乙女高原ファンクラブ活動ブログ

「乙女高原の自然を次の世代に!」を合言葉に2001年から活動を始めた乙女高原ファンクラブの,2011年秋からの活動記録。

笛川小学校の乙女高原自然体験学習

2022年09月02日 | 乙女高原案内人

 笛川小学校は乙女高原に一番近い小学校です。2016年にこの地域にあった4つの小学校が統合してできた、新しい小学校です。笛川小学校では毎年5年生が「総合的な学習の時間」を使って乙女高原について調べ学習を行い、その一環として、実際に乙女高原を訪れ、体験学習をしています。そのお手伝いを乙女高原ファンクラブ・乙女高原案内人が行っています。
 ところが、ここ2年間、新型コロナ感染拡大や天候不順のために、子どもたちが実際に乙女高原を歩くことができていませんでした。今年は3年ぶりのリベンジだったわけですが、コロナ感染は高止まりしているし、台風11号と秋雨前線のせいなのか、雨ばかり降っています。今回も実施は危うかったのですが、なんとか実施することができました。子どもたちはとてもいい顔で、乙女高原内を歩いていました。ここでは、その準備段階からレポートしたいと思います。

■8月22日(月)、子どもたちの指導をすることになった三枝さん、芳賀さん、植原で乙女高原に集まりました。まずは、当日、雨の場合や、具合が悪い子が出たときのために、ロッジのホールを3人でそうじしました。大きなアブの死体が床やテーブルの上にたくさんあって、びっくりしました。
 その後、テーブルに座って、子どもの人数や指導時間を3人で確認し、どんなプログラムにするかを話し合いました。子どもたちは27人も来るので、全員一緒だと目が行き届かないし、細かいものを観察するのが全員では難しいです。また、同じルートを使うと待ち時間が生じてしまいます。そこで、子どもたちをあらかじめ3グループに分けてもらい、それぞれに案内人がついて、違うコースで観察することにしました。「ブナ爺コース」「谷地坊主コース」「草原満喫コース」の3コースとし、それぞれ三枝さん、植原、芳賀さんが担当することにしました。コースによって帰ってくる時刻が違ってしまうので、早く帰ってきたグループから、自由に草原を歩いていいことにしました。そのほか、こまごまとしたことを決めた後、草原を一周、下見をしました。

■8月23日(火)には、植原が笛川小を訪れ、5年生の担任の先生と打ち合わせをしました。前日、案内人で話し合ったことを提案し、最終的にどうするかは学校側で決めていただくことにしました。以前に観察指導したときは、乙女高原の歴史等も説明していましたが、乙女高原に滞在している間は、できるだけ乙女高原の自然にじかに触れさせたい・・・との思いで、歴史等は当日前に植原が教室に出向いてお話させていただくことにしました。

■8月31日(水)の4校時に、5年生の教室でお話をさせていただきました。まずは歴史の話。今年=2022年を基点として、少しずつさかのぼっていきました。以下は私の授業メモです。

 ・・・ボランティアによる草刈り(草原保全のため)・・・
 2022年(今 年) 23年目・21回目の草刈りボランティア
 2000年(22年前) 第1回草刈りボランティア

    ・・・自分たちが草刈りしないと、草原が森になる!

 ・・・スキー場のための草刈り(雪の上に枯草が出ないように)・・・
  2000年(22年前) 乙女高原スキー場の終了
 1951年(71年前) 乙女高原スキー場オープン

    ・・・スキー場のための草刈り開始

 ・・・生活のための草刈り(肥料にしたり飼料にしたり)・・・
  明治~戦前   西保の人たちの草刈り場・・肥料として、馬の飼料として


   ※途中で大事件が起こる!(官民有区分~恩賜林)
 1911年(111年前) 恩賜林(=県有林) 山梨県の面積の1/3、森林の1/2
 1907年(115年前) 明治40年の大水害 峡東で死者233人、全壊・流失家屋5767戸
 1877年(145年前) 天皇の土地(御料林)になった・・・立ち入り禁止・世話もできない
  江戸時代   西保の人たちの草刈り場(入会地)・・・肥料として、馬の飼料として

