1989年産のカルヴァドス ルモルトン。
昭和から平成へと移り、高校を卒業〜浪人生活へと入った忘れられない年である。
ヴィンテージならではの歳月を味わおうと正月三が日に開栓した。
「シャンパン」がフランスはシャンパーニュ地方で造られたものに限定されるのと同様に、
「カルヴァドス」を名乗るにはノルマンディー地方が条件になるという。
この地方には約800種類ものリンゴがあると記載したサイトの真偽はともかく、
そのなかでカルヴァドス用として認められているリンゴは48種類、プラス数種類の洋ナシなのだとか。
調べていくうちに「ルモルトン」は、銘醸地ドンフロンテ地区で農園を営むルモルトン家が
自家醸造、自家熟成させて造るカルヴァドスであることが判った。
洋ナシの割合が高いのがこのエリアの特徴で、
リンゴ100パーセントのものよりも香りの幅が広いと感じる。
さて、飲みながら時の流れに思いを馳せようとしたものの、
偶然手に入れたボナイユート チョコレートとの相性があまりにすばらしく
意識はそちらに持っていかれてしまった。
鼻腔口腔への強烈なパンチに緩急を付けてくれる
シチリア産古代チョコレートの話しは次のエントリーで。
参考URL:
https://lemorton.com/en/home/
https://anyway-grapes.jp/producers/france/normandie/lemorton-/index.php
https://brandydaddy.com/entry/chishiki-20-calvados/
丈は約1.2メートル、山小屋のロッジに下がっているイメージ。
リボンなどの装飾は施さず、森の中でたった今集めてきた感じを出そうとした。
スワッグ作りは素材選びが肝要である。
卸価格で量を扱っている花材屋では、まるで宝探しのようにシンメトリーの枝ぶりを探した。
クジャクヒバと赤い実のヒイラギを軸に、モミやヒムロスギを重ねていく。
立体感が不足したので数日後にジュニパーベリーの枝を買い足した。
ジンの香りづけでも知られるこの植物は、12月の匂いがする。
学園祭のお茶席、茶道部によるお点前披露は、床の間の掛け軸や茶花の説明も添えられ本格的である。
ひとりずつ供される茶碗を目で追っていた。
最後になったR. I. のが断トツに季節感あり。
紫陽花の描かれた茶碗を愛でながら、6月の緑を凝縮したかのような抹茶を飲み干した。
ドローンが飛び立って空中撮影をしたかと思うと、今度は地表で風に震える花芽にフォーカス。
荒涼とした大地の俯瞰とそこに息づくミクロをレンズが行き来する。
ヒースは日本の園芸店ではエリカとして目にする植物なのだとか。
例えば「夢」が白の絵の具を少しずつ足しながら筆を重ねていくかのような
まさに印象派の絵画を想起させるのに対し、
「ヒースの茂る荒れ地」はカメラワークを大胆に取り入れた映像が浮かぶのである。
板に靴をはめるときのカチッという音にかつてないほど高揚した。
数えてみると2年ぶり、人生7回目のスキーである。
滑るという感覚を身体が無性に欲して奥志賀へ。
いつも初心者への後退を痛感するところからスタートするのが、
今回は一本目の滑走からインプットされているのが分かった。
リフトを乗り継ぐと、山並みの後方に新たな白銀の峰々が現れる。
まるで壁のような連なりもあれば、尖った山容も顔を見せるのが信州ならではの山岳風景。
蝦夷富士ことニセコ・羊蹄山のファンになってから久しいものの、
本州の強靭な背骨を感じさせるスケールに思わず息をのんだ。
この冬は日本各地で記録的な降雪のニュースを耳にしたが、
3月に入ってからは溶けるスピードが速いという。
信州中野ICを下りてから奥志賀へと向かう路面も雪は残っていなかった。
二日目と四日目は天気もよく春スキーならではの汗をかいた。
初日に雪が舞ったのはラッキー、三日目は強風でリフトが動かず落胆したが、
膝や太腿を休めることができたのは逆によかったかもしれない。
最後の日はいつも限界へと突き進む。
http://www.okushiga.jp/skiresort/
暖炉こそ冬の最高のもてなしだと思う。
まるでセンターステージのように鎮座するのは奥志賀高原ホテルのラウンジ。
その炎を眺め、薪のはぜる音に耳を傾けるだけでも訪れる価値があろうというもの。
