(01)
① 我不〔有(兄弟)〕。
に於いて、
不〔 〕⇒〔 〕不
有( )⇒( )有
といふ「移動」を行ひ、「平仮名」を加へると、
① 我不〔有(兄弟)〕⇒
① 我〔(兄弟)有〕不=
① 我に〔(兄弟)有ら〕不=
① 私には、兄弟がゐない。
従って、
(01)により、
(02)
(ⅰ)
「左」から「右」へ読みつつ、
(ⅱ)
① 不 は、〔 〕の中を「読んだ直後に読む」。
① 有 は、( )の中を「読んだ直後に読む」。
ならば、
① 我に〔(兄弟)有ら〕ず。
といふ、「語順」になる。
然るに、
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 我不〔有(兄弟)〕。
① 我に〔(兄弟)有ら〕ず。
に於ける、
①〔 ( ) 〕
①〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、
①「漢文の補足構造」と、同時に、
①「訓読の補足構造」と、同時に、「訓読の語順」を、表してゐる。
従って、
(04)により、
(05)
① 我不〔有(兄弟)〕⇒
① 我に〔(兄弟)有ら〕ず。
といふ「漢文・訓読」に於いて、「(漢文と訓読の)語順」こそ、「異なる」ものの、「(漢文と訓読の)補足構造」自体は、「同じ」である。
然るに、
(06)
① 我 不 〔 有 ( 兄弟 )〕。
① I don't〔have(brothers)〕.
のやうに、「語順」が「同じ」であるならば、「補足構造(シンタックス)」は「同じ」である。
然るに、
(07)
② I have(no〔brothers)〕.
に於いて、
have( )⇒( )have
no〔 〕⇒〔 〕no
といふ「移動」を行ひ、「英単語」を、「翻訳」すると、
② I have(no〔brothers)〕⇒
② I (〔brothers)have〕no=
② 私には(〔兄弟が)ゐ〕ない。
然るに、
(08)
① I don't〔have(brothers)〕.
② I have(no〔brothers)〕.
に於ける、
①〔 ( ) 〕
②( 〔 ) 〕
に於いて、
① は、「括弧」であるが、
② は、「括弧」ではない。
加へて、
(09)
① I don't三have二brothers一.
② I have二no三brothers一.
に於ける、
① 三 二 一
② 二 三 一
に於いて、
① は、「返り点」であるが、
② は、「返り点」ではない。
(10)
「返り点」は、「縦書き」であれば、「下から上へ、返る点」であるため、
「横書き」であれば、「左(二)から、右(三)へ戻る点」は、「返り点」ではない。
従って、
(03)~(10)により、
(11)
「番号」を付け直すと、
① 我 不 〔 有 ( 兄弟 )〕。
② I don't〔have(brothers)〕.
③ 我に〔(兄弟)有ら〕ず。
④ I have(no〔brothers)〕.
に於いて、「補足構造」に関しては、
①〔 ( ) 〕
②〔 ( ) 〕
③〔 ( ) 〕
であるため、
①=②=③ であって、
唯一、
④( 〔 ) 〕
だけが、「他の3つ」と、「同じ」ではない。
従って、
(11)により、
(12)
「語順が異なること」は、「補足構造(シンタックス)が異なる」ための、「必要条件」であるが、
「語順が異なること」は、「補足構造(シンタックス)が異なる」ための、「十分条件」ではない。
然るに、
(13)
「語順が異なること」よりも、
「構造が異なること」の方が、「重大」なはずである。
従って、
(14)
「語順が異なる」ことは、敢へて、言ふと、
「構造が異なる」ことに比べれば、「どうでも良い」。
然るに、
(15)
そして重野の講演を後れること七年、文化大学の講師を務めていたイギリス人チャンバレン氏も一八八六年『東洋学芸雑誌』第六一号に「支那語読法ノ改良ヲ望ム」を発表し、「疑ハシキハ日本人ノ此支那語ヲ通読スル伝法ナリ、前ヲ後ニ変へ、下ヲ上ニ遡ラシ、本文ニ見へザル語尾ヲ附シ虚辞ヲ黙シ、若クハ再用スル等ハ、漢文ヲ通読スルコトニアランヤ。寧ロ漢文ヲ破砕シテ、其片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレンヤ。」「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、50頁)。
従って、
(14)(15)により、
(16)
「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」
といふ風に「主張」してゐる、イギリス人チャンバレン氏は、私に言はせれば、「どうでも良い」ことに、「拘泥」してゐる。
然るに、
(17)
数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
従って、
(16)(17)により、
(18)
「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと、
嘆く筆者(西洋文化研究者)は、私に言はせれば、「どうでも良い」ことに、「拘泥」してゐる。
(19)
⑤ 是以大學始教、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。
といふ「純粋漢文(大學、伝五章)」を、「機械翻訳」に掛けると、
⑤ 大学によって初めて教えて、必ず学者のすなわちすべての天下の物、モーがそれのためもう知らない道理を使って、益貧乏なこれ、乎のそれに至るためにきわめて。
となってしまひ、「わけが分からない」。
従って、
(19)により、
(20)
このことは、例へば、
⑤ 是以大學始教、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。
といふ「純粋漢文」を、
⑤ Shì yǐ dàxué shǐ jiào, bì shǐ xuézhě jí fán tiānxià zhī wù, mòbù yīn qí yǐ zhīzhī lǐ, ér yì qióng zhī, yǐ qiú zhì hū qí jí.
といふ風に、「北京語」で「音読」出来たとしても、「意味自体」は、「チンプンカンプン」である。
といふことを、示してゐる。
従って、
(21)
⑤ 是以大學始教、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。
といふ「漢文」を、「補足構造」に従って、
⑤ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
⑤ 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
⑤ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む=
⑤ そのため、大學の敎へを始める際には、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即いて、{[(その學者がすでに知っているの理に)依って、益々(これを)極め、以て〔(その極点に)至ることを〕求め]ないことが}無いやうに〉させる。
といふ風に「訓読」する「読み方」が、
⑤ 是以大學始教、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。
といふ「漢文」を、
⑤ Shì yǐ dàxué shǐ jiào, bì shǐ xuézhě jí fán tiānxià zhī wù, mòbù yīn qí yǐ zhīzhī lǐ, ér yì qióng zhī, yǐ qiú zhì hū qí jí.
といふ風に「音読」する「読み方」よりも、「劣ってゐる」はずが無い。
(01)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
① 非〈 〉⇒〈 〉非
① 不{ }⇒{ }不
① 求[ ]⇒[ ]求
① 以〔 〕⇒〔 〕以
① 解( )⇒( )解
① 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ひ、「平仮名」を加へると、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
① 我〈必{[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也=
① 私は〈必ずしも{[〔(中国語を)理解する方法を〕用ひて(漢文を)理解することを]求め}ない者では〉ないのである。
といふ「日本語の語順」になる。
従って、
(01)により、
(02)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
① 非 は、〈 〉の中を「読んだ直後に読む」。
① 不 は、{ }の中を「読んだ直後に読む」。
① 求 は、[ ]の中を「読んだ直後に読む」。
① 以 は、〔 〕の中を「読んだ直後に読む」。
① 解 は、( )の中を「読んだ直後に読む」。
① 解 は、( )の中を「読んだ直後に読む」。
ことによって、
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ、「漢文訓読の語順」を、得ることが出来る。
然るに、
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
「漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。」
といふ「事情」が有るからこそ、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
① 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ( )]} 〉
といふ『括弧』は、
(ⅰ)「漢文の補足構造」と、
(ⅱ)「漢文訓読の語順」とを、「同時」に、表してゐる。
然るに、
(03)により、
(05)
③ 読( 書)⇒( 書を)読む。
④ 読(漢文)⇒(漢文を)読む。
に於いて、
③ の「補足構造」と、
④ の「補足構造」とは、「等しい」。
然るに、
(06)
③ 読( 書)⇒( 書を)読む。
④ 読(漢文)⇒(漢文を)読む。
に於ける『返り点』は、それぞれ、
③ レ
④ 二 一
である。
加へて、
(07)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
② 我非〈 不{求[以〔解( 文)法〕解( 文)]}者〉也。
であるならば、『返り点』は、それぞれ、
① 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
② 乙 レ 下 二 レ 一 上レ 甲
である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
例へば、
① 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
② 乙 レ 下 二 レ 一 上レ 甲
③ レ
④ 二 一
がそうであるやうに、
「二つの漢文」の「補足構造」が「同じ」であったとしても、
『返り点』の場合は、「(レ点が有ることによって、)同じ」にはならない。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
(ⅰ)「漢文の補足構造」と、
(ⅱ)「漢文訓読の語順」とを、「同時」に表してゐる。
といふことは、『返り点』に関しては、成り立たない。
然るに、
(10)
いづれにせよ、例へば、
⑤ 有下過レ於二江上一者上。見下人方引二嬰兒一而欲レ投二之江中一嬰兒啼上。
といふ「(返り点が付いてゐる)漢文」を、
⑤ 江上を過ぎる者有り。人の方に嬰兒を引きて之を江中に投ぜんと欲し嬰兒の啼くを見る。
といふ風に、「訓読」するのであれば、その場合は、
⑤ 有過於江上者。見人方引嬰兒而欲投之江中嬰兒啼。
といふ「漢文」の、
⑤ 有[過〔於(江上)〕者]。見[人方引(嬰兒)而欲〔投(之江中)〕嬰兒啼]。
といふ「補足構造」に従って、「読んでゐる」。
従って、
(10)により、
(11)
「漢文」と「訓読」とでは、「語順」こそ、「同じ」ではないが、
「漢文」を「訓読」したとしても、「補足構造」自体は、「変はらない」。
然るに、
(12)
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読といふ法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
「漢文(文言文)」とは異なり、「白話文(北京語)」は、「補足構造を、保存した」まま、「日本語」にすることが、出来ない。
従って、
(01)(10)(11)(13)により、
(14)
例へば、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
⑤ 有[過〔於(江上)〕者]。見[人方引(嬰兒)而欲〔投(之江中)〕嬰兒啼]。
⑤ [〔(江上)を〕過ぐる者]有り。[人の方に(嬰兒を)引きて〔(之を江中に)投ぜんと〕欲し嬰兒の啼くを]見る。
といふ、「漢文(文言文)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」であるが、
「白話文(北京語)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」ではない。
然るに、
(14)により、
(15)
「漢文(文言文)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」であるが、
「白話文(北京語)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」ではない。
といふことは、
「漢文(文言文)の補足構造」と、
「白話文(北京語)の補足構造」は、「共通」ではない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(16) 大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる。
(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、
「漢文(文言文)の補足構造」が、「共通」である所の 「訓読」 による「漢文の解釈」を止めてしまひ、
「漢文(文言文)の補足構造」が、「共通」ではない所の「中国語」による「漢文の解釈」を始めた。といふことになる。
(18)
従って、
(18)により、
(19)
「HTML」を用ひれば、「ハイフン(接続線)」の付いた『返り点』も、「書くこと」は、出来る。
しかしながら、
(20)
① 4 2 1 3
② 1 2 5 4 3
③ 1 2 5 3 4
④ 5‐6 2 1 3 4
⑤ 6 1 2 3 5 4
⑥ 6 4 3 1 2 5
⑦ 10 9 1 8 2 3 6 4 5 7
⑧ 6 4 1 3 2 5 7
⑨ 8 1 6 4 2 3 5 7
⑩ 1 5‐6‐7‐8 2 4 3
であるならば、
① 4〔2(1)3〕
② 1 2 5〔4(3)〕
③ 1 2 5(3 4)
④ 5‐6〔2(1)3 4〕
⑤ 6〔1 2 3 5(4)〕
⑥ 6[4〔3(1 2)〕5]
⑦ 10{9[1 8〔2 3 6(4 5)7〕]}
⑧ 6[4〔1 3(2)〕5]7
⑨ 8[1 6〔4(2 3)5〕7]
⑩ 1 5‐6‐7‐8〔2 4(3)〕
といふことになり、尚且つ、『括弧』であれば、「HTML」を用ひなくとも、「メモ帳」だけで、「書くこと」が、出来る。
従って、
(20)により、
(21)
「HTML」等を用ひなくとも、書くことが出来る。
といふ「一点」だけを以てしても、『括弧』の方が、『返り点』よりも、「優れてゐる」。
(01)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
① 非〈 〉⇒〈 〉非
① 不{ }⇒{ }不
① 求[ ]⇒[ ]求
① 以〔 〕⇒〔 〕以
① 解( )⇒( )解
① 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ひ、「平仮名」を加へると、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
① 我〈必{[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也=
① 私は〈必ずしも{[〔(中国語を)理解する方法を〕用ひて(漢文を)理解することを]求め}ない者では〉ないのである。
といふ「日本語の語順」になる。
従って、
(01)により、
(02)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
① 非 は、〈 〉の中を「読んだ直後に読む」。
① 不 は、{ }の中を「読んだ直後に読む」。
① 求 は、[ ]の中を「読んだ直後に読む」。
① 以 は、〔 〕の中を「読んだ直後に読む」。
① 解 は、( )の中を「読んだ直後に読む」。
① 解 は、( )の中を「読んだ直後に読む」。
ことによって、
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ、「漢文訓読の語順」を、得ることが出来る。
然るに、
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
「漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。」
といふ「事情」が有るからこそ、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
① 〈 { [ 〔 ( ) 〕 ( )]} 〉
といふ『括弧』は、
(ⅰ)「漢文の補足構造」と、
(ⅱ)「漢文訓読の語順」とを、「同時」に、表してゐる。
然るに、
(03)により、
(05)
③ 読( 書)⇒( 書を)読む。
④ 読(漢文)⇒(漢文を)読む。
に於いて、
③ の「補足構造」と、
④ の「補足構造」とは、「等しい」。
然るに、
(06)
③ 読( 書)⇒( 書を)読む。
④ 読(漢文)⇒(漢文を)読む。
に於ける『返り点』は、それぞれ、
③ レ
④ 二 一
である。
加へて、
(07)
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
② 我非〈 不{求[以〔解( 文)法〕解( 文)]}者〉也。
であるならば、『返り点』は、それぞれ、
① 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
② 乙 レ 下 二 レ 一 上レ 甲
である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
例へば、
① 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
② 乙 レ 下 二 レ 一 上レ 甲
③ レ
④ 二 一
がそうであるやうに、
「二つの漢文」の「補足構造」が「同じ」であったとしても、
『返り点』の場合は、「(レ点が有ることによって、)同じ」にはならない。
従って、
(04)~(08)により、
(09)
(ⅰ)「漢文の補足構造」と、
(ⅱ)「漢文訓読の語順」とを、「同時」に表してゐる。
といふことは、『返り点』に関しては、成り立たない。
然るに、
(10)
いづれにせよ、例へば、
