大湊~横浜。本当に横浜(電車)~野辺地~東青森~幸畑~田茂木野~小峠~大峠~賽の河原~馬立場~鳴沢~酸ヶ湯~青森~ねぶた
今日はまずわが故郷横浜に帰ります。
途中みかけた小学校にて。竹馬がいい味だしてます。
やっと横浜町に帰ってきました。
横浜水産
朝のラッシュがはじまる前の駅。
若者が多いので暴走行為が多発しています。残念なことです。
横浜町みなとみらい21地区を臨む。
開港記念花火大会って、もう終わってなかったっけ??
市役所です。いつもお世話になっています。
ターミナルビルです。西口CIAL側から
桜木町方面へシュッパーツ!
・・・以上。横浜点描記ですた。
実は陸奥横浜駅から輪行する際に、完全に汽車の時間を誤り、駅に着いたのは発車時刻の3分前。当然袋詰めは間に合いません。駅長さんに頼みこんで裸の自転車を入れさせていただきますた。こんなことできるのはローカル線ならでは。一番前の特等席で組み立てさせていただきます。
ですが・・・
あれ?エンド金具がない!
・・・駅に忘れちゃっったかも・・・
(次の汽車に乗せて届けてもらいますた。感謝感謝)
注:ここ野辺地が南部弁と津軽弁の境界線だ。つうわけでここから津軽弁で記述いたするはんで。現地の風情ばお楽しみしてけろじゃ(笑)
東青森につきたんずや。
小説の現場ば訪ねる旅。『八甲田山死の彷徨』新田次郎 著
幸畑の雪中行軍犠牲者の墓地だ。199人の英霊ここに眠るんずや。
まずは博物館で雪中行軍遭難事件のおさらいばするはんで。ここに来るまで小説などでかなり勉強してきたんずやが、資料ばまじえた展示でさらに思いば強くできたんずや。
八甲田雪中行軍遭難事件とは
八甲田山 雪中行軍遭難秘話(このサイトも、かなり参考になります)
明治時代の事件ば伝える錦絵
これば履いて氷点下20度の雪中ばあるけば、凍傷するのも不思議はねじゃ。この程度の装備で下士官たちは出発してあいったんわけだ。
壁いっぱい並ぶ199人の犠牲者の写真が心ば打ちんずや。ほとんどが岩手、宮城の農家の次男、三男の一平卒。彼らが真っさぎに、ばたばたと将棋の駒ば倒すように寒さに倒れていったといいだよ。
・・・
・・・
旅行前に林道太郎さんにかしていただいたフロントバッグだばって、これはほんまに便利。最初はフロントが重くなるのでダンシングがしにくく違和感がありまっけど、なれてしまえば大丈夫。荷物の取り出しもしやすく、地図も入れられるんずや。
何よりも食卓になるんずや。これは偉大♪
幸畑から田茂木野まではゆるやかな傾斜。ここから小峠~大峠も緩斜面が続くが、傾斜に行李隊の橇が遅れ始めたのもここ。
それにしても暑いんずや。気温35度、熱中行軍だ。苦しいが、第5連隊の苦しみば思いながらさぎに進む。
そろそろ後藤伍長の発見地点だ・・・
とうとう後藤伍長発見の地に到着。
賽の河原(三途の川、のこと)、最後のビバーク地点など小説にかかれた悲惨な遭難現場ば次々に通過するはんで。思いばはせながら登って行きんずや。
中の森で露営する雪中行軍隊(映画より)
いじど登り切ると、まっこ場立。ここに後藤伍長の像があるんずや。伍長は胸まで雪につかり、この銅像のように立ったまんま仮死状態で捜索隊に発見されたんずや(↓映画より)。後に凍傷にて四肢切断。
雪地蔵のように立ち、まなごだけぎょろぎょろしていたんだんず。
車だとゆっくり見れねので、苦しみながらの自転車がこのルートはベストだね・・・
これは銘文だべ。明治の元勲はみながこったら重厚な文ば書いたのか・・・
漢文の素養がなくなってあいったんこの100年ば感じんずやね。
熱中行軍。暑い暑い
温泉マニアの憧れ、酸ヶ湯にも行ったんずや。ここは最高!
何日たっても硫黄のかまりが体から抜けね。ここの千人風呂だばって、99%男湯状態。たまに勇気ある女子が入ってきまっけど、そうなると男子数百人の視線が民族移動するのがわかるんずや。
盛夏の八甲田山
この後は青森に下りてねぶた見物だ。
ちょうど今夜が一番盛り上がる夜だんずやようだ。
クルーズ船飛鳥IIも来ていだんだ。
ラッセラー ラセラー♪
ラッセラー ラセラー♪
ラッセラー ラセラー♪
ラッセラー ラセラー♪
おらも踊りの輪に加わりたくなったんずや!来年は参加まなご的で行ってみたいぞー!
