正確に言えば、前方後円墳の話でも無いのだが「古墳絡み」な話なので再び…。
ここ数日、ブログは書いてない。やたらと外出しなければならず、疲れたのでぐったりなんである。まぁ、ニュース記事を見たりはしていたが、ここ数日に古墳の話が記事になっていたので読んだりして。
マニアでもなければ、古墳に左右されて生きる事も無いワケで「ふーん…」で、終わってしまう事がほとんどだったりする。例え、記事を目にしてもね。関西圏にでも住んでいなければ「鍵穴マーク」ばりの古墳にお目に掛かる事も無いし、ニュース記事になる様な古墳も近所に無い事から、それまでの知識と想像の域を出ないわけで、相変わらず「ふーーん…」で終わっていた。
ところが、ここ数日の私は違う。
発端は韓国からの記事で、未発見の地下空間が見付かったと言う物。おそらく、かなり以前の政権が戦争時の避難場所として作ったらしい物ではあったらしいが「巨大なバンカー」なのか「巨大なハンガー」なんだか、どっちからしい形状が載っていた。
ここで、私の抱える謎物件の幾つかのうち、とある1つが鮮明に蘇ってきてしまったのである。
それは「鎌倉の謎空間(仮称)」。
「お好み」と称して幽霊を求め彷徨い歩く、深夜のドライブが身内で流行った頃、逗子のハイランドという住宅地からおもむろに藪の中に入り、衣張山あたりの山中をうろうろするのがなかなか趣深い趣味であったのだ。深夜だからバカ騒ぎして良いわけでは無く、それなりに礼節を重んじたし、史跡への理解を深める事も怠らなかったワケだが、深夜の「丑三つ時」に幽霊は出やすい(日本の場合)って事と、そんな時間に藪の中にいるのは身内だけで、幽霊と人間の区別がハッキリし易いって事でもあった。
大河ドラマで何年かおきに「ブーム」となる観光地ではあるが、観光で訪れる人もあまりいない藪の中というのか、山中なんだけれど、その時代の「お墓」である「やぐら」なんてのは無造作に隠れている。崖の横をそれほど深くもなくえぐった所に亡骸を横たえるだけで「埋葬」はおしまいだったらしいが、骨なんかあるわけもなく、ケルンの様な石の積み重ねがあったりするのだが、そうした雰囲気は「名所」にでもならない限り、整備される事もなく、昼なお暗かったりするんだが、いかにも「出そう…」なワケ。
まぁ、住宅でぶっ潰してなければあちこち「やぐら」だらけなのが鎌倉でもあるので、そんじょそこらで幽霊だらけ…なハズなのだが、なかなか見に出掛けて見られる物でも無いのだ。なんせ、ハイキングコースになっていたりする所もあるので、全く人が来ないわけでもないし、学術調査くらいはしていそうでもある。夜中の2時3時から朝方までうろうろしても、幽霊さんには会えたためしも無い。
んで、鎌倉に幕府があった頃の史跡とは違うものもあったりして、どれくらい古いのだか定かじゃなかったりする物もある。山中で見つけた「古墳」ってのもその1つで、古墳と言えば古墳なのだろうけれど、歴史の教科書に出て来る物とは違い、墓石が転がっているだけに見える。これにちょいと興味を惹かれて、その周囲をうろうろした時の事だ。
古墳の裏手が崖になっていて、周囲には見られないゴロゴロ…した岩が落ちている。そこをおっかなびっくり降りていくと、あら不思議。巨大なぽっかりと開いた大穴が開いていたのである。
「穴」と言うと自然に出来た「丸い穴…」を想像しがちだが、この穴は「丸」ではない。キレイに「四角」であり、それもかなりデカイ。山の横に巨大な四角い穴がキレイに空いており、ちょっとした体育館程の高さと広さがあるのだ。なんだか、作りかけで挫折した地球防衛軍の秘密基地って感じだけど、奥行きがウルトラホーク1号には足りなすぎる…。って事はこの開口部は「4thGATE」でも無いみたいだった。
強力なマグライト持参って中でも、その広さはちょっと「異様」。戦時中の何かの施設かとも考えたのだが、それらしい「物」が見当たらない。壁面や床の部分を見ると、何かで石を切り取った跡らしき物があちこちにあったりもしたので、石切場なのかなぁとも思ってはいるが、切った石はどこから運び出したのか、夜中では明らかに出来なかった。