⑤ 有下過レ於二江上一者上。見下人方引二嬰兒一而欲レ投二之江中一嬰兒啼上。
といふ「(返り点が付いてゐる)漢文」を、
⑤ 江上を過ぎる者有り。人の方に嬰兒を引きて之を江中に投ぜんと欲し嬰兒の啼くを見る。
といふ風に、「訓読」するのであれば、その場合は、
⑤ 有過於江上者。見人方引嬰兒而欲投之江中嬰兒啼。
といふ「漢文」の、
⑤ 有[過〔於(江上)〕者]。見[人方引(嬰兒)而欲〔投(之江中)〕嬰兒啼]。
といふ「補足構造」に従って、「読んでゐる」。
従って、
(10)により、
(11)
「漢文」と「訓読」とでは、「語順」こそ、「同じ」ではないが、
「漢文」を「訓読」したとしても、「補足構造」自体は、「変はらない」。
然るに、
(12)
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読といふ法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
「漢文(文言文)」とは異なり、「白話文(北京語)」は、「補足構造を、保存した」まま、「日本語」にすることが、出来ない。
従って、
(01)(10)(11)(13)により、
(14)
例へば、
① 我非〈必不{求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]}者〉也。
① 我は〈必ずしも{[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
⑤ 有[過〔於(江上)〕者]。見[人方引(嬰兒)而欲〔投(之江中)〕嬰兒啼]。
⑤ [〔(江上)を〕過ぐる者]有り。[人の方に(嬰兒を)引きて〔(之を江中に)投ぜんと〕欲し嬰兒の啼くを]見る。
といふ、「漢文(文言文)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」であるが、
「白話文(北京語)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」ではない。
然るに、
(14)により、
(15)
「漢文(文言文)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」であるが、
「白話文(北京語)の補足構造」と、「訓読(日本語)の補足構造」は、「共通」ではない。
といふことは、
「漢文(文言文)の補足構造」と、
「白話文(北京語)の補足構造」は、「共通」ではない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(16)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる。
(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、
「漢文(文言文)の補足構造」が、「共通」である所の 「訓読」 による「漢文の解釈」を止めてしまひ、
「漢文(文言文)の補足構造」が、「共通」ではない所の「中国語」による「漢文の解釈」を始めた。といふことになる。
(18)
従って、
(18)により、
(19)
「HTML」を用ひれば、「ハイフン(接続線)」の付いた『返り点』も、「書くこと」は、出来る。
しかしながら、
(20)
① 4 2 1 3
② 1 2 5 4 3
③ 1 2 5 3 4
④ 5‐6 2 1 3 4
⑤ 6 1 2 3 5 4
⑥ 6 4 3 1 2 5
⑦ 10 9 1 8 2 3 6 4 5 7
⑧ 6 4 1 3 2 5 7
⑨ 8 1 6 4 2 3 5 7
⑩ 1 5‐6‐7‐8 2 4 3
であるならば、
① 4〔2(1)3〕
② 1 2 5〔4(3)〕
③ 1 2 5(3 4)
④ 5‐6〔2(1)3 4〕
⑤ 6〔1 2 3 5(4)〕
⑥ 6[4〔3(1 2)〕5]
⑦ 10{9[1 8〔2 3 6(4 5)7〕]}
⑧ 6[4〔1 3(2)〕5]7
⑨ 8[1 6〔4(2 3)5〕7]
⑩ 1 5‐6‐7‐8〔2 4(3)〕
といふことになり、尚且つ、『括弧』であれば、「HTML」を用ひなくとも、「メモ帳」だけで、「書くこと」が、出来る。
従って、
(20)により、
(21)
「HTML」等を用ひなくとも、書くことが出来る。
といふ「一点」だけを以てしても、『括弧』の方が、『返り点』よりも、「優れてゐる」。
(01)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(02)
括弧は、漢字のスコープ(管到)を明示する働きを持つ。管到(スコープ)は、「漢字の意味」が及ぶ範囲のことをいう。
といふ「言ひ方」も、可能である。
従って、
(02)により、
(03)
① 読(漢文)。
に於いて、
① 読 の意味は、(漢文)に及んでゐる。
(03)により、
(04)
② 読(漢文)学(漢字)。
に於いて、
② 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
② 学 の意味は、(漢字)に及んでゐる。
従って、
(04)により、
(05)
③ 欲〔読(漢文)学(漢字)〕。
に於いて、
に於いて、
③ 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
③ 学 の意味は、(漢字)に及んでゐて、
③ 欲 の意味は、〔読(漢文)学(漢字)〕に及んでゐる。
従って、
(05)により、
(06)
④ 不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]。
に於いて、
④ 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
④ 学 の意味は、(漢字)に及んでゐて、
④ 欲 の意味は、〔読(漢文)学(漢字)〕に及んでゐて、
④ 不 の意味は、[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]に及んでゐる。
従って、
(06)により、
(07)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に於いて、
⑤ 読 の意味は、(漢文)に及んでゐて、
⑤ 学 の意味は、(漢字)に及んでゐて、
⑤ 欲 の意味は、〔読(漢文)学(漢字)〕に及んでゐて、
⑤ 不 の意味は、[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]に及んでゐて、
⑤ 非 の意味は、{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}に及んでゐる。
然るに、
(08)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
不[ ]⇒[ ]不
欲〔 〕⇒〔 〕欲
読( )⇒( )読
学( )⇒( )学
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}⇒
⑤ {[〔(漢文)読(漢字)学〕欲]不}非=
⑤ {[〔(漢文を)読み(漢字を)学ばんと〕欲せ]不る}非ず。
といふ「訓読の語順」になる。
然るに、
(09)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に於ける、
⑤{ [ 〔 ( )( ) 〕 ] }
といふ「括弧」は、
⑤ 非不欲読漢文学漢字。
といふ「漢文の補足構造」と、表すと「同時」に、
⑤ 漢文を読み漢字を学ばんと欲せ不る非ず。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(11)
⑤ 非{不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]}。
に対する、
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於いて、
⑥ 我 は「主語」であり、
⑥ 必 は「連用修飾語」であり、
⑥ 者 は「被連体修飾語」であるため、
⑥ これらの3つは、「補足構造」とは、「関係」が無い。
従って、
(10)(11)により、
(12)
⑤ 非{ 不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕] }。
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於いて、
⑤ の「補足構造」と、
⑥ の「補足構造」は、「等しい」。
然るに、
(13)
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
不[ ]⇒[ ]不
欲〔 〕⇒〔 〕欲
読( )⇒( )読
学( )⇒( )学
といふ「移動」を行ふと、
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}⇒
⑥ 我は{必ずしも[〔(漢文)読(漢字)学〕欲]不者}非=
⑥ 我は{必ずしも[〔(漢文を)読み(漢字を)学ばんと〕欲せ]不る者も}非ず。
といふ「訓読の語順」になる。
従って、
(09)(13)により、
(14)
⑥ 我非{必不[欲〔読(漢文)学(漢字)〕]者}。
に於ける、
⑥{ [ 〔 ( )( ) 〕 ] }
といふ「括弧」は、
⑥ 我非必不欲読漢文学漢字者。
といふ「漢文の補足構造」を表すと「同時」に、
⑥ 我は必ずしも漢文を読み漢字を学ばんと欲せ不る者も非ず。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(15)
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於いて、
非〈 〉⇒〈 〉非
不{ }⇒{ }不
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也⇒
⑦ 我〈必{[〔(英文)解法〕以(漢文)解]求}不者〉非也=
⑦ 我は〈必ずしも{[〔(英文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求め}不る者に〉非ざる也。
といふ「訓読の語順」になる。
従って、
(03)(09)(15)により、
(16)
① 読(漢文)。
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也。
に於ける、
①( )
⑦〈 { [ 〔 ( )( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、両方とも、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文の補足構造」を表すと「同時」に、
① 漢文を読む。
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ「訓読の語順」を表してゐる。
然るに、
(17)
① 読二漢文一。
⑦ 我非地必不レ求丙以下解二英文一法上解乙漢文甲者天也。
然るに、
(18)
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
① 漢文を読む。
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ風に、「訓読」出来ないのに、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」に対して、
① 二 一
⑦ 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」を付けることが出来る。
といふことは、有り得ない。
従って、
(02)(16)(17)(18)により、
(19)
ある人物が、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、
① 漢文を読む。
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ風に、「訓読」出来ないにも拘らず、
① 読漢文。
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」に対して、
① 二 一
⑦ 地 レ 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」を付けることが出来るのであれば、その人には、
① 読(漢文)。
⑦ 我非〈必不{求[以〔解(英文)法〕解(漢文)]}者〉也。
といふ「管到(スコープ)」が、「見えてゐる」といふ、ことになる。
然るに、
(20)
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を「(日本漢字音で)音読」するだけであるならば、「小学生の頃の私」でも、「可能」である。
然るに、
(21)
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
といふ「漢文」を、「一読」して、
⑦ 我は必ずしも英文を解する法を以て漢文を解せんことを求め不る者に非ざる也。
といふ風に、「訓読」することは、「大学受験生の頃の私」には、「不可能」である。
従って、
(20)(21)により、
(22)
少なくとも、日本人にとって、「漢文が読める(理解できる)」といふことは、「訓読が出来る」ことに、等しい。
然るに、
(23)
博士課程後期に六年間在学して訓読が達者になった中国の某君があるとき言った。「自分たちは古典を中国音で音読することができる。しかし、往々にして自ら欺くことがあり、助詞などいいかげんに飛ばして読むことがある。しかし日本式の訓読では、「欲」「将」「当」「謂」などの字が、どこまで管到して(かかって)いるか、どの字から上に返って読むか、一字もいいかげんにできず正確に読まなければならない」と、訓読が一字もいやしくしないことに感心していた。これによれば倉石武四郎氏が、訓読は助詞の類を正確に読まないと非難していたが、それは誤りで、訓読こそ中国音で音読するよりも正確な読み方なのである(原田種成、私の漢文 講義、1995年、27頁)。
従って、
(02)(22)(23)により、
(24)
日本語が出来る、中国人にとっても、「漢文が読める(理解できる)」といふことは、「訓読が出来る」ことに、等しい。
然るに、
(25)
漢字は、実は、本場の中国においても、その読み方は地域の自由にまかせているのである。― 中略 ―その多様さはインド・ヨーロッパ語族の多様さに優に匹敵する。それゆえに、もし中国においてことばの表記を表音文字にきりかえたならば、同時に十三以上の外国語ができてしまうということになる(鈴木修次、漢語と日本人、1978年、134・5頁)。
従って、
(26)
⑦「日本漢字音」で、
⑦ ガヒフツキウイカイエイブンホウカイカンブンシャヤ。
と「音読」しようと、
⑦「北京語」で、
⑦ Wǒ fēi bì bù qiú yǐ jiě yīngwén fǎ jiě hànwén zhě yě.
と「音読」しようと、
⑦ 我非必不求以解英文法解漢文者也。
であることには、「変り」が無いし、「漢字」とは、固より、「そういふもの」である。
然るに、その一方で、
(27)
「大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)。との、ことである。
然るに、その一方で、
(28)
専門家と称する人たちの大部分、九九.九パーセントは、(外国語として扱えという人ももちろん含めて)実は「訓読」すなわち日本語流に理解しているのである。これは厳たる事実である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、62頁)。との、ことである。
(01)
Pater =父は(主格)
dat =与へる(三単現)
filio =息子に(与格)
librum=本を(対格)
である。
従って、
(01)により、
(02)
① Pater dat(filo librum).
に於いて、
dat( )⇒( )dat
といふ「移動」を行ふと、
① Pater dat(filo librum)⇒
① Pater(filo librum)dat =
① 父は (息子に本を)与へる。
といふ「語順」になる。
然るに、
(03)
① Pater dat(filo librum).
から、
① Pater
を除いても、
① dat(filo librum).
は、「ラテン語」として「正しい」ものの、
① Pater dat(filo librum).
から、
① dat
を除いた、
① Pater (filo librum).
は、「ラテン語」として「正しく」ない。
然るに、
(04)
同様なことは、
① 父与(息子本)。
といふ「漢文」に於いても、さうである。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
① Pater dat(filo librum).
① 父与(息子本)。
の場合は、両方とも、
① Pater
① 父
といふ「語」ではなく、
① dat
① 与
といふ「語」が、
①(filo librum).
①(息子本)。
といふ「2つの語」に係ってゐる。
然るに、
(06)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんのことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(06)により、
(07)
管到というのは「(横書きであれば)左の語が、右のことばのどこまでかかるか」ということである。
従って、
(05)(07)により、
(08)
① Pater dat(filo librum).
① 父与(息子本)。
の場合は、両方とも、
① dat
① 与
といふ「語」が、
①(filo librum).
①(息子本)。
といふ「2つの語」に「管到」してゐる。
従って、
(09)
① dat(filo librum).
① 与(息子本)。
に於ける、
①( )
①( )
といふ「括弧」は、「管到」を表してゐる。
然るに、
(10)
「漢文」とは異なり、「ラテン語」の場合は、例へば、
② Filio dat librum pater.
であっても、「その語順」ではなく、「その語形」から、
② 父は息子に本を与へる。
といふ「意味」である。。
然るに、
(11)
② Filio(dat[librum〔pater)〕].
に於いて、
Filio( )⇒( )Filio
dat[ ]⇒[ ]dat
librum〔 〕⇒〔 〕librum
といふ「移動」を行ふと、
② Filio(dat[librum〔pater)〕]⇒
② ([〔pater)Filio〕librum]dat=
② ([〔父は)息子に〕本を]与へる。
といふ「語順」になる。
従って、
(11)により、
(12)
② 息子(与[本〔父)〕].
に於いて、
息子( )⇒( )息子
与[ ]⇒[ ]与
本〔 〕⇒〔 〕本
といふ「移動」を行ふと、
② 息子(与[本〔父)〕]⇒
② ([〔父)息子〕本]与=
② ([〔父は)息子に〕本を]与へる。
といふ「語順」になる。
然るに、
(13)
①( )
①( )
は「括弧」であるが、
②([〔 )〕]
は「括弧」ではない。
加へて、
(14)
② 息子与本於父。
といふ「語順」が有って、この場合は。
② 息子与〔本於(父)〕⇒
② 息子は〔本を(父)に〕与へる。
といふ「意味」である。
従って、
(01)~(14)により、
(15)
① Pater dat filo librum.