今日はまずわが故郷横浜に帰ります。
途中みかけた小学校にて。竹馬がいい味だしてます。
やっと横浜町に帰ってきました。
横浜水産
朝のラッシュがはじまる前の駅。
若者が多いので暴走行為が多発しています。残念なことです。
横浜町みなとみらい21地区を臨む。
開港記念花火大会って、もう終わってなかったっけ??
市役所です。いつもお世話になっています。
ターミナルビルです。西口CIAL側から
桜木町方面へシュッパーツ!
・・・以上。横浜点描記ですた。
実は陸奥横浜駅から輪行する際に、完全に汽車の時間を誤り、駅に着いたのは発車時刻の3分前。当然袋詰めは間に合いません。駅長さんに頼みこんで裸の自転車を入れさせていただきますた。こんなことできるのはローカル線ならでは。一番前の特等席で組み立てさせていただきます。
ですが・・・
あれ?エンド金具がない!
・・・駅に忘れちゃっったかも・・・
(次の汽車に乗せて届けてもらいますた。感謝感謝)
注:ここ野辺地が南部弁と津軽弁の境界線だ。つうわけでここから津軽弁で記述いたするはんで。現地の風情ばお楽しみしてけろじゃ(笑)
東青森につきたんずや。
小説の現場ば訪ねる旅。『八甲田山死の彷徨』新田次郎 著
幸畑の雪中行軍犠牲者の墓地だ。199人の英霊ここに眠るんずや。
まずは博物館で雪中行軍遭難事件のおさらいばするはんで。ここに来るまで小説などでかなり勉強してきたんずやが、資料ばまじえた展示でさらに思いば強くできたんずや。
八甲田雪中行軍遭難事件とは
八甲田山 雪中行軍遭難秘話(このサイトも、かなり参考になります)
明治時代の事件ば伝える錦絵
これば履いて氷点下20度の雪中ばあるけば、凍傷するのも不思議はねじゃ。この程度の装備で下士官たちは出発してあいったんわけだ。
壁いっぱい並ぶ199人の犠牲者の写真が心ば打ちんずや。ほとんどが岩手、宮城の農家の次男、三男の一平卒。彼らが真っさぎに、ばたばたと将棋の駒ば倒すように寒さに倒れていったといいだよ。
・・・
・・・
旅行前に林道太郎さんにかしていただいたフロントバッグだばって、これはほんまに便利。最初はフロントが重くなるのでダンシングがしにくく違和感がありまっけど、なれてしまえば大丈夫。荷物の取り出しもしやすく、地図も入れられるんずや。
何よりも食卓になるんずや。これは偉大♪
幸畑から田茂木野まではゆるやかな傾斜。ここから小峠~大峠も緩斜面が続くが、傾斜に行李隊の橇が遅れ始めたのもここ。
それにしても暑いんずや。気温35度、熱中行軍だ。苦しいが、第5連隊の苦しみば思いながらさぎに進む。
そろそろ後藤伍長の発見地点だ・・・
とうとう後藤伍長発見の地に到着。
賽の河原(三途の川、のこと)、最後のビバーク地点など小説にかかれた悲惨な遭難現場ば次々に通過するはんで。思いばはせながら登って行きんずや。
中の森で露営する雪中行軍隊(映画より)
いじど登り切ると、まっこ場立。ここに後藤伍長の像があるんずや。伍長は胸まで雪につかり、この銅像のように立ったまんま仮死状態で捜索隊に発見されたんずや(↓映画より)。後に凍傷にて四肢切断。
雪地蔵のように立ち、まなごだけぎょろぎょろしていたんだんず。
車だとゆっくり見れねので、苦しみながらの自転車がこのルートはベストだね・・・
これは銘文だべ。明治の元勲はみながこったら重厚な文ば書いたのか・・・
漢文の素養がなくなってあいったんこの100年ば感じんずやね。
熱中行軍。暑い暑い
温泉マニアの憧れ、酸ヶ湯にも行ったんずや。ここは最高!
何日たっても硫黄のかまりが体から抜けね。ここの千人風呂だばって、99%男湯状態。たまに勇気ある女子が入ってきまっけど、そうなると男子数百人の視線が民族移動するのがわかるんずや。
盛夏の八甲田山
この後は青森に下りてねぶた見物だ。
ちょうど今夜が一番盛り上がる夜だんずやようだ。
クルーズ船飛鳥IIも来ていだんだ。
ラッセラー ラセラー♪
ラッセラー ラセラー♪
ラッセラー ラセラー♪
ラッセラー ラセラー♪
おらも踊りの輪に加わりたくなったんずや!来年は参加まなご的で行ってみたいぞー!
良いなぁ~
酸ヶ湯、野趣たっぷり、硫黄の香りが2日抜けませんでした。大混浴風呂、実質は男湯でしたが、勇気ある女子が意を決して…
つづく
ほんとうでした。
http://neosoya.sakura.ne.jp/tohhoku_aomori_onsen_sukayu.html
全然目に入りませんでした。今気づきました。自首します。