日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(206)かなり不思議な「~(P→~Q)」について。

2019-05-03 11:55:41 | 「鏡の中の、上下左右」

―「昨日の記事(205)」の「続き」を書きます。―
従って、
(03)(07)により、
(08)
  「P→ Q」 は、「Pであるとも、Qであるとも、言ってゐない」が、
「~(P→~Q)」は、「Pであって、 Qであると、 言ってゐる」し、
「~(Q→~P)」は、「Qであって、 Pであると、 言ってゐる」。
従って、
(08)により、
(09)
(ⅰ)~(P→~Q)
(ⅱ)  P& Q
に於いて、例へば、
 P=「明日は雨である。」
 Q=「釣りに行く。」
であるとすると、
(ⅰ)「明日が雨ならば、釣りには行かない。」といふことはない。
(ⅱ)「明日は雨であり、釣りに行く。」
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(10)
(ⅰ)「明日が雨ならば、釣りには行かない。」といふことはない。
(ⅱ)「明日は雨であり、釣りに行く。」
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
といふのは、「常識的には、ヲカシイ。」
然るに、
(11)
(ⅰ)
1  (1)~( P→~Q)  A
1  (2)~(~P∨~Q)  1含意の定義
 2 (3)  ~P      A
 2 (4)  ~P∨~Q   3∨I
12 (5)~(~P∨~Q)&
        (~P∨~Q)  24&I
1  (6) ~~P      25RAA
1  (7)   P      6DN
  8(8)     ~Q   A
  8(9)  ~P∨~Q   8∨I
1 8(ア)~(~P∨~Q)&
       (~P∨~Q)  29&I
1  (イ)    ~~Q   8アDN
1  (ウ)      Q   1DN
1  (エ)    P&Q   7ウ&I
(ⅱ)
1  (1)   P& Q   A
 2 (2)   P→~Q   A
1  (3)   P      1&E
12 (4)     ~Q   23MPP
1  (5)      Q   1&E
12 (6)   ~Q&Q   45&I
1  (7)~( P→~Q)  16RAA
従って、
(05)(11)により、
(12)
(ⅰ)~(P→~Q)
(ⅱ)  P& Q
に於いて、たしかに、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(13)
(ⅰ)~(P→~Q) が、「真」であるならば、
(ⅱ) (P→~Q) が、「偽」でなければならない。
然るに、
(14)
(ⅱ)  (P→~Q) が、「偽」であるならば、
(ⅲ)  (真  真) でなければ、ならない。
従って、
(13)(14)により、
(15)
(ⅰ)~(P→~Q) が、「真」であるならば、
(ⅲ) (真  真) でなければ、ならない。
従って、
(13)(14)(15)により、
(16)
その「意味」でも、
(ⅰ)~(P→~Q)
(ⅱ)  P& Q
に於いて、たしかに、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(10)(16)により、
(17)
「常識的には、ヲカシイ。」としても、「命題論理」としては、  
(ⅰ)「明日が雨ならば、釣りには行かない。」といふことはない。
(ⅱ)「明日は雨であり、釣りに行く。」
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。と、せざるを得ない。
然るに、
(18)
(ⅰ)「明日が雨ならば、釣りには行かない。」といふことはない。
といふ「日本語」は、普通は、
(ⅰ)「たとへ、明日が雨であっても、釣りに行く。」
といふ「意味」である。
然るに、
(19)
(ⅰ)「たとへ、明日が雨であっても、釣りに行く。」
(ⅱ)「明日は雨であり、釣りに行く。」
に於いても、
(ⅰ)=(ⅱ) ではない。
従って、
(17)(18)(19)により、
(20)
その「意味」では、「日本語」は、「非論理学的な言語」なのかも知れない。
然るに、
(21)
「英語」であっても、
(ⅰ)If it rains tomorrow, I will not go fishing.
(ⅱ)It will surely rain tomorrow. I will go fishing.
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) ではない。
従って、
(20)(21)により、
(22)
(ⅰ)~(P→~Q)
(ⅱ)  P& Q
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
といふことが、「常識的には、ヲカシイ。」
といふことは、「英語」であっても、「同様」であるに、違ひない。

(190)反論: どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?

