北海道だけとは限らないと書いたんだけれど、こうも続くとねぇ…。
九州で新たに表面化した事件では教師が原因のひとつだと言うから、やりきれないよなぁ…。
で、バカどもがまた晒されるワケだけれど、それは当然として、こいつらの責任の取り方がぐだぐだ…。辞任だの更迭だのなんてのは全然責任として、その責を全うしていない。組織的に役職が外れようが、外されようが、被害者と遺族には何ら関係無い事である。むしろ、そうする事により…
『わたくし、もう関係ありませんから…』
と、立派な逃げ口上まで与えてやる必要なんか無いのだ…。誰が言うのか? みものとして注目しておくとおもしろいな。
責任を取れないなら、首を吊るなり、練炭抱えてレンタカーに引き籠もるなり、腹を切るなりすればよい。そうしてくれた方が、世のためである。
適当に裁判起こしてもらって、適当な判決で、適当な金額で終わってくれれば御の字…と言う連中が多過ぎて困る。そんな連中がどうなろうと知ったこっちゃない。
加えて言うならば、先手を打たねばなるまい。
『黒塗りで読めない報告書をもって、開示請求に応じる事をこれを認めない…』
そうした請求が仮でも本でも出来るのかどうかしらんが、あいつら本物のバカはこれを平然とやってのけるのである。従って、いくら調査したところで、結果は完全に報告もされないし、後のためにも全くならないモノを時間を掛けて作るのに血税を注いじゃっているのである。
これが、こうした事件で必ず見受けられる『結末』だったりする。
いじめ殺され損…の連鎖が続いているのである。何人死んだとしても、根本的な解決に向けて後に残すモノが作られない為に、個絶された『事件』で終わってしまうのだ。市を含めての組織を守る方向にしか『調査』は行われていない事に気付かないといけない。
また、調査も誰が行っているのか考えれば『結果』はおのずと判る。そうした事件にあたる、専門の外部組織に市民が関わらねばこうした悪しき慣習は断ち切れない。教育の現場があまりにも『不可侵』過ぎたのではあるまいか?
また、そうした調査を全うする事を責任として課す必要も義務としなければ何も解決に向かわない。
そんなこんなの現実の中で
『死んではいけない…』
とだけ言うのは非常に大人の発言としては無責任だ。生き地獄を生き抜け…と、誰が言えるのか? 根本的な解決への道は険しく、本当に厳しいが、そうした方向へ向けて何も提示できないのならば、安易に『生きろ』と言うのは無責任極まりない。
報告書を墨塗りにする、あるいは開示すらしない、そうした『うやむや』が得意な大人が何を『調査』して『報告』するのだ? そうした大人が『生き地獄』で『生き続ける』事を強要して何になる?
大人が子供を教育するのが学校ならば、教育ならば、大人が襟を正せ。正した上でキチンとした結果を出した上で、処罰を決めろ。それすら出来ない組織ならば、市民の手で壊すくらいの勢いが無ければ、何も変わらないぞ。
「うちの子じゃなくて良かった…」
「我が校で無くて良かった…」
と言うのは『本物のバカ』と本質は変わらない。誰もが関わって行かなければ道は開けないのであるのよ。
しかし、全国一律に『本物のバカ』ばっかなのはどーした事だろう?
