日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(91)「PならばPである。」は「定理」である。

2018-09-29 19:17:42 | 論理
(01)
   ルカジェヴィッツによる命題論理の公理
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、173頁改)
然るに、
(02)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
に於いて、
(b)R=P
といふ「代入」を行ふと、
(b)[P→(Q→P)]→[(P→Q)→(P→P)]
従って、
(01)(02)により、
(03)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→P)]→[(P→Q)→(P→P)]
然るに、
(04)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→P)]→[(P→Q)→(P→P)]
(d)           (P→Q)→(P→P)
に於いて、
(a)が「真」で、
(b)も「真」であるならば、
(d)も「真」である。
然るに、
(05)
(d)(P→Q)→(P→P)
に於いて、
(d) Q=Q→P
といふ「代入」を行ふと、
(d)[P→(Q→P)]→(P→P)
従って、
(01)(05)により、
(06)
(a) P→(Q→P)
(d)[P→(Q→P)]→(P→P)
然るに、
(07)
(a) P→(Q→P)
(d)[P→(Q→P)]→(P→P)
(e)          (P→P)
に於いて、
(a)が「真」で、
(d)も「真」であるならば、
(e)も「真」である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
といふ「公理」により、
(e) P→P(PならばPである)。
といふ「定理」が「演繹」される。
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、175頁改)
然るに、
(09)
1 (1)Pである。       と仮定する。
 2(2)Pでない。       と仮定する。
12(3)Pであって、Pでない。 1と2による連言導入。
1 (4)Pでない。でない。   2と3による背理法。
1 (5)Pである。       4の二重否定。
  (6)PならばPである。   1と5による条件法。
従って、
(10)
1 (1)P    A
 2(2)  ~P A
12(3)P&~P 12&I
1 (4) ~~P 23RAA
1 (5)   P 4DN
  (6)P→ P 15CP
  (〃)PならばPである。
従って、
(09)(10)により、
(11)
「仮定(A)、連言導入(&I)、背理法(RAA)、二重否定(DN)、条件法(CP)」といふ「(自然演繹の)規則」は、
(e) P→P(PならばPである)。
といふ「定理」を、「演繹」出来る。
(12)
(a)
1     (1)     P   A
1     (2) ~Q∨ P   1∨I 
 3    (3)  Q&~P   A
  4   (4) ~Q      A
 3    (5)  Q      3&E
 34   (6) ~Q& Q   34&I
  4   (7)~(Q&~P)  36RAA
   8  (8)     P   A
 3    (9)    ~P   3&E
 3 8  (ア)  P&~P   78&I
   8  (イ)~(Q&~P)  3アRAA
1     (ウ)~(Q&~P)  2478イ∨E
    エ (エ)  Q      A
     オ(オ)    ~P   A
    エオ(カ)  Q&~P   エオ&I
1   エオ(キ)~(Q&~P)&
          (Q&~P)  ウキ&I
1   エ (ク)   ~~P   オキ
1   エ (ケ)     P   クDN
1     (コ)  Q→ P   エケCP
      (サ)P→(Q→P)  1コCP
(b)
1  (1)  P→(Q→R)     A
 2 (2)  P→ Q        A
  3(3)  P           A
1 3(4)     Q→R      12MPP
 23(5)     Q        23MPP
123(6)       R      45MPP
12 (7)  P→   R      36CP
1  (8) (P→Q)→(P→R)  27CP
   (9) [P→(Q→R)]→
      [(P→Q)→(P→R)] 19CP
(c)
1 (1) ~P→~Q   A
 2(2)     Q   A
 2(3)   ~~Q   2DN
12(4)~~P      13MTT
12(5)  P      4DN
1 (6)  Q→ P   25CP
  (7)(~P→~Q)→
     ( Q→ P)  16CP
従って、
(01)(12)により、
(13)
「A(仮定)、∨I(選言導入)、&E(連言除去)、&I(連言導入)、RAA(背理法)、∨E(選言除去)、DN(二重否定)、CP(条件法)、MPP(前件肯定)、MTT(後件否定)」
といふ「(自然演繹の10個の)規則」は、
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
といふ「公理」、すなはち、
(a) Pならば(QならばPである)。
(b)(Pならば(QならばRである))ならば[(PならばQである)ならば(PならばRである)]。
(c)(PでないならばQでない。)ならば(QならばPである)。
といふ「(公理」を、「演繹」出来る。
然るに、
(14)
1(1)  P&~P  A
 (2)~(P&~P) 11RAA
 (〃)PであってPでない。といふことはない。
(15)
1 (1) ~(P∨~P)  A
 2(2)   P      A
 2(3)   P∨~P   2∨I
12(4) ~(P∨~P)&
       (P∨~P)  13&I
1 (5)     ~P   24RAA
1 (6)   P∨~P   5∨I
1 (7) ~(P∨~P)&
       (P∨~P)  16&I
  (8)~~(P∨~P)  17RAA
  (9)   P∨~P   8DN
  (〃)Pであるか、Pではない。
従って、
(01)(13)(14)(15)により、
(16)
「(自然演繹の)規則」は、
(a)Pならば、QならばPである。
(b)Pならば、QならばRである。ならば、PならばQである。ならば、PならばRである。
(c)PでないならばQでない。ならば、QならばPである。
といふ「(命題論理の)公理」に加へて、
(e)PならばPである。
(f)PであってPでない。といふことはない。
(g)Pであるか、Pではない。
といふ、「同一律・矛盾律・排中律」を、「演繹」出来る。
然るに、
(17)
公理(こうり、英: axiom)とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系(英語版) (axiomatic system) という(ウィキペディア)。
従って、
(16)(17)により、
(18)
いづれにせよ、
(e)PならばPである。
(f)PであってPでない。といふことはない。
(g)Pであるか、Pではない。
といふ、「同一律・矛盾律・排中律」は、「(自然演繹の)公理」には、なり得ない。
cf.
同一律【どういつりつ】 論理学で矛盾律,排中律とともに三大原理と呼ばれるものの一つ。〈 自同律〉,〈同一原理〉ともいい,英語ではlaw of identity。 この原理は,主語と述語の関係を基軸にした伝統的論理学では〈AはAである〉と定式化され,自明な命題の代表例(コトバンク)。
従って、
(19)
「自然演繹」の場合は、面白いことに、「公理」は1つもありません。ここに自然演繹の大きな特徴があります(小島博之、証明と論理に強くなる、2017年、141頁改)。
といふ、ことになる。