といふ「ラテン語」の「管到」は、「括弧」で表すことが出来ても、
② Filio dat librum pater.
といふ「ラテン語」の「管到」は、「括弧」で表すことが出来ない。
然るに、
(16)
「漢文」の場合は、「ラテン語」とは異なり、
① 父は(息子に本を)与へる。
といふ「意味」を表す「語順」は、
① 父与(息子本)。
といふ「語順」しか無い。
従って、
(15)(16)により、
(17)
「漢文の語順」と「日本語の語順」の「関係」は、
「ラテン語の語順」と「日本語の語順」の「関係」と、「同じ」ではない。
(01)
cf.
① 無非欲不揮快刀不断乱麻者。
は、もちろん、私による「作例」です。
(02)
cf.
⑨ 快刀を揮ふ。
⑧ 快刀を揮はんと欲す。
⑦ 快刀を揮って乱麻を断たんと欲す。
⑥ 快刀を揮って乱麻を断たんと欲せず。
⑤ 快刀を揮って乱麻を断たんと欲する者に非ず。
④ 快刀を揮はずして乱麻を断たんと欲する者に非ず。
③ 快刀を揮って乱麻を断たざらんと欲する者に非ず。
② 快刀を揮はずして乱麻を断たざらんと欲する者に非ず。
① 快刀を揮はずして乱麻を断たざらんと欲する者に非ざるは無し。
然るに、
(03)
① 無〈非{欲[不〔揮(快刀)〕不〔断(乱麻)〕]者}〉。
に於いて、
無〈 〉⇒〈 〉無
非{ }⇒{ }非
欲[ ]⇒[ ]欲
不〔 〕⇒〔 〕不
揮( )⇒( )揮
不〔 〕⇒〔 〕不
断( )⇒( )断
といふ「移動」を行ふと、
① 無〈非{欲[不〔揮(快刀)〕不〔断(乱麻)〕]者}〉⇒
① 〈{[〔(快刀)揮〕不〔断(乱麻)〕不]欲者}非〉無=
① 〈{[〔(快刀を)揮は〕ずして〔(乱麻を)断た〕ざらんと]欲する者に}非ざるは〉無し。
といふ「訓読」を行ふことが、出来る。
然るに、
(04)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(01)~(04)により、
(05)
⑨ 揮(快刀)。
⑧ 欲〔揮(快刀)〕。
⑦ 欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
⑥ 不[欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕]。
⑤ 非[欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕者]。
④ 非{欲[不〔揮(快刀)〕断(乱麻)]者}。
③ 非{欲[揮(快刀)不〔断(乱麻)〕]者}。
② 非{欲[不〔揮(快刀)〕不〔断(乱麻)〕]者}。
① 無〈非{欲[不〔揮(快刀)〕不〔断(乱麻)〕]者}〉。
に於ける、
⑨ ( )
⑧ 〔 ( ) 〕
⑦ 〔 ( )( ) 〕
⑥ [ 〔 ( )( ) 〕 ]
⑤ [ 〔 ( )( ) 〕 ]
④ { [ 〔 ( )〕( ) ] }
③ { [ ( )〔 ( )〕 ] }
② { [ 〔 ( )〕〔 ( ) 〕 ] }
①〈 { [ 〔 ( )〕〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、それぞれが、
⑨ 揮快刀。
⑧ 欲揮快刀。
⑦ 欲揮快刀断乱麻。
⑥ 不欲揮快刀断乱麻。
⑤ 非欲揮快刀断乱麻者。
④ 非欲不揮快刀断乱麻者。
③ 非欲揮快刀不断乱麻者。
② 非欲不揮快刀不断乱麻者。
① 無非欲不揮快刀不断乱麻者。
といふ「漢文」の、「補足構造」を表してゐる。
従って、
(05)により、
(06)
「漢文(⑨~①)」に、「括弧」が無いのであれば、
「漢文(⑨~①)」には「補足構造」が無い。
然るに、
(07)
「漢文(⑨~①)」には「補足構造」が有る。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「漢文(⑨~①)」には、
⑨ 揮(快刀)。
⑧ 欲〔揮(快刀)〕。
⑦ 欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
⑥ 不[欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕]。
⑤ 非[欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕者]。
④ 非{欲[不〔揮(快刀)〕断(乱麻)]者}。
③ 非{欲[揮(快刀)不〔断(乱麻)〕]者}。
② 非{欲[不〔揮(快刀)〕不〔断(乱麻)〕]者}。
① 無〈非{欲[不〔揮(快刀)〕不〔断(乱麻)〕]者}〉。
といふ「括弧」が、無ければ、ならない。
然るに、
(09)
Q. ラテン語の語順の自由さについて
Q. 突然のメールで恐縮ですが、私がラテン語学習で感じた感想を述べさせてください。ラテン語学習で私が特に(接続法の次に)面食らったのが、語順の自由さです。
古代ローマの人たちは、この語順をはたしてどのように受け止めていたのでしょうか。
例えば、こういう一節があります。
Parva necat morsū spatiōsum vīpera taurum.
順通りの訳は「小さいのが、殺す、一咬みで、大きいのを、蛇が、牛を。」となります。
私はロシア語を長年学習していたこともあり、格変化などについてはほぼ理解できていますが、それにしてもこの語順は、人間の自然な言語としてはおよそ信じられないほどに出鱈目です。
(山下太郎のラテン語入門)
従って、
(09)により、
(10)
⑩ Parva necat morsū spatiōsum vīpera taurum.
といふ「ラテン語」が、
⑩ 小さい蛇が、一咬みで、大きい牛を殺す。
とといふ「意味」であったとしても、「その語順」ではなく、「その語形」が、
⑩ 小さい蛇(主語)が、一咬みで(副詞句)、大きい牛(目的語)を殺す(動詞)。
といふ「意味」を表してゐる。
然るに、
(11)
「漢文」であれば、
⑩ 小蛇以(一咬)殺(大牛)。
といふ「語順」を「変へ」て、
⑩ 小 殺 一咬 大 蛇 牛。
とするならば、
⑩ 小さい蛇(主語)が、一咬みで(副詞句)、大きい牛(目的語)を殺す(動詞)。
といふ「意味」には、決して、ならない。
従って、
(04)(11)により、
(12)
⑩ Parva necat morsū spatiōsum vīpera taurum.
といふ「ラテン語」には、「括弧」が無い「代はり」に、「語形の別」が有って、
⑩ 小蛇以(一咬)殺(大牛)。
といふ「漢文」には、「括弧」が有る「代はり」に、「語形の別」が無い。
といふ、ことになる。
然るに、
(13)
漢語におけるこのような表現のしかたは、単語の間の関係を文法的な形式によって示すことを重んじている西欧の言語になれている人にとっては、まことに奇妙なことに思われるものと考えられる。カールグレン氏は、その著書《中国の言語》において、このような奇妙な孤立的な漢語の文法は、「非常に貧弱なものであり」、「漢語においては、文法的な分析は、あまり役に立たず、実際に役立つのは、広い読書を通じて習得した経験、つまり、中国人がどのようにして文をつくりあげているかということに対する感覚が、唯一のものである」と説き、更に、漢語の文の意味を理解するためには、「豊富な直観が、必要である」とも述べている(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、293頁)。
(14)
① 無非欲不揮快刀不断乱麻者。
のやうな「漢文」には、「ラテン語の文法」のやうな「文法」は無いので、「語順」だけが、「漢文の文法」である。
といふ風に、言へないこともない。
(15)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんのことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
然るに、
(16)
⑦ 欲〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
であれば、
⑦ 欲 は、
⑦ 〔揮(快刀)断(乱麻)〕までに係ってゐて、
⑦ 揮 は、
⑦ (快刀)までに係ってゐて、
⑦ 断 は、
⑦ (乱麻)までに係ってゐる。
従って、
(17)
「漢文に、括弧は有ります!」といふ「言ひ方」は、
「漢文に、管到は有ります!」といふ「言ひ方」と、「同じ」である。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
「漢文に、括弧は有ります!」。
(01)
① 3{2(1)}。
に於いて、
3{ }⇒{ }3
2( )⇒( )2
といふ「移動」を行ふと、
① 3{2(1)}⇒
① 〔(1)2〕3=
① 1<2<3。
といふ「並び替へ(ソート)」を行ふことになる。
(02)
② 2(3{1)}。
に於いて、
2( )⇒( )2
3{ }⇒{ }3
といふ「移動」を行ふと、
② 2(3{1)}⇒
②({1) 2}3=
② 1<2<3。
といふ「並び替へ(ソート)」を行ふことになる。
然るに、
(01)(02)により、
(03)
①{( )}
②({ )}
に於いて、
① は「括弧」であるが、
② は「括弧」ではない。
(04)
③ 7[3〔2(1)〕5(4)6]。
に於いて、
7[ ]⇒[ ]7
3〔 〕⇒〔 〕3
2( )⇒( )2
5( )⇒( )5
といふ「移動」を行ふと、
③ 7[3〔2(1)〕5(4)6]⇒
③ [〔(1)2〕3(4)56]7=
③ 1<2<3<4<5<6<7。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
(05)
④ 3〔7{2(5[1)〕4]6}。
に於いて、
3〔 〕⇒〔 〕3
7{ }⇒{ }7
2( )⇒( )2
5[ ]⇒[ ]5
といふ「移動」を行ふと、
④ 3〔7{2(5[1)〕4]6}⇒
④ 〔{([1)2〕34]56}7=
④ 1<2<3<4<5<6<7。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(06)
③[〔( )〕( )]
④ 〔{([ )〕]}
に於いて、
③ は「括弧」であるが、
④ は「括弧」ではない。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
「括弧」は、
② n+1<n+m>n(nは、0より大きい整数で、mは1より大っきい整数である。)
といふ場合には、その「順番」を、
といふ「順番」を、含んでゐないのであれば、そのときに限って、「その順番」を、
② 1<2<3<4<5<6<7<8<9・・・・・・
といふ「順番」に、「並び替へ」ることが、出来る。
然るに、
(08)
(a)1 2 3 4
(b)1 2 4 3
(c)1 3 2 4
(d)1 3 ④ 2
(e)1 4 2 3
(f)1 4 3 2
(g)2 1 3 4
(h)2 1 4 3
(i)2 ③ 1 4
(j)2 ③ ④ 1
(k)2 ④ 1 3
(l)2 ④ ③ 1
(m)3 1 2 4
(n)3 1 ④ 2
(o)3 2 1 4
(p)3 2 ④ 1
(q)3 ④ 1 2
(r)3 ④ 2 1
(s)4 1 2 3
(t)4 1 3 2
(u)4 2 1 3
(v)4 2 ③ 1
(w)4 3 1 2
(x)4 3 2 1
従って、
(07)(08)により、
(09)
「24通り」の内の、
(d)1 3 ④ 2
(i)2 ③ 1 4
(j)2 ③ ④ 1
(k)2 ④ 1 3
(l)2 ④ ③ 1
(n)3 1 ④ 2
(p)3 2 ④ 1
(q)3 ④ 1 2
(r)3 ④ 2 1
(v)4 2 ③ 1
といふ「10通り」に対しては、「括弧」を加へることは、出来ない。
然るに、
(10)
「1234」のやうな「1バイト文字」に対して、
「1234」のやうな「2バイト文字」は、
「1234」であれば「8文字」であるとする。
従って、
(10)により、
(11)
(d)1 3 ④ 2
(i)2 ③ 1 4
(j)2 ③ ④ 1
(k)2 ④ 1 3
(l)2 ④ ③ 1
(n)3 1 ④ 2
(p)3 2 ④ 1
(q)3 ④ 1 2
(r)3 ④ 2 1
(v)4 2 ③ 1
に対して、敢へて、「返り点」を付けるとしたら、
(d)# 二 三 一
(i)二 三 一 #
(j)二 三 四 一
(k)二 下 一 上
(l)二 四 三 一
(n)三 一 四 二
(p)上 二 下 一
(q)二 三 # 一
(r)三 四 二 一
(v)下 二 上 一
であるものの、「(縦書きであれば)上から下へ戻る点」は、「返り点」ではないため、これらは全て、「返り点」ではない。
然るに、
(12)
(a)1 2 3 4
の場合は、初めから、
(a)1<2<3<4
である。
然るに、
(13)
(b)1 2 4(3)
(c)1 3(2)4
(e)1 4(2 3)
(f)1 4〔3(2)〕
(g)2(1)3 4
(h)2(1)4(3)
(m)3(1 2)4
(o)3〔2(1)〕4
(s)4(1 2 3)
(t)4〔1 3(2)〕
(u)4〔2(1)3〕
(w)4〔3(1 2)〕
(x)4[3〔2(1)〕]
に対して、
(b)1 2 二(一)
(c)1 二(一)4
(e)1 二(2 一)
(f)1 三〔二(一)〕
(g)二(一)3 4
(h)二(一)二(一)
(m)二(1 一)4
(o)三〔二(一)〕4
(s)三(1 2 一)
(t)三〔1 二(一)〕
(u)下〔二(一)上〕
(w)三〔二(1 一)〕
(x)四[三〔二(一)〕]
である。
然るに、
(14)
(Ⅰ)レ
下の一字から上の一字に返る場合に用いる。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、41頁)
といふ「ルール」を「無視」すれば、「返り点」は、
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
といふ「返り点」が表す「順番」に「等しい」。
従って、
(01)~(14)により、
(15)
(a)1 2 3 4
(b)1 2 4 3
(c)1 3 2 4
(d)1 3 ④ 2
(e)1 4 2 3
(f)1 4 3 2
(g)2 1 3 4
(h)2 1 4 3
(i)2 ③ 1 4
(j)2 ③ ④ 1
(k)2 ④ 1 3
(l)2 ④ ③ 1
(m)3 1 2 4
(n)3 1 ④ 2
(o)3 2 1 4
(p)3 2 ④ 1
(q)3 ④ 1 2
(r)3 ④ 2 1
(s)4 1 2 3
(t)4 1 3 2
(u)4 2 1 3
(v)4 2 ③ 1
(w)4 3 1 2
(x)4 3 2 1
といふ「4桁の全ての、順番」に於いて、「括弧が表すことが出来る順番」は、「返り点が表すことが出来る順番」に、「等しい」。
然るに、
(16)
「5桁の全ての、順番」は、「120通り」なので、「今と同じ方法」でやると、「途中で、嫌になる」。
然るに、
(17)
「5桁の全ての、順番」ではなく、
「3桁の全ての、順番」であれば、
(a)1<2<3
(b)1 3>2
(c)2>1<3
(d)2<③>1
(e)3>1<2
(f)3>2<1
であって、
(b)1 3(2)
(c)2(1)3
(e)3(1 2)
(f)3〔2(1)〕
である。
従って、
(17)により、
(18)
(b)1 3(2)
(c)2(1)3
(e)3(1 2)
(f)3〔2(1)〕
であって、
(b)1 二(一)
(c)二(一)3
(e)二(1 一)
(f)三〔二(一)〕
である。
従って、
(03)(17)(18)により、
(19)
(a)1<2<3
(b)1 3>2
(c)2>1<3
(d)2<③>1
(e)3>1<2
(f)3>2<1
といふ「3桁の全ての、順番」に於いて、「括弧が表すことが出来る順番」は、「返り点が表すことが出来る順番」に、「等しい」。
従って、
(15)(19)により、
(20)
「3桁の全ての、順番」に於いて、「括弧が表すことが出来る順番」は、「返り点が表すことが出来る順番」に「等しく」、
「4桁の全ての、順番」に於いて、「括弧が表すことが出来る順番」は、「返り点が表すことが出来る順番」に「等しい」。
従って、
(20)により、
(21)
数学が得意な方であれば、「数学的帰納法」によって、
「4桁の全ての、順番」に於いて、「括弧が表すことが出来る順番」は、「返り点が表すことが出来る順番」に「等しく」、
「5桁の全ての、順番」に於いて、「括弧が表すことが出来る順番」は、「返り点が表すことが出来る順番」に「等しい」。
といふことを、「証明」出来るに、違ひない。
(01)
(1)レ
下の一字から上の一字に返る場合に用いる。
(2)一二点(一・二・三・・・・・・)二字以上隔てて返る場合。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、41・42頁改)
従って、
(01)により、
(02)
① 読書 =書を読む。
② 読漢文=漢文を読む。
であれば、
① 読レ書。
② 読二漢文一。
である。
然るに、
(03)
② 漢‐文
のやうに、「‐(接続線)」を用ひるならば、
② 漢‐文
は「2字」ではなく、「1字」と「見做す」ことが、出来る。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 読レ書。
② 読二漢文一。
ではなく、
① 読レ書。
② 読レ漢‐文。
である。
然るに、
(05)
②(漢文)
のやうに、「括弧」を用ひるならば、
②(漢文)
は「2字」ではなく、「1字」と「見做す」ことが、出来る。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 読レ書。
② 読レ漢‐文。
であると「同時」に、
① 読レ書。
② 読レ(漢文)である。
然るに、
(07)
② ( ) は、
② 二 一 であると、「見做す」ことが出来る。
従って、
(06)(07)により、
(08)
① 読レ書。
② 読レ(漢文)。
であると「同時」に、
① 読レ書。
② 読レ二漢文一。
である。
然るに、
(09)
丸括弧内の文字列は、丸括弧外の文字列との関係においては一字として扱う。
