
② 要 纏 擾 我。
といふ「白話文(北京語)」に付く、
 二  一
といふ「それ」は、「返り点」ではなく、言はば、「返り点もどき」である。
然るに、
(06)
② 要=我ガ ヤッカイニナル。
のやうに、
② 要 纏 擾 我。
に付く「それ」が、
② 下 二 上 一
ではなく、
② 三 二   一
であったとする。
然るに、
(07)
② 要=我ガ ヤッカイニナル。
のやうに、
② 要 纏 擾 我。
に付く「それ」が、
② 三 二   一
であるならば、
要 纏 擾   が、「1番目」に読まれるため、
要 纏 擾 我 が、「2番目」に読まれ、
要 纏     が、「3番目」に読まれ、
② 要 纏 擾 我 が、「4番目」に読まれる。ことになる。
従って、
(07)により、
(08)
要 纏 擾 我 が、「1番目」に読まれ、
要 纏     が、「2番目」に読まれ、
要 纏 擾   が、「3番目」に読まれ、
② 要 纏 擾 我 が、「4番目」に読まれるためには、
 二  一
でないとすれば、
② 四 二 三 一
といふ「返り点」が、付くことになる。
然るに、
(09)
「返り点」といふのは、
「下から上へ、返る点」であって、
からへ、下る点」ではない
然るに、
(10)
② 四 二 三 一
であるならば、
    四
二  ↑
↑  ↓   ↑
↑   三

であるため、
 
 ↓
 
に於いて、「からへ、下ってゐる。」
従って、
(09)(10)により、
(11)
② 要 纏 擾 我。
といふ「白話文(北京語)」に付く、
② 四 二 三 一
といふ「それ」も、「返り点」ではなく、言はば、「返り点もどき」である。
従って、
(05)(11)により、
(12)
② 要 纏 擾 我。
といふ「白話文(北京語)」に付く、
 二  一
② 四 二 三 一
といふ「これら」は、「返り点」ではない
然るに、
(13)

然るに、
(13)により、
(14)
③ 端‐的看婆‐子的本‐事。 sに這の婆子の本事をsi
④ 西門慶促‐忙促‐急儧造 不
のやうに、
③ 二 五 三 一 四
④ 二 五 三 一 四
であるならば、
二 
↑  ↓  五
↑    ↑
一 ↓  ↑
   四
であるため、
  
  ↓
  
  ↓
  
に於いて、「からへ、下ってゐる。」
従って、
(09)(14)により、
(15)
③ 端的 看 不 出 這婆子的本事 来
④ 西門慶促忙促急儧 造 不 出 床 来
といふ「白話文(北京語)」に付く、
③    二 五 三      一 四
④         二  五 三 一 四
といふ「これら」は、「返り点」ではない
従って、
(12)(15)により、
(16)
少なくとも、
② 要纏擾我。
③ 端的看不出這婆子的本事来。
④ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「白話文(北京語)」に対しては、「返り点」すら、付けることが、出来ない
然るに、
(17)
返り点とは、漢文すなわち古典中国語の語順を、日本語の語順に変換する符号である。
(古田島洋介、湯浅吉信、漢文訓読入門、2011年、45頁)
従って、
(17)により、
(18)
「日本語」とは「異なる語順」であるにも拘らず、「返り点」を付けることが出来ないのであれば、その「語順」は、「漢文の語順」ではない。
従って、
(16)(18)により、
(19)
② 要纏擾我。
③ 端的看不出這婆子的本事来。
④ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「語順」は、「漢文の語順」ではない。
従って、
(19)により、
(20)
② 要纏擾我。
③ 端的看不出這婆子的本事来。
④ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「白話文(北京語)」は、「漢文」ではない
然るに、
(21)
例へば、
⑤ 這裏宝玉忙忙的穿了衣服出来、忽抬頭見林黛玉在前面慢慢的走著、似有拭涙之状、便忙趕上来、笑道(紅楼夢)、
を、「漢文」として読もうとしても、
⑤ 笑道=笑って言ふ。
しか、理解できない。
然るに、
(22)
例へば、
⑥ καὶ ὑστερήσαντος οἴνου λέγει ἡ μήτηρ τοῦ Ἰησοῦ πρὸς αὐτόν Οἶνον οὐκ ἔχουσιν(ヨハネによる福音書).
であれば、
⑥ λέγει ἡ μήτηρ τοῦ Ἰησοῦ πρὸς αὐτόν=イエスの母が彼に向って言ふ。
⑥ Οἶνον οὐκ ἔχουσιν=彼らはワインを持ってゐない。
に関しては、理解できる。
然るに、
(23)
「It's(all)Greek to me.(それ、ぼくにはギリシャ語だ)」とは、「ぼくにはまったく意味が分からない」という意味です(マイナビニュース)。
従って、
(20)~(23)により、
(24)
「漢文」を知ってゐても、「白話文(北京語)」を知らないことは、
「英語」を知ってゐても、「ギリシャ語」   は知らないことと、同じである。
(25)
② 四{二(三[一)]}。
に於いて、
② 二( )⇒( )二
② 三[ ]⇒[ ]三
② 四{ }⇒{ }四
といふ「移動」を行ふと、
② 四{二(三[一)]}⇒
② {([一)二]三}四=
② 一 二 三 四。
然るに、
(26)
②{ [ ( ) ] } は、「括弧」であるが、
②{   ] } は、「括弧」ではない。
(27)
③ 二(五{三[一)]四}。
に於いて、
③ 二( )⇒( )二
③ 三[ ]⇒[ ]三
③ 五{ }⇒{ }五
といふ「移動」を行ふと、
③ 二(五{三[一)]四}⇒
③ ({[一)二]三四}五=
③ 一 二 三 四 五。
然るに、
(28)
③{ [ ( ) ] } は、「括弧」であるが、
{ [  ] } は、「括弧」ではない。
従って、
(12)(15)(25)~(28)により、
(29)
② 要纏擾我。
③ 端的看不出這婆子的本事来。
④ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ「白話文(北京語)」に対しては、「返り点括弧」を、付けることが、出来ない