ブログを始めた理由:「教えて!goo」に、初めて行なった「質問(
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10343276.html)」に対して、「文字数オーバー(400字)」を気にせず、「思ふ存分、補足」したいと、考へたからです。
(01)
① 私はします。
③ 私
がします。
に於いて、
① 「は」は「清音」であって、
③ 「
が」は「
濁音」である。
然るに、
(02)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。
ゴロ
ゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(03)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「
濁音=
大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 私はします。
③ 私
がします。
に於いて、
①「私は」の「音量」よりも、
③「私
が」の「音量」の方が、「
大きい」。
然るに、
(05)
(1)私は、それをします。
(2)それは、私
がします。
(1)では「私は」が題で、残りが解説です。(2)では、「それは」が題で、残りが解説になる。
(山崎紀美子、日本語基礎講座 三上文法入門、2003年、18頁)
(06)
なお、先ほどの例文、(1)と(2)に違いは、英語では
ストレスによって表されます。
(1)I will do it.
(2)
I will do it.
(1)のように、ストレスのない「I」は、topic(題)になれますが、(2)にように、ストレスがある「
I」は、topicになれません。
(山崎紀美子、日本語基礎講座 三上文法入門、2003年、21頁)
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 私はします。
③ 私
がします。
に於いて、
③ の方は、
(2)
I will do it.
に、「相当」する。
然るに、
(08)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
b.Tom SENT Mary flowers.
c.Tom sent MARY flowers.
d.Tom sent Mary FLOWERS.
"Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を
強調して
発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を
強調して発音すれば、「
他の誰でもないトム
がメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、
「トム」という人間が他の人間と対比されているということです(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)。
(08)により、
(09)
③ I will do it.
に於いて、
③「
I」が「
強調」されるならば、
③ Nobody but me will do it.
といふ、「意味」になる。
然るに、
(10)
① 私はします。
③ 私
がします。
に於いて、
① 私
はします。
であれば、
①(少なくとも)私はします。
といふ、「意味」である。
(11)
① 私はします。
③ 私
がします。
に於いて、
③ 私
がします。
であれば、
③ 私
がする(ので、私
以外はし
なくともよい)。
といふ、「意味」である。
然るに、
(12)
Definition of exclusive proposition
: a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other “none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition(merriam-webster).
従って、
(09)(11)(12)により、
(13)
③
I will do it(
Nobody but me will do it).
③ 私
がするので(、私
以外はし
なくともよい)。
といふ「日・英語」は、
③ 排他的命題(Exclusive proposition)である。
従って、
(04)(09)(11)(13)により、
(14)
① 私はします。
③ 私
がします。
に於いて、
①「私は」に対する、
③「私
が」は、「
強調形」であって、「
強調形」は、「
排他的命題」を「主張」する。
従って、
(14)により、
(15)
① AはBである。
③ A
がBである。
④ A
以外はBで
ない。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(16)
(a)
1 (1)A
以外はBで
ない。 仮定
1 (2)Aで
ないはBで
ない。 仮定
3 (3)Bである。 仮定
4(4)Aでない。 仮定
1 4(5)Bでない。 24前件肯定
134(6)BであってBでない。 35&導入
13 (7)Aでない、でない。 465背理法
13 (8)Aである。 7二重否定
1 (9)
BはAである。 38条件法
(b)
1 (1)
BはAである。 仮定
2 (2) Aでない。 仮定
3(3)Bである 仮定
1 3(4) Aである。 13前件肯定
123(5)AであってAでない。 42&導入