2019-04-22 12:50:49 | 「鏡の中の、上下左右」

(01)
解答: どうして鏡は左右を逆に映すのに上下はそのままなの?
2008年04月23日 20時23分52秒 | 学校で教えてくれないコト(gooブログ)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前と奥を逆転させている。」だけなのだ。
然るに、
(02)
「紙に書いた文字」は「2次元(平面)」であって、「3次元(立体)」ではない。
然るに、
(03)
「2次元(平面)」に有るのは「上下左右」だけであって、「前後(手前と奥)」は無い。
従って、
(02)(03)により、
(04)
「紙に書いた文字」には「奥行(手前と奥)」が無い故がに、
「紙に書いた文字」の、「奥行(手前と奥)」を「逆転させる」ことは、出来ない。
従って、
(01)(04)により、
(05)
「紙に書いた文字」に関しては、
『鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前逆転させている。」だけなのだ。』
といふことには、ならない
然るに、
(06)
紙にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が表、ちょっとザラザラしたほうが裏です。
(紙の表裏・上下 2017年5月8日、コラム, 紙, 道具の話|紙)
それ故、
(06)により、
(07)
「紙の表面」を「紙の表面」と呼び、
「紙の裏面」を「紙の背中」と呼ぶことにする。
然るに、
(08)
「AE」といふ「文字」を、
「コピー用紙の表面」に書いてから、「そのコピー用紙の背中(裏面)」を見ると、
「AE」といふ「文字」は、「背中(裏面)の側」には無い。
然るに、
(09)
「AE」と書いた「そのコピー用紙の背中(裏面)」を、自分に向けたまま、「照明にかざす」と、「コピー用紙」は「十分に薄い(0.08㎜)」ため、
「∃A」といふ「文字」が「透けて見える」。
然るに、
(10)
「AE」と書いた「コピー用紙」を「鏡に向ける」と、「鏡の中」で、
「AE」といふ「文字」は、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
「鏡の中」の
「∃A」といふ「文字」は、
「AE」と書いた「コピー用紙の表面」を、
背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形」に「等しい」。
然るに、
(10)により、
(12)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
「鏡の中」で、
「AE」といふ「Tシャツの文字」は、言ふまでもなく、
「∃A」といふ「文字」に見える。
従って、
(11)(12)により、
(13)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
鏡の中の、文字輪郭」と、
鏡の中の、自分輪郭」は、
鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
然るに、
(14)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、こちらを向いてゐる。」
従って、
(14)により、
(15)
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中を向けてゐない。」
従って、
(13)(15)により、
(16)
「鏡の前」に立つとき、
「鏡の中の、もう一人の自分は、背中(裏面)を向けてゐないのに、背中(裏面)を向けてはゐる。」
然るに、
(17)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、言ふまでもなく、
「AE」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(18)
「∃A(鏡の)」と、
「AE(鏡の)」は、
左右(∃E)がで、上下(AA)が等しい。」
従って、
(17)(18)により、
(19)
「鏡の中の人物」を、
「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「左右(∃E)が逆で、上下(AA)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(19)により、
(20)
「鏡の中の人物」は、
回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定しなければ、ならない
cf.
背理法(Reductio ad absurdum)。
然るに、
(21)
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「回れ右」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「AE」に「見える」ものの、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着た人物が、「逆立ち」をして「こちらを向く」ならば、
「AE」といふ「文字」は、
「∃∀」といふ「文字」に「見える」。
然るに、
(22)
「∃A(鏡の)」と、
「∃∀(鏡の)」は、
上下(A∀)がで、左右(∃∃)が等しい。」
従って、
(21)(22)により、
(23)
「鏡の中の人物」を、
「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
と「仮定」すると、
「上下(A∀)が逆で、左右(∃∃)が等しい。」
といふ「矛盾」が生じる。
従って、
(23)により、
(24)
「鏡の中の人物」は、
逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。
といふ「仮定」は、「否定しなければ、ならない
従って、
(20)(24)により、
(25)
α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、
「否定」しなければ、ならない。
β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」は、
「否定」しなければ、ならない。
然るに、
(26)
我々は、「後ろを振り向く」際に、「逆立ちをして、振り向く」といふことを、「普通は、しない。」
従って、
(25)(26)により、
(27)
α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」。
といふ「二つの仮定」の内の、
β)に関しては、「初めから、否定済み」であるものの、
α)に関しては、「否定、出来ない」のが、「普通」である。
従って、
(17)~(27)により、
(28)
β)「鏡の中の人物」は、「逆立ち」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」だけでなく、
α)「鏡の中の人物」は、「回れ右」をして「こちらを向いた」後の、「もう一人の自分」である。といふ「仮定」も、
同時に、否定」しなければ、ならない。
といふことに「気づくことが出来ず」、それ故、「どうして鏡は左右に映すのに上下そのままなの?」
といふ「疑問」だけが、生じることになる。
然るに、
(29)
このことを、「理解」するためには、
「AE」と書いた「Tシャツ」を着て、「鏡の前」に立つと、
鏡の中の、文字輪郭」と、
鏡の中の、自分輪郭」は、両方とも、
鏡の外で、背中(裏面)を向けて立ってゐる際の、輪郭」に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
然るに、
(30)
このことを、「理解」するためには、まず最初に、
「鏡の中」の、例へば、「∃A」といふ「文字」は、「AE」と書いた「コピー用紙の表面(2次元)」を、『背中(裏面)の側から、透かして見てゐる際の形』に「等しい」。
といふことを、「理解」する必要がある。
従って、
(31)
大事なことは「実は鏡は左右を逆に映していない。」という点だ。そして「上下も逆に映していない。」のだ。
といふことは、その通りだとしても、
鏡がしていることは「鏡を正面から見たときに手前逆転させている。」だけなのだ。
といふことを、敢へて「強調」する「必要」はない。といふ風に、思はれる。

