おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

津波でこっぱみじん。

2004-12-28 19:29:58 | 我思う、故に書くなりよ。
海抜数メートルだからね。下手したら何も残らないなんて事もあるんだろうな。

父の田舎から車で数時間走ると、三陸海岸に出る。強固な防波堤だらけの海沿いの町を車で走りながら父は津波の恐ろしさを語った。父の田舎は内陸にあり、津波の被害を直接は受けなかったのだが、小さい頃から津波の恐ろしさを語り継がれて育っていたのである。その父でさえも、遠い昔のお話でしかないんだろうが、津波に備える事を余儀なくされた街を走りながら、海に近い所を走っているにも関わらず、海は見えず、コンクリートの壁だけを延々と見なければならない所に、恐ろしさの裏づけを見て回った気がした。
地球の反対側で起きた地震が津波を起こし、24時間後に襲われたと言う、教科書にも載っている大津波に見舞われれば、こうした防災対策がしっかり取られるのも判る。かといって、そうそう起きる事も無いので、失うものも多かったに違いない。景観はだいなしだし、観光に良さそうな事はあまりない。

しかし、ただ頑丈な防波堤があるだけの街ではなく、災害に備える姿勢が住民に根付いている所が違う。誰に尋ねても、「あっち」と、逃げる方向を知っている。小さな漁港であれ、商店街であれ、誰もが自分の逃げる方向を知っているし、教えられる事が当たり前の街が出来ているのである。

独特の海岸線が形成された所でもあるので、小さな津波でも被害は甚大となってしまうワケで、事実何も無くなってしまったのを山から見ていた人も多かったそうだ。人も家も船も車もみんな一緒に流れてゴミになってしまったと聞いたが、そんな光景を想像するのは難しく、奥尻島が津波で壊滅した時に、やっとその言葉の意味が判った次第。

南国の観光地で、そんな備えがあるとも思えず、流されるままなんだろうなぁ。災害とは無縁だった楽園が一変してしまうとは想像すらしてなかっただろうし。津波が来るとも来ないとも判らんような所では為す術無いだろうし。

100年に1回の災害に備えるのは難しいのかもしれないが、1度罹災した後に備えないのは「人災」だと考えないといけないかもなぁ。

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