私と同年配、または、その前後の世代の方は概ね懐かしく思い出されることと思います。子供とともに「できるかな」を思い出されることと思います。
朝日新聞夕刊に、その懐かしい姿が載っていました。昨年9月10日、亡くなっていらしたのですね。
のっぽさんをしのぶ文章はインタビューをした大井田ひろみさんがまとめた哀悼の文章でした。
新聞からのスキャンですが、まず、のっぽさんの写真で偲びましょう。
大井田さんはインタビューをしたのは、子供さんが保育園に通っている頃だった。育児も仕事も上手くいかず、悩んでいた。絵も工作も苦手で、接し方にも自信がなかった。
81歳んのっぽさんにお会いした。のっぽさんの声は深く、優しく響く声だった。
「手先はブキッチョです」「だからこそ一生懸命やりましたと語った。」「うまくやろうとしてはいけませんよ」。
最終回を除いて、一言もしゃべらない出演だった。音楽に乗った動きで工作を作り上げる仕事だった。紙コップや新聞紙が生き物やドレスに生まれ変わった。不思議だった。ワクワクした。
写真は、取材の際、「親になった世代へのメッセージを動画で撮らせて」という大井田の願いに、ちょっと踊ってみましょうかと雨の日に、持ち歩いていた青い傘を小道具に踊ってくださった写真です。
子供のことを「小さい人」と呼んでいた。「とても賢いんですよ」と語りかけた。
生前、亡くなったら公表を半年以上伏せてほしいと希望していた。事務所の人は「人は誰でもいつか死ぬのだから、周りの人を騒がせたくないというのっぽさんの優しさでは」と語る。
亡くなった夜、外に出て見ると、中秋の名月が美しかった。「僕は風のようにいくからね」と話していたという。
ご冥福をお祈りいたします。
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