(178)「天帝使我長百獣。」の「述語論理」。

2019-04-17 11:18:33 | 「鏡の中の、上下左右」

(01)
③ 天帝使我長百獣=
③ 天帝使〔我長(百獣)〕⇒
③ 天帝〔我(百獣)長〕使=
③ 天帝〔我をして(百獣に)長たら〕使む=
③ 天帝 let me be the chief of all the beasts.
(02)
1    (1)∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}  A
 2   (2)  ∃y{天帝a&我y&∀z(獸z⇔長ayz)}  A
  3  (3)     天帝a&我b&∀z(獸z⇔長abz)   A
  3  (4)            ∀z(獸z⇔長abz)   3&E
  3  (5)               獸c⇔長abc    4UE
  3  (6)    獸c→長abc&長abc→獸c       5Df.⇔
  3  (7)            長abc→獸c       6&E
  3  (8)   ~獸c→~長abc              7対偶
   9 (9)∃w(鳥w&~獸w)                A
    ア(ア)   鳥c&~獸c                 A
    ア(イ)   鳥c                     ア&E
    ア(ウ)      ~獸c                 イ&E
  3 ア(エ)      ~長abc               8ウMPP
  3 ア(オ)   鳥c&~長abc               イエ&I
  3 ア(カ)∃w(鳥w&~長abw)              オEI
  39 (キ)∃w(鳥w&~長abw)              9アカEE
 2   (ク)     天帝a&我b               3&E
 239 (ケ)     天帝a&我b&∃w(鳥w&~長abw)  キク&I
 239 (コ)  ∃y{天帝a&我y&∃w(鳥w&~長ayw)  ケEI
 2 9 (サ)  ∃y{天帝a&我y&∃w(鳥w&~長ayw)} 23コEE
 2 9 (シ)∃x∃y{天帝x&我y&∃w(鳥w&~長xyw)} サEI
1  9 (ス)∃x∃y{天帝x&我y&∃w(鳥w&~長xyw)} 12シEE
従って、
(02)により、
(03)
(1)あるxは天帝であり、あるyは我であって、すべてのzについて、zが獸であるならば、その時に限って、xはyを、zの長にする。 と「仮定」し、
(9)あるwは鳥であって獸ではない。 と「仮定」すると、
(ス)あるxは天帝であり、あるyは我であって、あるwは鳥であって獸ではないが、xは、yを、wの長にはしない。 といふ『結論』を得る。
(∴)我は、百獸の長であっても、鳥の長ではない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
③ 天帝使我長百獣=
といふ「漢文訓読」は、
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}=
③ あるxは天帝であり、あるyは我であって、すべてのzについて、zが獸であるならば、その時に限って、xはyを、zの長にする。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(04)により、
(05)
『これ迄に示した記事』と、併せて言ふと、
(a)
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
(b)
① 虎百獸を求め而之を食らひ狐を得たり。
② 狐曰はく、子敢へて我を食らふこと無かれ。
③ 天帝、我をして百獸に長たら使む。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
⑤ 子我を以て信なら不と爲さば、吾子の爲に先行せむ。
⑥ 子我が後に隨ひて觀よ。
⑦ 百獸之我を見て敢へて走ら不らんや。と。
⑧ 虎以て然りと爲す。
⑨ 故に遂に之與行く。
⑩ 獸之を見て皆走る。
⑪ 虎獸の己を畏れて走るを知ら不るなり。
⑫ 以て狐を畏るると爲す也。と。
といふ「漢文(戦国策、虎の威を借かる)」に於ける、
① 虎求百獸而食之得狐。
③ 天帝使我長百獸。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
といふ「漢文」は、それぞれ、
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(06)
② 狐曰子無敢食我也。⇔
② 狐曰はく、子敢へて我を食らふこと無かれ。
の場合は、「命令形」である。
然るに、
(07)
「論理学」は「命題」だけを「研究の対象」とし、尚且つ、「命令形」は、「命題」ではない。
従って、
(06)(07)により、
(08)
② 狐曰子無敢食我也。⇔
② 狐曰はく、子敢へて我を食らふこと無かれ。
といふ「漢文訓読」を、「述語論理」に「翻訳」することは、出来ない。
(09)
① ∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}
③ ∃x∃y{天帝x&我y&∀z(獸z⇔長xyz)}
⑦ ∃x{我x&∀y(獸y→見yx&走y)}
に於ける「変数(x、y、z)」は、「個物(集合の要素)」に、対応する。
然るに、
(10)
④ 今子食我是逆天帝命也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
に於ける、
④ 天帝の命
は、「個物(集合の要素)」ではない。
従って、
(09)(10)により、
(11)
④ 今子食我是逆天帝也。⇔
④ 今子我を食らはば、是れ天帝に逆らふなり。
といふ「漢文訓読」を、「述語論理」に「翻訳」することは、出来ない。
然るに、
(12)
④ 今子食我是逆天帝命也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝の命に逆らふなり。
ではなく、
④ 今子食我是逆天帝也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝に逆らふなり。
とするならば、
④ 天帝
は、「個物(集合の要素)」である。
従って、
(09)(12)により、
(13)
④ 今子食我是逆天帝也。
④ 今子我を食らはば、是れ天帝に逆らふなり。
であるならば、
④ ∃x∃y∃z{子x&我y&天帝z&(食xy→逆xz)}⇔
④ あるxは子であって、あるyは我であって、あるzは天帝であって、xがyを食らふならば、xはzに逆らふ。
といふ「述語論理」に、「翻訳」することが、出来る。
従って、
(05)~(13)により、
(14)
いづれにせよ、
① 虎求百獸而食之得狐。
② 狐曰子無敢食我也。
③ 天帝使我長百獸。
④ 今子食我是逆天帝命也。
⑤ 子以我爲不信吾爲子先行。
⑥ 子隨我後觀。
⑦ 百獸之見我而敢不走乎。
⑧ 虎以爲然。
⑨ 故遂與之行。
⑩ 獸見之皆走。
⑪ 虎不知獸畏己而走也。
⑫ 以爲畏弧也。
といふ「漢文の全体」を、「述語論理」に「翻訳」することは、出来ない。