丸括弧の導入により、一二点・上下点などの各種の返り点は不要となり、レ点のみで用が足りる。
(松山厳、漢文訓読の返り点に括弧を導入して構造化する試み、2014年)
従って、
(08)(09)により、
(10)
松山先生の「それ」は、
① 読レ書。
② 読レ(漢文)。
であるが、その場合は、
① 読書 =動詞+補語。
② 読漢文=動詞+補語。
といふ「同一の、補足構造」に対して、
① レ
② レ( )
といふ、「2通りの表記」が有ることになる。
従って、
(10)により、
(11)
① 読レ書。
② 読レ(漢文)。
であるよりは、
① 読レ(書)。
② 読レ(漢文)。
である方が、望ましい。
然るに、
(12)
① 読(書)。
に於いて、
読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
① 読(漢文)⇒
①(書)読=
①(書を)読む。
(13)
② 読(漢文)。
に於いて、
読( )⇒( )読
といふ「移動」を行ふと、
② 読(漢文)⇒
②(漢文)読=
②(漢文を)読む。
然るに、
(14)
繰り返し、書いて来た通り、
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(12)(13)(14)より、
(15)
① 読(書)。
② 読(漢文)。
といふ「漢文」に於ける、
①( )
②( )
といふ「丸括弧」は、両方とも、「漢文の補足構造」を表してゐる。
従って、
(10)(15)により、
(16)
松山先生の「それ」は、
① 読レ書。
② 読レ(漢文)。
であるが、その場合は、
① 読書 =動詞+補語。
② 読漢文=動詞+補語。
といふ「同一の、補足構造」に対して、
① レ
② レ( )
といふ、「2通りの表記」が、有ることになるし、仮に、
① レ( )
② レ( )
といふ風に、「統一」したとしても、
① レ
② レ
は、「不要」である。
然るに、
(17)
(松山厳、漢文訓読の返り点に括弧を導入して構造化する試み、2014年)を参照。
然るに、
(18)
一つには、
(ⅰ)「丸括弧」の「直上」には、必ず、「レ点」が有る。といふことからすれば、
(〃)「丸括弧」の「直上」に有る「レ点」は、「省略」出来る。
従って、
(17)(18)により、
(19)
(20)
一つには、
(ⅱ)「丸括弧」の「直上」に有る「レ点」を、「省略」した場合は、
(〃)(取捨)と(所以)の両方に「レ点」が有ったものと、誤解を与へるため、
(〃)「取‐捨、所‐以」とする。
従って、
(19)(20)により、
(21)
然るに、
(22)
(ⅲ)「レ点」の「直下」には「丸括弧」が有るが、「省略」されてゐる。
従って、
(18)(22)により、
(23)
然るに、
(24)
従って、
(17)~(24)により、
(25)
① 百聞不レ如レ(一見)。
② 不レ(以レ(千里)称)也。
③ 天帝レ(我長レ(百獣))。
④ 欲レ(取捨)レ之。
⑤ 君子不レ(以レ(其(所以)レ(養レ人)者)害レ人)。
⑥ 使レ(籍誠不レ(以レ(畜レ(妻子)憂レ(飢寒))乱レ心)有レ(銭財)以済レ(医薬))。
といふ、「漢文訓読の返り点に括弧を導入して構造化する試み」が表す「順番」は、
① 百聞不〔如(一見)〕。
② 不〔以(千里)称〕也。
③ 天帝使〔我長(百獣)〕。
④ 欲〔取‐捨(之)〕。
⑤ 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
⑥ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}。
といふ「括弧」が表す「順番」に、「等しい」。
―「話の流れ」を作るために、 先程(02年03月18日)の記事の「(01)~(09)」を繰り返します。―
(01)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に於いて、
④ の中には、1組以上の③が有り、
③ の中には、1組以上の②が有り、
② の中には、1組以上の①が有るならば、そのときに限って、「括弧」である。
従って、
(01)により、
(02)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に於いて、
① が無ければ、② は無く、
② が無ければ、③ は無く、
③ が無ければ、④ は無い。
従って、
(01)(02)により、
(03)
例へば、
①( )
②〔 ( )( ) 〕
③[ 〔 ( ) 〕 ]
④{ [ 〔 ( ) 〕( )] }
は、「括弧」である。
従って、
(03)により、
(04)
例へば、
① 我読(漢文)。
② 有〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
③ 耕者不[可〔以不(益急)〕]。
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
に於いて、これらは、「漢文と括弧」である
(05)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
に於いて、
非{ }
求[ ]
以〔 〕
解( )
解( )
の「5つの漢字」は、『括弧の直前の漢字』である。
然るに、
(06)
(ⅰ)「原則」として「左から右へ」読む。ただし、
(ⅱ)『括弧の直前の漢字』に関しては、各々の、「直後の括弧の中の全ての漢字」を、「読み終へた直後」に読む。
といふ「ルール」を、定めることにする。
従って、
(05)(06)により、
(07)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
であれば、
④ 我 必 中文 法 漢文 事 者 也
に関しては、「そのまま、左から右に読み」、
④ 非 は、{ }の中に有る{必求以解中文法解漢文者}を読み終へた「直後」に読む。
④ 求 は、[ ]の中に有る [以解中文法解漢文] を読み終へた「直後」に読む。
④ 以 は、〔 〕の中に有る 〔解中文法〕 を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (中文) を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (漢文) を読み終へた「直後」に読む。
然るに、
(08)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也⇒
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]事者}求非也。
といふ「語順」になる。
従って、
(07)(08)により、
(09)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
に於いて、
④ 我 必 中文 法 漢文 事 者 也
に関しては、「そのまま、左から右に読み」、
④ 非 は、{ }の中に有る{必求以解中文法解漢文者}を読み終へた「直後」に読む。
④ 求 は、[ ]の中に有る [以解中文法解漢文] を読み終へた「直後」に読む。
④ 以 は、〔 〕の中に有る 〔解中文法〕 を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (中文) を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (漢文) を読み終へた「直後」に読む。
といふことは、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
といふ「括弧」が付いた「漢文」を、
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解事]求者}非也。
といふ「語順」で読む。
といふことに、他ならない。
従って、
(09)により、
(10)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也=
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也⇒
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解事]求者}非也=
④ 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解する事を]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(11)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也=
④ 我非地必求乙以下解二中文一法上解二漢文一事甲者天也⇒
④ 我必中文一解二法上以下漢文一解二事甲求乙者天非地也=
④ 我は必ずしも中文一を解二する法上を以下て漢文一を解二する事甲を求乙むる者天に非地ざる也。
従って、
(10)(11)により、
(12)
④ 我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 事 者 也。
といふ「漢文」に付く「返り点」は、
④ 地 乙 下 二 一 上 二 一 甲 天
である。
従って、
(01)(09)(12)により、
(13)
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
に於いて、
④ の中には、1組以上の③が有り、
③ の中には、1組以上の②が有り、
② の中には、1組以上の①が有るならば、そのときに限って、「返り点」である。
とするならば、
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」に付く、
④ { [ 〔 ( ) 〕 ( ) ] }
といふ「括弧」は、
④ 地 乙 下 二 一 上 二 一 甲 天
といふ「返り点」に、「等しい」。
然るに、
(14)
「(レ点を含まない)返り点」が「漢字」に付いてゐる。といふことと、
「漢字」が「(レ点を含まない)返り点」に付いてゐる。といふことは、「同じ」である。
従って、
(15)
④ 地 乙 下 二 一 上 二 一 甲 天
といふ「それ」が、「括弧」ではなく、「返り点」であるならば、
④ 我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 事 者 也。
といふ「漢文」から、
④ 法 事 者
といふ「3つの漢字」 を「削除」した場合は、それと「同時」に、
④ 上 甲 天
といふ「3つの返り点」も「削除」される。
然るに、
(16)
⑤ 我不必求以解中文解漢文也=
⑤ 我不{必求[以〔解(中文)〕解(漢文)]}也=
⑤ 我{必[〔(中文)解〕以(漢文)解]求}不也⇒
⑤ 我は{必ずしも[〔(中文を)解するを〕以て(漢文を)解するを]求め}ず。
然るに、
(17)
⑤ 我不必求以解中文解漢文也=
⑤ 我不丁必求丙以レ解二中文一解乙漢文甲也⇒
⑤ 我は必ずしも中文を解するを以て漢文を解するを求めず。
従って、
(14)~(17)により、
(18)
④ 地 乙 下 二 一 上 二 一 甲 天
といふ「それ」が、「括弧」ではなく、「返り点」であるならば、
④ 我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 事 者 也。
といふ「漢文」から、
④ 法 事 者
といふ「3つの漢字」 を「削除」した場合は、それと「同時」に、
④ 上 甲 天
といふ「3つの返り点」も「削除」され、その「結果」として、「返り点」は、
④ 「地 乙 下 二 一 二 一」ではなく、
④ 「丁 丙 レ 二 一 乙 甲」でなければ、ならない。
従って、
(13)(15)(18)により、
(19)
「逆」に言へば、
⑤ 我不{必求[以〔解(中文)〕解(漢文)]}也。
であっても、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
と「同じく」、
⑤ 我不{必求[以〔解(中文)#〕解(漢文)#]#}也。
であるものの、
⑤ # # #
に関しては、「3つ」とも、「無音」であって、尚且つ、「書かない」とするならば、
⑤ 我非地必求乙以下解二中文一上解二漢文一甲天也。
といふ「返り点」も、「可」である。
然るに、
(20)
繰り返し、書いて来た通り、
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(08)(10)(19)(20)により、
(21)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也=
④ 我非地必求乙以下解二中文一法上解二漢文一事甲者天也=
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也=
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也⇒
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解事]求者}非也=
④ 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解する事を]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
といふことは、
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
④ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解する事を求むる者に非ざるなり。
といふ「漢文」と「日本語」の、両方に、
④{ [ 〔 ( ) 〕 ( ) ] }
④{ [ 〔 ( ) 〕 ( ) ] }
といふ「括弧」で「表現可能」な、「補足構造」が有る。
といふことを、「意味」してゐる。
従って、
(21)により、
(22)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」に、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
といふ「補足構造」が、無い。
といふのであれば、
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」には、固より、「補足構造」が無い。
然るに、
(23)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」には、「補足構造」が有る。
従って、
(01)(22)(23)により、
(24)
例へば、
① 我読漢文。
② 有揮快刀断乱麻者。
③ 耕者不可以不益急。
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」には
① 我読(漢文)。
② 有〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
③ 耕者不[可〔以不(益急)〕]。
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)事]者}也。
といふ「括弧(補足構造)」が、無ければ、ならない(従って、「括弧」は有ります!)。
従って、
(21)(24)により、
(25)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」を、
④ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解する事を求むる者に非ざるなり。
といふ「語順」で「訓読」したとしても、「漢文をむりやり並び替えて、日本語のように読んでいる(みかちー)。」
といふことには、ならない。
然るに、
(26)
そして重野の講演を後れること七年、文化大学の講師を務めていたイギリス人チャンバレン氏も一八八六年『東洋学芸雑誌』第六一号に「支那語読法ノ改良ヲ望ム」を発表し、「疑ハシキハ日本人ノ此支那語ヲ通読スル伝法ナリ、前ヲ後ニ変へ、下ヲ上ニ遡ラシ、本文ニ見へザル語尾ヲ附シ虚辞ヲ黙シ、若クハ再用スル等ハ、漢文ヲ通読スルコトニアランヤ。寧ロ漢文ヲ破砕シテ、其ノ片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレンヤ。」「畢竟日本語ハ日本ノ言序アリ、英語ハ英ノ語次存スルコトは皆々承知セリ、唯支那語ニノミ治外法権ヲ許ルサズシ権内ニ置クハ何ソヤ」(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、50頁)。
従って、
(21)(24)(26)により、
(27)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」を、
④ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解する事を求むる者に非ざるなり。
といふ「語順」で「訓読」したとしても、「漢文ヲ破砕シテ、其ノ片塊ヲ以テ随意ニ別類ノ一科奇物ヲ増加セリト云フヲ免カレン(イギリス人チャンバレン氏)。」
といふことには、ならない。
然るに、
(28)
「漢文訓読」であれば、
① 誰為夫子=
① 誰為(夫子)⇒
① 誰(夫子)為=
① 誰をか(夫子)と為す=
① 誰が(先生)であるか。
であって、
② 子為誰=
② 子為(誰)⇒
② 子(誰)為=
② 子は(誰と)為す=
② あなたは(誰)ですか。
である。
然るに、
(29)
「英文和訳」の場合は、
① Who is the teacher?=
① Who is(the teacher)?⇒
① Who (the teacher)is?=
① 誰が(先生)であるか。
であって、尚且つ、
② Who are you?=
② Who(are{ you)}?⇒
② ({ you)Who}are?=
② ({あなたは)誰}であるか。
である。
然るに、
(30)
① 誰為(夫子)。
② 子為(誰)。
① Who is(the teacher)?
