おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

お盆過ぎたけど、出て来ないねぇ…。

2019-08-19 21:54:25 | 我思う、故に書くなりよ。
…そういえば、同級生の葬式なんてのもあったんだよね…。

参列出来なかったので、記憶には薄いのだが、同級生が亡くなったワケだし、どちらかと言えば疎遠がちではあったものの、ここ数年では年に幾度か会ってもいたし、メールのやり取りも数回はあったしね。

お盆も過ぎ、帰っちゃったと言えば帰っちゃったんだろうけど、ついぞそれらしき姿も音もなかったな。新盆だから期待してたのだが。

やつの実弟の話によれば、葬儀中にそれっぽい感触はあったそうだ。何者かに肩を触れられる感触だったそうだけど。

ま、こっちはあれこれと忙しく、その忙しさは未だに続いていたりもするのだけれどな。オマケに無宗教極まり無いので、そうした宗教行事的なものは残された者たちの自己満足程度にしか考えてもいないので。

自身が死に掛けた経験から言えば…

あっちは音も光もなかったわけで、自身の存在感すら無く、何か物体があるとか無いとか以前の状況だった。それが、不意にこっちへ帰って来た途端に(電気ショックでバンっ!ってヤツね)ぶわわわわっ…っと、三途の川らしき光景が溢れて来る感じ。

やつはあっちに行ったまま…って事だから、やはり音も光もない『無』の中なんだろうかねぇ。

十数年前に亡くなった同級生も出て来ない。比較的近年亡くなった同級生は、まぁ何か連絡してたとか付き合いが続いていたワケでは無いので、出て来ないにしても、あいつくらいは出て来ても悪くないと思うけどな。

ま、カクカクシカジカな話に拠れば…そうそう出て来られない事情もあったそうだから、今後も出て来ないかもねぇ。

それでは自分はどうか? と思うんだけど、ホントにあっちは何も無いので出るとか帰るとか無いだろうなぁ。キレイサッパリ『消失』ってのが言い得て妙なのが私が見て感じた「あの世」なので。

んじゃさ、今まで見たり感じたりして来た「幽霊と世間では呼ばれるモノ」は何なんだろうか?

実際のところ、その辺をあっちに行ったやつらに聞きたくて、出るのを待ってたんだけどな。

暑いだけで、寂しい夏だな。
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