(173)「量化子の関係」について(Ⅱ)。

2019-04-15 15:47:31 | 「鏡の中の、上下左右」

(01)
(Ⅰ)
1   (1) ~∀x∀y( 愛xy)  A
 2  (2) ~∃x∃y(~愛xy)  A
  3 (3)      (~愛ab)  A
  3 (4)    ∃y(~愛ay)  3EI
  3 (5)  ∃x∃y(~愛xy)  4EI
 23 (6) ~∃x∃y(~愛xy)&
         ∃x∃y(~愛xy)  25&I
 2  (7)     (~~愛ab)  36RAA
 2  (8)      ( 愛ab)  7DN
 2  (9)    ∀y( 愛ay)  8UI
 2  (ア)  ∀x∀y( 愛xy)  9UI
12  (イ) ~∀x∀y( 愛xy)&
         ∀x∀y( 愛xy)  1ア&I
1   (ウ)~~∃x∃y(~愛xy)  2イRAA
1   (エ)  ∃x∃y(~愛xy)  ウDN
(Ⅱ)
1   (1)  ∃x∃y(~愛xy)  A
 2  (2)  ∀x∀y( 愛xy)  A
  3 (3)    ∃y(~愛ay)  A
   4(4)      (~愛ab)  A
 2  (5)    ∀y( 愛xb)  2UE
 2  (6)      ( 愛ab)  5UE
 2 4(7)(~愛ab)&(愛ab)  46&I
   4(8) ~∀x∀y( 愛xy)  27RAA
  3 (9) ~∀x∀y( 愛xy)  348EE
1   (ア) ~∀x∀y( 愛xy)  139EE
12  (イ)  ∀x∀y( 愛xy)&
        ~∀x∀y( 愛xy)  2ア&I
1   (ウ) ~∀x∀y( 愛xy)  2イRAA
従って、
(01)により、
(02)
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
に於いて、
(Ⅰ)ならば、(Ⅱ)であり、
(Ⅱ)ならば、(Ⅰ)である。
従って、
(02)により、
(03)
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
従って、
(03)により、
(04)
{人間}が{変域(ドメイン)}であるとして、
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)=すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)=ある人は、ある人を、愛してゐない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
然るに、
(05)
(Ⅰ)すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ)ある人は、ある人を、愛してゐない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
といふのであれば、例へば、
(Ⅰ)皆愛人也=人皆、人を愛するに非ざるなり。
(Ⅱ)人有不愛人者=人に、人を愛さざる者有り。
に於いても、当然、
(Ⅰ)=(Ⅱ)である。
然るに、
(06)
「漢文」でなくとも、例へば、
(Ⅰ)It is not true that everybody loves everybody.
(Ⅱ)There are some people who don't love somebody.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ)みんながみんなを愛しているわけではありません。
(Ⅱ)誰かを愛していない人もいます。
といふ「日本語」が、出力される。
(07)
(Ⅰ)It is not true that everybody loves everybody.
(Ⅱ)There are some people who don't love somebody.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ) Það er ekki satt að allir elska alla.
(Ⅱ) Það eru sumir sem elska ekki einhvern.
といふ「アイスランド語」が、出力される。
(08)
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ) Það er ekki satt að allir elska alla.
(Ⅱ) Það eru sumir sem elska ekki einhvern.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ)みんながみんなを愛しているというのは事実ではありません。
(Ⅱ)誰かを愛さない人もいます。
といふ「アイスランド語」が、出力さる。
(09)
(Ⅰ)It is not true that everybody loves everybody.
(Ⅱ)There are some people who don't love somebody.
を、「グーグル翻訳」にかけると、
(Ⅰ) Ce n'est pas vrai que tout le monde aime tout le monde.
(Ⅱ) Il y a des gens qui n'aiment pas quelqu'un.
といふ「ルランス語」が、出力さる。
(10)
(Ⅰ) Ce n'est pas vrai que tout le monde aime tout le monde.
(Ⅱ) Il y a des gens qui n'aiment pas quelqu'un.
といふ「ルランス語」が、出力さる。
(Ⅰ)みんながみんなを愛しているのは事実ではありません。
(Ⅱ)誰かが好きではない人がいます。
従って、
(01)~(10)により、
(11)
「日本語、漢文、英語、アイスランド語、フランス語」で考へても、
