たといわたしたち外なる人は滅びても、
内なる人は日ごとに新しくされてゆく。
(コリント人への第二の手紙第4章 16節 )
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使徒パウロに与えられた主のみことばである。
これは単に肉体は滅んでも霊魂は永遠なるものだということを言いたいのではない。
この「内なる人」という言葉の意味するところは「自己の中に主イエス・キリストが住んでいる人のことであり、主イエス・キリストの中に自己が住んでいる人のこと」である。ここで大切なのは主は人間を霊魂と肉体という風に二元論的な存在として創造なさったのではないということだ。だからわたしたちフツーのクリスチャンは「霊魂と肉体にて一つの人なるごとく、神と人にて一つのキリストなり」と主の御前で告白できるのである。
そして自己の中に主イエス・キリストが住んでいる人というのは、主がその個人の個性を100%使ってくださり主イエス・キリストと共に思い、行動している人のことである。この意味で主イエス・キリストの中に自己が住んでいるということと意味は同義である。
わたしたちフツーのクリスチャンが「すべては主の御手のうちよ」などと言いあって互いに力づけあい、なぐさめあったりするのはこの使徒パウロに与えられた主のみことばと同じである。
では「外なる人」とは何を意味するのであろうか?
賢明な読者はもうすでによくおわかりのことと思う。
「主イエス・キリストに従えない自己のこと」である。
使徒パウロに与えられた以下の主のみことばがある。
「すなわちわたしの欲している善はしないで、欲していない悪はこれを行なっている」(ロマ7・19)。
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