スキーリゾートが大衆のものではなかった時代からの歴史を持つホテル。
点在する多角形の空間は、「雪の結晶をモチーフにしているらしいです」と館内のフレンチで聞いてから
一体誰が設計したのだろうと気になった。
すぐに平島二郎(1929-1998)という建築家の代表作であることを見つけると、
作品リストには母校の図書館も載っていたから俄かに親近感が湧いた。
天井の梁が作り出す幾何学的なリズムも心地いい。
3月下旬の奥志賀は汗ばむ陽気の日もあって、ホテルのなかは薄着で過ごせるほど。
それでも夜な夜な炎を眺めに通い詰めた。
カルヴァドスにピートの効いたウィスキー、春先はパンチのある香りが欲しくなる。
生産者から独自のルートで入手したという稀少なボトルも置かれているあたり、
帝国ホテル出身のバーテンダーの存在を聞いて合点が行った。
コースターには「BAR ALPINA」の文字。
できればお餅はそのまま飾りたいし、葉っぱ付きの本物のミカンを載せてみたいと思い続けていた。
年の瀬のスーパーでお餅の専門店がコーナーを構えていたのであれこれ聞いてみたところ、
やはり空気にさらすのはお勧めできません、
ひび割れとカビ防止のため真空の袋に入れたまま飾ってください、と言われる。
迷いながら一旦退いて別のスーパーへ用事を済ませに行くと、鏡餅用の橙(だいだい)が売っているではないか。
後で知ったのだが、ミカンではなく橙。
その意味は、春になると落ちるミカンとは異なり、橙は一度実がなると4~5年以上落果しないことから、
健康長寿の家庭・家族に見立てるのだという。
長崎産の立派な橙を手にした途端、先ほどの餅を直に飾る決心がついた。
どのようにひび割れるのかも見届けようではないかと。
ところがいざ餅の売り場に戻ってみると、想定していたサイズは大き過ぎた。
一回り小ぶりなものに変えたのが、橙とアンバランスになってしまった理由だ。
奇跡的に安定しているので、鏡開きまでこの状態をキープできるかどうかで今年の運勢を占ってみようか。
作法としては至らないところもあるに違いないが、我が家の鏡餅の完成である。
ところで、今年のお節にはシャンパンを組み合わせた。
全体的に甘みに寄った味つけとの相性も抜群なのである。
鏡餅を正面に見ながら、時おり新春の陽光に煌く泡を愛でる。
最近会話のない娘とは少しだけキャッチボールが弾んだ。
多肉用の土との相性が悪かったようだ。
しかし一種類だけ勢いを保ったまま、紅珊瑚のように色づいた種類があった。
名前は忘れてしまったが、その美しい赤を中心に、一回り小さな鉢に凝縮させることにした。
周囲にグリーンのセダムを差すとクリスマスリースのようになった。
いや、海鮮丼に見えなくもない。
今年もクリスマスは過ぎて、毎日僅かな時間の差のはずなのに、日が短くなるという感覚が消えていく。
落ち葉のなかの松ぼっくりに薄霜が降りる。
大きなガラスのショーケースではこのモンブラン一種類が林立していたので、
単体で眺めると新しいイマジネーションが湧いてきた。
数日前に味わった栗きんとんが、栗への欲望に火を付けた。
今度はモンブランを食したいと思うようになり、久々のオフィス出社の帰りに立ち寄ったのがモリ・ヨシダ・パリ。
パリで認められた日本人パティシエ・吉田守秀の日本初出店は、
一年前の渋谷スクランブルスクエア開業時に話題となったものだ。
近年独創的なモンブランが巷間を賑わしているのを知ってはいたものの、
モリ ヨシダの意匠はその上を行く。
一体どのようなテクニックで松笠状にクリームを絞り出しているのだろうか?
思うに日本人パティシエの活躍は、和菓子文化の基盤のうえに成り立っている。
つまり、和菓子で表現される季節感が、松ぼっくりのモンブランに昇華されたと解釈する。
また、茹でた栗を潰して菓子にするという発想は、栗きんとんとモンブランに共通するもので、
そのような洗練された食文化を元から有していることも、日本人が洋菓子の本場で花開く理由に違いない。
さて、味の方は全体的に甘さ控えめで、落ち葉の部分の薄いパイ生地が食感のアクセントとなっている。
晩秋の小さきものに注がれたパティシエの眼差しを勝手にイメージしながら、栗の風味を堪能した。
https://moriyoshida.fr/ja/