「恩返しをしたと思うほど、忘恩はない」
という言葉がある。
この言葉を知った時、私はほっとした。
恩というものは、返すことなどできるものではないのだ。
恩というものは、身に染みて深く感ずべきものなのだ。
(「明日のあなたへ」 三浦綾子 集英社文庫 )
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わたしたちはよく「アイツは恩知らずなヤツだ」などと言う。
これはどのような心から発せられる言葉だろうか?たいていの人は上記に引用した三浦氏のようにハッと思い当たるのではないだろうか?
「自分が××のことをあれほどしてやったのに、アイツはお礼の品も送ってよこさない。なんて恩知らずなヤツだろうか?」などということを、まったく一度も思ったことのない人はいないのではないか?
そもそも上記に引用されている三浦綾子氏の言葉の「恩」という字に「愛」をあてはめて考えてみると少しはお分かりいただけると思う。
「愛」というものは「自分が××のことをあれほどしてやったのに」などという思いからは「解放」」されるべきだ。「解放」されてこそはじめて「愛」と言えるのではないだろうか?
わたしが信仰する主イエス・キリストはけっして「わたしがあなたの病気をいやしてやったのに、あなたはわたしを拝まない恩知らずなヤツだ」などとは、ただの一度もおっしゃったことはない。
わたしは主イエス・キリストによって「愛」へと招かれ、「真に自由な者」となった。病気を抱えているが、真にシアワセな毎日だ。
「愛」によって生かされているから。
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この言葉を知った時、私はほっとした。
恩というものは、返すことなどできるものではないのだ。
恩というものは、身に染みて深く感ずべきものなのだ。
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わたしたちはよく「アイツは恩知らずなヤツだ」などと言う。
これはどのような心から発せられる言葉だろうか?たいていの人は上記に引用した三浦氏のようにハッと思い当たるのではないだろうか?
「自分が××のことをあれほどしてやったのに、アイツはお礼の品も送ってよこさない。なんて恩知らずなヤツだろうか?」などということを、まったく一度も思ったことのない人はいないのではないか?
そもそも上記に引用されている三浦綾子氏の言葉の「恩」という字に「愛」をあてはめて考えてみると少しはお分かりいただけると思う。
「愛」というものは「自分が××のことをあれほどしてやったのに」などという思いからは「解放」」されるべきだ。「解放」されてこそはじめて「愛」と言えるのではないだろうか?
わたしが信仰する主イエス・キリストはけっして「わたしがあなたの病気をいやしてやったのに、あなたはわたしを拝まない恩知らずなヤツだ」などとは、ただの一度もおっしゃったことはない。
わたしは主イエス・キリストによって「愛」へと招かれ、「真に自由な者」となった。病気を抱えているが、真にシアワセな毎日だ。
「愛」によって生かされているから。
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