Velo-city

"It never gets easier, you just go faster."

北の夏休み August 1

2009年08月07日 | 北海道
片雲の雲に誘われて、蝦夷の地にいってきました。今年は、随行員としてNya☆Yomeも帯同、そして蝦夷地視察のみならず陸奥の国津軽の国へも足をのばしました。
記録より記憶に刻まれた色濃い7日間の足取りをここに記します。

札幌~滝川~北竜~幌加内~三毛別~苫前~豊富


金曜日の深夜、札幌入り。翌日からレンタカーの旅の開始。


太陽に愛された町、北竜ではひまわり祭りの真っ最中




ひまわり畑の真ん中で、吹っ飛ばされる


留萌には出ず、あえて空知街道で幌加内へ向かいます。


幌加内は、蕎麦の生産量たぶん日本一


霧立国道。交通量ガソリンスタンド皆無のこの山道で、一人の勇猛果敢なチャリダーを発見。絶対に励まします!
助手席の嫁、チャリダーのオサーンに冷えたエビアンのペットボトルを渡します。喜んでくれたかな♪


苫前にきました。こんな愛らしくしちゃってますが、熊に刻まれた村でもあります。

お暇でしたらリンク先を読んで下さい。
三毛別熊事件
日本最大の野生動物事件ー三毛別羆事件


いよいよ左折。現場に向かう行き止まりの通称ベア・ロードを進みます。


ここは射止橋。熊に最初の銃弾を浴びせた場所です。


出るぞ…出るぞ…
出るぞ…

もう舗装路は終わり、砂利ダートをさらに奥に進むと、猛烈にはえやら虫が増えてきます。ものすごい森の生命力を感じる場所です。

出るぞ…






で、でたぁ―― (・∀・)


ハリボテ熊


本の現場を訪ねる旅①「熊嵐」吉村 昭 著


森の奥深く、山の中の中。本当に出そうでした。


ちょっと緊張感をほぐすため、ピカチュウを飾って逃げました。


留萌のバスは、留「萌」だけあって、萌えっ子バスなんだそうです。(・∀・)
どうです?増毛~豊富 ふさふさ街道 萌えっ子フリー切符
萌えっ子フリー切符・・・
どうなんですかっ!これ!
誰か知識人の意見を聞かせてください!!!
なんでふさふさ街道なんですか!?


Velo-city初の、萌えイラスト。
…許す

話がそれてしまった。熊の話に戻す。

羽幌の博物館に、詳しい資料が置いてあった。


こんな感じで、夕餉どきに壁を突き破っておなかをすかせた熊さんが、
ムホッホー
とやってきておじさんの頭をかじっちゃう。


体重500kgの大物、北海太郎という名の熊です。
さすが太郎ちゃん


事件を生々しく伝える当時の新聞


熊をしとめたマタギ


秘密の農道にて。遠別~天塩間。




札幌から300キロ近く、今日の目的地豊富(とよとみ)に到着。


利尻に沈む夕陽を見ながら、一日は暮れていく・・・・

宿では牛乳鍋。他のお客さんと同じ鍋をつつく。この家族的な雰囲気がとほ宿の良いところ。僕たちのテーブルには名古屋からきた父娘が一緒になりました。娘と一か月以上一緒に北海道旅行なんて、幸せ者だね、お父さん。

北の夏休み August 2

2009年08月07日 | 超級山岳
豊富~宗谷岬~猿払~エサヌカ線~音威子府~名寄~塩狩峠~美瑛~白金温泉


サロベツ原野に立つ一軒家、「あしたの城
ここはいい宿だで~


あしたの力石

で、肝心の世界で一番気持ちいい道路、オロロロロロンラインですが・・・

う~ん


晴れるとこうなんですけどね


朝早い宗谷岬。写真スポットを二人じめ♪


宗谷岬の記念碑の裏、岩の先。ここがホントの日本の最北端。
この日、オラは確かに日本最北の男になった!!!


エサヌカ線。このまま車が離陸するかと思ったよ。


猿払では崎陽軒のシウマイにつかうホタテをとっています。
簡単にお取り寄せできます。うちでは網焼きにしたりカレーにしたり、かなり堪能しました。minaminaさん、いかがですか。


浜頓別から車は内陸へ進みます。旧天北線に沿いながら、音威子府へ。


ここはお蕎麦が名物です。黒い!


