コーヒー好きなのは何度も書いていると思う。
美味しく淹れたコーヒーを飲む時、お気に入りのカップで飲んだ方がそりゃあ気分も良い。私の場合、マグカップがほとんどで、大きさやら、飲み口の口当たりやら、重さなんかを考えて、選んでいる。
値段はあまり気にしないが、マグカップなんだから500円もすれば買えるワケで、スタバなんかで売っている保温の出来るリサイクル・マグなんて言うのもあるけれど、普段は「せともの」。
で、マグカップなので、容量が多い。200ccあたりはざらにあるので、がぶ飲みするのには持ってこいなのだ。紅茶だろうがジュースだろうが、これで飲んでいた。それでいて不満は特に無い。
ところが、どうも「コーヒー1杯=120cc」と言うのが定説らしい事を最近知り、それに合うコーヒーカップが欲しくなった。つまり、普段使っているカップよりも小振りなカップと言う事である。エスプレッソ飲む時はもっと小振りなカップが喫茶店などでは出て来るが、あれはなかなか見つけるのも容易ではない。何気に飲んでいる缶コーヒーの小さい缶は180ccがほとんど。
で、買い物に出たついでに寄った100均ショップを眺めていると、実に良さそうなカップに目が止まる。ほこりにまみれちゃってはいたが、ソーサー付きで150円。いかにもコーヒーを飲んでくれ…と、言う様なデザインだし、せとものに相応しい和風な「天目」模様。大量生産品とは言え「いい仕事してるねぇ…」な逸品だと思い、2セット買ってみた。
さっそく、家に帰るなり計量カップで量ってみると、120cc。表示がしてあったわけでも、計って買ったわけでも無いが、実にピッタリ。今まで使っていたマグ・カップの方は250ccだった。
うーん。定説とは恐ろしい…。ちっとは世の中の定説って物に目を向けておくべきだったなぁ。好きな物が好きなだけ飲めるんだったら、量なんか多い方が嬉しいに決まっているんだが、世間並みの「1杯のコーヒー」って物を改めて知るのも感慨深い。
いつぞやか、好きなカップでコーヒーを飲ませてくれる喫茶店に入った事がある。その、自由に選べるカップのどれもが非常に高価で、名だたる名工の作品だったり、骨董的に価値の高い物と言う趣向なのだ。そういう目的で、そういう物の価値を判っていれば、それなりに楽しいのだろうが、全く価値が判らないと、お好きな物をお選びください…って言われても、デザインぐらいしか選ぶ基準がない。
で、まぁ好きなカップが全く無かったので、適当に選んで飲んだけれど、なんだか釈然としない気分でのコーヒー・タイムとなってしまったんである。それに比べたら、150円であっても、お気に入りのカップで味わう方は「至高の1杯」となるのであるのよ。
これ、ほっておくとその内「陶芸」にはまるんだろうと思う。もう辛抱ならなくて、自分でロクロ回して好みのカップを練り上げちゃう。造形だけに止まらず、焼きも重要な要素なので、キリが無くなってドツボにはまるんだと思うけれど、今日買って来たカップには、全く不満が無いので、当面その恐れは無いかな…。
とか言いつつも「陶芸セット」なんかをネットで探してる所が危ないなぁ…。
でも、お気に入りの物って、なかなか見つけるのも大変だし、本当に満足行くのが見つかるのも珍しい事なんだよねぇ。「こりゃ良いぞ!」って買って帰っても、何だか妙な違和感が見ている内に漂って来て結局腑に落ちない感じになってしまう事が多いんだよなぁ。
150円で、より幸せにコーヒーが味わえているんだから、やっぱり幸せだなぁ、おじたんはぁ…。
美味しく淹れたコーヒーを飲む時、お気に入りのカップで飲んだ方がそりゃあ気分も良い。私の場合、マグカップがほとんどで、大きさやら、飲み口の口当たりやら、重さなんかを考えて、選んでいる。
値段はあまり気にしないが、マグカップなんだから500円もすれば買えるワケで、スタバなんかで売っている保温の出来るリサイクル・マグなんて言うのもあるけれど、普段は「せともの」。
で、マグカップなので、容量が多い。200ccあたりはざらにあるので、がぶ飲みするのには持ってこいなのだ。紅茶だろうがジュースだろうが、これで飲んでいた。それでいて不満は特に無い。
ところが、どうも「コーヒー1杯=120cc」と言うのが定説らしい事を最近知り、それに合うコーヒーカップが欲しくなった。つまり、普段使っているカップよりも小振りなカップと言う事である。エスプレッソ飲む時はもっと小振りなカップが喫茶店などでは出て来るが、あれはなかなか見つけるのも容易ではない。何気に飲んでいる缶コーヒーの小さい缶は180ccがほとんど。
で、買い物に出たついでに寄った100均ショップを眺めていると、実に良さそうなカップに目が止まる。ほこりにまみれちゃってはいたが、ソーサー付きで150円。いかにもコーヒーを飲んでくれ…と、言う様なデザインだし、せとものに相応しい和風な「天目」模様。大量生産品とは言え「いい仕事してるねぇ…」な逸品だと思い、2セット買ってみた。
さっそく、家に帰るなり計量カップで量ってみると、120cc。表示がしてあったわけでも、計って買ったわけでも無いが、実にピッタリ。今まで使っていたマグ・カップの方は250ccだった。
うーん。定説とは恐ろしい…。ちっとは世の中の定説って物に目を向けておくべきだったなぁ。好きな物が好きなだけ飲めるんだったら、量なんか多い方が嬉しいに決まっているんだが、世間並みの「1杯のコーヒー」って物を改めて知るのも感慨深い。
いつぞやか、好きなカップでコーヒーを飲ませてくれる喫茶店に入った事がある。その、自由に選べるカップのどれもが非常に高価で、名だたる名工の作品だったり、骨董的に価値の高い物と言う趣向なのだ。そういう目的で、そういう物の価値を判っていれば、それなりに楽しいのだろうが、全く価値が判らないと、お好きな物をお選びください…って言われても、デザインぐらいしか選ぶ基準がない。
で、まぁ好きなカップが全く無かったので、適当に選んで飲んだけれど、なんだか釈然としない気分でのコーヒー・タイムとなってしまったんである。それに比べたら、150円であっても、お気に入りのカップで味わう方は「至高の1杯」となるのであるのよ。
これ、ほっておくとその内「陶芸」にはまるんだろうと思う。もう辛抱ならなくて、自分でロクロ回して好みのカップを練り上げちゃう。造形だけに止まらず、焼きも重要な要素なので、キリが無くなってドツボにはまるんだと思うけれど、今日買って来たカップには、全く不満が無いので、当面その恐れは無いかな…。
とか言いつつも「陶芸セット」なんかをネットで探してる所が危ないなぁ…。
でも、お気に入りの物って、なかなか見つけるのも大変だし、本当に満足行くのが見つかるのも珍しい事なんだよねぇ。「こりゃ良いぞ!」って買って帰っても、何だか妙な違和感が見ている内に漂って来て結局腑に落ちない感じになってしまう事が多いんだよなぁ。
150円で、より幸せにコーヒーが味わえているんだから、やっぱり幸せだなぁ、おじたんはぁ…。