オートバイで旅して観たモノの記録

 Ôtobai de tabi site mita mono no kiroku.

剣峠

2021年08月14日 | 紀伊半島


 日帰りかつ非接触で長距離を走るには,どうしても南伊勢方面になってしまう.ということで,数年ぶりに剣峠まで行ってみることにした.南伊勢町の切原の町を過ぎれば,剣峠まで続く険道の始まりだ.



 剣峠は,おなじ南三重にある藤坂峠や古和峠と似たような雰囲気の道が続く.鋭く立つ岩壁と躍動感ある樹木の枝ぶりが,紀伊半島を象徴している.コロナ禍の影響も加わって,交通量は激減しているものと思われ,路面上には石ころや樹木の枝葉が散乱していた.



 険道を5キロメートルほど登っていくと,ようやく剣峠へたどり着く.峠では,剣の形を模したモニュメントが出迎えてくれる.もちろん,峠には誰もいなく,静まり返っていた.数年ぶりの再訪だけど,ここは何ひとつ変わっていなかった.



 峠からは,樹木の間から五ケ所湾を眺めることができるが,峠の標高は約300メートルと低いので,楓江湾としての姿は望めない.晴れているけれど,少し雲が出ていて,海の方は霞んでいるように見えた.



 剣峠からは南海展望台のある相賀浦がよく見える.切り立った山中海岸が実に勇ましい.相賀浦は,五ケ所湾西側の湾口で,湾口の先端は止ノ鼻という名前で呼ばれているそうだ.



 峠には草木に埋もれる形で詩人の野口雨情(1882年ー1945年)の詩碑もある.野口雨情は,昭和11年7月に南伊勢町を訪れ,五ケ所湾を中心にめぐり,数々の詩を残している.詩碑には," 神路山越えまた来ておくれ 乙女椿の咲く頃に " とある.



 そして,詩碑の後ろにあるのは,剣峠の立派な切り通しだ.峠には椿の純林があることから,椿峠と呼ばれていたという.そういえば,椿の花が咲いている頃に来たことはまだなかった.雨情の詩碑にあるように,椿の咲く頃にまた来ることにしよう.



 峠の切り通しの岩壁には,小さな道祖神が祀られていて," 明治卅九年十二月 玉田屋建之 " と刻まれてある.ここで100年以上も前から,神様が峠を往来する者を見守って下さっている.交通安全を祈願し,剣峠を後にした.

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