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
然るに、
(12)
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)
といふ「論理式」は、「(古典一階)述語論理」の、「論理式」である。
然るに、
(12)
古典一階述語論理を学ぶことは論理学を学ぶ第一歩であるというのが正しい。
(飯田隆 編、論理の哲学、2005年、17頁)
然るに、
(13)
「論理学」を学んでそれが「理解」できる。といふことは、もともと、
「我々の、頭の構造」が、「そのやうに、出来てゐる」といふことが、『必要条件』であるいふ風に、考へられる。
従って、
(14)
「日本人、中国人、イギリス人、アイスランド人、フランス人」に限らず、「人類の頭の中」には、例へば、
(Ⅰ)
1   (1) ~∀x∀y( 愛xy)  A
 2  (2) ~∃x∃y(~愛xy)  A
  3 (3)      (~愛ab)  A
  3 (4)    ∃y(~愛ay)  3EI
  3 (5)  ∃x∃y(~愛xy)  4EI
 23 (6) ~∃x∃y(~愛xy)&
         ∃x∃y(~愛xy)  25&I
 2  (7)     (~~愛ab)  36RAA
 2  (8)      ( 愛ab)  7DN
 2  (9)    ∀y( 愛ay)  8UI
 2  (ア)  ∀x∀y( 愛xy)  9UI
12  (イ) ~∀x∀y( 愛xy)&
         ∀x∀y( 愛xy)  1ア&I
1   (ウ)~~∃x∃y(~愛xy)  2イRAA
1   (エ)  ∃x∃y(~愛xy)  ウDN
(Ⅱ)
1   (1)  ∃x∃y(~愛xy)  A
 2  (2)  ∀x∀y( 愛xy)  A
  3 (3)    ∃y(~愛ay)  A
   4(4)      (~愛ab)  A
 2  (5)    ∀y( 愛xb)  2UE
 2  (6)      ( 愛ab)  5UE
 2 4(7)(~愛ab)&(愛ab)  46&I
   4(8) ~∀x∀y( 愛xy)  27RAA
  3 (9) ~∀x∀y( 愛xy)  348EE
1   (ア) ~∀x∀y( 愛xy)  139EE
12  (イ)  ∀x∀y( 愛xy)&
        ~∀x∀y( 愛xy)  2ア&I
1   (ウ) ~∀x∀y( 愛xy)  2イRAA
といふ「計算をする能力」が、初めから、備はってゐて、それゆえ、
(Ⅰ)すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ)ある人は、ある人を、愛してゐない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ) である。
といふことが、「理解出来る」のである。
といふ風に、思はれる。
然るに、
(15)
(Ⅱ)
1    (1) ∃x∃y~Fxy  A
 2   (2)   ∃y~Fay  A
  3  (3)     ~Fab  A
  3  (4) ∃x∀y Fxy  A
   4 (5)   ∀y Fay  A
   4 (6)      Fab  5UE
  34 (7) ~Fab&Fab  35&I
  3  (8)  ~∀y Fay  57RAA
  3  (9)∃x~∀y Fxy  8EI
 2   (ア)∃x~∀y Fxy  239EE
1    (イ)∃x~∀y Fxy  12アEE
(Ⅲ)
1    (1)∃x~∀y Fxy  A
 2   (2)  ~∀y Fay  A
  3  (3)∃x~∃y~Fxy  A
   4 (4)  ~∃y~Fay  A
    5(5)     ~Fay  A
    5(6)   ∃y~Fay  5EI
   45(7)  ~∃y~Fay&
           ∃y~Fay  46&I
   4 (8)    ~~Fay  47RAA
   4 (9)      Fay  8DN
   4 (ア)   ∀y Fay  9UI
 2 4 (イ)  ~∀y Fay&
           ∀y Fay  2ア&I
 2   (ウ) ~~∃y~Fay  4イRAA
 2   (エ)   ∃y~Fay  ウDN
 2   (オ) ∃x∃y~Fxy  エEI
1    (カ) ∃x∃y~Fxy  12オEE
従って、
(15)により、
(16)
(Ⅱ) ∃x∃y~Fxy
(Ⅲ)∃x~∀y Fxy 
に於いて、
(Ⅱ)ならば、(Ⅲ)であり、
(Ⅲ)ならば、(Ⅱ)である。
従って、
(16)により、
(17)
(Ⅱ) ∃x∃y~Fxy
(Ⅲ)∃x~∀y Fxy 
に於いて、
(Ⅱ)=(Ⅲ) である。
従って、
(05)(17)により、
(18)
{人間}が{変域(ドメイン)}であるとして、
(Ⅰ)~∀x∀y( 愛xy)=すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない。
(Ⅱ) ∃x∃y(~愛xy)=ある人は、ある人を、愛してゐない。
(Ⅲ)∃x~∀y( 愛xy)=ある人は、すべての人を愛してゐるわけではない。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ)=(Ⅲ) である。
従って、
(18)により、
(19)
「順番」を変へると、
(Ⅰ)ある人は、ある人を、愛してゐない=∃x∃y(~愛xy)。
(Ⅱ)ある人は、すべての人を愛してゐるわけではない=∃x~∀y(愛xy)。
(Ⅲ)すべての人が、すべての人を愛してゐる。といふわけではない=~∀x∀y(愛xy)。
に於いて、
(Ⅰ)=(Ⅱ)=(Ⅲ) であるものの、これらの「三つの日本語」は、明らかに、
(Ⅰ)=(Ⅱ)=(Ⅲ) であるとしか、言ひようがない。
従って、
(19)により、
(20)
1(1)~∀x∀yFxy A
1(2)∃x~∀yFxy 1量化子の関係
1(3)∃x∃y~Fxy 2量化子の関係
といふ「述語計算」は、「正しい」。