(90)「Pならば、QならPである。」といふ「公理」について。

2018-09-26 19:45:07 | 論理
(01)
   ルカジェヴィッツによる公理
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、173頁)
然るに、
(02)
公理(こうり、英: axiom)とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系(英語版) (axiomatic system) という(ウィキペディア)。
従って、
(01)(02)により、
(03)
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
といふ「式」は、「公理」であるため、「普通」は、「証明すべき対象」ではない。
然るに、
(04)
命題論理の「自然演繹」の場合は、面白いことに、「公理」は1つもありません。ここに自然演繹の大きな特徴があります。「出発点になる公理が何もないのに、いったいどうやって演繹するんだ」という疑問が湧いてくるでしょう(小島博之、証明と論理に強くなる、2017年、141頁改)。
然るに、
(05)
(a)
1     (1)     P   A
1     (2) ~Q∨ P   1∨I 
 3    (3)  Q&~P   A
  4   (4) ~Q      A
 3    (5)  Q      3&E
 34   (6) ~Q& Q   34&I
  4   (7)~(Q&~P)  36RAA
   8  (8)     P   A
 3    (9)    ~P   3&E
 3 8  (ア)  P&~P   78&I
   8  (イ)~(Q&~P)  3アRAA
1     (ウ)~(Q&~P)  2478イ∨E
    エ (エ)  Q      A
     オ(オ)    ~P   A
    エオ(カ)  Q&~P   エオ&I
1   エオ(キ)~(Q&~P)&
          (Q&~P)  ウキ&I
1   エ (ク)   ~~P   オキ
1   エ (ケ)     P   クDN
1     (コ)  Q→ P   エケCP
      (サ)P→(Q→P)  1コCP
(b)
   1  (1)  P→(Q→R)     A
    2 (2)  P→ Q        A
     3(3)  P           A
   1 3(4)     Q→R      12MPP
    23(5)     Q        23MPP
   123(6)       R      45MPP
   12 (7)  P→   R      36CP
   1  (8) (P→Q)→(P→R)  27CP
      (9) (P→(Q→R))→
         [(P→Q)→(P→R)] 19CP
(c)
    1 (1) ~P→~Q   A
     2(2)     Q   A
     2(3)   ~~Q   2DN
    12(4)~~P      13MTT
    12(5)  P      4DN
    1 (6)  Q→ P   25CP
      (7)(~P→~Q)→
         ( Q→ P)  16CP
従って、
(01)~(05)により、
(06)
「自然演繹」は、「公理」を持たないものの、その一方で、「自然演繹(の規則)」は、
(a) P→(Q→P)
(b)[P→(Q→R)]→[(P→Q)→(P→R)]
(c)(~P→~Q)→(Q→P)
といふ、「ルカジェヴィッツの公理」を、「演繹」出来る。
従って、
(06)により、
(07)
(a)P→(Q→P)
といふ「公理」は、すなはち、
(a)Pならば(QならばPである)。
といふ「公理」は、「自然演繹」としても、「常に、真(本当)」である。
然るに、
(08)
(a)
 1 (1)  Q→ P  A
  2(2)  Q&~P  A
  2(3)  Q     2&E
  2(4)    ~P  2&E
 12(5)     P  13MQQ
 12(6)  ~P&P  45&I
 1 (7)~(Q&~P) 26PAA
(b)
1  (1)~(Q&~P)  A
 2 (2)  Q      A
  3(3)    ~P   A
 23(4)  Q&~P   23&I
123(5)~(Q&~P)&
       (Q&~P)  14&I
12 (6)   ~~P   35PAA
12 (7)     P   6DN
1  (8)  Q→ P   27CP
従って、
(08)により、
(09)
(a)  Q→ P
(b)~(Q&~P)
に於いて、
(a) QならばPである。
(b)(QであってPでない。)といふことはない。
に於いて、
(a)=(b) である。
従って、
(09)により、
(10)
(a)  P→ (Q→P)
(b)~{P&~(Q→P)}
に於いて、すなはち、
(a) Pならば(QならばPである)。
(b){Pであって(QならばPである。)ではない。}といふことはない。
に於いて、
(a)=(b) である。
然るに、
(11)
(c)
1(1)~( Q→P) A
1(2)~(~Q∨P) 1含意の定義
1(3)~~Q&~P  ド・モルガンの法則
1(4)  Q&~P  3DN
1(5)  Q     4&E
1(6)    ~P  4&E
1(7)  ~P&Q  65&I
従って、
(10)(11)により、
(12)
(a)  P→ (Q→P)
(b)~{P&~(Q→P)}
(c)~{P&(~P&Q)}
に於いて、すなはち、
(a) Pならば(QならばPである)。
(b){Pであって(QならばPである。)ではない。}といふことはない。
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
に於いて、
(a)=(b)=(c) である。
然るに、
(13)
(c)Pであって、PでなくてQである。
といふこと(矛盾)は、「有り得ない」。
従って、
(13)により、
(14)
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない
といふことは、「当然」である。
従って、
(12)(14)により、
(15)
(a) Pならば(QならばPである)。
(b){Pであって(QならばPである。)ではない。}といふことはない。
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
に於いて、
(a)=(b)=(c) であって、尚且つ、
(c){Pであって(PでなくてQである。)}といふことはない。
といふことは、「当然」である以上、
(a) Pならば(QならばPである)。
といふことも、「常に、真(本当)」である。
といふ風に、せざるを得ない。
然るに、
(16)
(a)Pならば(QならばPである)。
は、「公理(常に真)」である。と言はれても、「わけが分からない」のが、「普通」であると、思はれる。