小説の舞台を訪ねる旅②『塩狩峠』三浦 綾子 著


ここで何が起こったのか。碑文の説明をご覧ください。
小説では主人公はいいなずけとの結納に赴く途中でこの事故にあい、身を呈して乗客の命を救ったんですよね。


とても静かな現場でした。


小説「塩狩峠」の序言です。非常に重い。


映画「塩狩峠」より


当時の新聞より。「誤って足をすべらし・・・」と事故説をとっていますね。

静粛な気分になった夫妻。途中の道の駅でコーンコロッケをハフハフ食べながら富良野・美瑛へ急ぎます。


美瑛にて
哲学の木

2日目の宿泊は白銀温泉でした。YOMEがおいしいものが食べられなかったっと未だに恨み言連ねています。

北の夏休み August 3

2009年08月07日 | 北海道
白金温泉~旭川(Nya☆Yome離脱)~上川~層雲峡~石北峠~留辺蘂~北見~美幌


美瑛の丘よ、さらば。
ケンとメリーの木
ポプラの木


旭川から上川まで、輪行ワープ
旭川出身で、友人の納骨式にやってきたおじさんと話しながら・・・


血液中の鉄分も急上昇♪


上川駅に到着。今回の旅はここから始まります。


北海道の峠は長く、そして緩い。果てしなく、たらたらと登りつづける。


層雲峡の奇岩名岩に挟まれて石北峠ヒルクライムの開始


ちょっと膝が痛くなってきたので、ストレッチも交えながら


トンネルを抜け、空を仰ぐと…
待望の二日ぶりの青空。大雪山にはまだ雪渓が残っています。


あともう少しで今日のピーク、石北峠


到着。頂上にはクマさんが待ち構えています。このキャラクターはかわいいですが・・・


ちびっこがこのブーフーウー三匹を見て泣いていました。


トラウマになりそうな、この笑顔!


ここから北見市。ごらんのとおり玉ねぎとラガーマンがここのシンボル。なのですが、この後通った沿線いっぱいの玉ねぎ畑が冷害のため悲惨なことになっていました。実が小さすぎるのか、その場で土から引っこ抜いて「来年のための肥料」としてその場に打ち捨てられ、腐っていました。
今年の秋の野菜は高いですよ。覚悟しましょう。


高速ダウンヒルの開始


トラクターの巡航は30km位。抜かざるを得ません。でも基本は27km上ハンドル巡航です。


留辺蘂町おんねゆ温泉あたりの農道を走っていると、「中央道路開削犠牲者慰霊碑」の看板が見えます。裏の碑文にはこの国道に関する悲劇が刻まれています。

明治の世に網走~旭川を結ぶ道路の開削に従事したのは網走刑務所の囚人千余人。厳寒と過酷な労働条件により、二百人を越える囚人が路傍に倒れ、墓標も立てられず埋葬された。平成4年、この付近の畑から白骨遺体と足枷手枷がともに出土した…

車だったら絶対に時速100kmで通過ですよ。

ここまで順調に進んできましたが、だんだん膝が痛くなってきました。北見の街で自転車屋さんにおいしいお店を聞き込みました。


勧められたのは、回転すしトリトン


根室の新秋刀魚


佐呂間のホタテ


子タコの軍艦。目をつぶって食べると、確かにウニの味わいがする…


稚貝(ほたて)の味噌汁


ビールを飲んでしまったのでもう漕げません。
30分ほど輪行ワープをして隣町の美幌へ。今日の宿泊はとてもレトロな雰囲気の
美幌後楽園、でした。

膝周りを入念にストレッチして就寝します。早めに寝なきゃ、と努力しましたが、SRAM DANK全31巻が本棚に転がっていました。結局全巻読破。

北の夏休み August 4

2009年08月07日 | 北海道
美幌~美幌峠~屈斜路湖~弟子屈~摩周(鉄道)~釧路~帯広(バス)~札幌


朝もはよから健康ランドを後にし、美幌峠に向かいます。が、一面灰色の雲。


登っても登っても霧は晴れず、前日いためた膝がまたも痛み始めます。走りはじめて30kmもないのに…


到着♪


絶景との誉れ高い美幌峠ですが、タイミング悪く頂上は霧の世界。
痛む膝をほぐそうと、ストレッチして起き上がったら、痛くてびっこ引いてしまいました。


この膝では前途不安、開陽台方面への進軍は諦め、早めの移動に切り替えます。


弟子屈の街にて。このコピーを考えたひと、いいセンスだ!
『君は、このまっすぐな田舎道に耐えられるか』
はい、好きで耐えにきました。


その前に、巨大豚丼で補給補給(^^)
ぽっぽ亭の豚丼です。
アァー!ジンギスカン食べてないや。


ご飯のボリュームが半端ない。しかも肉も特盛り。たっぷり補給しておいて、これからの自転車走行距離予定=ゼロ


社会党は不滅です?!