といふ「括弧」に対して、
② Who(are{ you)}?
といふ「それ」は、「括弧」ではない。
従って、
(20)(21)(30)により、
(31)
② Who are(you)?
といふ「英語」に対して、
② Who(are{ you)}?
とふ「それ(括弧ではない)」を付けて、
② ({あなたは)誰}ですか。
といふ風に、「読む」のであれば、それこそ「英文をむりやり並び替えて、日本語のように読んでいる。」といふ、ことになる。
従って、
(25)(31)により、
(32)
④ 我非必求以解中文法解漢文事者也。
といふ「漢文」を、
④ 我は必ずしも中文を解する法を以て漢文を解する事を求むる者に非ざるなり。
といふ「語順」で「訓読」したとしても、「漢文をむりやり並び替えて、日本語のように読んでいる(みかちー)。」
といふことには、ならないものの、
② Who are you?
といふ「英文」を、
② あなたは誰ですか。
といふ「語順」で「訓読」するならば、「英文をむりやり並び替えて、日本語のように読んでいる。」といふ、ことになる。
従って、
(32)により、
(33)
「?文」を、「日本語の語順」で読んだとしても、それだけでは「?文をむりやり並び替えて、日本語のように読んでいる(みかちー)。」
といふことには、ならない。
然るに、
(34)
大学(京都帝国大学)に入った二年め(昭和5年)の秋、倉石武四郎先生が中国の留学から帰られ、授業を開始されたことは、私だけではなく、当時の在学生に一大衝撃を与えた。先生は従来の漢文訓読を全くすてて、漢籍を読むのにまず中国語の現代の発音に従って音読し、それをただちに口語に訳することにすると宣言されたのである。この説はすぐさま教室で実行された。私どもは魯迅の小説集『吶喊』と江永の『音学弁徴』を教わった。これは破天荒のことであって、教室で中国の現代小説を読むことも、京都大学では最初であり、全国のほかの大学でもまだなかったろうと思われる(『心の履歴』、「小川環樹著作集 第五巻」、筑摩書房、176頁)。との、ことである。
然るに、
(35)
かつて、杉村勇造教授から次のような話を聞いた。銭稲孫氏(一八八七年浙江省生まれ。中国に日本文学を紹介する。北京大学教授)は父銭恂氏が来日していた関係から、当時東京高等師範学校に入学した。そして中学の漢文の教科書により、日本式の訓読で「学んで時に之を習う、亦説ばしからずや・・・・・・」と習い、「あ、これでわかった」と言ったという。銭氏は四、五歳のころから中国語によって『論語』などの素読を授けられたが、それは一種のお経読みのたぐいであるから、読むことは読んでも、さっぱり意味がわからなかったのである。それが、日本式の訓読に接して、初めて意味を理解することができたというのである(原田種成、私の漢文講義、1995年、24頁)。との、ことである。
(01)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に於いて、
④ の中には、1組以上の③が有り、
③ の中には、1組以上の②が有り、
② の中には、1組以上の①が有るならば、そのときに限って、「括弧」である。
従って、
(01)により、
(02)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に於いて、
① が無ければ、② は無く、
② が無ければ、③ は無く、
③ が無ければ、④ は無い。
従って、
(01)(02)により、
(03)
例へば、
①( )
②〔 ( )( ) 〕
③[ 〔 ( ) 〕 ]
④{ [ 〔 ( ) 〕( )] }
は、「括弧」である。
従って、
(03)により、
(04)
例へば、
① 我読(漢文)。
② 有〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
③ 耕者不[可〔以不(益急)〕]。
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
は、「漢文と括弧」である
(05)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
非{ }
求[ ]
以〔 〕
解( )
解( )
の「5つの漢字」は、『括弧の直前の漢字』である。
然るに、
(06)
(ⅰ)「原則」として「左から右へ」読む。ただし、
(ⅱ)『括弧の直前の漢字』に関しては、各々の、「直後の括弧の中の全ての漢字」を、「読み終へた直後」に読む。
といふ「ルール」を、定めることにする。
従って、
(05)(06)により、
(07)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
であれば、
④ 我 必 中文 法 漢文 者 也
に関しては、「そのまま、左から右に読み」、
④ 非 は、{ }の中に有る{必求以解中文法解漢文者}を読み終へた「直後」に読む。
④ 求 は、[ ]の中に有る [以解中文法解漢文] を読み終へた「直後」に読む。
④ 以 は、〔 〕の中に有る 〔解中文法〕 を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (中文) を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (漢文) を読み終へた「直後」に読む。
然るに、
(08)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]者}求非也。
といふ「語順」になる。
従って、
(07)(08)により、
(09)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
④ 我 必 中文 法 漢文 者 也
に関しては、「そのまま、左から右に読み」、
④ 非 は、{ }の中に有る{必求以解中文法解漢文者}を読み終へた「直後」に読む。
④ 求 は、[ ]の中に有る [以解中文法解漢文] を読み終へた「直後」に読む。
④ 以 は、〔 〕の中に有る 〔解中文法〕 を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (中文) を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (漢文) を読み終へた「直後」に読む。
といふことは、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「括弧」が付いた「漢文」を、
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求者}非也。
といふ「語順」で読む。
といふことに、他ならない。
従って、
(09)により、
(10)
④ 我非(必求(以(解(中文)法)解(漢文))者)也。
に於いて、
④ 我 必 中文 法 漢文 者 也
に関しては、「そのまま、左から右に読み」、
④ 非 は、( )の中に有る(必求以解中文法解漢文者)を読み終へた「直後」に読む。
④ 求 は、( )の中に有る (以解中文法解漢文) を読み終へた「直後」に読む。
④ 以 は、( )の中に有る (解中文法) を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (中文) を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある (漢文) を読み終へた「直後」に読む。
といふことは、
④ 我非(必求(以(解(中文)法)解(漢文))者)也。
といふ「括弧」が付いた「漢文」を、
④ 我(必(((中文)解法)以(漢文)解)求者)非也。
といふ「語順」で読む。
といふことに、他ならない。
然るに、
(09)(10)により、
(11)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に対して、
④ 我非(必求(以(解(中文)法)解(漢文))者)也。
は、もちろん、「読みにくい」。
然るに、
(12)
例へば、
④(((( ))( )( ))( )))
といふ「それ」は、「括弧」としては、実は「ヲカシイ」。
何となれば、
(13)
④(((( ))( )( ))( )))
といふ「それ」は、
④{[〔( )〕( )( )]( )})
であるため、
④「右端の」の )が、[余分」である。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
④{ [ 〔 ( ) 〕( ) ] }
といふ「括弧」に対する、
④( ( ( ( ) )( ) ) )
といふ「括弧」に、「実用性」は無い。
然るに、
(15)
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
に於いて、
(Ⅱ)を挟んで返る場合に、
(Ⅲ)を用ひ、
(Ⅲ)を挟んで返る場合に、
(Ⅳ)を用ひ、
(Ⅳ)を挟んで返る場合に、
(Ⅴ)を用ひる。
従って、
(15)により、
(16)
例へば、
⑤ 乙 下 三 二 一 上 甲
に対して、
⑤ 乙 下 三 二 甲 一 上
に於ける、
⑤ 二 甲 一
といふ「それ」が、「返り点」として、「ヲカシイ」ことは、「一目瞭然」である。
然るに、
(17)
⑤ 七 五 三 二 一 四 六
に対して、
⑤ 七 五 三 二 六 一 四
といふ「それ」が、「返り点」として、「ヲカシイ」ことは、「一目瞭然」ではない。
然るに、
(18)
⑤ 七{五[三〔二(一)〕四]六}。
に於いて、
七{ }⇒{ }七
五[ ]⇒[ ]五
三〔 〕⇒〔 〕三
二( )⇒( )二
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 七{五[三〔二(一)〕四]六}⇒
⑤ {[〔(一)二〕三四]五六}七=
⑤ 一<二<三<四<五<六<七。
といふ「並び替へ(ソート)」を行ふことになる。
然るに、
(19)
⑤ 七〈五[三〔二(六{一)〕四]}〉。
に於いて、
七〈 〉⇒〈 〉七
五[ ]⇒[ ]五
三〔 〕⇒〔 〕三
二( )⇒( )二
六{ }⇒{ }六
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 七〈五[三〔二(六{一)〕四]}〉⇒
⑤ 〈[〔({一)二〕三四]五}六〉七=
⑤ 一<二<三<四<五<六<七。
といふ「並び替へ(ソート)」を行ふことになる。
然るに、
(20)
⑤{ [ 〔 ( ) 〕 ] }
に対して、
⑤〈 [ 〔 ( { ) 〕 ] } 〉
の場合は、「括弧」ではない。
従って、
(16)~(20)により、
(21)
⑤ 七 五 三 二 一 四 六
に対する、
⑤ 七 五 三 二 六 一 四
といふ「順番」は、「返り点」としても、「括弧」としても、「有り得ない」にも拘らず、「そのことが、見えにくい」。
従って、
(14)(21)により、
(22)
①( )
②( )
③( )
④( )
だけからなる「 括弧 」が、「読みにくい」やうに、
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
だけからなら「返り点」は、「読みにくい」。
然るに、
(23)
実際の「返り点」は、
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
である。
然るに、
(24)
従って、
(24)により、
(25)
① 秦昭王請二以レ城易一レ之。
② 秦昭王請下以二十五城一易上レ之。
③ 秦昭王請三以レ城易二和氏之璧一。
④ 秦昭王請下以二十五城一易中和氏之璧上。
⑤ 秦人有二以レ城易レ之者一。
⑥ 秦人有下以二十五城一易レ之者上。
⑦ 秦人有下以レ城易二和氏之璧一者上。
⑧ 秦人有下以二十五城一易二和氏之璧一者上。
に於ける、
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一 レ 上
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点が、表す語順」は、
① 下 二 一 中 上
② 下 二 一 中 上
③ 下 二 一 中 上
④ 下 二 一 中 上
⑤ 下 二 一 二 一 上
⑥ 下 二 一 二 一 上
⑦ 下 二 一 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点が、表す語順」と、「同じ」である。
従って、
(22)(23)(25)により、
(26)
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
に於いて、
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
が有るからと言って、「返り点」は、「読み易く」なるわけではなく、むしろ、「逆」である。
然るに、
(27)
② 下 二 一 上レ
といふ「返り点」が有ることによって、例へば、
⑩ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「応用」が、「可能」になる。
然るに、
(28)
従って、
(28)により、
(29)
⑩ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「返り点が、表す語順」は、
⑩ 己 戊 二 一 丁 丙 二 一 二 一 乙 甲
といふ「返り点が、表すと語順」と、「同じ」であるが、言ふまでもなく、
⑩ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
よりも、
⑩ 己 戊 二 一 丁 丙 二 一 二 一 乙 甲
の方が、はるかに、「読み易い」。
従って、
(26)~(27)により、
(30)
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
に於いて、
(Ⅰ)は、無い方が、「望ましい」。
然るに、
(31)
⑩ 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
⑩ 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
⑩ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む=
⑩ そのため、大學の敎へを始める際には、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)ついて、{[(その學者がすでに知っているの理に)依って、益々(これを)極め、以て〔(その極点に)至ることを〕求め]ないことが}無いやうに〉させる。
従って、
(31)により、
(32)
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉
に於ける、
⑩〈 ( ){ [( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
である。
従って、
(01)(32)により、
(33)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
といふ「4種類」では足りない場合も有るため、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
に於いて、
⑤ の中には、1組以上の④が有り、
④ の中には、1組以上の③が有り、
③ の中には、1組以上の②が有り、
② の中には、1組以上の①が有るならば、そのときに限って、「括弧」とする。
然るに、
(34)
「英文訓読」とは異なり、「私の経験上」、「漢文訓読」に於いて、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「5種類の括弧」を用ひた際に、それでも尚、「括弧」が「不足」する。
といふ、ことはない。
然るに、
(35)
⑪ 六〈五{四[三〔二(一)〕]}〉⇒
⑪ 〈{[〔(一)二〕三]四}五〉六=
⑪ 一<二<三<四<五<六。
従って、
(30)(34)(35)により、
(36)
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
といふ「一二点」は、実際には、
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六
といふ「6個」で、「十分」である。
従って、
(30)(36)により、
(37)
(Ⅲ)上 中 下
といふ「上下点」では、「不足」なので、出来れば、
(Ⅱ)上 中 下 □ □ □
である、べきである。
従って、
(30)(36)(37)により、
(38)
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
といふ「返り点」よりも、
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六
(Ⅱ)上 中 下 □ □ □
(Ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊
(Ⅳ)天 地 人 □
といふ「返り点」の方が、「合理的」である。
従って、
(39)
例へば、
(Ⅰ)一 二 三 四 五 六
(Ⅱ)甲 乙 丙 丁 戊 己
(Ⅲ)子 丑 寅 卯 辰
(Ⅳ)天 地 人 間
に於いて、
(Ⅰ)を挟んで返る場合は、
(Ⅱ)を用ひ、
(Ⅱ)を挟んで返る場合は、
(Ⅲ)を用ひ、
(Ⅲ)を挟んで返る場合は、
(Ⅳ)を用ひるならば、「返り点」は、「合理的」である。
―「昨日(令和02年03月16日)」の「記事」を補足します。―
(01)
従って、
(02)
① 秦昭王請以城易之。
② 秦昭王請以十五城易之。
③ 秦昭王請以城易和氏之璧。
④ 秦昭王請以十五城易和氏之璧。
⑤ 秦人有以城易之者。
⑥ 秦人有以十五城易之者。
⑦ 秦人有以城易和氏之璧者。
⑧ 秦人有以十五城易和氏之璧者。
に付く「返り点」は、
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一 レ 上
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」が、「正しい」。
然るに、
(03)
① 請{以(城)易(之)}。
に於いて、
請{ }⇒{ }請
以( )⇒( )以
易( )⇒( )易
といふ「移動」を行ふと、
① 請{以(城)易(之)}⇒
① {(城)以(之)易}請=
① {(城を)以て(之に)易へんことを}請ふ。
従って、
(03)により、
(04)
④ 秦昭王請{以(十五城)易(和氏之壁)}。
に於いて、
請{ }⇒{ }請
以( )⇒( )以
易( )⇒( )易
といふ「移動」を行ふと、
④ 秦昭王請{以(十五城)易(和氏之壁)}⇒
④ 秦昭王{(十五城)以(和氏之壁)易}請=
④ 秦の昭王 {(十五城を)以て(和氏の壁)易へんことを}請ふ。
然るに、
(05)
⑤ 有{以(城)易(之)者}。
に於いて、
請{ }⇒{ }請
以( )⇒( )以
易( )⇒( )易
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 有{以(城)易(之)者}⇒
⑤ {(城)以(之)易者}有=
⑤ {(城を)以て(之に)易ふる者}有り。
従って、
(05)により、
(06)
⑧ 秦人有{以(十五城)易(和氏之壁)者}。
に於いて、
請{ }⇒{ }請
以( )⇒( )以
易( )⇒( )易
といふ「移動」を行ふと、
⑧ 秦人有{以(十五城)易(和氏之壁)者}⇒
⑧ 秦人{(十五城)以(和氏之壁)易者}有=
⑧ 秦人に{(十五城を)以て(和氏の壁に)易ふる者}有り。
