日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(98)鏡の中(前後・上下・左右)について。

2018-10-22 20:38:08 | 「鏡の中の、上下左右」
―「一昨日の記事」を補足します。―
(01)
「チコちゃんに叱られる!(NHK、10月20日)」を視聴した上で、書いています。
(02)
「番組の中」で曰く、
①「前後の方向」と「上下の方向」が定まらなければ、「左右の方向」は定まらない。
②「上下の方向」と「左右の方向」が定まらなければ、「前後の方向」は定まらない。
③「左右の方向」と「前後の方向」が定まらなければ、「上下の方向」は定まらない。
④「鏡の中で逆転する」のは、実際には「前後」である。
⑤「鏡は何故、上下ではなく、左右を反転させる」のか、その「理由」は、未だ「謎」である。
(03)
にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が、ちょっとザラザラしたほうがです。
(紙の表裏・上下 - 書遊)
従って、
(03)により、
(04)
(α)「AE」と書いた「紙の」を、「 鏡 」に向けて「鏡の中を見る」ことが出来、
(β)「AE」と書いた「紙の表」を、「照明」に向けて「裏側から透かして見る」ことが出来る。
然るに、
(05)
(α)の場合は、「AE」は「∃A」という風に、見え、
(β)の場合も、「AE」は「∃A」という風に、見える。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(07)
「人間」の場合は、
背中の側」が「裏側」であって、
「お腹の側」が「表側」である。とする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(09)
背中を向けている人物β」が「回れ右」をすれば、
「人物βの上下」は「変わらず」、
「人物βの左右」が「逆転する」。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
お腹を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」と「」になる。
従って、
(10)により、
(11)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
背中を向けていた人物β」が「回れ右」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの左右」と「βの左右」が、「」になるのは、「当然」である。
然るに、
(12)
「背中」を向けている人物βが、「こちらを向く」ためには、
(ⅰ)「回れ右」をするか、
(ⅱ)「逆立ち」をするかの、どちらかです。
然るに、
(13)
「背中を向けている人物β」が「回れ右」ではなく、「逆立ち」をすれば、
「人物βの左右」は「変わらず」、
「人物βの上下」が「逆転する」。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
「背中を向けていた人物β」が「逆立ち」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの上下」と「βの上下」が、「」になるのは、「当然」である。
従って、
(11)(14)により、
(15)
鏡に映った像は、なぜ左右だけ反転して見えるのか(kju********さん、2018/9/1918:59:03)?
という「質問(ヤフー知恵袋)」に対しては、
私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、逆立ちして後ろを向き会話を始めるような生物であれば、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下反転している」と感じるでしょう(lo96969olさん、2014/4/20 2:29:22)。
という「回答(ヤフー知恵袋)」が、「正解」です。

(96)同一律・矛盾律・排中律(Ⅱ)。

2018-10-12 16:37:07 | 論理
(01)
①  P→ Q
② ~Q→~P
といふ「論理式」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふ「意味」である。
然るに、
(02)
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」は、
③(PであってQでない。)といふことはない。
といふ「意味」である。
然るに、
(03)
③(PであってQでない。)といふことはない。
といふ「日本語」は、
③「Pである。」と「Qでない。」の、「両方ともが、本当であることはない。」
といふ「意味」である。
然るに、
(04)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「両方ともが、本当であることはない。」
といふことは、
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
といふことである。
然るに、
(05)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
といふことは、
③「Pである。が本当である」ならば「Qでない。はウソである」。
③「Qでない。が本当である」ならば「Pである。はウソである」。
といふことである。
然るに、
(06)
③「Qでない。はウソである」。
③「Pである。はウソである」。
といふことは、
③「Qである。が本当である」。
③「Pでない。が本当である」。
といふことである。
従って、
(05)(06)により、
(07)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
といふことは、
③「Pである。が本当である」ならば「Qである。は本当である」。
③「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。は本当である」。