(89)「而(て)」と「復文」。

2018-09-21 10:43:13 | 訓読

(01)
漢文には、しばしば置き字として接続詞「」が現れるため、「而」の扱いに慣れておくことは、必須です。とはいえ、実のところ、「而」を含む文は、復文の方針が立てやすい。なぜなら、「而」があると、たいてい直前の送り仮名に接続詞「」を付けて訓読することになっているからです(古田島洋介、こらならわから復文の要領、2017年、137頁)。
然るに、
(02)




従って、
(02)により、
(03)
① 兎走り株に触れ、
であって、
① 兎走り株に触れ、
ではないし、加へて、
② 竊かに語り
③ 良や久しうし
④ 王韶之は少くし
⑤ 今臣不肖にし
⑥ 吏の賕を受け
⑦ 遽かに其の舟に契み
⑧ 是吾が剣の從り
⑨ 水に入り
⑩ 己に克ち
⑪ 莊氏山於り出
⑫ 蓋し民の役にし
⑬ 行き
⑭ 馮婦臂を攘げ
⑮ 則ち請ふ余代り
⑯ 晏子之を數め
⑯ 蓋し民の役にし
⑰ 獨り學びて
⑱ 其の子を愛し
⑳ 三世より逓にし
等に於いても、
② 竊かに語り
③ 良や久しうし
④ 王韶之は少くし
⑤ 今臣不肖にし
⑥ 吏の賕を受け
⑦ 遽かに其の舟に契み
⑧ 是吾が剣の從り
⑨ 水に入りて
⑩ 己に克ちて
⑪ 莊氏山於り出
⑫ 蓋し民の役にし
⑬ 行き
⑭ 馮婦臂を攘げ
⑮ 則ち請ふ余代り
⑯ 晏子之を數め
⑯ 蓋し民の役にし
⑰ 獨り學びて
⑱ 其の子を愛し
⑳ 三世より逓にし
ではない
cf.
例文の訓点は出題者の意図を尊重し著者において手を加えなかった。従って書き下し文もそれに応じている。
(小林信明 監修、重要漢文単語文例精解―入試文例数1000、1968年、まえがき)
従って、
(03)により、
(04)
」があると、たいてい直前の送り仮名に接続詞「」を付けて訓読することになっているが故に、「」を含む文は、復文方針が立てやすい。
と言へるかどうかは、「はなはだ疑問」である。

(88)「括弧」と「返り点」の用法(略9)。

2018-09-17 13:30:53 | 訓読
(01)
① 冀得兎=
① 冀〔復得(兎)〕⇒
① 〔復(兎)得〕冀=
① 〔復た(兎を)得んことを〕冀ふ=
① 〔もう一度(兎を)得ることを〕願ふ。
(02)
冀得兎=
② 復冀〔得(兎)〕⇒
② 復〔(兎)得〕冀=
② 復た〔(兎を)得んことを〕冀ふ=
② もう一度〔(兎を)得ることを〕願ふ。
従って、
(01)(02)により、
(03)
原文の「冀」と「復」を入れ替へて、「冀得兎」としても、
復た兎を得んことを冀ふ。
復た兎を得んことを冀ふ。
といふ風に、「読み方(訓読)」自体は、変わらない(旺文社、漢文の基礎、1973年、36頁改)。
然るに、
(04)
① 〔もう一度(兎を)得ることを〕願ふ。
② もう一度〔(兎を)得ることを〕願ふ。
に於いて、願ふ〔内容〕は、「同じ」ではない
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 冀得兎。
冀得兎。
に対する、
① 復た兎を得んことを冀ふ。
② 復た兎を得んことを冀ふ。
といふ「訓読」は「同じ」であっても、「意味内容」のうえでは大きな違いがあるので注意を要する(旺文社、漢文の基礎、1973年、36頁改)。
然るに、
(06)
例へば、
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「訓読」を、
① 宋人有耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
といふ「原文」に戻すことを、「復文」といふ。
従って、
(05)(06)により、
(07)
復文の効果は、漢文の語順に対して敏感になることです(古田島洋介、これならわかる復文の要領、2017年、22頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
私の場合は、
① 宋人有耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
といふ「白文」を、
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ風に「読み」、
① 宋人に田を耕す者有り。
② 田中に株有あり、兎走りて株に觸れ、頸を折り而死す。
③ 因りて其の耒を釈て而株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎復た得可から不し而、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「訓読」を、
① ソウジンイウ、コウデンシャ。
② デンチュウイウシュ、トソウショクシュ、セッケイジシ。
③ インシャクキライジシュシュ、キフクトクト。
④ ト、フツカ、フクトク、ジシンヰ、ソウコクショウ。
といふ風に、「日本漢字音」で「読む」ように、してゐる(た)。
従って、
(06)(08)により、
(09)
私の場合は、『口頭』で、「復文」を行ってゐる(た)のであって、その「結果」として、例へば、
[一] 矛盾(韓非子)
① 楚人有鬻盾與矛者。
② 譽之曰、吾盾之堅、莫能陷也。
③ 又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。
④ 或曰、以子之矛、陷子之盾、何如。
⑤ 其人弗能應也。
[二] 守株(韓非子)
① 宋人有 耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
[三] 借虎威(戦國策)
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「原文」を、今でも、「日本漢字音」で、「暗唱」することが、出来る。
然るに、
(10)
「中国語(北京語)」に関しては、全く、分からないため、
① 宋人有 耕田者。
② 田中有株、兎走觸株、折頸而死。
③ 因釋其耒而守株、冀復得兎。
④ 兎不可復得、而身爲宋國笑。
⑤ 今欲以先王之政、治當世之民、皆守株之類也。
といふ「漢文」を、
① Sòng rén yǒu gēng tián zhě.
② Tiánzhōng yǒu zhū, tù zǒu chù zhū, zhé jǐng ér sǐ.
③ Yīn shì qí lěi ér shǒuzhū, jì fù dé tù.
④ Tù bùkě fù dé, ér shēn wèi sòng guó xiào.
といふ風に、読むことは、出来ない
(11)
漢音」で読めば、
① 兄弟=けいてい
② 女性=じょせい
③ 今昔=きんせき
④ 人間=じんかん
⑤ 強力=きょうりょく
である(はずである)。
(12)
呉音」で読めば、
① 兄弟=きょうだい
② 女性=にょしょう
③ 今昔=こんじゃく
④ 人間=にんげん
⑤ 強力=ごうりき
である(はずである)。
(13)
普通」に読めば、
① 兄弟(呉音)=きょうだい
② 女性(漢音)=じょせい
③ 今昔(呉音)=こんじゃく
④ 人間(呉音)=にんげん
⑤ 強力(漢音)=きょうりょく
である。
然るに、
(14)
平安時代がさうであったやうに、
明経の徒、宜しく漢音に習熟すべし(日本記略)。
といふことから、「漢文の音読」は、「漢音」で「徹底」しようとするならば、「一々、辞書」で調べなければならないものの、そんなのは、「大変」なので、私の場合は、一時は、「漢音」だけて「音読」しようとして、結局は、挫折した。
従って、
(15)
例へば、
① 宋人に田を耕す者有り。
といふ「訓読」を、
① ソウジンイウ、コウデンシャ。
といふ風に、「復文」するとき、
① 有=イウ(音)
なのか、
① 有=イウ(音)
なのかは、「辞書」を引かなければ、分からない。