然るに、
(07)
① 秦昭王請{以(城)易(之)}。
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)。
③ 秦昭王請{以(城)易(和氏之璧)}。
④ 秦昭王請{以(十五城)易(和氏之璧)}。
⑤ 秦人有{以(城)易(之)者}。
⑥ 秦人有{以(十五城)易(之)者}。
⑦ 秦人有{以(城)易(和氏之璧)者。
⑧ 秦人有{以(十五城)易(和氏之璧)者}。
から、「主語」を除くと、
① 請{以(城)易(之)}。
② 請{以(十五城)易(之)。
③ 請{以(城)易(和氏之璧)}。
④ 請{以(十五城)易(和氏之璧)}。
⑤ 有{以(城)易(之)者}。
⑥ 有{以(十五城)易(之)者}。
⑦ 有{以(城)易(和氏之璧)者。
⑧ 有{以(十五城)易(和氏之璧)者}。
(08)
① 請{以(城)易(之)}。
② 請{以(十五城)易(之)。
③ 請{以(城)易(和氏之璧)}。
④ 請{以(十五城)易(和氏之璧)}。
⑤ 有{以(城)易(之)者}。
⑥ 有{以(十五城)易(之)者}。
⑦ 有{以(城)易(和氏之璧)者。
⑧ 有{以(十五城)易(和氏之璧)者}。
から、「修飾語」を除くと、
① 請{以(城)易(之)}。
② 請{以(城)易(之)。
③ 請{以(城)易(璧)}。
④ 請{以(城)易(璧)}。
⑤ 有{以(城)易(之)者}。
⑥ 有{以(城)易(之)者}。
⑦ 有{以(城)易(璧)者。
⑧ 有{以(城)易(璧)者}。
然るに、
(09)
繰り返し、書いて来た通り、
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(03)~(09)により、
(10)
① 秦昭王請{以(城)易(之)}。
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)}。
③ 秦昭王請{以(城)易(和氏之璧)}。
④ 秦昭王請{以(十五城)易(和氏之璧)}。
⑤ 秦人有{以(城)易(之)者}。
⑥ 秦人有{以(十五城)易(之)者}。
⑦ 秦人有{以(城)易(和氏之璧)者。
⑧ 秦人有{以(十五城)易(和氏之璧)者}。
に於ける、
①{ ( )( ) }
②{ ( )( ) }
③{ ( )( ) }
④{ ( )( ) }
⑤{ ( )( ) }
⑥{ ( )( ) }
⑦{ ( )( ) }
⑧{ ( )( ) }
といふ「1種類の括弧」は、
(ⅰ)「漢文の補足構造」を表すと「同時」に、
(ⅱ)「漢文訓読の語順」を表してゐる。
従って、
(02)(10)により、
(11)
① 秦昭王請二以レ城易一レ之。
② 秦昭王請下以二十五城一易上レ之。
③ 秦昭王請三以レ城易二和氏之璧一。
④ 秦昭王請下以二十五城一易中和氏之璧上。
⑤ 秦人有二以レ城易レ之者一。
⑥ 秦人有下以二十五城一易レ之者上。
⑦ 秦人有下以レ城易二和氏之璧一者上。
⑧ 秦人有下以二十五城一易二和氏之璧一者上。
に於ける、
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一 レ 上
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「8種類の返り点」は、⑧ を除いて、
(ⅱ)「漢文訓読の語順」だけを、表してゐる。
(12)
「(レ点を除く)返り点」が、「漢字」に付くといふことは、
「漢字」が、「(レ点を除く)返り点」に付くことと、「同じ」である。
従って、
(10)(12)により、
(13)
① 秦昭王請{以(城)易(之)}。
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)}。
③ 秦昭王請{以(城)易(和氏之璧)}。
④ 秦昭王請{以(十五城)易(和氏之璧)}。
の場合は、
① 秦昭王請{以(城)易(之)#}。
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)#}。
③ 秦昭王請{以(城)易(和氏之璧)#}。
④ 秦昭王請{以(十五城)易(和氏之璧)#}。
でなければ、
① 下 二 一 二 一 上
② 下 二 一 二 一 上
③ 下 二 一 二 一 上
④ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」を付けることは、出来ない。
従って、
(13)により、
(14)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
とは言ふものの、
① 下 二 一 二 一 上 と、
① { ( ) ( ) } は、「同じ」ではない。
然るに、
(15)
⑨ 恐二衆狙之一レ不二馴於己一也。
⑨ 恐四衆狙之三 不二馴於己一也。
であるため、
⑨ 二 一レ 二 一
といふ「返り点の、語順」は
⑨ 四 三 二 一
といふ「返り点の、語順」と、「同じ」である。
然るに、
(16)
従って、
(16)により、
(17)
⑩ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「極めて読みにくい、返り点の語順」は、
⑩ 己 二 一 戊 丁 二 一 二 一 丙 乙 甲
といふ「返り点の、語順」と、「同じ」である。
従って、
(15)(16)(17)により、
(18)
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
といふ「返り点のセット」から、
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
を「削除」すれば、それだけでも、「返り点」は、「頗る、読みやすいもの」なる。
然るに、
(19)
⑩ 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極=
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉⇒
⑩ 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使=
⑩ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む=
⑩ そのため、大學の敎へを始める際には、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)ついて、{[(その學者がすでに知っているの理に)依って、益々(これを)極め、以て〔(その極点に)至ることを〕求め]ないことが}無いやうに〉させる。
従って、
(10)(19)により、
(20)
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉
に於ける、
⑩〈 ( ){ [( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、
⑩ 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文」の、
(ⅰ)「 補足構造 」を表すと「同時」に、
(ⅱ)「訓読の語順」を示してゐる。
(21)
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
に於いて、「一番難しい」のは、実は、
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
である。
従って、
(22)
「返り点」が「苦手な人」に対しては、「最初」に、
⑨ 四 三 二 一
⑩ 己 二 一 戊 丁 二 一 二 一 丙 乙 甲
といふ「(レ点を除く)返り点」を付けてみて、その上で、
⑨ 四 三 二 一
⑩ 己 二 一 戊 丁 二 一 二 一 丙 乙 甲
といふ「(レ点を除く)返り点」を、
⑨ 二 一レ 二 一レ
⑩ 下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
といふ「(レ点の含む)返り点」に、「付け直す」ことを、勧めたい。
(23)
つい最近も、引用したものの、
中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(23)により、
(24)
漢文は昔の中国語なので、中国語の文法で書かれています(みかちー)。
といふのは、本当ではない。
(25)
まず、そもそも返り点とは何なのか?ということを見ていきましょう。
返り点とは、一言でいうと、「漢文をむりやり並び替えて、日本語のように読むための記号」です(みかちー)。
といふのも、本当ではない。
(26)
「括弧」と「返り点」(12)。
を読んでくれた人であれば、分かってもらえる通り、例へば、
⑪ Who(are{you)}? を、
⑪ あなた誰ですか。 と「読む」のであれば、「英文をむりやり並び替えて、日本語の語順で読んでゐる」ことになる一方で、
⑩ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。
といふ「漢文」を、
⑩ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「語順」で読んだとしても、「漢文の補足構造」と「日本語の補足構造」に従って、読んでゐるのであって、そのため、「漢文をむりやり並び替えて、日本語の語順で読んでゐる。」といふことには、ならない。
(01)
(3)上中下点(上・下、上・中・下)
レ点・一二点だけで示しきれない場合。必ず一二点をまたいで返る場合に用いる(数学の式における( )が一二点で、{ }が上中下点に相当するものと考えるとわかりやすい)。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、43頁)
従って、
(01)により、
(02)
下 二 一 上
であれば、
{ ( ) }
である。
従って、
(03)
下 二 一 二 一 上
であれば、
{ ( ) ( ) }
である。
然るに、
(04)
② 秦昭王請以十五城易之。
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)}。
に於いて、
請{ }⇒{ }請
以( )⇒( )以
易( )⇒( )易
といふ「移動」を行ふと、
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)}⇒
② 秦昭王{(十五城)以(之)易}請=
② 秦昭王{(十五城を)以て(之に)易へんことを}請ふ=
② 秦の昭王は、15の城と、和氏之璧との交換を求めた。
といふ「訓読」になる。
然るに、
(05)
「(レ点を除く)返り点」が、「漢字」に付くといふことは、
「漢字」が、「(レ点を除く)返り点」に付くことと、「同じ」である。
従って、
(03)(04)(05)により、
(06)
{ ( ) ( ) }
といふ「括弧」と、
下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」が、「完全に同じ」であるならば、
下 には 請 が付いてゐて、
二 には 以 が付いてゐて、
一 には 城 が付いてゐて、
二 には 易 が付いてゐて、
一 には 之 が付いてゐて、
上 には # が付いてゐる。
然るに、
(07)
② 秦昭王請以十五城易之。
の場合は、
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)}。
であって、
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)#}。
ではない。
従って、
(08)
② 秦昭王請以十五城易之。
に付く「返り点」は、
② 秦昭王請上以二十五城一易二之一上 。
ではない。
然るに、
(09)
⑥ 秦人有以十五城易之者=
⑥ 秦人有{以(十五城)易(之)者}。
に於いて、
有{ }⇒{ }有
以( )⇒( )以
易( )⇒( )易
といふ「移動」を行ふと、
⑥ 秦人有{以(十五城)易(之)者}⇒
⑥ 秦人に{(十五城を)以て(之に)易る者}有り=
⑥ 秦の国の人に、15の城と、和氏の璧とを交換する者がゐた。
然るに、
(10)
⑥ 秦人有下以二十五城一易二之一者上。
であるため、この場合は、
⑥ 下 二 一 二 一 上
でも良い、はずである。
然るに、
(11)
実際には、
従って、
(11)により、
(12)
① 秦昭王請以城易之。
② 秦昭王請以十五城易之。
③ 秦昭王請以城易和氏之璧。
④ 秦昭王請以十五城易和氏之璧。
⑤ 秦人有以城易之者。
⑥ 秦人有以十五城易之者。
⑦ 秦人有以城易和氏之璧者。
⑧ 秦人有以十五城易和氏之璧者。
に付く、学校で習ふ所の「返り点」は、
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一 レ 上
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」が、「正しい」。
然るに、
(13)
① 秦昭王請以城易之。
② 秦昭王請以十五城易之。
③ 秦昭王請以城易和氏之璧。
④ 秦昭王請以十五城易和氏之璧。
⑤ 秦人有以城易之者。
⑥ 秦人有以十五城易之者。
⑦ 秦人有以城易和氏之璧者。
⑧ 秦人有以十五城易和氏之璧者。
に対する、「括弧」は、もちろん、すべて、
①{ ( )( ) }
②{ ( )( ) }
③{ ( )( ) }
④{ ( )( ) }
⑤{ ( )( ) }
⑥{ ( )( ) }
⑦{ ( )( ) }
⑧{ ( )( ) }
である。
従って、
(03)(11)(12)(13)により、
(14)
①{ ( )( ) }
といふ「括弧」は、「返り点」であれば、
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「1種類の、返り点」が、
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一 レ 上
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「8種類の、返り点」の「役割」を担ってゐる。
従って、
(14)により、
(15)
「返り点」は、「括弧」よりも、「8倍、複雑」である。
然るに、
(16)
(1)レ
下の一字から上の一字に返る場合に用いる。
(2)一二点(一・二・三・・・・・・)二字以上隔てて返る場合。
(原田種成、私の漢文講義、1995年、41・42頁改)
然るに、
(17)
(2)一二点(一・二・三・・・・・・)二字以上隔てて返る場合。ではなく、
(〃)一二点(一・二・三・・・・・・)一字以上隔てて返る場合。であっても、障支はない。
従って、
(14)(16)(17)により、
(18)
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
といふ「返り点」は、
④ 下 二 一 中 上
といふ「返り点」に、「換へる」ことが、出来るし、
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一 レ 上
⑦ 下 レ 二 一 上
といふ「返り点」は、
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」に、「換へる」ことが、出来る。
然るに、
(19)
④ 下{二(一)中(上)}。
に於いて、
下{ }⇒{ }下
二( )⇒( )二
中( )⇒( )中
といふ「移動」を行ふと、
④ 下{二(一)中(上)}⇒
④ {(一)二(上)中}下=
④ 一 二 上 中 下。
であることは、
④ 下{二(一)中(上)#}。
といふことからすれば、「当然」である。
従って、
(01)~(19)により、
(20)
数学の式における( )が一二点で、{ }が上下点に相当する。
とするならば、
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一 レ 上
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」は、
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」である所の、
①{ ( )( ) }
に「置き換へ」ることが、出来る。
然るに、
(21)
ぶりぶりざえもんさん2010/7/2320:43:43
漢文の朝三暮四で
恐(二) 衆 狙 之 不 (一レ) 馴 (二) 於 己(一) 也、・・・ という文がありました。
この文を帰り点に従って訓読すると「衆狙の馴れざらんことを恐るる己に馴れ也、・・・」となり
「馴」を二回読んでしまうのですがこれは正しいですか。
()内は返り点です。
従って、
(21)により、
(22)
ぶりぶりざえもんさん は、
⑨ 恐二衆狙之一レ不二馴於己一也。
といふ、「返り点」、すなはち、
⑨ 二 一レ 二 一
といふ「返り点」を、理解できないものの、
⑨ 恐二衆狙之一レ不二馴於己一也。
⑨ 恐四衆狙之三 不二馴於己一也。
であるため、
⑨ 二 一レ 二 一
といふ「返り点の、語順」は、実際に、
⑨ 四 三 二 一
といふ「返り点の、語順」と、「同じ」である。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
① 二 レ 一レ
のやうな「返り点」があるため、「その応用」として、本来は、
⑨ 四 三 二 一
に過ぎないにも拘らず、
⑨ 二 一レ 二 一
といふ「変な、返り点」が、出来てしまふ。
従って、
(24)
私自身は、
(Ⅰ)一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
からなる「返り点」は、「非合理的」である。
と思ってゐる。
しかしながら、
(25)
実際に、「世の中」に流通してゐるのは、
{ [ 〔 ( )〕 ] }
といふ「括弧」ではなく、「返り点」である上に、
① 秦昭王請{以(城)易(之)}。
② 秦昭王請{以(十五城)易(之)}。
③ 秦昭王請{以(城)易(和氏之璧)}。
④ 秦昭王請{以(十五城)易(和氏之璧)}。
⑤ 秦人有{以(城)易(之)者}。
⑥ 秦人有{以(十五城)易(之)者}。
⑦ 秦人有{以(城)易(和氏之璧)者}。
⑧ 秦人有{以(十五城)易(和氏之璧)者}。
といふ「括弧」が読めたとしても、
① 秦昭王請二 以レ 城 易一レ 之。
② 秦昭王請下 以二 十五城一 易上レ 之。
③ 秦昭王請三 以レ 城 易二 和氏之璧一 。
④ 秦昭王請下 以二 十五城一 易中 和氏之璧上 。
⑤ 秦人有二 以レ 城 易レ 之 者一 。
⑥ 秦人有下 以二 十五城一 易レ 之 者上 。
⑦ 秦人有下 以レ 城 易二 和氏之璧一 者上 。
⑧ 秦人有下 以二 十五城一 易二 和氏之璧一 者上 。
といふ「返り点」が読めなければ、「試験」には、「合格」しない。
従って、
(24)(25)により、
(26)
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
からなる「返り点」が、「いくら、非合理的」であったとしても、「読めない」。
といふわけには、行かない。
―「昨日(令和02年03月15日)」の「記事」を補足します。―
(01)
「You are a man」と言へば、「あなたには、男性といふ属性がある。」とふ「意味」であって、
「You are here」 と言へば、「あなたは、ここに存在する。」といふ「意味」である。
然るに、
(02)
なり=に+有り。
である=に+て+有る。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① Who are you?