送迎がやってきました。


釧網本線、鉄ちゃんの憧れ。なんという風情。これは乗るものではなく、撮るものですね。


釧路から帯広までは鈍行列車で移動。ガラガラなので、やりたい放題。
車窓の流れもすばらしいんですけんど、眠い眠い。Zzzzz


帯広からは高速バス、ポテトライナーにて札幌へ。そしてすすきのネオン街に消えていった・・・


宿泊はネットカフェ。わびしい気もしますが、ネットの情報力はこれからの旅ルート設定に絶大な助けとなるのだ~!安いしね。一晩1200円。

北の夏休み August 5

2009年08月07日 | 北海道
札幌(バス)~函館(フェリー)~大間~大畑~恐山~大湊


朝のすすきのでぱっぱと自転車を袋詰めし、えっちらかついでバスターミナルへ。


高速バス、低料金であっというまに函館につきます。青春18切符よりお勧めかも。
有珠山は霧の中。バスの中では新田次郎「剣岳 点の記」をずっと読んでいました。


札幌からバスにのってお昼に函館に到着。そのまま津軽海峡を渡り、大間に向かいます。大間の婦人はフェリーにのって函館の美容室に行くらしいです。


津軽海峡夏景色ィィィ♪

注:ここから下北半島に入るため、現地語南部弁で記述しています。こちらの方言変換サイトを参考にしますた。


大間につきますた。とってもI★NA☆KAです。
前方で大規模な工事をしているのが見えますが、これは大間原子力発電所でしょうか。
実は、うちの義弟がここに勤めるかもしれないので、やさしい兄が、先発隊として偵察しに来たわけであります。やさしいですねはん。


いやーなにもない。ほんとに海しかない。
とりあえず恐山を目指しますが、だんだん夕方が迫ってきますた。


鉄道が走っていないはずなども、駅のばんげうなものが見えます。急ブレーキして偵察します。
階段を登って行く私を一匹の野猿が見ていますた。


白濁湯の足湯もあります。これはいい。下風呂温泉です。


なーるほど。なーるほど。
昔大間にはかなり大きめの海軍施設と海軍航空隊がありますた(と思います)。そこへの補給線を作っていたけど、戦争にばんげって物資が欠乏して中止してありゃーわけですねはん。なるほさかぶほど。

大間鉄道


廃線跡。工事は途中で終わり、物資は泰緬鉄道(あの、「戦場にかける橋」)に回されたらしいです。実際にカンチャナブリ・タマルカンの現地にいったので奇妙な縁を感じますた。


イカの街に到着^^
右折すると恐山ヒルクライムの始まりです。期待通り闇クライムになりそうです。


最初は渓流沿いを気持ちばんげく進みます。薬研(やげん)の温泉街をすぎると、交通量皆無のヒルクライムの開始。さすがに30分以上一台の車ともすれ違わないと、さすがに不安になります。


不安はつのるとぼけり。
しかし案外膝の調子はばんげく、ぐいぐいダンシングで15kg超のバイクを引っ張っていけます。おそらく夕暮れが近づいて焦っていたのでしょう。

どうやら登りきったばんげうで、下りが始まりますた。次第に硫黄の匂いが満ちてきて、近づいてきはだとを予感させます。そして、地獄谷のばんげうな風景が現出。コーナーを曲がると…


いきなり三途の川
卒塔婆がありますた。


時はすでに6時半。観光客は一人もいない。荒涼とすた雰囲気。





背筋ぞくぞく


恐山を降りはじめると、山はとっぷりと闇の帳を降ろします。タイミングばんげくライトの電池が切れ、本当に漆黒の闇クライムになりますた。


宿泊は大湊の隣、下北駅の近く。
ちょうど子供ねぷた祭りの真っ最中でした。


北の夏休み August 6

2009年08月07日 | 北海道
大湊~横浜。本当に横浜(電車)~野辺地~東青森~幸畑~田茂木野~小峠~大峠~賽の河原~馬立場~鳴沢~酸ヶ湯~青森~ねぶた


今日はまずわが故郷横浜に帰ります。


途中みかけた小学校にて。竹馬がいい味だしてます。




やっと横浜町に帰ってきました。


横浜水産


朝のラッシュがはじまる前の駅。


若者が多いので暴走行為が多発しています。残念なことです。


横浜町みなとみらい21地区を臨む。








開港記念花火大会って、もう終わってなかったっけ??