(87)「括弧」と「返り点」の用法(略8)。

2018-09-10 20:02:27 | 訓読

(01)
① 読書。 と、
① 読 者。とを合はせると、
① 読書者。⇔ 書を読む者。
然るに、
(02)
① 読書。⇔ 書を読む者。
といふ「漢文」に対して、
② 読書。⇔ 書を読む者。
といふ「それ」は、無い。
 同様に、
(03)
① 宋人有耕田者。      ⇔ 宋人に田を耕す者有り。
② 田中有株兎走觸株折頸而死。⇔ 田中に株有り。兎走りて株に觸れ、頸を折りて死す。
③ 因釋其耒而守株冀復得兎。 ⇔ 因りて其の耒を釈て、株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎不可復得而身爲宋國笑。 ⇔ 兎復た得可から不して、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「語順」に対して、
⑤ 有耕者田宋人。      ⇔ 宋人に田を耕す者有り。
⑥ 田株有中兎走觸頸株折而死。⇔ 田中に株有り。兎走りて株に觸れ、頸を折りて死す。
⑦ 因耒釋其而守兎株冀復得。 ⇔ 因りて其の耒を釈て、株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
⑧ 兎可不得復而國身笑爲宋。 ⇔ 兎復た得可から不して、身は宋國の笑ひと爲れり。
といふ「それ」の、「左辺の語順」は、「デタラメ」である。
然るに、
(04)
例へば、
④ 兎不〔可(復得)〕而身爲(宋國笑)。
に於いて、
④ 不〔 〕⇒〔 〕不
④ 可( )⇒( )可
④ 爲( )⇒( )爲
といふ「移動」を行ふと、
④ 兎不〔可(復得)〕而身爲(宋國笑)⇒
④ 兎〔(復得)可〕不而身(宋國笑)爲=
④ 兎〔(復た得)可から〕ずして身は(宋國の笑ひと)爲れり。
といふ「訓読」が成立し、
⑧ 兎可〔不[得(復)〕]而國(身笑〔爲[宋)〕]。
に於いて、
⑧ 可〔 〕⇒〔 〕可
⑧ 不[ ]⇒[ ]不
⑧ 得( )⇒( )得
⑧ 國( )⇒( )國
⑧ 笑〔 〕⇒〔 〕笑
⑧ 爲[ ]⇒[ ]爲
といふ「移動」を行ふと、
⑧ 兎可〔不[得(復)〕]而國(身笑〔爲[宋)〕]⇒
⑧ 兎〔[(復)得〕可]不而(身〔[宋)國〕笑]爲=
⑧ 兎〔[(復た)得〕可から]ずして(身は〔[宋)國の〕笑ひと]爲れり。
といふ「それ」が、成立する。
然るに、
(05)
① 宋人有〔耕(田)者〕。
② 田中有(株)兎走觸株折(頸)而死。
③ 因釋(其耒)而守(株)冀〔復得(兎)〕。
④ 兎不〔可(復得)〕而身爲(宋國笑)。
に於ける、
①〔( )〕
②( )( )
③( )( )〔( )〕
④〔( )〕( )
といふ「括弧」に対して、
⑤ 有[耕(者〔田)宋人〕]。
⑥ 田株(有〔中)〕兎走觸(頸〔株)折〕而死。
⑦ 因耒(釋〔其)〕而守(兎〔株)冀[復〕得]。
⑧ 兎可〔不[得(復)〕]而國(身笑〔爲[宋)〕]。
に於ける、
[(〔 )〕]
(〔 )〕(〔 )〕
(〔 )〕(〔 )[ 〕
〔[( )〕](〔[ )〕]
といふ「それ」は、「括弧」ではない。
然るに、
(06)