(171)「2よりも大きい、偶数の素数はない。」の「述語論理」。

2019-04-14 10:57:24 | 「鏡の中の、上下左右」

(01)
数学では不等号を「≠」で表しますが、Excelでは「<>」で表すルールになっています。
従って、
(01)により、
(02)
 以下では、
「a≠b」を、
「a<>b」とし、
「a=b」を、
「a<>bではない。」とします。
(03)
(ⅰ)
1  (1)∀x{2<x&素数x→~∃y∃z(偶数y&整数z&x=yz)} A
1  (2)   2<a&素数a→~∃y∃z(偶数y&整数z&a=yz)  1UE
 3 (3)   2<a&素数a                      A
13 (4)           ~∃y∃z(偶数y&整数z&a=yz)  23MPP
13 (5)           ∀y~∃z(偶数y&整数z&a=yz)  4量化子の関係
13 (6)           ∀y∀z~(偶数y&整数z&a=yz)  5量化子の関係
13 (7)             ∀z~(偶数b&整数z&a=bz)  6UE
13 (8)               ~(偶数b&整数c&a=bc)  7UE
13 (9)               ~偶数b∨~整数c∨a<>bc   8ドモルガンの法則
13 (ア)              ~偶数b∨(~整数c∨a<>bc)  9結合法則
13 (イ)               偶数b→(~整数c∨a<>bc)  ア含意の定義
  ウ(ウ)               偶数b              A
13ウ(エ)                   (~整数c∨a<>bc)  ウエMPP
13ウ(オ)                     整数c→a<>bc   エ含意の定義
13 (カ)                偶数b→ 整数c→a<>bc)  ウオCP
13 (キ)             ∀z(偶数b→ 整数z→a<>bz)  カUI
13 (ク)           ∀y∀z(偶数y→ 整数z→a<>yz)  キUI
1  (ケ)   2<a&素数a→∀y∀z(偶数y→ 整数z→a<>yz)  3クCP
1  (コ)∀x{2<x&素数x→∀y∀z(偶数y→ 整数z→x<>yz)} ケUI
(ⅱ)
1  (1)∀x{2<x&素数x→∀y∀z(偶数y→ 整数z→x<>yz)} A
1  (2)   2<x&素数x→∀y∀z(偶数y→ 整数x→a<>yz)  1UE
 3 (3)   2<a&素数a                      A
13 (4)           ∀y∀z(偶数y→ 整数y→a<>yz)  23MPP
13 (5)             ∀z(偶数b→ 整数z→a<>bz)  4UE
13 (6)                偶数b→(整数c→a<>bc)  5UE
  7(7)                偶数b             7A
137(8)                    (整数c→a<>bc)  67MPP
137(9)                   (~整数c∨a<>bc)  8含意の定義
13 (ア)               偶数b→(~整数c∨a<>bc)  79CP
13 (イ)              ~偶数b∨(~整数c∨a<>bc)  ア含意の定義
13 (ウ)               ~偶数b∨~整数c∨a<>bc   イ結合法則
13 (エ)               ~(偶数b&整数c&a=bc)  ウ、ドモルガンの法則
13 (オ)             ∀z~(偶数b&整数z&a=bz)  エUI
13 (カ)           ∀y∀z~(偶数y&整数z&a=yz)  オUI
13 (キ)         ~~∀y∀z~(偶数y&整数z&a=yz)  カDN
13 (ク)         ~∃y~∀z~(偶数y&整数z&a=yz)  キ量化子の関係
13 (ケ)         ~∃y∃z~~(偶数y&整数z&a=yz)  ク量化子の関係
13 (サ)         ~∃y∃z~~(偶数y&整数z&a=yz)  ケ量化子の関係