12 (6)Bでない。 35背理法
1 (7)Aで
ないは、Bで
ない。 26条件法
1 (8)A
以外はBで
ない。 26条件法
従って、
(16)により、
(17)
「
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
②
BはAである。
④ A
以外はBで
ない。
に於いて、
②=④ である。
従って、
(15)(17)により、
(18)
① AはBである。
②
BはAである。
③ A
がBである。
④ A
以外はBで
ない。
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(19)
「
逆」には、
(1)真で
ないときと、
(2)真で
あるときがあります。
そこで(1)と(2)をひっくるめて、「逆は必ずしも真ならず」といいます(山下正男、論理的に考えること、1985年、13・14頁)。
(20)
① AはBである。
②
BはAである。
③ A
がBである。
④ A
以外はBで
ない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、
必ず、
②=③=④ である。
従って、
(20)により、
(21)
③ 私
が理事長です。
と言ふのであれば、
④ 私
以外は理事長では
ない。
といふことになって、
④ 私
以外は理事長では
ない。
と言ふのであれば、
②
理事長は私です。
といふことになる。
従って、
(20)(21)により、
(22)
②
BはAである。
③ A
がBである。
④ A
以外はBで
ない。
に於いて、
必ず、
②=③=④ である。が故に、
③ 私
が理事長です。
と言ひ得るのであれば、
そのときに限って、
②
理事長は私です。
といふことになる。
然るに、
(23)
よく知られているように、「私
が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。
(三上章、日本語の論理、1963年、40頁)
従って、
(22)(23)により、
(24)
②
BはAである。
③ A
がBである。
に於いて、
②=③ である。
といふことは、「昔から、よく知られてゐて、三上章先生も、そのことを、知ってゐた」。
然るに、
(25)
(a)
1 (1) ~A→~B 仮定
2 (2) B 仮定
3(3) ~A 仮定
1 3(4) ~B 13前件肯定
123(5) B&~B 24&導入
12 (6)~~A 35背理法
12 (7) A 6二重否定
1 (8) B→ A 27条件法
(b)
1 (1) B→ A 仮定
2 (2) ~A 仮定
3(3) B 仮定
1 3(4) A 13前件肯定
123(5) A&~A 42&導入
12 (6)~B 35背理法
1 (7)~A→~B 26条件法
であることを、知ってゐれば、
(a)
1 (1)A
以外はBで
ない。 仮定
1 (2)Aで
ないはBで
ない 仮定
3 (3)Bである。 仮定
4(4)Aでない。 仮定
1 4(5)Bでない。 24前件肯定
134(6)BであってBでない。 35&導入
13 (7)Aでない、でない。 46背理法
13 (8)Aである。 7二重否定
1 (9)
BはAである。 38条件法
(b)
1 (1)
BはAである。 仮定
2 (2) Aでない。 仮定
3(3)Bである 仮定
1 3(4) Aである。 13前件肯定
123(5)AであってAでない。 42&導入
12 (6)Bでない。 35背理法
1 (7)Aでない
は、Bで
ない。 26条件法
1 (8)A
以外はBで
ない。 26条件法
であることに、
気が付かない方が、ヲカシイ。
従って、
(24)(25)により、
(26)
②
BはAである。
③ A
がBである。
に於ける、
②=③ に加へて、
「
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
②
BはAである。
④ A
以外はBで
ない。
に於いて、
②=④ である。
といふことに、気付くことが、出来れば、そのまま、直ぐに、
②
BはAである。
③ A
がBである。
④ A
以外はBでない。
に於いて、必ず、
②=③=④ である。
といふこと、すなはち、
②
理事長は私です。
③ 私
が理事長である。
④ 私
以外は理事長では
ない。
②=③=④ である。
といふことに、「気付く」ことになる。
然るに、
(27)
よく知られているように、「私
が理事長です」は語順を変え、
理事長
は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念館は、私
が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという
心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(26)(27)により、
(28)
「
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
②
理事長は私です。
④ 私
以外は理事長では
ない。
に於いて、
②=④ である。
といふことに、三上章先生が、気付いてゐた。
といふ「形跡」はない。
(29)
「
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
②
理事長は私です。
④ 私
以外は
理事長ではない。
に於いて、
②=④ である。
といふことを指摘してゐる「研究書(論文)」を、
少なくとも、私
は知らない。