私たちであれ、他の人々であれ、不足することがあれば、
それをイエスに告げることが祈りの本質であることを
学んでいないために、多くの人たちにとって祈りは
重荷となるのです。
(「祈りの世界」O・ハレスビー著 鍋谷堯爾訳
日本キリスト教団出版局 )
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あなたはクリスチャンではなくても「祈り」と聞いて何を感じるだろうか?
10人中8人くらいまで「むずかしいもの」と感じていないだろうか?
上記引用のハレスビー氏が言っているように祈りの本質はわたしたちであれ他の人のことであれ、何か不足していることをそのまま率直に素直に主に向かって言わせていただくことである。
「主よ、わたしの食物を今日も与えてください」とはわれわれにとって最も大切な祈りだと思う。わたしたちは「食べなければ生きていけない」のだ。
祈りはとても単純なものであり、人間にとってごくフツーのことである。そして人間にとってごく自然な思いであり行ないである。ゆえに「祈り」はとてもやさしく誰にでもできることである。
たったひとりで過ごしていて、何か不安な気持ちになり思わず「神さま! 」と心の中で叫ぶようなことでも立派な祈りだとフツーのクリスチャンのわたしはすべての人に向かって、主イエス・キリストの御名によって宣言させていただく。アーメン。
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