といふことである。
然るに、
(08)
③「Pである。が本当である」ならば「Qである。は本当である」。
③「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。は本当である」。
といふことは、要するに、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふことである。
従って、
(03)~(08)により、
(09)
③(PであってQでない。)といふことはない。
といふ「日本語」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふ「意味」である。
従って、
(01)(02)(09)により、
(10)
①  P→ Q
① ~Q→~P
といふ「論理式」は、
③ ~(P&~Q)
といふ「論理式」に「等しい」。
(11)
④ ~P∨Q
といふ「論理式」は、
④ Pでないか、Qである。
といふ「意味」である。
然るに、
(12)
④ Pでないか、Qである。
といふ「日本語」は、
④「Pでない。」と「Qである。」の、「両方ともが、ウソであることはない。」
といふ「意味」である。
然るに、
(13)
④「Pでない。」と「Qである。」の、「両方ともが、ウソであることはない。」
といふことは、
④「Pでない。」と「Qである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
といふことである。
然るに、
(14)
④「Pでない。」と「Qである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
といふことは、
④「Pでない。がウソである」ならば「Qである。はウソではなく本当である」。
④「Qである。がウソである」ならば「Pでない。はウソではなく本当である」。
といふことである。
然るに、
(15)
④「Pでない。はウソである」。
④「Qである。はウソである」。
といふことは、
④「Pである。が本当である」。
④「Qでない。が本当である」。
といふことである。
従って、
(14)(15)により、
(16)
④「Pでない。」と「Qである。」の、「両方ともが、ウソであることはない。」
といふことは、
④「Pである。が本当である」ならば「Qである。はウソではなく本当である」。
④「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。はウソではなく本当である」。
といふことである。
然るに、
(17)
④「Pである。が本当である」ならば「Qである。はウソではなく本当である」。
④「Qでない。が本当である」ならば「Pでない。はウソではなく本当である」。
といふことは、要するに、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふことである。
従って、
(12)~(17)により、
(18)
④ Pでないか、Qである。
といふ「日本語」は、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
といふ「意味」である。
従って、
(01)(02)(18)により、
(19)
①  P→ Q
② ~Q→~P
といふ「論理式」は、
④ ~P∨Q
といふ「論理式」に「等しい」。
従って、
(01)~(19)により、
(20)
「日本語」に「翻訳」するならば、
① PであるならばQである。
② QでないならばPでない。
③(PであってQでない。)といふことはない。
④ Pでないか、Qである。
といふ「意味」であるが故に、
①   P→ Q
②  ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④  ~P∨ Q
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(21)
(a)
1  (1) P→ Q A
 2 (2)   ~Q A
  3(3) P    A
1 3(4)    Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 24&I
12 (6)~P    35RAA
1  (7)~Q→~P 26CP
(b)
1  (1)~Q→~P A
 2 (2)    P A
  3(3)~Q    A
1 3(4)   ~P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6)~~Q   35RAA
12 (7)  Q   5DN
1  (8) P→ Q 27CP
(c)
1 (1)  P→ Q  A
 2(2)  P&~Q  A
 2(3)  P     2&E
 2(4)    ~Q  2&E
12(5)     Q  12MPP
12(6)  ~Q&Q  45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(d)
1  (1)~(P&~Q)  A
 2 (2)  P      A
  3(3)    ~Q   A
 23(4)  P&~Q   23&E
123(5)~(P&~Q)&
       (P&~Q)  14&I
12 (6)   ~~Q   45RAA
12 (7)     Q   6DN
1  (8)  P→ Q   27CP
(e)
1 (1)P→ Q A
 2(2)P&~Q A
 2(3)P    2&E
 2(4)  ~Q 2&E
12(5)   Q 14MPP
12(6)~Q&Q 45&I
1 (7) ~~Q 46RAA
1 (8)   Q 7DN
1 (9)~P∨Q 8&I
(f)
1     (1) ~P∨ Q   A
 2    (2)  P&~Q   A
  3   (3) ~P      A
 2    (4)  P      2&E
 23   (5) ~P& P   34&I
  3   (6)~(P&~Q)  25RAA
   7  (7)     Q   A