13 (シ)           ~∃y∃z(偶数y&整数z&a=yz)  ケ量化子の関係
1  (ス)   2<a&素数a→~∃y∃z(偶数y&整数z&a=yz)  3シCP
1  (セ)∀x{2<x&素数x→~∃y∃z(偶数y&整数z&x=yz)} スUI
(04)
 ―「結合法則の証明」―
(a)
1    (1)P∨ Q∨R  A
 2   (2)P       A
 2   (3)P∨(Q∨R) 2∨I 
  3  (4)   Q    A
  3  (5)  (Q∨R) 4∨I
  3  (6)P∨(Q∨R) 5∨I
   7 (7)     R  A
   7 (8)  (Q∨R) 7∨I
   7 (9)P∨(Q∨R) 8∨I
1    (ア)P∨(Q∨R) 1234679∨E
(b)
1    (1)P∨(Q∨R) A
 2   (2)P       A
 2   (3)P∨ Q    2∨I
 2   (4)P∨ Q∨R  3∨I
  5  (5)  (Q∨R) A
   6 (6)   Q    A
   6 (7)   Q∨R  6∨I
   6 (8)P∨ Q∨R  7∨I
    9(9)     R  A
    9(ア)   Q∨R  9∨I
    9(イ)P∨ Q∨R  ア∨I
1    (ウ)P∨ Q∨R  1245イ∨E
従って、
(03)(04)により、
(05)
(ⅰ)∀x{2<x&素数x→~∃y∃z(偶数y&整数z&x=yz)}
(ⅱ)∀x{2<x&素数x→ ∀y∀z(偶数y→整数z→x<>yz)}
に於いて、
(ⅰ)ならば(ⅱ)であり、
(ⅱ)ならば(ⅰ)である。
従って、
(05)により、
(06)
(ⅰ)∀x{2<x&素数x→~∃y∃z(偶数y&整数z&x=yz)}
(ⅱ)∀x{2<x&素数x→ ∀y∀z(偶数y→整数z→x<>yz)}
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅰ)すべてのxについて、xが2より大きい素数であるならば、あるyが偶数で、あるzが整数である際に、xが、yとzで割りきれる。といふことはない。
(ⅱ)すべてのxについて、xが2より大きい素数であるならば、すべてのyと、すべてのzについて、yが偶数ならば、zが整数ならば、xは、yとzでは、割り切れない。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。
然るに、
(08)
(ⅰ)すべてのxについて、xが2より大きい素数であるならば、あるyが偶数で、あるzが整数である際に、xが、yとzで割りきれる。といふことはない。
(ⅱ)すべてのxについて、xが2より大きい素数であるならば、すべてのyと、すべてのzについて、yが偶数ならば、zが整数ならば、xは、yとzでは、割り切れない。
といふことは、
(ⅲ)2よりも大きい、偶数の素数はない。
といふことに、他ならない。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
(ⅲ)2よりも大きい、偶数の素数はない。
といふ「日本語」は、
(ⅰ)∀x{2<x&素数x→~∃y∃z(偶数y&整数z&x=yz)}
(ⅱ)∀x{2<x&素数x→ ∀y∀z(偶数y→整数z→x<>yz)}
といふ「述語論理」に、翻訳される。
然るに、
(10)
一階述語論理(いっかいじゅつごろんり、first-order predicate logic)とは、個体の量化のみを許す述語論理 (predicate logic) である。述語論理とは、数理論理学における論理の数学的モデルの一つであり、命題論理を拡張したものである(ウィキペディア)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
「述語論理」は、例へば、
(ⅰ)2よりも大きい、偶数の素数はない=∀x{2<x&素数x→~∃y∃z(偶数y&整数z&x=yz)}。
(ⅱ)2よりも大きい、偶数の素数はない=∀x{2<x&素数x→ ∀y∀z(偶数y→整数z→x<>yz)}。
といふ「命題」を「表現」するために、発明されたのであって、例へば、
(ⅲ)虎百獸を求めて之を食ひ、狐を得たり=∃y{虎y&∀x[獸x→求yx&食yx&∃z(狐z&獸z&得yz)]}。
といふ「命題」を「表現」するために、発明されたのではない。
といふ、ことになる。