① 誰 である・か あなたは。
に於いて、
「are」は、「である」と「同じ」である。
然るに、
(04)
① 誰(である・か あなたは)。
に於いて、
誰( )⇒( )誰
といふ「移動」を行ふと、
① 誰(である・か あなたは)⇒
① (である・か あなたは)誰。
といふ「語順」になる。
然るに、
(05)
① 誰 である・か あなたは。
① である・か あなたは 誰。
といふ「日本語」は、両方とも、「日本語としての、本来の語順」ではない。
然るに、
(06)
① (である・か{あなたは)誰}。
に於いて、
あなたは{ }⇒{ }あなたは
といふ「移動」を行ふと、
① ({あなたは)誰}である・か。
となって、尚且つ、
① あなたは 誰 である・か。
といふ「語順」は、「日本語として、正しい」。
然るに、
(07)
①( { ) }
②{ ( ) }
に於いて、
② は「括弧」であるが、
① は「括弧」ではない。
従って、
(03)~(07)により、
(08)
「括弧」は、
① 2<3>1
のやうな、
① n+1<n+m>n(nは0より大きい整数、mは1より大きい整数。)
といふ「順番」を、
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9・・・・・・
といふ「順番」に「並び替へ」ることは、出来ない。が故に、
① Who are you?
に対しては、「括弧」を付けることが、出来ない。
然るに、
(09)
① Who are you?
に対する、「漢文」は、
② 子 為 誰(子は誰となす)。
であって、それ故、
② You are who?
である。
従って、
(09)により、
(10)
② 子 為 誰(論語、微子、六)。
の場合は、
① Who(are{you)}?
とは異なり、
① n+1<n+2>n
ではなく、
② n<n+2>n+1
である。
然るに、
(11)
例へば、
③ I am[going〔to(study【English『much-harder「to《become〈a- googler{like[my-sister〔in(the-future)〕]}〉》」』】)〕].
に於いて、
am[ ]⇒[ ]am
going〔 〕⇒〔 〕going
to( )⇒( )to
study【 】⇒【 】study
English『 』⇒『 』English
much-harder「 」⇒「 」much-harder
to《 》⇒《 》to
become〈 〉⇒〈 〉become
a- googler{ }⇒{ }a- googler
like[ ]⇒[ ]like
my-sister〔 〕⇒〔 〕my-sister
in( )⇒( )in
といふ「移動」を行ふと、
③ I am[going〔to(study【English『much-harder「to《become〈a- googler{like[my-sister〔in(the-future)〕]}〉》」』】)〕]⇒
③ I [〔(【『「《〈{[〔(the-future)in〕my-sister]like}a- googler〉become》to」much-harder』English】study)to〕going]am=
③ 私は[〔(【『「《〈{[〔(将来)に於いて〕私の姉の]やうな}グーグルの社員に〉なる》ために」もっと一生懸命』英語を】勉強する)ことを〕しようとして]ゐます。
といふ「英文訓読」を、行ふことが出来る。
然るに、
(12)
昨日も書いた通り、「私の経験上」は、「漢文訓読」に於いて、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「5種類の括弧」で「不足」することは無い。
従って、
(13)
③Iam going to study English much-harder to become a-googler like my-sister in the future.
といふ「英文」を「訓読」する際の、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
⑥《 》
⑦「 」
⑧『 』
⑨【 】
⑩( )
⑪〔 〕
⑫[ ]
といふ「12種類」といふ「括弧」は、「漢文訓読」からすれば、「異常に多い」。
然るに、
(14)
③Iam going to study English much-harder to become a-googler like my-sister in the future.
といふ「英文」を、
③ 私は将来に於いて、私の姉のやうなグーグルの社員になるために、もっと一生懸命、英語を勉強することをしようとしてゐます。
といふ風に、「訓読」するといふことは、
③ I
だけは、最初に読むとして、
③ much-harder
③ a-googler
③ my-sister
といふ「3つの語」を、それぞれを「1語(a word)」として、「それらの3つの語」を含めて、「右から左へ」読んでゐることと、「同じ」である。
従って、
(15)
ただ、それだけの事のために、
③Iam going to study English much-harder to become a-googler like my-sister in the future.
といふ「英文」に対して、
③ I am[going〔to(study【English『much-harder「to《become〈a- googler{like[my-sister〔in(the-future)〕]}〉》」』】)〕].
といふ「括弧」を用ひることは、「馬鹿げて」ゐる。
従って、
(08)(15)により、
(16)
① Who are you?
③Iam going to study English much-harder to become a-googler like my-sister in the future.
に於いて、
① には、「括弧」を付けることが、出来ず、その上、
③ に、 「括弧」を付けるとは、「無意味」である。
従って、
(17)
「英文解釈」に於いて、「括弧」は要らない。
―「昨日(令和02年03月14日)」の「記事」を補足します。―
(01)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
に於いて、
⑤ の中には、1組以上の④が有り、
④ の中には、1組以上の③が有り、
③ の中には、1組以上の②が有り、
② の中には、1組以上の①が有るならば、そのときに限って、「括弧」である。
従って、
(01)により、
(02)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
に於いて、
① が無ければ、② は無く、
② が無ければ、③ は無く、
③ が無ければ、④ は無く、
④ が無ければ、⑤ はない。
従って、
(01)(02)により、
(03)
例へば、
①( )
②〔 ( )( ) 〕
③[ ( )〔 ( ) 〕( ) ]
④{ ( )〔 ( )( ) 〕[ ( )〔 ( ) 〕( ) ] }
⑤〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
は、「括弧」である。
然るに、
(04)
④ M{2(1)8〔 4(3)6(5)7〕K[A(9)E〔C(B)D〕G(F)I(H)J]L}N。
といふ「23個の、1桁の24進数」に於いて、
M{ }⇒{ }M
2( )⇒( )2
8〔 〕⇒〔 〕8
4( )⇒( )4
6( )⇒( )6
K[ ]⇒[ ]K
A( )⇒( )A
E〔 〕⇒〔 〕E
C( )⇒( )C
G( )⇒( )G
H( )⇒( )H
といふ「移動」を行ふと、
④ {(1)2〔 (3)4(5)67〕8[(9)A〔(B)CD〕E(F)G(H)IJ]KL}MN=
④ 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H<I<J<K<L<M<N。
といふ「並び替へ(ソート)」を行ふことになる。
(05)
⑤ 6〈5{4[3〔2(1)〕]}〉。
といふ「6個の、1桁の10進数」に於いて
6〈 〉⇒〈 〉6
5{ }⇒{ }5
4[ ]⇒[ ]4
3〔 〕⇒〔 〕3
2( )⇒( )2
⑤ 〈{[〔(1)2〕3]4}5〉6=
⑤ 1<2<3<4<5<6。
といふ「並び替へ(ソート)」を行ふことになる。
従って、
(04)(05)により、
(06)
当然ではあるものの、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「5種類の括弧」は、「連続的」には、「5回しか、返れない」。
然るに、
(07)
〔注〕この場合、「天地点」を挟んで「甲乙点」が有るため、「通常の順番とは逆」になってゐる。
然るに、
(08)
⑤ 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者、信東周也、公何不与周地発質使之楚。秦必疑楚、不信周。是韓不伐也、又謂秦曰韓彊与周地、将以疑周於秦也、周不敢不受。=
⑤ 何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕。秦必疑(楚)、不〔信(周)〕。是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也。周不〔敢不(受)〕]}〉⇒
⑤ 何〈{人(韓公叔)謂[秦之敢(周)絶而(韓)伐者、(東周)信也、公何〔(周地)与(質使)発(楚)之〕不。秦必(楚)疑、〔(周)信〕不。是韓(伐)不也]曰、又(秦)謂[韓彊(周地)与、将〔以(周於秦)疑〕也、周〔敢(受)不〕不]曰}令〉不=
⑤ 何ぞ〈{人をして(韓の公叔に)謂ひて[秦の敢へて(周)を絶って(韓を)伐たんとするは、(東周を)信ずればなり、公何ぞ〔(周に地を)与へ(質使を)発して(楚に)之かしめ〕ざる、秦必ず(楚を)疑ひ、〔(周を)信ぜ〕ざらん。是れ韓(伐たれ)ざらんと]曰ひ、又(秦に)謂ひて[韓彊ひて(周に地を)与ふるは、将に〔以て(周を秦に)疑はしめんと〕するなり、周〔敢へて(受け)ずんば〕あらずと]曰は}令め〉ざる。
従って、
(07)(08)により、
(09)
⑤ レ 丁 二 一 地 レ レ 二 一 下 二 一 二 一 上レ レ レ レ 天レ レ 丙 二 一 三 二 一 乙 甲レ
といふ『返り点』が表す「順番」は、
⑤〈{( )[( )( )( )〔( )( )( )〕( )〔( )〕( )]( )[( )〔( )〕〔( )〕]}〉
といふ「括弧」で、表すことが出来るものの、「私の経験上」は、「漢文訓読」に於いて、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「5種類の括弧」で「不足」することは無い。
然るに、
(10)
⑥ During the past seventy five years since Japan's closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of‘but also's’ever used for any nation of the world.=
⑥ During{the‐past‐seventy‐five‐years[since〔Japan's closed doors were(opened)〕},the Japanese have【been『described「in《the‐most‐fantastic‐series‐of‐‘but also's〈ever used{for[any nation〔of(the world)〕]}〉》」』】⇒
⑥{[〔Japan's closed doors(opened)were〕since]the‐past‐seventy‐five‐years}During,the Japanese【『「《〈ever{[〔(the world)of〕any‐nation]for}used〉the‐most‐fantastic‐series‐of‐‘but also's》in」described』been】have=
⑥{[〔日本の閉ざされたドアが(開か)れて〕から]過去‐七十‐五‐年}の間、日本人は【『「《〈嘗て{[〔(世界)の〕どの国民]に対して}使はれたよりも〉最も‐途方もない‐一連‐の‐「しかし一方では」の句》によって」描写』されて】来た(ルース・ベネディクト、菊と刀、1946年)。
従って、
(10)により、
(11)
⑥ During the past seventy five years since Japan's closed doors were opened,the Japanese have been described in the most fantastic series of‘but also's’ever used for any nation of the world.
