すると、仰せになった。
「あなたが裸であることを、だれがあなたに教えたのか。
あなたは、食べてはならないと、命じておいた木から
食べたのか」。
人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が
あの木から取ってくれたので私は食べたのです」
そこで、神である主は女に仰せられた。
「あなたは、いったいなんということをしたのか」
女は答えた。
「蛇が私を惑わしたのです。
それで私は食べたのです」。
(創世記第3章 11節から13節 )
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上記引用聖句のように主なる神が創造なさった全宇宙で最初に罪を犯したのは
神が男性の妻として創造した女性であるとなっている。
このとおりわたしたちクリスチャンも信じている。
しかし女性蔑視というとんでもない思想が、人類全体の魂の奥深く根付いてしまった。
この創世記に最初に罪を犯したのは女性だということでキリスト教を敵視する他宗教
特に新興宗教は多いい。またフェミニストはキリスト教を憎んでいるくらいである。
少女ジーザスはフェミニスト思想の専門家ではない。
わたしがここで問題にしたいのは男性も女性も神に対して罪を犯しているという悲惨な
事実である。
二人ともなぜ神に問いただされた時、まず「罪を犯しました。どうかおゆるしください」と
言えなかったのだろうか。ここに自分を正当化して神のようになりたいというとんでもない
罪を二人とも犯している。
主なる神はわたしたち生命体(もちろん人間も含む)を大切に愛してくださり、ご自分の
御前に平等に扱ってくださる。
しかしわたしたちは主なる神がこのように扱ってくださるということをけっして当たり前に
思ってはいけない。
いつも主なる神に魂の奥底からの「感謝」を忘れてはいけない。
「感謝」の心を忘れるから罪を犯した自覚まで忘れてしまうのである。
主なる神の御前に自分を置くということはまず「感謝」することである。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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