に於ける、
① 二 レ 一
② レ レ
③ 二 一 レ 二 一レ
④ レ 二 一 二 一
といふ「正しい、返り点」に対して、
⑤ 下 三 上 二 一
⑥ 二 三 一 二 三 一
⑦ 二 三 一 二 上 一 下 中
⑧ 二 三 一レ 二 三 四 一
といふ「それ」は、「返り点」としては「デタラメ」である。
従って、
(03)~(06)により、
(07)
⑤ 有耕者田宋人。
⑥ 田株有中兎走觸頸株折而死。
⑦ 因耒釋其而守兎株冀復得。
⑧ 兎可不得復而國身笑爲宋。
といふ「デタラメなそれ」に対しては、「デタラメな返り点(括弧)」しか、付けることが、出来ない。
従って、
(08)
例へば、
① 宋人有耕田者      。⇔ 宋人に田を耕す者有り。
② 田中有株兎走觸株折頸而死。⇔ 田中に株有り。兎走りて株に觸れ、頸を折りて死す。
③ 因釋其耒而守株冀復得兎 。⇔ 因りて其の耒を釈て、株を守り、復た兎を得んと冀ふ。
④ 兎不可復得而身爲宋國笑 。⇔ 兎復た得可から不して、身は宋國の笑ひと爲れり。
に於ける、「左辺の語順」と「右辺の語順」は、「規則正しく、異なってゐる」。
然るに、
(09)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 宋人有〔耕(田)者〕。         ⇔ 宋人に〔(田を)耕す者〕有り。
② 田中有(株)兎走觸株折(頸)而死。   ⇔ 田中に(株)有り兎走りて株に觸れ(頸を)折り而死す。
③ 因釋(其耒)而守(株)冀〔復得(兎)〕。⇔ 因りて(其の耒を)釋て而(株を)守り〔復た(兎を)得んことを〕冀ふ。
④ 兎不〔可(復得)〕而身爲(宋國笑)。  ⇔ 兎〔(復た得)可から〕ずして身は(宋國の笑ひと)爲れり。
に於ける、「左辺の語順」と「右辺の語順」は、「捕捉構造」として、「規則正しく、異なってゐる」。
従って、
(11)
① 宋人有〔耕(田)者〕。
② 田中有(株)兎走觸株折(頸)而死。
③ 因釋(其耒)而守(株)冀〔復得(兎)〕。
④ 兎不〔可(復得)〕而身爲(宋國笑)。
に於ける、
①    〔 ( ) 〕
②    ( )     ( )
③   (  )  ( ) 〔  ( )〕
④   〔 (  )〕   (   )
といふ「括弧」は、
① 宋人有耕田者。
② 田中有株兎走觸株折頸而死。
③ 因釋其耒而守株冀復得兎。
④ 兎不可復得而身爲宋國笑。
といふ「漢文」の、「捕捉構造」を表してゐる。
(12)
】[意味]① も‐つ。もっている ② あ‐る(‐り)。
(旺文社、高校基礎漢和辞典、1984年、424頁)
従って、
(12)により、
(13)
⑤ 我有兄=我 have 兄。
であるため、
⑤ 我有兄=我に兄有り。
に於いて、
⑤ 「」は、「他動詞」と、「同じ語順」をとる。
従って、
(14)
① 宋人有耕田者=宋人に田を耕す者有り。
に於いても、
①   「」は、「他動詞」と、「同じ語順」をとる。
(15)
⑥ 不可復得=復た、兎を得べからず。
であれば、
⑥ 「兎を」は、「他動詞の補語」であるが、
不可復得=兎は、復た得べからず。
であれば、
④      「兎は」は、「主題(topic)」である。

(86)「括弧」と「返り点」の用法(略7)。

2018-09-09 17:41:32 | 訓読
(01)



