おじたんが就学児童だった頃は、かなり必死に集めていた記憶がある。
特に、中学校では、持参率(参加率)100%を目指すのはもちろん、得点さえもクラス毎に競う習慣が度々あって、その雰囲気たるや、国家総動員令…って感じ…。
まぁ、普通の家庭で何かしらお買い物でもすれば、0.5点くらいは必ず見付かったりもするのだけれど、うっかりするとそのままゴミ箱へ直行する形で付いてくるのがベルマークだったりもするから、日々のお買い物に関与しない身ではあっても、誠意努力して集めると言う気概で望まないといけなかったりする。
でまぁ、学級委員でありながら、締め切りの最後の日でもあるのに、持参しなくて、クラス全員に吊るし上げられる…と言う「夢」をみた。
全くのうっかりミスであり、自宅に帰ればそこそこ集めたベルマークの塊があったりもするのだが、持って来るのを忘れてしまったのである。取りに帰ればコトは済むのだが、そんな掟破りは出来ないし、ケータイなんか夢の道具だった時代だから、連絡して持って来てもらうなんてコトも出来ない…。
もう、ホームルームどころじゃなくて、糾弾大会。今更、何を反省したところで持参率は100%になるコトもなく、クラス全員から罵声を浴びせられ、それこそ
『死ね!』
っと言わんばかり。大好きだった○○子ちゃんからも白い目で見られ、口さえもきいてくれず、人生のお先真っ暗感はかなりの濃度で漂っているのである…。ほんの些細な間違いが、武装親衛隊と党員の攻撃目標となるのだ。
あの頃の、そうした運動は、ドイツ労働党のかの時代のそれ的なモノにしっかりと通じるモノであったと思うが、
「クラス全員が協力して参加する。一人ひとりの努力は微塵なものだ…」
と、決して悪い方向じゃないものだけに、その方向に突き進む思想的信条はまさに、ヒトラーユーゲント…。らっさっさぁ~♪ な雰囲気が当然に漂い、与えられた数値目標に向かって一致団結どころか、その決起大会たるや、反転卍党、ニュールンベルグ大会よろしく…なモノだったりしたのである。
で、今時のベルマークはどんなもんかと、就学児童のいる妹宅に聞いてみると、
「たまに集めることもある…らしい…」
と、実にのんびりとした感じ。
「だって1学年2クラスでスカスカなんだから…。集めてどーなんのよ?」
うむぅ…。少子化の影響はベルマークにも及ぶのか…。確かに、おじたんが就学児童だった頃は、1学年6クラスは最低でもあったし、ヒドイ時は12クラスなんて学年もあったりしたもんだ…。一致団結すれば、そこそこの点数が集まるのも事実。
夢の中ではクラスのハジキ者として名を馳せてしまったが、実生活ではそんなコトもなく、地味な点数ながらも参加はしていた。むしろ、学級委員とか、そうした要職を強いられる運命にあったみたいなので、どちらかと言えば「体制側」の人間。ゴミ箱を漁ればベルマークの1つ2つはクシャクシャになってたりもしたからね…。
だが、夢の中の自分の様に、クラス全員から糾弾される人間が必ずリアルにいたりもした。
どーしたことか、毎回必ず持ってこないのである。学級委員だか、ベルマーク委員だか、そんなのをおおせつかった日にゃ、非常に頭の痛い問題。要注意人物でもあるワケだから、締め切りの当日の始業前ともなれば、真っ先に持って来たか否か? が、まず彼らに問い掛けられ、持って無い…ともなればド突きまわされるわ、ケリ入れられまくるわ、今日の「いじめ」そのもの。当然の如く、非は再三再四の強制持参勧告にも関わらず、持ってこない側にあるワケで、通学途中でベルマークを握らせる…なんて闇行為もあったりなんだりで、毎回大騒ぎしていたと思う。
そんな話を、父の仕事を手伝う帰り道の車中で話した覚えがある…。
「△△が持ってこなくてさぁ…大騒ぎだよ…」
「△△は□○んとこに住んでるやつかぁ?」
「そうだよ。マヨネーズ買ったって付いて来るのにさぁ…」
「…あそこはマヨネーズも買えないんじゃねーのか?」
「えっ?! う、うぅ?」
「そんなの買えそうなウチじゃねーぞ、あそこんとこは…」
父は機を利かしたのかどうか知らないが、帰路、例の△△君の家の前を通るコースで車を走らせた。
「ほら、あそこだぞ…電気じゃねーんだぞ、あれ…」
周りを畑に囲まれて、そこそこ大きそうな昔の農家って家が建っていた。夕暮れのご飯時だろうか。よその家は電気のそれと判る明かりが点いているが、そこにはそうした明かりではなく、なんだか頼りなくよろよろとした明かりが…。
「ローソク立てて飯食ってんだぞ…あれ…」
「う、うぅ? ゆらゆらだねぇ…あれは…」
農家だから、食うには困らないのだろうけど、それ以外は実につましく生活しているのであるねぇ。当時でも、そうした家はかなり少数派ではあったのだけれど、2クラスに1人くらいはいたんだよねぇ…。