市役所です。いつもお世話になっています。


ターミナルビルです。西口CIAL側から


桜木町方面へシュッパーツ!

・・・以上。横浜点描記ですた。


実は陸奥横浜駅から輪行する際に、完全に汽車の時間を誤り、駅に着いたのは発車時刻の3分前。当然袋詰めは間に合いません。駅長さんに頼みこんで裸の自転車を入れさせていただきますた。こんなことできるのはローカル線ならでは。一番前の特等席で組み立てさせていただきます。

ですが・・・

あれ?エンド金具がない!
・・・駅に忘れちゃっったかも・・・
(次の汽車に乗せて届けてもらいますた。感謝感謝)


注:ここ野辺地が南部弁と津軽弁の境界線だ。つうわけでここから津軽弁で記述いたするはんで。現地の風情ばお楽しみしてけろじゃ(笑)


東青森につきたんずや。
小説の現場ば訪ねる旅。『八甲田山死の彷徨』新田次郎 著

幸畑の雪中行軍犠牲者の墓地だ。199人の英霊ここに眠るんずや。

まずは博物館で雪中行軍遭難事件のおさらいばするはんで。ここに来るまで小説などでかなり勉強してきたんずやが、資料ばまじえた展示でさらに思いば強くできたんずや。

八甲田雪中行軍遭難事件とは

八甲田山 雪中行軍遭難秘話(このサイトも、かなり参考になります)


明治時代の事件ば伝える錦絵


これば履いて氷点下20度の雪中ばあるけば、凍傷するのも不思議はねじゃ。この程度の装備で下士官たちは出発してあいったんわけだ。


壁いっぱい並ぶ199人の犠牲者の写真が心ば打ちんずや。ほとんどが岩手、宮城の農家の次男、三男の一平卒。彼らが真っさぎに、ばたばたと将棋の駒ば倒すように寒さに倒れていったといいだよ。


・・・


・・・




旅行前に林道太郎さんにかしていただいたフロントバッグだばって、これはほんまに便利。最初はフロントが重くなるのでダンシングがしにくく違和感がありまっけど、なれてしまえば大丈夫。荷物の取り出しもしやすく、地図も入れられるんずや。
何よりも食卓になるんずや。これは偉大♪


幸畑から田茂木野まではゆるやかな傾斜。ここから小峠~大峠も緩斜面が続くが、傾斜に行李隊の橇が遅れ始めたのもここ。

それにしても暑いんずや。気温35度、熱中行軍だ。苦しいが、第5連隊の苦しみば思いながらさぎに進む。
そろそろ後藤伍長の発見地点だ・・・


とうとう後藤伍長発見の地に到着。
賽の河原(三途の川、のこと)、最後のビバーク地点など小説にかかれた悲惨な遭難現場ば次々に通過するはんで。思いばはせながら登って行きんずや。


中の森で露営する雪中行軍隊(映画より)


いじど登り切ると、まっこ場立。ここに後藤伍長の像があるんずや。伍長は胸まで雪につかり、この銅像のように立ったまんま仮死状態で捜索隊に発見されたんずや(↓映画より)。後に凍傷にて四肢切断。


雪地蔵のように立ち、まなごだけぎょろぎょろしていたんだんず。

車だとゆっくり見れねので、苦しみながらの自転車がこのルートはベストだね・・・


これは銘文だべ。明治の元勲はみながこったら重厚な文ば書いたのか・・・
漢文の素養がなくなってあいったんこの100年ば感じんずやね。


熱中行軍。暑い暑い


温泉マニアの憧れ、酸ヶ湯にも行ったんずや。ここは最高!
何日たっても硫黄のかまりが体から抜けね。ここの千人風呂だばって、99%男湯状態。たまに勇気ある女子が入ってきまっけど、そうなると男子数百人の視線が民族移動するのがわかるんずや。


盛夏の八甲田山




この後は青森に下りてねぶた見物だ。
ちょうど今夜が一番盛り上がる夜だんずやようだ。


クルーズ船飛鳥IIも来ていだんだ。


ラッセラー  ラセラー♪


ラッセラー  ラセラー♪


ラッセラー  ラセラー♪


ラッセラー  ラセラー♪

おらも踊りの輪に加わりたくなったんずや!来年は参加まなご的で行ってみたいぞー!