従って、
(01)により、
(02)
① 只管要纏騒我。
② 端的看不出這婆子的本字来。
③ 西門慶促忙促急僭造不出床来。
④ 吃了不多酒。
といふ「中国語(白話)」に付く、「それ」は、
① 下 二 上 一
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
④ 二 三レ 一
である。
然るに、
(03)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(03)により、
(04)
① 下 二 一  ではない、
① 下 二  一 といふ「それ」は、「返り点」ではない。
(05)
「返り点」は、
「縦書き」であれば、「下から上へ、返る点」であって、
「横書き」であれば、「から左へ、返る点」である。
然るに、
(06)
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
であるため、
② 二 → 三 
③ 二 → 三
に於いて、「から右へ、返ってゐる」。
従って、
(05)(06)により、
(07)
② 二 五 三 一 四 といふ「それ」と、
③ 二 五 三 一 四 といふ「それ」は、「返り点」ではない。
然るに、
(08)
〔説明〕二つの返り点がいっしょになるのは、一とレ、上とレ、甲とレ、天とレの、四つだけである。
(志村和久、漢文は早わかり、1982年、18頁)
従って、
(08)により、
(09)
④ 二 三レ 一 といふ「それ」は、「返り点」ではない。
従って、
(01)~(09)により、
(10)
① 只管要纏騒我。
② 端的看不出這婆子的本字来。
③ 西門慶促忙促急僭造不出床来。
④ 吃了不多酒。
といふ「中国語(白話)」に付く、
① 下 二 上 一
② 二 五 三 一 四
③ 二 五 三 一 四
④ 二 三レ 一
といふ「それ」は、「返り点」としては、「デタラメ」である。
然るに、
(11)
返り点とは、漢文すなわち古典中国語の語順を、日本語の語順に変換する符号である。
(古田島洋介、湯城吉信、漢文訓読入門、2011年、45頁)
従って、
(11)により、
(12)
「ある語順」があって、「その語順」を、「返り点」を用ゐて、「日本語の語順」に変換することが出来ないのであれば、「その語順」は、「漢文の語順」ではない。
従って、
(10)(12)により、
(13)
例へば、
① 只管要纏騒我。
② 端的看不出這婆子的本字来。
③ 西門慶促忙促急僭造不出床来。
④ 吃了不多酒。
といふ「白話文(中国語)」は、「漢文」ではない。
(14)
⑤ 有〔読(漢文)者〕。
に於いて、
⑤ 有〔 〕⇒〔 〕有
⑤ 読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 有〔読(漢文)者〕⇒
⑤ 〔(漢文)読者〕有=
⑤ 〔(漢文を)読む者〕有り。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(15)
⑤ 下〔二(#一)上〕。
に於いて、
⑤ 下〔 〕⇒〔 〕下
⑤ 二( )⇒( )一
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 下〔二(#一)上〕⇒
⑤ 〔(#一)二上〕下。
といふ「順番」に、なる。
従って、
(14)(15)により、
(16)
⑤ 有読漢文者。に付く、「返り点」は、
⑤ 下二 一上 である。
従って、
(16)により、
(17)
① 有読。に付く、「それ」は、
① 下二 一 である。
従って、
(18)
⑤ 有読漢文者。といふ「漢文」 に対する、
① 有読。といふ「漢文」 が、「有り得ない」程度に、
⑤ 下二 一上 といふ「返り点」に対する、
① 下二 一 といふ「返り点」も、「有り得ない」。
従って、 
(19)
例へば、
① 只管要纏騒我。に付く、
① 下二一 といふ「それ」は、「相当に、ヲカシイ」。
(20)
いづれにせよ、
① 只管要纏騒我。
② 端的看不出這婆子的本字来。
③ 西門慶促忙促急僭造不出床来。
④ 吃不多酒。
等は、「漢文(文言文)」としては、「チンプンカンプン(Greek to me)」である。

(85)「括弧」と「返り点」の用法(略6)。

2018-09-08 16:24:07 | 訓読
(01)
① 彼立於門之前二時間。
① 彼立〔於(門之前)〕二時間。
に於いて、
① #〔 〕⇒〔 〕#
② #( )⇒( )#
といふ「移動」を行ふと、
① 彼立〔於(門之前)〕二時間⇒
① 彼〔(門之前)於〕立二時間=
① 彼〔(門の前)に〕立つこと二時間。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(02)
② He had been standing in front of the gate for two hours.
② He had『been「standing《in〈front{of[the‐gate〔for(two hours)〕]}〉》」』.
に於いて、
② #「 」⇒「 」#
② #『 』⇒『 』#
② #《 》⇒《 》#
② #『 』⇒『 』#
② #〈 〉⇒〈 〉#
② #{ }⇒{ }#
② #[ ]⇒[ ]#
② #〔 〕⇒〔 〕#
② #( )⇒( )#
といふ「移動」を行ふと、
② He had『been「standing《in〈front{of[the‐gate〔for(two hours)〕]}〉》」』⇒
② He 『「《〈{[〔(two hours)for〕the‐gate]of}front〉in》standing」been』had=
② 彼は『「《〈{[〔(2時間)の間〕門]の}前〉に》立って」ゐ』た。
といふ「英文訓読」が、成立する。
従って、
(01)(02)により、
(03)
例へば、
① 彼立於門之前二時間。
② He had been standing in front of the gate for two hours.
に於いて、それぞれの「括弧」は、
①      〔( )〕
②「『《〈{[〔( )〕]}〉》』」
であって、そのやうに、「漢文訓読」に対して、「英文訓読」は、「極端に多くの括弧」を、必要とする。
(04)
③ 2(5[3〔1)〕4]。
に於いて、
③ 5[ ]⇒[ ]5
③ 3〔 〕⇒〔 〕3
③ 2( )⇒( )2
といふ「移動」を行ふと、
③ 2(5[3〔1)〕4]⇒
③ ([〔1)2〕34]5=
③ 1 2 3 4 5。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
然るに、
(05)
②[〔( )〕]
([〔 )〕]
に於いて、
② は、「括弧」であるが、
③ は、「括弧」ではない
然るに、
(06)
「返り点」は、
「縦書き」であれば、「下から上へ、返る点」であって、
「横書き」であれば、「右から左へ、返る点」である。
従って、
(06)により、
(07)
③ 2<  3>1
といふ「順番」を含むところの、
 五   四
といふ「それ」は、「返り点」ではない。
然るに、
(08)
③ 端的看這婆子的本字
④ 西門慶促忙促急僭造不
といふ「白話文(中国語)」に付く「それ」は、以上のやうに、二つとも、
③ 二 五 三 一 四
④ 二 五 三 一 四
である。
cf.
完璧な口語表現である「~出来」という方向補語も、こうした複雑な訓点が付けられることで何とか訓読される。
(勉誠出版、続「訓読論」、川島優子、2010年、330頁)
従って、
(04)~(08)により、
(09)
例へば、
③ 端的看不出這婆子的本字来。
④ 西門慶促忙促急僭造不出床来。
といふ「中国語(白話文)」に対しては、「返り点(括弧)」を加へることが、出来ない。
(10)
① 彼立於門之前二時間。
② He had been standing in front of the gate for two hours.
③ 端的看不出這婆子的本字来。
④ 西門慶促忙促急僭造不出床来。
に対する、
①      〔( )〕
②「『《〈{[〔( )〕]}〉》』」
は、「括弧」であって、
③     ([〔 )〕]
④     ([〔 )〕]
は、「括弧」ではなく
① レ 二 一
② 九 八 七 六 五 四 三 二 一
は、「返り点」であって、
③ 二 五 三 一 四
④ 二 五 三 一 四
は、「返り点」ではない

