上の言葉、使うかもと切り取っておいたスクラップです。いつのものなのか、どこの広告かもわからなくなっていました。
まるで、料理嫌いの料理下手の私への、顔をしかめながらの励ましか、慰めかと思う言葉です。面目ないけれど。
でも言い訳になるけれど、少しの真実は言っていると思いませんか。近頃は料理が趣味という男性も珍しくなく、コロナ禍でお家生活をしている間に、料理にのめり込んだという人の話も聞きます。でも私の年代は結婚することは「飯炊きおばさん(ばあさん)」になることが義務付けられた現実でした。違いますか?
今でもはっきり記憶しています。山口から福島へ嫁ぎました。今よりずっと遠い所でした。知り合いの一人もない、未知の土地で、一日の大半をアパートの壁に向かい合っていました。訳が分からないまま夕ご飯の支度はしなければなりません。乏しいレパートリ―で一日二日を切り抜けた時、私の頭に浮かんだのは、ああ、これから死ぬまでこれを繰り返すのかあ。冗談でなくお先真っ暗という感じでした。
それでも一日一日、一月二月、一年二年、子供も生まれて離乳食もつくり過ごしたのですね。
子供が一人前の口をきくよう、というより生意気にも親を批判するような年齢になってきました。
家族4人で夕ご飯を食べていた時です。息子K、「ママの料理まずいとは言わないよ、でもなんだかどこか見えない所で誤魔化しているんじゃあないか、と思うんだよ。ねえ?」と娘Maに同意を求めました。
「ああ、そうそう。愛情、愛情が足りないんじゃあないの」手で何か料理に振りかけるような手つきをしながらこう言うコマーシャルがあったのです。
ここで負けてなるものか。「ママは魔法使い、天才。一振りで高級料理!」と誤魔化したものです。
今老人二人暮らし。生協で冷凍ものなど配達してもらいます。冷凍食品を売るのも商売商売。昔はこんなものなかった、と思われるもの、味や歯ざわりなども研究しつくした半製品が配達されます。それに一寸魔法をかけて、野菜を足して、誤魔化して日々の食卓が出来上がります。
手抜きなのは間違いありませんが。腰痛・両足痺れ痛みの婆さんはこれで切り抜けます。罪悪感は持たないことにしています。
文句があれば「自分でやれ~え!!」。まあお品の悪い。
食事もなく定年もなく3食作り続ける。
これは延々と続けるのですか?それって当然?
こうして愚痴るのが精一杯。運命ですか?
たまの外食やツアー旅行で、不満を晴らし、やってきましたが、その時よりも弱った心身で、年中無休の飯炊きババア、この世の義務を果たし、ゆっくり自由に過ごす老後の計画は甘かったかなあ。