北の夏休み August 7

2009年08月07日 | 北海道
本編は、北海道再突入まで津軽弁で記述されていだよ。変換は、このサイトで行いだんだ。


市内のネットカフェで夜ばあかし、払暁にしゅっぱーつ。青森駅ば越えんずや(青函連絡船の跡地だ)


こったら田舎道ばペソペソと漕ぐこと30kmで、蟹田の街に到着。途中コンビニは一軒もなし。地図もないので不安が募る募る(笑)


津軽海峡ば越えるには、ここから津軽海峡線に乗るんずや。この区間はJRでも普通列車が走っていね珍しい区間。区間限定で普通列車運賃で特急列車に乗ることができんずや。


このローカル車両は、津軽線だ。特急列車や貨物線でにぎわう本線に取り残されてしまい、一日5往復!になってあいったんんだそうだ。


JR東日本とJR北海道の境まなごであるため、運転手も入れ替えだ。


この特急車両に普通運賃で乗れんずや。お得だべ。


列車はかなりスピードば上げ(130kmくらい?)いくつものトンネルば越えいよいよ青函トンネルに突入。
この写真はその瞬間ばとらえたもの。かなり奇跡的写真・・・

ちなみにトンネルのそこにはのび太の深海海底城遺跡が広がっておるんずや。

***北海道再突入***

道産子弁の変換は、こちらでおこなたのさ。


木古内の駅に到着。ここで自転車をばらして再スタートすっしょ。


町の郊外のサラキ岬。この沖合に咸臨丸が座礁沈没したという・・・

咸臨丸とは


戊辰戦争で敗れて北海道移住を余儀なくされた仙台藩白石片倉小十郎家臣団401名を乗せた咸臨丸は、箱館を経由して小樽へ向かう途中の1871年(明治4 年)9月20日、木古内町サラキ岬沖で座礁した。泉沢の人々の救助によって乗船者は難を逃れたが、咸臨丸はその数日後に沈没した。

なお、白石家臣団のうち67人が明治4年11月、原始林が石狩川河畔まで続く最月寒の地(現在の白石中央付近)に開墾の鍬を入れそれが現在の札幌市白石区の礎となったそうだべさ。なるほど。


突き抜ける青空と追い風に背中を押されて、木古内~函館はご機嫌のルートであったべ。


海をまたがっているのはおそらくセメントの運搬に使うんだけどささパイプラインだな




函館にてムームータクシー発見!


五稜郭の上では戊辰戦争(函館戦争)の詳しい資料を研究。築城術もちょびっと学習できるべさ。歴女もたくさんたのさ。土方歳三の像の前に群がってたのさ。


さて、歴史の勉強が終わったけどささ、なんでさおなかがすいてきましたね。


函館名物のラッキーピエロのチャイニーズバーガーだべさ。このボリュームで350円。


函館では、「やきとり」で頼むと豚串が出てくるんだべさ。これホントだべさ。テストに出ます。ちなみにこのボリューム(ラム串は別会計で399円だべさ。函館に引っ越したらあっという間に体重が増えそうだべさ。(^^)

アァーイカ食ってねぇー!!


さて、函館といえば夜景ですね。標高334mの函館山、登山道は自転車では登れませんので、トホダーとなって進みます。


夕暮れが近いので、いい感じだべさ。一人誰もいない登山道をジャリジャリを道を踏みしめ進みます。


すずらん?


雲海を抜けると、頂上が見えてきたべさ。


夕焼けショーを堪能した後、観光客の波をかき分けそこで見たものは!




函館は、横浜・神戸と同じ時期に開港されただけあって、横浜と雰囲気が非常に似てるっしょ。好きになったべ。




旧イギリス領事館


熊さん博物館


宿だけどささ、今回の旅行でやっと初のライダーハウスに泊まったべ。ライムライトさん。


ダックス子犬付き♪


烏賊の町なのに、蛸つぼ状態だべさ。


あけて土曜日の朝。朝市に行ってイカールしてきたべさ。^^


朝イカ丼。

このあと床屋でさっぱりしてから10km先の函館空港まで自走。結局5日間で500kmのゆるい旅行でしたが、今回は本当にたくさんのものが見られたべさ。


最後に訪れたのはこのトラピスチーヌ修道院。どこかで聞いたことがあるな~と思ったら、トラピストクッキーの所だべさ。