(98)鏡の中(前後・上下・左右)について。

2018-10-22 20:38:08 | 「鏡の中の、上下左右」
―「一昨日の記事」を補足します。―
(01)
「チコちゃんに叱られる!(NHK、10月20日)」を視聴した上で、書いています。
(02)
「番組の中」で曰く、
①「前後の方向」と「上下の方向」が定まらなければ、「左右の方向」は定まらない。
②「上下の方向」と「左右の方向」が定まらなければ、「前後の方向」は定まらない。
③「左右の方向」と「前後の方向」が定まらなければ、「上下の方向」は定まらない。
④「鏡の中で逆転する」のは、実際には「前後」である。
⑤「鏡は何故、上下ではなく、左右を反転させる」のか、その「理由」は、未だ「謎」である。
(03)
にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が、ちょっとザラザラしたほうがです。
(紙の表裏・上下 - 書遊)
従って、
(03)により、
(04)
(α)「AE」と書いた「紙の」を、「 鏡 」に向けて「鏡の中を見る」ことが出来、
(β)「AE」と書いた「紙の表」を、「照明」に向けて「裏側から透かして見る」ことが出来る。
然るに、
(05)
(α)の場合は、「AE」は「∃A」という風に、見え、
(β)の場合も、「AE」は「∃A」という風に、見える。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(07)
「人間」の場合は、
背中の側」が「裏側」であって、
「お腹の側」が「表側」である。とする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(09)
背中を向けている人物β」が「回れ右」をすれば、
「人物βの上下」は「変わらず」、
「人物βの左右」が「逆転する」。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
お腹を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」と「」になる。
従って、
(10)により、
(11)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
背中を向けていた人物β」が「回れ右」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの左右」と「βの左右」が、「」になるのは、「当然」である。
然るに、
(12)
「背中」を向けている人物βが、「こちらを向く」ためには、
(ⅰ)「回れ右」をするか、
(ⅱ)「逆立ち」をするかの、どちらかです。
然るに、
(13)
「背中を向けている人物β」が「回れ右」ではなく、「逆立ち」をすれば、
「人物βの左右」は「変わらず」、
「人物βの上下」が「逆転する」。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
「背中を向けていた人物β」が「逆立ち」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの上下」と「βの上下」が、「」になるのは、「当然」である。
従って、
(11)(14)により、
(15)
鏡に映った像は、なぜ左右だけ反転して見えるのか(kju********さん、2018/9/1918:59:03)?
という「質問(ヤフー知恵袋)」に対しては、
私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、逆立ちして後ろを向き会話を始めるような生物であれば、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下反転している」と感じるでしょう(lo96969olさん、2014/4/20 2:29:22)。
という「回答(ヤフー知恵袋)」が、「正解」です。