(84)「括弧」と「返り点」の用法(略5)。

2018-09-07 16:20:41 | 訓読
(01)
① 三 二 一
② 下 二 一 上
④ 二 三 一
④ 下 二 上 一
に於いて、
① と ② は、「返り点」であるが、
③ と ④ は、「返り点」ではない。
従って、
(01)により、
(02)
① 3 2 1
② 4 2 1 3
③ 2<3>1
④ 4 2<3>1
といふ「順番」に於いて、
① と ② は、「返り点」を付けることが出来、
③ と ④ は、「返り点」を付けることが出来ない。
然るに、
(03)
① 3[2(1)]
② 4[2(1)3]
③ 2(3[1)]
④ 4{2(3[1)]}
に於いて、
#( )⇒( )#
#[ ]⇒[ ]#
#{ }⇒{ }#
といふ「移動」を行ふと、
① 3[2(1)]   ⇒[(1)2]3。
② 4[2(1)3]  ⇒[(1)23]4。
③ 2(3[1)]   ⇒([1)2]3。
④ 4{2(3[1)]}⇒{([1)2]3}4。
といふ「ソート(並び替へ)」が、成立する。
然るに、
(04)
①  [ ( )]
②  [ ( ) ]
③  ( [ )
④  { ( [ )]}
に於いて、
① と ② は、「括弧」であるが、
③ と ④ は、「括弧」ではない。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① 3 2 1
② 4 2 1 3
③ 2<3>1
④ 4 2<3>1
といふ「順番」に於いて、
① と ② は、「返り点」と「括弧」を付けることが出来、
③ と ④ は、「返り点」と「括弧」を付けることが出来ない。
従って、
(06)
例へば、
③ Who(are[you)]?⇒ あなたは 誰 ですか。
④ 只管要{纏(擾[我)]}  ⇒ ヒタスラ 我ガ ヤッカイ ニナル。
のやうな、「英語」や「白話(中国語)」に対しては、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。
然るに、
(07)
③ Who are you?
④ 要 纏 擾 我。
といふ「文」は、「十分に簡潔」である。
従って、
(06)(07)により、
(08)
③ Who are you?
④ 要 纏 擾 我。
といふ「英文」や「白話文(中国語)」は、「十分に簡潔」であって、尚且つ、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。
然るに、
(09)
During{the past seventy five years[since〔Japan's closed doors were(opened,)〕]}The Japanese have(been{described[in〔the most fantastic series of 'but alseo's'(ever used{for[any nation〔of(the world)〕]})〕]}). When〔a serious observer is(writing{about[peoples〔other than(the Japanese)〕]})and says〔they are(unprecedenty polite)〕〕,he isn't[likely〔to add,('But also insolent and overbearing.')〕]⇒
{[〔Japan's closed doors(opened,)were〕since]the past seventy five years}During.The Japanese({[〔({[〔(the world)of〕any nation]for}ever used)the most fantastic series of 'but also's'〕in]described}been)have.〔a serious obsever({[〔(the Japanese)other than〕peoples]about}writing)is〕When and〔they(unprecedently polite)are〕says,he[〔('But slso insolent and overbearing.')to add,〕likely]isn't. =
{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去七十五年の}間、 日本人は({[〔({[〔(世界)の〕どの国民]に対しても}これまでに使われた中では)最も途方もない、一連の『だが一方で』の句〕で以て]描写}されて)きた。〔真剣に観察する人が({[〔(日本人)以外の〕国民に]ついて}書いて)いて、そして〔彼らは(ほかに例を見ないほど礼儀正しい)です〕と書く〕際に、その彼が[〔(『だが、無礼で横暴だ』と)付け加えることは〕有りそうに]ない。
といふ「英文」がさうであるやうに、大抵の「英文」には、「括弧(返り点)」を付けることが、出来る。
従って、
(08)(09)により、
(10)
簡潔を旨として作られた「文言文(漢文)」とは異なり、話し言葉(中国語)に基づく「白話文」は、本来訓読に適していない(川島優子、続「訓読論」、2010年、330頁改)。
とは言ふものの、「白話文が簡潔ではない」といふことと、「白話文(中国語)」に対して、「返り点(括弧)」を、付けることが出来ない。といこととは、「別の問題」である。

