さいたまで揉めているやに聞く…。
日本の世界に誇れる文化…と考えたら格安なのが『5億円』。
植木鉢くんだりに…と考えたら無茶苦茶高いのが『5億円』。
って事なんじゃないかと思う。
残念ながら、おじたん。もその価値が全く判らない。聞けば、あーそーかなぁ…って位には判ると思うのだが、見比べてどっちがどうとか判らないレベルで、
『うちのお豆ちゃんの方が価値は高い…』
と、素で思えるところもあったりする。
文化を値踏みするってのも、なんだかとは思うのだけれど、現実問題として多々ある。絵画なんかね、もう、大変な事になってるワケだし、バブルが過ぎても…ってコトもあったりする。
これが、そうした『絵画』だったら、なんとなく収まってしまう話なのかもしれないと思うんだが、『アート』ってのも範疇が広く、値踏みも様々なので、時として困った事が多々起きる。
元写真家としては、写真のその価値が他のアートと比べるとべらぼうに低いのが納得行かなかったりするんである。絵画のそれと比べたら、100分の1も無かったりするし、どうかしてるぜベイビー! な気分だ…。
そうした中で、盆栽と言うモノがどう見られているのか気にはなる。聞けば、盆栽に特化した街づくり、街おこしが適当ではあっても、不適当では無い場所だとも聞くのではあるが、その価値の意味するところを理解出来ていない、あるいは理解するに不十分と言うのが実情な様だ…。
やはり、賛成も反対も『井の中のかわず』であってはイケナイというコトだ。
何でもかんでも『文化』だ…とはなかなかイカナイんだけれど、消えつつある様な物なら残すべきだし、その方向を役所が導くってのも悪くは無い。だが、そうした『文化』であることや、それらの持つ『意味』と『価値』を万人に広く知らしめる努力を惜しみ、一部の特化した人間たちで構築しようとすれば、本来の意味からそれたモノになってしまう。
まぁ、他にも理解ある人が多く住む地域があって、そうした場所での継承も有り得るらしいのが救いではあるのだけれど、もっともっと、広くその文化を知らしめる努力と、現状を伝える努力があって然るべきだと思う。
とか言ってるおじたん。も昔は…
『神社仏閣なんか文化でも何でもねー! ぶっ壊せー!』
な勢いで、無理矢理修学旅行で見せ付けられるそれらに
『金閣炎上再びぃー!』
な青年であったりもした。それが変わったのは、成人するにつれて行った独学と言えよう。有形、無形を問わず、文化を親しむとか、それらを貴重に思うなんてのは、学校の教育じゃ不十分極まり無いんだな、これ。落書きなんてのもそんな教育の果てなんだよ、きっと。
もっともっと、それらを掘り下げてフィーチャーして行かないと、得られる物も失ってしまうし、放っておけば間違いなく失われるモノだって多いんだから。
てなワケで、盆栽5億円。いかような解決策が出るのか楽しみでもある。
残念と思う結果であっても、万歳と思う結果であっても、それが何に対しての結果なのか定かになれば良いと。『文化』に対する答えなのか、『単なる趣味嗜好』なのか、そこがね…。消えていくものも、残っていくものも、再び蘇るものもあるのが『文化』だったりするんで、一概に残せ…ってのも変だったりするし、消えて亡くなれ…ってのも変なんだよね…。そこが、ムズカシイ。お金が絡んでくると、なおさらだし、それが『税金』ともなれば…。
時代と共に『価値』が変わってしまうのも『文化』だなぁ…。そうしたうつろい易いものをどう観ていくのか? それこそ『教育』が担っていかねばならないものだし、それは『義務教育』の中だけの話じゃない。人として、学んで行かなきゃならない事だと、伝えていく、教えていく。そうしたところに目を向けていく姿勢がなぁ…。
で、うちのお豆ちゃんはどの時点から『盆栽』になるんだろうか? 文化の成り立ちもムズカシイんであるなぁ…。