ベルマークくらい…と言うのが学校では当たり前の考えではあったが、ベルマークさえ縁の無い家庭もあったんだよなぁ…。周囲からド突き回された挙句、目に涙をいっぱいに貯めて、ひたすら無言で抵抗していた彼らには、持って来られない事情があったんである。
「当然」と言う「強制」と「強要」…。学校行事なら、致し方ない面もあるのだが、当時は「貧乏」と言う情状酌量的な余地に考えは無く、単なる「バカ」とか「グズ」と言う「残酷」な判定しか持ち得ていなかった…。
ほんの、些細な包装フィルムの1つ。それが「ベルマーク」。彼らだって、胸を張って持って来たかったんだと、今は思う。それすらままならない「家庭」から、彼らは学校に来ているコトを、なぜ我々は気付かなかったのか…。党の指示に盲進した挙句に大事なモノを失ってしまった。きっと、彼らはいつまでも、あの日の涙を忘れはしないだろうと思う…。
幾度か、誇らしげに持って来た時の顔を覚えている。お菓子の包装フィルムを雑に切り取ったモノではあったが、参加したコトには違いない。彼が1人で努力したのか、家族で努力したのか、定かでは無いが、持参者名簿に○が付けられたのをしかと確認した彼の顔は、そりゃあ輝いていたのさ。だが、そんな彼の誇らしげな顔も、帰りのホームルームまでの話に終わる…。点数をも競うシステムは、彼にさらなる点数の持参を義務づけてしまうのであった…。
まぁ、ベルマーク自体はそんな残酷な趣旨の元行われているワケでは無い。今や企業や大学までもが参加しているボランティア運動ではあるのだけれど、最新のニュースを読むと、寂しい話題が載っていたりする。
あの「カルピス」からベルマークが消えると言うのだ。夏の、あのビンの周りの包装紙に付いているベルマークをハサミでチョキチョキした覚えのある方も多いだろうと思うが、長年参加企業として名を連ねていた著名な企業がそこから消えて行くと言うのである。少子化や、そうした活動に対する効果なども時代によって変わっていくものだし、企業側にも事情があるワケで、一定の役割は終えた…と言うコトなのかもしれない。
誰もが簡単に参加できる活動という名の元に、悲しい事実を見てしまったのも事実であるが、こうした活動が寂れていくのはやはり困る。時代に合わせたカタチで、数多くの場が広まる方向にあるのか、無いのか? エセ募金が台頭してしまう様じゃもっと困るし、「ボランティア」の名すら怪しまれる昨今でもあるのだから、今一度、ベルマークを考えても悪く無いと思うんであるね…。
特に、中学校では、持参率(参加率)100%を目指すのはもちろん、得点さえもクラス毎に競う習慣が度々あって、その雰囲気たるや、国家総動員令…って感じ…。
まぁ、普通の家庭で何かしらお買い物でもすれば、0.5点くらいは必ず見付かったりもするのだけれど、うっかりするとそのままゴミ箱へ直行する形で付いてくるのがベルマークだったりもするから、日々のお買い物に関与しない身ではあっても、誠意努力して集めると言う気概で望まないといけなかったりする。
でまぁ、学級委員でありながら、締め切りの最後の日でもあるのに、持参しなくて、クラス全員に吊るし上げられる…と言う「夢」をみた。
全くのうっかりミスであり、自宅に帰ればそこそこ集めたベルマークの塊があったりもするのだが、持って来るのを忘れてしまったのである。取りに帰ればコトは済むのだが、そんな掟破りは出来ないし、ケータイなんか夢の道具だった時代だから、連絡して持って来てもらうなんてコトも出来ない…。
もう、ホームルームどころじゃなくて、糾弾大会。今更、何を反省したところで持参率は100%になるコトもなく、クラス全員から罵声を浴びせられ、それこそ
『死ね!』
っと言わんばかり。大好きだった○○子ちゃんからも白い目で見られ、口さえもきいてくれず、人生のお先真っ暗感はかなりの濃度で漂っているのである…。ほんの些細な間違いが、武装親衛隊と党員の攻撃目標となるのだ。
あの頃の、そうした運動は、ドイツ労働党のかの時代のそれ的なモノにしっかりと通じるモノであったと思うが、
「クラス全員が協力して参加する。一人ひとりの努力は微塵なものだ…」
と、決して悪い方向じゃないものだけに、その方向に突き進む思想的信条はまさに、ヒトラーユーゲント…。らっさっさぁ~♪ な雰囲気が当然に漂い、与えられた数値目標に向かって一致団結どころか、その決起大会たるや、反転卍党、ニュールンベルグ大会よろしく…なモノだったりしたのである。
で、今時のベルマークはどんなもんかと、就学児童のいる妹宅に聞いてみると、
「たまに集めることもある…らしい…」
と、実にのんびりとした感じ。
「だって1学年2クラスでスカスカなんだから…。集めてどーなんのよ?」
うむぅ…。少子化の影響はベルマークにも及ぶのか…。確かに、おじたんが就学児童だった頃は、1学年6クラスは最低でもあったし、ヒドイ時は12クラスなんて学年もあったりしたもんだ…。一致団結すれば、そこそこの点数が集まるのも事実。