(83)「私が」は「私は」よりも「私」が強調されている。

2018-09-06 17:10:17 | 訓読
(01)
もし音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2115年、13頁)。
従って、
(01)により、
(02)
① 私主役です。
② 私は主役です。
に於いて、
① _音) の方が、
② _は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」。
従って、
(02)により、
(03)
Q:「私」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
と言へば、実際に
A:「私音)」の方が、「私は(清音)」よりも、「心理的な音量」が「大きい」からである。
然るに、
(04)
ネイティブの英語の話し方 ― 特に伝えたい部分の単語を強調して話してみよう。ネイティブは、英語を話すときにどこの部分を相手に強調したいかによって、その単語の発音を強めることがあるのをご存知ですか? 例えば、I 強調することで、「他の人ではなく私が」という意味合いが強くなります(cf.https://www.eigowithluke.com)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 私音) の方が、
② 私は(清音) よりも、「心理的な音量」が「大きい」が故に、
① 私主役です。
といふ「日本語」は、
①(他の人ではなく)私が主役です。
といふ、「意味」になる。
然るに、
(06)
①(他の人ではなく)私主役です。
といふことは、
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふ、ことである。
然るに、
(07)
① 私は主役であって(、私以外は主役ではない)。
といふことは、
① ∃x{私x&主役x&∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふこと、すなはち、
① あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
といふ、ことである。
然るに、
(08)
1  (1)∃x{私x&主役x&∃y[主役y&(x≠y)]} A
1  (〃)あるxは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない。
 2 (2)   私a&主役a&~∃y[主役y&(a≠y)]} A
 2 (3)   私a                     2&E
 2 (4)      主役a                 2&E
 2 (5)          ~∃y[主役y&(a≠y)]  2&E
 2 (6)          ∀y~[主役y&(a≠y)]  5量化子の関係
 2 (7)            ~[主役b&(a≠b)]  6UE
 2 (8)            ~主役b∨~(a≠b)   7ド・モルガンの法則
 2 (9)            ~主役b∨ (a=b)   8DN
 2 (ア)              主役b→(a=b)   9含意の定義   
  イ(イ)              主役b         A
 2イ(ウ)                  (a=b)   アイMPP
   (エ)                  (a=a)   =I
 2イ(オ)                  (b=a)   ウエ=E
 2 (カ)              主役b→(b=a)   イオCP
 2 (キ)           ∀y[主役y→(y=a)]  カUI
 2 (ク)    主役a&私a                 34&I
 2 (ケ)   主役a&私a& ∀y[主役y→(y=a)]  キク&I
 2 (コ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} ケEI
1  (サ)∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]} 12コEE
1  (〃)あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである。
従って、
(05)~(08)により、
(09)
① 私主役です=∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
② 主役は私です=∃x{主役x&私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
に於いて、すなはち、
① 私主役です=ある xは私であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外である。といふことはない
② 主役は私です=あるxは主役であって、xは私であって、すべてのyについて、yが主役であるならば、yはxである。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(10)
そして緊張の合格発表。2018年のアニー役に選ばれたのは、ともに劇中のアニーと同じく11歳の、新井 夢乃(アライ ユメノ)・宮城 弥榮(ミヤギ ヤエ)! 新井は2回目、宮城も2回目(1回目はダンスキッズへの応募)の挑戦でアニー役を獲得した。
従って、
(11)
例へば、「演劇・アニー」の場合は、主役が、二人ゐる。
然るに、
(12)
1  (1)∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]} A
1  (〃)あるxは新井であって、xは主役であって、主役であるyが、x以外にもゐる。
1  (〃)          新井は主役であって、主役であるyが、新井以外にもゐる。
 2 (2)   新井a&主役a& ∃y[主役y&(a≠y)]} A
 2 (3)   新井a&主役a                2&E
 2 (4)            ∃y[主役y&(a≠y)]  2&E
  5(5)              [主役b&(a≠b)]  A
  5(6)            ~~[主役b&(a≠b)]  6DN
  5(7)           ~[~主役b∨~(a≠b)]  6ド・モルガンの法則
  5(8)            ~[~主役b∨(a=b)]  7DN
  5(9)             ~[主役b→(a=b)]  8含意の定義
  5(ア)           ∃y~[主役y→(a=y)]  9EI
 2 (イ)           ∃y~[主役y→(a=y)]  25アEE
 2 (ウ)           ~∀y[主役y→(a=y)]  イ量化子の関係
 2 (エ)   新井a&主役a&~∀y[主役y→(a=y)]  3ウ&I
 2 (オ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} エEI
1  (カ)∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]} 12オEE
1  (〃)あるxは新井であって、xは主役であるが、すべてのyについて、yが主役ならば、xとyが同じ人物である。といふわけではない。
1  (〃)          新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
従って、
(12)により、
(13)
③ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井_主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
に於いて、すなはち、
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる。
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(14)
③ 新井_主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる
④ 新井_主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない
といふのであれば、
③ 新井主役です=新井は主役であるが、主役であるyが、新井以外にもゐる
④ 新井主役です=新井は主役であるが、yが主役であれば、yは新井である。といふわけではない
といふことは、有り得ない。
従って、
(13)(14)により、
(15)
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(09)(15)により、
(16)
① 私が主役です =∃x{ 私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
② 主役は私です =∃x{主役x& 私x& ∀y[主役y→(y=x)]}。
③ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
④ 新井は主役です=∃x{新井x&主役x&~∀y[主役y→(x=y)]}。
従って、
(16)により、
(17)
① 私主役です=∃x{私x&主役x&~∃y[主役y&(x≠y)]}。
③ 私は主役です=∃x{私x&主役x& ∃y[主役y&(x≠y)]}。
といふ、ことになる。
従って、
(17)により、
(18)
① 私が主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _  と、
③ _は  の、「違ひ」は、
∃y と、
③  ∃y の、「違ひ」である。
従って、
(18)により、
(19)
① 私が主役です。
③ 私は主役です。
に於ける、
① _  と、
③ _は  の、「違ひ」は、
情報 と、
③ 旧情報 の、「違ひ」である。
といふことには、ならない。
然るに、
(20)
Q:「私」は「私は」よりも「私」が強調されているように感じるのはなぜか。
「主役は私だ」と「私が主役だ」と比べると「私」の方が強調されているように思われます。先ほど明らかにしたように、「」は情報を表すので、「新しいこととして提示する→強調」につながるためでしょう。このように、「他の人ではなく私が」という意味がでるものを、「が」の排他的意味と呼びます(橋本陽介、日本語の謎を解く、2016年、146頁)。
との、ことである。