 2    (8)    ~Q   2&E
 2 7  (9)  Q&~Q   78&I
   7  (ア)~(P&~Q)  29RAA
1     (イ)~(P&~Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)  P      A
     エ(エ)    ~Q   A
    ウエ(オ)  P&~Q   エオ&I
1   ウエ(カ)~(P&~Q)&
          (P&~Q)  イオ&I
1   ウ (キ)   ~~Q   7カRAA
1   ウ (ク)     Q   キDN
1     (ケ)  P→ Q   ウクCP
従って、
(21)により、
(22)
「自然演繹の規則」により、
①   P→ Q
②  ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④  ~P∨ Q
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(20)(22)により、
(23)
日本語」で考へても、「自然演繹」で考へても、
①   P→ Q
②  ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④  ~P∨ Q
といふ「論理式」に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(04)(13)により、
(24)
③「Pである。」と「Qでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Qである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
然るに、
(25)
①  P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~P∨ Q
に於いて、「Q=P」といふ「代入」を行ふと、
①  P→ P
② ~P→~P
③ ~(P&~P)
④ ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである(同一律)。
② PでないならばPでない(同一律の対偶)。
③ PであってPでない。といふことはない(矛盾律)。
④ PでないかPである(排中律)。
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(24)(25)により、
(26)
③「Pである。」と「Pでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Pである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
然るに、
(27)
 ブロムウエルの疑問 ― 排中律は無限集合でも成立するか? ― 中略、―
ここで、排中律とは。「Pであるか、Pでないか、そのどちらかが成り立つ」というものです(吉永良正、ゲーデル・不完全性定理、1992年、159頁)。
従って、
(26)(27)により、
(28)
③「Pである。」と「Pでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Pである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
⑤「Pである。」と「Pでない。」の、「そのどちらか一方が、成り立つ。」
然るに、
(29)
③「どちらかが、本当なら未然形)ば、もう一方はウソである。」
④「どちらかが、ウソなら未然形)ば、もう一方は本当である。」
⑤「そのどちらか一方が、成り立終止形)。」
に於いて、
③と④は、「同じこと」であるが、
④と⑤は、「同じこと」であるとは、思へない。
従って、
(27)(28)(29)により、
(30)
排中律とは。「Pであるか、Pでないか、そのどちらかが成り立つ」というものです。
といふ「言ひ方」は、「正しくはない」のでは、といふ風に、思へる。
然るに、
(31)
いづれにせよ、
③「Pである。」と「Pでない。」の、「どちらかが、本当ならば、もう一方はウソである。」
④「Pでない。」と「Pである。」の、「どちらかが、ウソならば、もう一方は本当である。」
に於いて、
③と④は、「同じこと」であるに、違いない。
従って、
(25)(27)(31)により、
(32)
「排中律」は「無限集合」では、必ずしも成立しない。
といふのであれば、
「矛盾律」も「無限集合」では、必ずしも成立しない。
といふことになる。

(95)同一律・矛盾律・排中律。

2018-10-09 17:42:34 | 論理
―「10月05日の記事」を書き直します。―
(01)
(02)で示す通り、
①  P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~P∨ Q
に於いて、すなはち、
① PならばQである。
② QでないならばPでない。
③ PであってQでない。といふことはない。
④ PでないかQである。
に於いて、
①=②=③=④ である。
(02)
(a)
1  (1) P→ Q A
 2 (2)   ~Q A
  3(3) P    A
1 3(4)    Q 13MPP
123(5) ~Q&Q 24&I
12 (6)~P    35RAA
1  (7)~Q→~P 26CP
(b)
1  (1)~Q→~P A
 2 (2)    P A
  3(3)~Q    A
1 3(4)   ~P 13MPP
123(5) P&~P 24&I
12 (6)~~Q   35RAA
12 (7)  Q   5DN
1  (8) P→ Q 27CP
(c)
1 (1)  P→ Q  A
 2(2)  P&~Q  A
 2(3)  P     2&E
 2(4)    ~Q  2&E
12(5)     Q  12MPP
12(6)  ~Q&Q  45&I
1 (7)~(P&~Q) 26RAA
(d)
1  (1)~(P&~Q)  A
 2 (2)  P      A
