…まぁ、稀にあったりするもんだけどね…。
友人と一緒にあちこち出掛けて、写真を撮ったり、食事をしたり…って事は普通にあるものだけれども、そうした、何も変わらない日常的な中で気付く、おかしな事もあったりする…。
「あのさ、あんた、なんで返事がデス声なの?」
「お`お`っ?」
数十年の付き合いで、かれこれ中学生の頃からの付き合いなのだが、気が付くと…返事が『デス声』だったりする。
別に、デス声で返事する必要はそうそうに無いと思われるのだが、なぜかそう返される事が多い。また、おそらくだが、そうされるのは私だけで、他の人にはそうはしていないだろうと思われる…。
「なんでって、昔からだよ…」
確かに…そんな気がする。昔からそうであったので、取り立てて気にした事も無かったが、不意に気付いてしまうと、いかんともしがたい感情が沸き起こってくる…。
試しに、こっちもデス声で返してみたが…どっちもデス声にして会話する必要も無い事から、収拾が付かないまま、何かが不満に満ちながらも会話が終了するまで続く…。
「あ"そこ"、み"き"ま"か"って"…」
「お"う"よ"」
何か、今までの人生でデスメタルに傾倒し尽くした覚えも無いであろうから、普段の会話にそうしたデス声を散りばめる必要も無いのだけれど、なぜかデス声になる…。時と場合によっては、会話にドス声を利かせる必要も合ったりする場合があるが、こうした会話にそうした必要性は全く無い。
だが…なぜだか、デス声で返事され、それがあたかも普通かのごとく会話が成り立ち、進んでも行く…。
きっと、人生のどこかで、深層心理的にデスメタルに毒されてしまったからではないかと思うのだが、彼の日常を知る限りに考えても、そうした接点が発見できないでいる…。
まぁ、私との会話の中だけという、限定的な事象であればの話ならば、それほどの事でもないが、もうこの歳になるとこうした習慣や無意識に体現されてしまう癖と言ったものが是正されるとか、改善されるとかは乏しい期待にも終わるだろうから…彼の残りの人生が少し不憫でならないのである…。
友人と一緒にあちこち出掛けて、写真を撮ったり、食事をしたり…って事は普通にあるものだけれども、そうした、何も変わらない日常的な中で気付く、おかしな事もあったりする…。
「あのさ、あんた、なんで返事がデス声なの?」
「お`お`っ?」
数十年の付き合いで、かれこれ中学生の頃からの付き合いなのだが、気が付くと…返事が『デス声』だったりする。
別に、デス声で返事する必要はそうそうに無いと思われるのだが、なぜかそう返される事が多い。また、おそらくだが、そうされるのは私だけで、他の人にはそうはしていないだろうと思われる…。
「なんでって、昔からだよ…」
確かに…そんな気がする。昔からそうであったので、取り立てて気にした事も無かったが、不意に気付いてしまうと、いかんともしがたい感情が沸き起こってくる…。
試しに、こっちもデス声で返してみたが…どっちもデス声にして会話する必要も無い事から、収拾が付かないまま、何かが不満に満ちながらも会話が終了するまで続く…。
「あ"そこ"、み"き"ま"か"って"…」
「お"う"よ"」
何か、今までの人生でデスメタルに傾倒し尽くした覚えも無いであろうから、普段の会話にそうしたデス声を散りばめる必要も無いのだけれど、なぜかデス声になる…。時と場合によっては、会話にドス声を利かせる必要も合ったりする場合があるが、こうした会話にそうした必要性は全く無い。
だが…なぜだか、デス声で返事され、それがあたかも普通かのごとく会話が成り立ち、進んでも行く…。
きっと、人生のどこかで、深層心理的にデスメタルに毒されてしまったからではないかと思うのだが、彼の日常を知る限りに考えても、そうした接点が発見できないでいる…。
まぁ、私との会話の中だけという、限定的な事象であればの話ならば、それほどの事でもないが、もうこの歳になるとこうした習慣や無意識に体現されてしまう癖と言ったものが是正されるとか、改善されるとかは乏しい期待にも終わるだろうから…彼の残りの人生が少し不憫でならないのである…。
