いなだ珈琲舎でモーニングをゆったり愉しんだあとは、
古い町並みが残っているという鉈屋(なたや)町界隈へと向かった。
大きな樹木に囲まれた寺院も多いこの地域、とりわけ大慈寺は裏手から塀伝いに回った分、その広さを実感した。
正面の石柱に黄檗宗と彫られているのを見て、山門が異国情緒を醸し出しているのに合点がいく。
ここは第19代内閣総理大臣・原敬(1856〜1921)の菩提寺としても知られているようだが、そのことにとりわけ興味はなかった。
ただ二人組の女性が原敬のお墓参りをしているのに丁度出くわし、妻が言葉を交わしていたのと、
そのうちの一人は髪を結っての板についた和装であったことから、人影まばらな境内で印象に残った。
午後に市内のアーケード街を歩いていたとき、あるチラシに偶然目が留まる。
「チャリティ公演 大槻由生子 一人芝居 原敬の妻」
原敬の妻、原浅さんの人柄に魅せられ30年ほど演じてきた一人芝居の見納め公演、と告知されていた。
そしてこの芝居は、盛岡芸妓の富勇に今後バトンタッチされる計画なのだという。
富勇の写真は今朝大慈寺で見かけた和装の女性と一致した。
墓前では引継ぎを報告し、区切りとなる舞台の成功を祈願したのであろう。
公演は明日、帰りの新幹線にも間に合う上演時間、これぞというタイミングにピンと来るものがあり、
さらに夕刻にはリハーサルを終えたと思しき二人と宿泊先付近でまた遭遇したものだから
旅先ならではの縁を確信した。
チケットを首尾よく入手しての当日。
大槻の30年に渡るライフワークとしての洗練、完成度は見応え十分で、
これだけのものを見せてもらえたことに盛岡の底力を感じずにはいられなかった。
原浅も大槻由生子も富勇も岩手県の出身でつながり、第一に芸事が息づいている土地柄であるということ。
昨日は南部紫根染の草紫堂で、染めやしぼりの着物文化を目の当たりにしたところだったが、
その価値が認められ、ニーズが存在しているというのは、豊かさの表れにほかならない。
有形無形の文化に加え、街中には政治家、文化人など偉人の足跡も豊富にある。
大槻は幼い頃より日本舞踊や芸事に親しみ、「もりおか弁朗読講座」講師、女優としても
キャリアを積み重ねてきたというプロフィール。
富勇は本業の三味線や唄のほか、ナレーションや原敬の遺言書などの読み上げを舞台上で担った。
盛岡弁がふんだんに披露される場面では一観光客としてその響きを楽しんだり、
戊辰戦争に敗れた際、賊軍として辛酸を嘗めた歴史が語られたあたりでは、
日本の近代史の側面からも好奇心を大いに刺激されたのである。
会場となったテレビ岩手は、市内を流れる中津川沿い、中ノ橋のすぐそばにある。
この地には約50年前まで秀清閣という料亭があったそうで、原敬も大変贔屓にしていたのだとか。
プログラムのそんな解説にも盛岡での一期一会が刻まれた。
昨日立ち寄った大慈寺では、お墓に手を合わせなかったことが悔やまれた。
原敬と浅の墓は並んでおり、呼びかけるのに困らないようにと同じ深さで眠っているという。
富勇が新たな息を吹き込む芝居の開催に合わせて、再訪する機会を作りたいものだ。
2024.10.19
チャリティ公演 大槻由生子 一人芝居 原敬の妻@テレビ岩手 ロビー
ナレーター:富 勇、脚本:上田 次郎、演出:本館 公治