  3(3)    ~Q   A
 23(4)  P&~Q   23&E
123(5)~(P&~Q)&
       (P&~Q)  14&I
12 (6)   ~~Q   45RAA
12 (7)     Q   6DN
1  (8)  P→ Q   27CP
(e)
1 (1)P→ Q A
 2(2)P&~Q A
 2(3)P    2&E
 2(4)  ~Q 2&E
12(5)   Q 14MPP
12(6)~Q&Q 45&I
1 (7) ~~Q 46RAA
1 (8)   Q 7DN
1 (9)~P∨Q 8&I
(f)
1     (1) ~P∨ Q   A
 2    (2)  P&~Q   A
  3   (3) ~P      A
 2    (4)  P      2&E
 23   (5) ~P& P   34&I
  3   (6)~(P&~Q)  25RAA
   7  (7)     Q   A
 2    (8)    ~Q   2&E
 2 7  (9)  Q&~Q   78&I
   7  (ア)~(P&~Q)  29RAA
1     (イ)~(P&~Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)  P      A
     エ(エ)    ~Q   A
    ウエ(オ)  P&~Q   エオ&I
1   ウエ(カ)~(P&~Q)&
          (P&~Q)  イオ&I
1   ウ (キ)   ~~Q   7カRAA
1   ウ (ク)     Q   キDN
1     (ケ)  P→ Q   ウクCP
従って、
(03)
①  P→ Q
② ~Q→~P
③ ~(P&~Q)
④ ~P∨ Q
に於いて、「Q=P」といふ「代入」を行ふと、
①  P→ P
② ~P→~P
③ ~(P&~P)
④ ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(04)
①  P→ P
② ~P→~P
③ ~(P&~P)
④ ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於いて、
① は「同一律」であって、
② は「 対偶 」であって、
③ は「矛盾律」であって、
④ は「排中律」である。
従って、
(03)(04)により、
(05)
①  P→ P
② ~P→~P
③ ~(P&~P)
④ ~P∨ P
に於いて、すなはち、
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於いて、
①=②=③=④ であって、尚且つ、「これらの四つの式」は、「恒真式(恒に真)」である。
然るに、
(06)
① Pなら(未然形)ばPであり(、PでないならばPでない)。
② Pでないなら(未然形)ばPでなく(、PならばPである)。
といふ「言ひ方」は、
① Pである。とは言ってゐないし、
② Pでない。とも言ってゐない。
然るに、
(07)
① Pである。とは言ってゐないし、
② Pでない。とも言ってゐない。
と言ふのであれば、
④ Pであるか、Pでないか、そのどちらか一方が成り立つ
とまでは、言ってゐないのでは(?)といふ風に、思はれる。
従って、
(04)~(07)により、
(08)
① PならばPである。
② PでないならばPでない。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
に於ける、
④ PでないかPである。
の場合は、飽くまでも、
④ PでないかPである。
であって、
④ Pであるか、Pでないか、そのどちらか一方が成り立つ
といふことではない。といふ風に、思はれる。
従って、
(05)(06)(08)により、
(09)
① PならばPであり(、PでないならばPでない)。
② PでないならばPでなく(、PならばPである)。
③ PであってPでない。といふことはない。
④ PでないかPである。
⑤ Pであるか、Pでないか、そのどちらか一方が成り立つ
に於いて、
①=②=③=④   であって、
      ④=⑤ ではない。といふ風に、思はれる。

(92)「Pならば(QならばPである)。」は「公理(当然)」である(Ⅱ)。

2018-10-02 16:50:05 | 論理
(01)
ヒルベルト演繹システムは、公理が多く、推論規則が少ないものです。そして、公理も、わけのわからない論理式となっています。例えば、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
という論理式公理として設定されています。つまり、この論理式出発点として演繹を行って良い。ということです、多くの人は、この論理式の意味が飲み込めないでしょう(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、136頁)。
然るに、
(02)
(a)
  1 (1)  P→(Q→ P)   A
   2(2)  P&(Q&~P)   A
   2(3)  P          2&E
   2(4)     Q&~P    2&E
   2(5)     Q       2&E
   2(6)       ~P    4&E
  12(7)     Q→ P    13MPP
  12(8)        P    57MPP
  12(9)     ~P&P    68&I
  1 (ア)~{P&(Q&~P)}  29RAA
(b)
1   (1)~{P&(Q&~P)}  A
 2  (2)  P          A
  3 (3)    (Q&~P)   A
 23 (4)  P&(Q&~P)   34&I
123 (5)~{P&(Q&~P)}& 
        {P&(Q&~P)}  14&I
12  (6)   ~(Q&~P)   35RAA
  7 (7)     Q       A
   8(8)       ~P    A
  78(9)     Q&~P    78&I
1278(ア)   ~(Q&~P)&