まぁ、こんな大きな跡だし、何か調べれば載っているだろう…って考えがいけなかった…。調べ足りない事もあるんだろうが、未だに「何のための空間」なのかサッパリなのである。
おまけに「古墳の裏」という曖昧な記憶が災いし、想像していた「古墳」の裏手にそんな物が無かった事が最近の昼間の探訪でハッキリしてしまった。これはかなり「鬱…」である。地図を見ても載ってはいないし、そんなものに触れているネットの情報も今までに見ていないし、完全にロストしちゃっているワケで、いけませんのいけません…状態。
巨大な「やぐら」とも考えては見たが、例の「ケルン」みたいなのは無かったし、先人なのか先駆者なのか判らないが、たき火の跡があったのは覚えている。ただ、空間がぽっかりと空いた山の中腹までに道は無かったし、かなりの落差のあるゴロゴロ…が藪の中に見えたワケで、史跡なら何かしら調査の跡があっても悪く無いと思うけれど、それらしい物も無かったしなぁ。
恐らく、間違いなく「石切場」の跡なんだろうけれど、それもなんか寂しいじゃんねぇ。やっぱり謎の秘密基地の作りかけ…って所で落ち着いて欲しい気がするのだが、ハイキングコースの案内なんかには「石切場」と載っている物もあったりする。それが「これ…」を指しているのかどうなんだか良く判らない所がまたミソでもあったりしてうれしい。
人知れず、藪に埋もれてひっそりと佇むってのも、案外と良いもんだ。
そんなこんなを考えている間に、高松塚古墳のカビと湿気問題がいよいよヤバくなって来たと言う記事を見る。中には日本史で必ずカラーで出て来る「壁画」があるわけで、これが「カビ」にやられたり、湿気にやられて見る影も無い…って感じになりつつあるらしい。一応、見付かった後に、後年の事を考えて、当時では考えられるだけの「措置」を講じたのではあるが、ボロボロ…になっちゃったのが割と最近になって判った。
後から見付かって、高松塚と並ぶ立派な壁画を残していた「キトラ古墳」の方は、痛みが激しいので壁画を剥ぎ取って保存する努力が続けられている。これだって、簡単にできる物では無いし、そうまでして残さないとイケナイ理由も微妙な感じ…。せっかく残っている物だから、後々まで残そうって事なのだが、考えように因っては「墓荒らし」な感じもする。見つけちゃった以上、自然に朽ちるに任せるってのも微妙だし…。この辺は難しいねぇ。
そうしたメジャーな史跡では無いけれど、良く探せばあちこちに転がっていたりする。それが、十分と調査し尽くされている物は意外なほどに少なく、調べなおしたら「別物」って事だってあるかもしれない。以前、日本の古墳はエジプトのピラミッドほど知られていないと、ブログで書いた。鍵穴マークな古墳のほとんどが「天皇陵」に指定されている事から、調査はほとんど行われておらず、数える程しか判っていない事がほとんどである。そもそも、それが本当に言われている人の墓なんだかも「微妙…」な場合が多々あり、疑問視される場合もあったのだが、なんせ「墓」だし、入っている人もほら、皇族なワケでね、謎なんだな。あんまりほじくり返して、あらぬ事が判ったりするとマズイ…って事もあるんだと思う。曖昧なままで良い場合も、それはそれで日本的な事情だったりもするのは、今も昔も変わりないみたいで。
また、秋にでもなり、蚊や毒虫なんかのいなくなった頃に散策して来ようかと思う。場所だけでもハッキリとしておきたい気持ちはあるし。ハイランドから旧火葬場の上に抜ける途中かと思っていたのだがなぁ…。どこなんだか。貴重な生物の多い藪でもある。蛍の様に点滅する「ウジ虫」なんか滅多に見られる物では無いし、生でフクロウが見られたり、失ってはイケナイ物も数多いんだろうなぁ。もっと、こうしたマイナーな物件もちゃんと調査して残す…って方向が強まらないと、失うに任せるって事になってしまうワケで、もったいないなぁと。エジプトじゃ4000年前の物が残っているし、見付かっているけど、日本はせいぜいその半分くらいでしょ、年数で言えば。なんだかねぇ…。
職業・インディ・ジョーンズ…ってのも育たないワケだよなぁ。