北海道の事件では、遺族の方がマスコミやネットの向こう側にも謝意を表していたのが印象的だったが、今回の九州では校長が生徒の前でマスコミやネットの向こうにケンカ上等な事言っていた。まぁ、そんなのはキャッシュの海から永遠に『本物のバカ』と晒され続ければいいんだが、
『ここの学校の校長や教員はさすがだ…』
と、うならせる様な人が出て来ないのはどーしたものか? そーした所じゃ、こんな事件はそもそも起きないか…。そうした事件の時にしっかりと対応してくれる人間が求められているのになぁ…。それにしても、学校だけでなく、その上も一律にバカなのは組織として相当に『本物のバカ』なんだな、きっと。それにぶら下がっている議会とか議員はどー考えてるんだろ? こうした街じゃ…。
自分の街でこんないい加減なコトが起きたら遠慮無く特攻だけどなぁ…。市民なめすぎだろうに。そうした『勢い』が昨今の大人には何に対してもみじんも感じられないのも原因の一つだと…おじたん。は思うのだがなぁ…。
さて、どうなることやら…。クーデターでもやるか。タイみたいに。
九州で新たに表面化した事件では教師が原因のひとつだと言うから、やりきれないよなぁ…。
で、バカどもがまた晒されるワケだけれど、それは当然として、こいつらの責任の取り方がぐだぐだ…。辞任だの更迭だのなんてのは全然責任として、その責を全うしていない。組織的に役職が外れようが、外されようが、被害者と遺族には何ら関係無い事である。むしろ、そうする事により…
『わたくし、もう関係ありませんから…』
と、立派な逃げ口上まで与えてやる必要なんか無いのだ…。誰が言うのか? みものとして注目しておくとおもしろいな。
責任を取れないなら、首を吊るなり、練炭抱えてレンタカーに引き籠もるなり、腹を切るなりすればよい。そうしてくれた方が、世のためである。
適当に裁判起こしてもらって、適当な判決で、適当な金額で終わってくれれば御の字…と言う連中が多過ぎて困る。そんな連中がどうなろうと知ったこっちゃない。
加えて言うならば、先手を打たねばなるまい。
『黒塗りで読めない報告書をもって、開示請求に応じる事をこれを認めない…』
そうした請求が仮でも本でも出来るのかどうかしらんが、あいつら本物のバカはこれを平然とやってのけるのである。従って、いくら調査したところで、結果は完全に報告もされないし、後のためにも全くならないモノを時間を掛けて作るのに血税を注いじゃっているのである。
これが、こうした事件で必ず見受けられる『結末』だったりする。
いじめ殺され損…の連鎖が続いているのである。何人死んだとしても、根本的な解決に向けて後に残すモノが作られない為に、個絶された『事件』で終わってしまうのだ。市を含めての組織を守る方向にしか『調査』は行われていない事に気付かないといけない。
また、調査も誰が行っているのか考えれば『結果』はおのずと判る。そうした事件にあたる、専門の外部組織に市民が関わらねばこうした悪しき慣習は断ち切れない。教育の現場があまりにも『不可侵』過ぎたのではあるまいか?
また、そうした調査を全うする事を責任として課す必要も義務としなければ何も解決に向かわない。
そんなこんなの現実の中で
『死んではいけない…』
とだけ言うのは非常に大人の発言としては無責任だ。生き地獄を生き抜け…と、誰が言えるのか? 根本的な解決への道は険しく、本当に厳しいが、そうした方向へ向けて何も提示できないのならば、安易に『生きろ』と言うのは無責任極まりない。
報告書を墨塗りにする、あるいは開示すらしない、そうした『うやむや』が得意な大人が何を『調査』して『報告』するのだ? そうした大人が『生き地獄』で『生き続ける』事を強要して何になる?
大人が子供を教育するのが学校ならば、教育ならば、大人が襟を正せ。正した上でキチンとした結果を出した上で、処罰を決めろ。それすら出来ない組織ならば、市民の手で壊すくらいの勢いが無ければ、何も変わらないぞ。
「うちの子じゃなくて良かった…」
「我が校で無くて良かった…」
と言うのは『本物のバカ』と本質は変わらない。誰もが関わって行かなければ道は開けないのであるのよ。
しかし、全国一律に『本物のバカ』ばっかなのはどーした事だろう?
北海道の事件では、遺族の方がマスコミやネットの向こう側にも謝意を表していたのが印象的だったが、今回の九州では校長が生徒の前でマスコミやネットの向こうにケンカ上等な事言っていた。まぁ、そんなのはキャッシュの海から永遠に『本物のバカ』と晒され続ければいいんだが、
『ここの学校の校長や教員はさすがだ…』
と、うならせる様な人が出て来ないのはどーしたものか? そーした所じゃ、こんな事件はそもそも起きないか…。そうした事件の時にしっかりと対応してくれる人間が求められているのになぁ…。それにしても、学校だけでなく、その上も一律にバカなのは組織として相当に『本物のバカ』なんだな、きっと。それにぶら下がっている議会とか議員はどー考えてるんだろ? こうした街じゃ…。
自分の街でこんないい加減なコトが起きたら遠慮無く特攻だけどなぁ…。市民なめすぎだろうに。そうした『勢い』が昨今の大人には何に対してもみじんも感じられないのも原因の一つだと…おじたん。は思うのだがなぁ…。
さて、どうなることやら…。クーデターでもやるか。タイみたいに。