 これに沿って、黒板に書きながら説明しました。下から1生活のための草刈り➝2スキーのための草刈り➝3草原保全のための草刈りと、目的は変わっていますが、草刈りが連綿と続いてきたことが分かります。
 次に、乙女高原の今の景色と、これから季節がかわると、それがどのように変化するかを映像を見せながら説明しました。乙女高原の草刈りボランティアが毎年11月23日に行われることも紹介しました。

■9月2日(金)。このところずっとぐずついた天気で、これからもそれが続く予報。朝は明るかった空も、だんだん暗くなり、9時過ぎには雨が降り始め、子どもたちを迎える9時半少し前には本降りになりました。雨具を着て、覚悟を決めたのですが、子どもたちが到着するころには雨が上がり、結局、子どもたちが帰るまで雨には降られませんでした。本当にラッキーでした。
 一昨日に話すことは話してあったので、案内人の自己紹介をした後、さっそく草原の中を歩き始めました。植原が担当した谷地坊主コースは10人。草花を紹介しようと「お花のフィールドガイドを出して」と言ったら「教室に忘れてきちゃいました」という子が続出。仕方がないので、忘れずに持ってきている子のフィールドガイドをまわりの子と一緒に観てもらいました。フィールドガイドに載っているお花には番号が付いています。「この花は何番だ?」と尋ねれば、「10番じゃないの?」「いえ、20番でしょう!」と話し合いができます。花の形や色、咲く時期を手掛かりに調べてもらいました。マルハナバチが登場すると、大盛り上がりです。「刺さない!?」と聞きながら、恐る恐る手を出す子がいます。意外かもしれませんが、マルハナバチはハチですが、めったなことでは人を刺すことはありません。 
 私が子どもたちに強く伝えたかったことは3つです。
 一つは、ツツジコースのシラカバです。「ここは23年前にボランティアによる草刈りが始まったときには若い森でした。この斜面はスキー場として使われなくなっていたからです。23年前にそれらの木を切ったら、レンゲツツジが息を吹き返し、花の時期には斜面全体が真っ赤に見えるくらいになりました。ここに3本ほどシラカバの木がありますが、その時に切らずに残しておいた木です。もし、23年前に切らなかったら、この高さの森になっていたはずです」
 二つ目は、閉鎖した遊歩道です。「ここはもともと遊歩道でしたが、雨が降ると川のようになってしまい、土まで流されてしまっていました。だから、23年前に刈った草を入れて、遊歩道として使わないことにして、草が生えてくるのを待ちました。23年経って、こうなりました」
 子どもたちから「今歩いている道にも枯草が敷いてあるね」という気づきが出されました。「いいところに気づいたね! 今も草刈りのときに、刈った草をこのように遊歩道に敷いて、遊歩道の土が流れないようにしているんだよ」
 三つ目は谷地坊主の成り立ちです。話の中味は省略しますが、乙女高原のいろいろな条件がうまくかみ合って、谷地坊主が作られていることを話しました。「奇跡だね」と言ってくれる子がいました。
 今回、「各コースとも1時間半をめどに歩いて、ロッジに戻ったら休み時間を取って、個人で自由に草原内を歩き回れる時間をとろう」という計画を立てました。谷地坊主コースの中に、「ゆうれいくさを見たよ」という子がいたので、自由時間に案内してもらいました。そこにはなんとギンリョウソウモドキ(別名アキノギンリョウソウ)がありました。「秋に咲く、ギンリョウソウにそっくりな植物がある」という話は聞いていましたが、乙女高原で見たのは初めてでした。子どもたちが見つけてくれたわけです。それがとてもうれしくて、子どもたちが帰る前に案内人が一人一言ずつあいさつをしたのですが、その中で紹介させていただきました。


 三枝さんのコースと芳賀さんのコースも、それぞれ楽しい体験をいっぱいしたようです。なんとミヤマクワガタのオスを見つけた子もいたそうです!!

 蟹の爪そっくりのカニノツメというきのこもありました。

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