           (Q&~P)   69&I
127 (イ)      ~~P    8アRAA
127 (ウ)        P    イDN
12  (エ)     Q→ P    7ウCP
1   (オ)  P→(Q→ P)   2エCP
従って、
(02)により、
(03)
① P→(Q→ P) 
② ~{P&(Q&~P)}
に於いて、すなはち、
①  Pならば、(Qならば、Pである)。
② {Pであって(QであってPでない)。}といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
(c)
1(1) P&(Q&~P) A
1(2) P        1&E
1(3)    Q&~P  1&E
1(4)    Q     3&E
1(5)      ~P  3&E
1(6) P&~P     25&I
1(7)(P&~P)&Q  46&I
1(〃)(PであってPでなくて)Qである。
従って、
(03)(04)により、
(05)
①   P→(Q→ P) 
② ~{(P&~P)&Q}
に於いて、すなはち、
①   Pならば、(Qならば、Pである)。
② {(PであってPでなくて)Qである)。}といふことはない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(06)
② {(PであってPでない)。}といふことはない。
といふこと(矛盾律)は、「常に、本当」である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
①   Pならば、(Qならば、Pである)。
② {(PであってPでなくて)Qである)。}といふことはない。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② は、「常に、本当」である。
従って、
(07)により、
(08)
① Pならば(QならばPである)。
といふことは、「常に、本当」である。
従って、
(01)(08)により、
(09)
ヒルベルト演繹システムは、公理が多く、推論規則が少ないものです。そして、公理も、わけのわからない論理式となっています。例えば、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
という論理式公理として設定されています。つまり、この論理式を出発点として演繹を行って良い。ということです、多くの人は、この論理式の意味が飲み込めないでしょう
とは、言ふものの、
① P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
といふことは、「常に、本当」である。
従って、
(01)~(09)により、
(10)
(a)
  1 (1)  P→(Q→ P)   A
   2(2)  P&(Q&~P)   A
   2(3)  P          2&E
   2(4)     Q&~P    2&E
   2(5)     Q       2&E
   2(6)       ~P    4&E
  12(7)     Q→ P    13MPP
  12(8)        P    57MPP
  12(9)     ~P&P    68&I
  1 (ア)~{P&(Q&~P)}  29RAA
    (〃){Pであって(QであってPでない)。}といふことはない。
(b)
1   (1)~{P&(Q&~P)}  A
 2  (2)  P          A
  3 (3)    (Q&~P)   A
 23 (4)  P&(Q&~P)   34&I
123 (5)~{P&(Q&~P)}& 
        {P&(Q&~P)}  14&I
12  (6)   ~(Q&~P)   35RAA
  7 (7)     Q       A
   8(8)       ~P    A
  78(9)     Q&~P    78&I
1278(ア)   ~(Q&~P)&
           (Q&~P)   69&I
127 (イ)      ~~P    8アRAA
127 (ウ)        P    イDN
12  (エ)     Q→ P    7ウCP
1   (オ)  P→(Q→ P)   2エCP
    (〃)Pならば(QならばPである)。
(c)
   1(1) P&(Q&~P) A
   1(2) P        1&E
   1(3)    Q&~P  1&E
   1(4)    Q     3&E
   1(5)      ~P  3&E
   1(6) P&~P     25&I
   1(7)(P&~P)&Q  46&I
   1(〃)(PであってPでなくて)Qである。
といふ「自然演繹」が、「理解」出来れば、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
に関して、多くの人は、この論理式の意味が飲み込めないでしょう。
といふことには、ならない。
然るに、
(11)
ヒルベルト演繹システムや、ゲンツェンのシークエント計算は、数理論理学者になるためには不可欠ですが、私たちが論理式の演算システムを初めて勉強するには全く不向きです。そこで本書は、ゲンツェンの「自然演繹」を解説することにします。「自然演繹」は、できるだけ私たちの日常の議論数学の証明で行われる推論として、ゲンツェンが編み出したものです(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、136・137頁改)。命題計算の規則は、本質的にゲンツェン(G.Gentzen)に由来するものである(E.J.レモン 著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、序文ⅲ)。
従って、
(10)(11)により、
(12)
数理論理学者になるつもりがない人が、仮に、
  P→(Q→P)(Pならば(QならばP))
といふ「公理」を、理解したいのであれば、「自然演繹」の「教科書」を、読むことを、勧めたい。