日本の世界に誇れる文化…と考えたら格安なのが『5億円』。
植木鉢くんだりに…と考えたら無茶苦茶高いのが『5億円』。
って事なんじゃないかと思う。
残念ながら、おじたん。もその価値が全く判らない。聞けば、あーそーかなぁ…って位には判ると思うのだが、見比べてどっちがどうとか判らないレベルで、
『うちのお豆ちゃんの方が価値は高い…』
と、素で思えるところもあったりする。
文化を値踏みするってのも、なんだかとは思うのだけれど、現実問題として多々ある。絵画なんかね、もう、大変な事になってるワケだし、バブルが過ぎても…ってコトもあったりする。
これが、そうした『絵画』だったら、なんとなく収まってしまう話なのかもしれないと思うんだが、『アート』ってのも範疇が広く、値踏みも様々なので、時として困った事が多々起きる。
元写真家としては、写真のその価値が他のアートと比べるとべらぼうに低いのが納得行かなかったりするんである。絵画のそれと比べたら、100分の1も無かったりするし、どうかしてるぜベイビー! な気分だ…。
そうした中で、盆栽と言うモノがどう見られているのか気にはなる。聞けば、盆栽に特化した街づくり、街おこしが適当ではあっても、不適当では無い場所だとも聞くのではあるが、その価値の意味するところを理解出来ていない、あるいは理解するに不十分と言うのが実情な様だ…。
やはり、賛成も反対も『井の中のかわず』であってはイケナイというコトだ。
何でもかんでも『文化』だ…とはなかなかイカナイんだけれど、消えつつある様な物なら残すべきだし、その方向を役所が導くってのも悪くは無い。だが、そうした『文化』であることや、それらの持つ『意味』と『価値』を万人に広く知らしめる努力を惜しみ、一部の特化した人間たちで構築しようとすれば、本来の意味からそれたモノになってしまう。
まぁ、他にも理解ある人が多く住む地域があって、そうした場所での継承も有り得るらしいのが救いではあるのだけれど、もっともっと、広くその文化を知らしめる努力と、現状を伝える努力があって然るべきだと思う。
とか言ってるおじたん。も昔は…
『神社仏閣なんか文化でも何でもねー! ぶっ壊せー!』
な勢いで、無理矢理修学旅行で見せ付けられるそれらに
『金閣炎上再びぃー!』
な青年であったりもした。それが変わったのは、成人するにつれて行った独学と言えよう。有形、無形を問わず、文化を親しむとか、それらを貴重に思うなんてのは、学校の教育じゃ不十分極まり無いんだな、これ。落書きなんてのもそんな教育の果てなんだよ、きっと。
もっともっと、それらを掘り下げてフィーチャーして行かないと、得られる物も失ってしまうし、放っておけば間違いなく失われるモノだって多いんだから。
てなワケで、盆栽5億円。いかような解決策が出るのか楽しみでもある。
残念と思う結果であっても、万歳と思う結果であっても、それが何に対しての結果なのか定かになれば良いと。『文化』に対する答えなのか、『単なる趣味嗜好』なのか、そこがね…。消えていくものも、残っていくものも、再び蘇るものもあるのが『文化』だったりするんで、一概に残せ…ってのも変だったりするし、消えて亡くなれ…ってのも変なんだよね…。そこが、ムズカシイ。お金が絡んでくると、なおさらだし、それが『税金』ともなれば…。
時代と共に『価値』が変わってしまうのも『文化』だなぁ…。そうしたうつろい易いものをどう観ていくのか? それこそ『教育』が担っていかねばならないものだし、それは『義務教育』の中だけの話じゃない。人として、学んで行かなきゃならない事だと、伝えていく、教えていく。そうしたところに目を向けていく姿勢がなぁ…。
で、うちのお豆ちゃんはどの時点から『盆栽』になるんだろうか? 文化の成り立ちもムズカシイんであるなぁ…。