夢の中ではクラスのハジキ者として名を馳せてしまったが、実生活ではそんなコトもなく、地味な点数ながらも参加はしていた。むしろ、学級委員とか、そうした要職を強いられる運命にあったみたいなので、どちらかと言えば「体制側」の人間。ゴミ箱を漁ればベルマークの1つ2つはクシャクシャになってたりもしたからね…。
だが、夢の中の自分の様に、クラス全員から糾弾される人間が必ずリアルにいたりもした。
どーしたことか、毎回必ず持ってこないのである。学級委員だか、ベルマーク委員だか、そんなのをおおせつかった日にゃ、非常に頭の痛い問題。要注意人物でもあるワケだから、締め切りの当日の始業前ともなれば、真っ先に持って来たか否か? が、まず彼らに問い掛けられ、持って無い…ともなればド突きまわされるわ、ケリ入れられまくるわ、今日の「いじめ」そのもの。当然の如く、非は再三再四の強制持参勧告にも関わらず、持ってこない側にあるワケで、通学途中でベルマークを握らせる…なんて闇行為もあったりなんだりで、毎回大騒ぎしていたと思う。
そんな話を、父の仕事を手伝う帰り道の車中で話した覚えがある…。
「△△が持ってこなくてさぁ…大騒ぎだよ…」
「△△は□○んとこに住んでるやつかぁ?」
「そうだよ。マヨネーズ買ったって付いて来るのにさぁ…」
「…あそこはマヨネーズも買えないんじゃねーのか?」
「えっ?! う、うぅ?」
「そんなの買えそうなウチじゃねーぞ、あそこんとこは…」
父は機を利かしたのかどうか知らないが、帰路、例の△△君の家の前を通るコースで車を走らせた。
「ほら、あそこだぞ…電気じゃねーんだぞ、あれ…」
周りを畑に囲まれて、そこそこ大きそうな昔の農家って家が建っていた。夕暮れのご飯時だろうか。よその家は電気のそれと判る明かりが点いているが、そこにはそうした明かりではなく、なんだか頼りなくよろよろとした明かりが…。
「ローソク立てて飯食ってんだぞ…あれ…」
「う、うぅ? ゆらゆらだねぇ…あれは…」
農家だから、食うには困らないのだろうけど、それ以外は実につましく生活しているのであるねぇ。当時でも、そうした家はかなり少数派ではあったのだけれど、2クラスに1人くらいはいたんだよねぇ…。
ベルマークくらい…と言うのが学校では当たり前の考えではあったが、ベルマークさえ縁の無い家庭もあったんだよなぁ…。周囲からド突き回された挙句、目に涙をいっぱいに貯めて、ひたすら無言で抵抗していた彼らには、持って来られない事情があったんである。
「当然」と言う「強制」と「強要」…。学校行事なら、致し方ない面もあるのだが、当時は「貧乏」と言う情状酌量的な余地に考えは無く、単なる「バカ」とか「グズ」と言う「残酷」な判定しか持ち得ていなかった…。
ほんの、些細な包装フィルムの1つ。それが「ベルマーク」。彼らだって、胸を張って持って来たかったんだと、今は思う。それすらままならない「家庭」から、彼らは学校に来ているコトを、なぜ我々は気付かなかったのか…。党の指示に盲進した挙句に大事なモノを失ってしまった。きっと、彼らはいつまでも、あの日の涙を忘れはしないだろうと思う…。
幾度か、誇らしげに持って来た時の顔を覚えている。お菓子の包装フィルムを雑に切り取ったモノではあったが、参加したコトには違いない。彼が1人で努力したのか、家族で努力したのか、定かでは無いが、持参者名簿に○が付けられたのをしかと確認した彼の顔は、そりゃあ輝いていたのさ。だが、そんな彼の誇らしげな顔も、帰りのホームルームまでの話に終わる…。点数をも競うシステムは、彼にさらなる点数の持参を義務づけてしまうのであった…。
まぁ、ベルマーク自体はそんな残酷な趣旨の元行われているワケでは無い。今や企業や大学までもが参加しているボランティア運動ではあるのだけれど、最新のニュースを読むと、寂しい話題が載っていたりする。
あの「カルピス」からベルマークが消えると言うのだ。夏の、あのビンの周りの包装紙に付いているベルマークをハサミでチョキチョキした覚えのある方も多いだろうと思うが、長年参加企業として名を連ねていた著名な企業がそこから消えて行くと言うのである。少子化や、そうした活動に対する効果なども時代によって変わっていくものだし、企業側にも事情があるワケで、一定の役割は終えた…と言うコトなのかもしれない。
誰もが簡単に参加できる活動という名の元に、悲しい事実を見てしまったのも事実であるが、こうした活動が寂れていくのはやはり困る。時代に合わせたカタチで、数多くの場が広まる方向にあるのか、無いのか? エセ募金が台頭してしまう様じゃもっと困るし、「ボランティア」の名すら怪しまれる昨今でもあるのだから、今一度、ベルマークを考えても悪く無いと思うんであるね…。