といふ「英語」の場合は、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
といふ「5種類の括弧」では、「全然、足りなくて」、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
⑥《 》
⑦「 」
⑧『 』
⑨【 】
といふ「9種類の括弧」を「必要」とする。
然るに、
(12)
⑩ It reminds us that while we may be a nation divided on policies, we are a country that stands united in condemning hate and evil in all of its very ugly forms.=
⑩ It reminds〈us{that[while《we may〈be{a-nation[divided〔on(policies)〕]}〉》, we are〔a-country(that【stands『united「in《condemning〈hate-and-evil{in[all〔of(its very ugly forms)〕]}〉》」』】)〕]}〉⇒
⑩ It〈{[《we 〈{[〔(policies)on〕divided]a-nation}be〉may》while, we 〔(【『「《〈{[〔(its very ugly forms)of〕all]in}hate-and-evil〉condemning》in」united』stands】that)a-country〕are]that}us〉reminds=
⑩ そのことは〈{[《我々が〈{[〔(政策)に於いて〕分断された]国民}である〉やも知れない》せよ, 我々が〔(【『「《〈{[〔(非常に醜い形)の〕あらゆる状態]にある}憎しみや悪を〉非難すること》に於いて」団結した』状態にある】所の)国家〕である]といふことを}我々に〉気付かせてくれる(Remarks by President Trump in Joint Address to Congress改:February 28, 2017)。
従って、
(12)により、
(13)
⑩ It reminds us that while we may be a nation divided on policies, we are a country that stands united in condemning hate and evil in all of its very ugly forms.
といふ「英語」の場合は、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
⑥《 》
⑦「 」
⑧『 』
⑨【 】
といふ「9種類の括弧」でも、「全然、足りなくて」、
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
⑤〈 〉
⑥《 》
⑦「 」
⑧『 』
⑨【 】
⑩( )
⑪〔 〕
⑫[ ]
⑬{ }
⑭〈 〉
といふ「14種類の括弧」を「必要」とする。
然るに、
(14)
⑩ It reminds〈us{that[while《we may〈be{a-nation[divided〔on(policies)〕]}〉》, we are〔a-country(that【stands『united「in《condemning〈hate-and-evil{in[all〔of(its very ugly forms)〕]}〉》」』】)〕]}〉
といふことは、「返り点」は、
十五〈十四{十三[庚《己〈戊{丁[丙〔乙(甲)〕]}〉》十二〔十一(十【九『八「七《六〈五{四[三〔二(一)〕]}〉》」』】)〕]}〉.
であって、それ故、
十五〈 〉⇒〈 〉十五
十四{ }⇒{ }十四
十三[ ]⇒[ ]十三
庚《 》⇒《 》庚
己〈 〉⇒〈 〉己
戊{ }⇒{ }戊
丁[ ]⇒[ ]丁
丙〔 〕⇒〔 〕丙
乙( )⇒( )乙
十二〔 〕⇒〔 〕十二
十一( )⇒( )十一
十【 】⇒【 】十
九『 』⇒『 』九
八「 」⇒「 」八
七《 》⇒《 》七
六〈 〉⇒〈 〉六
五{ }⇒{ }五
四[ ]⇒[ ]四
三〔 〕⇒〔 〕三
二( )⇒( )二
といふ「移動」を行ふと、
〈{[《〈{[〔(甲)乙〕丙]丁}戊〉己》庚〔(【『「《〈{[〔(一)二〕三]四}五〉六》七」八』九】十)十一〕十二]十三}十四〉十五=
甲<乙<丙<丁<戊<己<庚<一<二<三<四<五<六<七<八<九<十<十一<十二<十三<十四<十五。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(15)
「漢文訓読」の際の「返り点」は、
(Ⅰ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(Ⅲ)上 中 下
(Ⅳ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅴ)天 地 人
である。
然るに、
(16)
「英語」の場合、「1文字の単語」は、「a(不定冠詞)」だけであるが、「英文訓読」の於いて、「a(不定冠詞)」は、「返読」されない。
従って、
(14)(15)(16)により、
(17)
「英文訓読」の際の「返り点」は、
(Ⅰ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(Ⅱ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
であると、思はれる。
従って、
(18)
(09)(15)(17)により、
(18)
⑤ 何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者、信東周也、公何不与周地発質使之楚。秦必疑楚、不信周。是韓不伐也、又謂秦曰韓彊与周地、将以疑周於秦也、周不敢不受。
といふ「漢文」に対して、「返り点・括弧」を加へることと、
⑩ It reminds us that while we may be a nation divided on policies, we are a country that stands united in condemning hate and evil in all of its very ugly forms.
といふ「英文」に対して、「返り点・括弧」を加へることは、「同じ」ではなく、その意味でも、「英語」は、「訓読」には適してゐない。
―「先ほど(令和02年03月14日)」の「記事」を補足します。―
(01)
(02)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 二 一
② 下 二 一 中 上
③ 四 三 二 一
④ 地 丙 下 二 一 上 乙 甲 天
といふ「(レ点を含まない)返り点」が有れば、
⑤ レ
⑥ 二 レ 一レ
⑦ レ レ レ
⑧ 乙 下 二 レ 一 上レ 乙
といふ、「(レ点を含む)返り点」は、要らない。
従って、
(04)
「 括弧 」が表し得る「順番」と、
「返り点」が表し得る「順番」が、「同じ順番」であるか、否か。
といふことを、考へる際には、「レ点」の存在を、考慮する「必要」はない。
然るに、
(05)
「(レ点を含まない)返り点」が「漢字」に付いてゐる。といふことと、
「漢字」が「(レ点を含まない)返り点」に付いてゐる。といふことは、「同じ」である。
加へて、
(06)
「返り点」が付いてゐない「漢字」は、ただ単に、「(横書きであれば)左から右に読む」だけである。
従って、
(07)
「与へられた返り点(括弧)」を、「括弧(返り点)」を用ひて、「返り点(括弧)が示してゐる順番」に「並び変へる」ことが出来るのであれば、そのときに限って、
「括弧」が表す「順番」と、「返り点」が表す「順番」は、「等しい」。
然るに、
(08)
① 3{2(1)}。
に於いて、
3{ }⇒{ }3
2( )⇒( )2
といふ「移動」を行ふと、
① 3{2(1)}⇒
① {(1)2}3=
① 1<2<3。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(09)
② 2(3{1)}。
2( )⇒( )2
3{ }⇒{ }3
といふ「移動」を行ふと、
② 2(3{1)}⇒
② ({1)2}3=
① 1<2<3。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(10)
①{( )}
②({ )}
に於いて、
① は「括弧」であるが、
② は「括弧」ではない。
(11)
③ 6[3〔2(1)〕5(4)]。
に於いて、
6[ ]⇒[ ]6
3〔 〕⇒〔 〕3
2( )⇒( )2
5( )⇒( )5
といふ「移動」を行ふと、
③ 6[3〔2(1)〕5(4)]⇒
③ [〔(1)2〕3(4)5]6=
③ 1<2<3<4<5<6。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
(12)
④ 3〔6{2(5[1)〕4]}。
に於いて、
3〔 〕⇒〔 〕3
6{ }⇒{ }6
2( )⇒( )2
5[ ]⇒[ ]5
といふ「移動」を行ふと、
④ 3〔6{2(5[1)〕4]}⇒
④ 〔{([1)2〕34]5}6=
④ 1<2<3<4<5<6。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(13)
③[〔( )〕( )]
④ 〔{([ )〕]}
に於いて、
③ は「括弧」であるが、
④ は「括弧」ではない。
然るに、
(14)
① 3 2 1
③ 6 3 2 1 5 4
といふ「順番」の中には、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」は無い。
(15)
② 2<3>1
④ 3<6>2<5>1 4
といふ「順番」の中には、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」が有る。
従って、
(01)~(15)により、
(16)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」は、「与へられた順番」が、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」を、含んでゐないのであれば、そのときに限って、「その順番」を、
② 1<2<3<4<5<6<7<8<9・・・・・・
といふ「順番」に、「並び替へ」ることが、出来る。
然るに、
(17)
(ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
といふ「返り点」は、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」を、表し得るものの、実際の「漢文訓読」に於いては、「そのやうな順番」が、現れることは、無い。
然るに、
(18)
(ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅱ)上、中、下
(ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅳ)天、地、人
に於いて、
(ⅰ)を挟んで返る場合に、
(ⅱ)を用ひ、
(ⅱ)を挟んで返る場合に、
(ⅲ)を用ひ、
(ⅲ)を挟んで返る場合に、
(ⅳ)を用ひる。
然るに、
(19)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」であっても、「原理的」には、
①〈 〉
②《 》
③「 」
④『 』
⑤【 】
・・・・・・
といふ風に、「幾らでも、増やす」ことが、出来る。
従って、
(16)~(19)により、
(20)
(ⅰ)三、二、一
(ⅱ)下、中、上
(ⅲ)丙、乙、甲
(ⅳ)人、地、天
に於いて、
(ⅰ)を挟んで返る場合に、
(ⅱ)を用ひ、
(ⅱ)を挟んで返る場合に、
(ⅲ)を用ひ、
(ⅲ)を挟んで返る場合に、
(ⅳ)を用ひる。
といふ場合に於いて、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」が生じないのであれば、そのときに限って、
「括弧が表す順番」と「返り点が表す順番」は「等しい」。
然るに、
(21)
(ⅰ)三、二、一
(ⅱ)下、中、上
に於いて、
(ⅰ)を挟んで返る場合に、
(ⅱ)を用るのであれば、
⑤ 下 三 二 一 中 上
⑥ 下 中 三 二 一 上
⑦ 下 三 二 一 中 三 二 一 上
といふ、「3通り」である。
然るに、
(22)
⑤ 下 三 二 一 中 上
⑥ 下 中 三 二 一 上
⑦ 下 三 二 一 中 三 二 一 上
であれば、
⑤ 6 3 2 1 5 4
⑥ 6 5 3 2 1 4
⑦ 9 3 2 1 8 6 5 4 7
である。
然るに、
(23)
⑤ 6 3 2 1 5 4
⑥ 6 5 3 2 1 4
⑦ 9 3 2 1 8 6 5 4 7
といふ「順番」の中に、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」は無い。
然るに、
(20)により、
(24)
(ⅰ)三、二、一
(ⅱ)下、中、上
(ⅲ)丙、乙、甲
に於いて、
(ⅰ)と(ⅱ)の「関係」は、
(ⅱ)と(ⅲ)の「関係」に「等しい」。
従って、
(19)~(24)により、
(25)
(ⅱ)下 中 上
(ⅲ)丙 乙 甲
に於いて、
(ⅱ)を挟んで返る場合に、
(ⅲ)を用るのであれば、例へば、
⑧ 丙 ⑤ 乙 甲
⑨ 丙 中 ⑥ 甲
⑩ 丙 ⑤ 乙 ⑥ 甲
であるため、
⑧ 丙 6 3 2 1 5 4 乙 甲
⑨ 丙 乙 6 5 3 2 1 4 甲
⑩ 丙 6 3 2 1 5 4 乙 C B 9 8 7 A 甲
である。
従って、
(25)により、
(26)
例へば、
⑧ 9 6 3 2 1 5 4 8 7
⑨ 9 8 6 5 3 2 1 4 7
⑩ F 6 3 2 1 5 4 E C B 9 8 7 A D
は「16進数」であるが、これらの中に、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」は無い。
従って、
(26)により、
(27)
例へば、
⑭ F《6[3〔2(1)〕5(4)]E〈C{B[9〔8(7)〕A]}D〉》。
に於いて、
F《 》⇒《 》F
6[ ]⇒[ ]6
3〔 〕⇒〔 〕3
2( )⇒( )2
5( )⇒( )5
E〈 〉⇒〈 〉5
C{ }⇒{ }C
B[ ]⇒[ ]B
9〔 〕⇒〔 〕9
8( )⇒( )8
といふ「移動」を行ふと、
⑭ 《[〔(1)2〕3(4)5]6〈{[〔(7)8〕9A]B}CD〉E》F=
⑭ 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(28)
(ⅰ)三、二、一
(ⅱ)下、中、上
(ⅲ)丙、乙、甲
(ⅳ)人、地、天
に於いて、
(ⅱ)と(ⅲ)の「関係」は、
(ⅲ)と(ⅳ)の「関係」に「等しい」。
従って、
(24)~(28)により、
(29)
(ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅱ)上、中、下
(ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅳ)天、地、人
に於いて、
(ⅰ)を挟んで返る場合に、
(ⅱ)を用ひ、
(ⅱ)を挟んで返る場合に、
(ⅲ)を用ひ、
(ⅲ)を挟んで返る場合に、
(ⅳ)を用ひる。限り、
(ⅰ)~(ⅳ)が表し得る「順番」の中に、
⑥ n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」は無い。
従って、
(07)(16)(29)により、
(30)
「結論」として、
「括弧」が表す「順番」と「返り点」が表す「順番」は、「等しい」。
然るに、
(16)(29)により、
(31)
⑮ 二 五 三 一 四
⑮ 2<5 3>1 4
は、「返り点」ではないため、言はば、「返り点モドキ」である。
然るに、
(32)
従って、
(31)(32)により、
(33)
⑮ 端的看不出這婆子的本事来。
⑮ 西門慶促忙促急儧造不出床来。
といふ、「中国語(漢文ではない)」に付いてゐる、
⑮ 二 五 三 一 四
⑮ 二 五 三 一 四
は、「(複雑な)返り点」ではなく、「返り点モドキ」である。
(34)
話し言葉(中国語)に基づく白話文は、訓読には適してはゐなくて、
話し言葉(中国語)に基かない漢文は、訓読に、適してはゐる。
といふことは、「中国語と、漢文は、別物である。」
といふことに、他ならない。
然るに、
(35)
漢文は昔の中国語なので、中国語の文法で書かれています。
(返り点とは?付け方を分かりやすく解説!練習問題付き)
然るに、
(36)
中国の口語文(白話文)も、漢文とおなじように漢字を使っていますが、もともと二つのちがった体系で、単語も文法もたいへんちがうのですから、いっしょにあつかうことはできません。漢文と中国語は別のものです(魚返善雄、漢文入門、1966年、17頁)。しからば、口語はAxByであるものを、文章語はABとつづめても、これはこれで完全な文となり得る。かくして記載語のABは、はじめから口語のAxByとは別のものとして発生し、存在したと思われる(吉川幸次郎、漢文の話、1962年、59頁)。
従って、
(33)~(36)により、
(37)
漢文は昔の中国語なので、中国語の文法で書かれています。
といふのは、「ウソ」である。