この驚きを感じ取れるのはいつも子どもたちです。
(「光は闇のなかに」ヨハネによる福音書講解説教 大串元亮著
教文館 )
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上記引用の「この驚き」とは主の創造のみわざに対する単純な感情である。
主の創造のみわざに対して驚きの感情をいちばん強くもつのは「いつも子供たちです」。
子供は単純だからである。
主が二千年前
「幼子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。
神の国はこのような者の国である」(マルコ10:14)。
とおっしゃったとおりである。
幼子は主イエス・キリストの言うことを信じたらお金がもらえなくなるんじゃないだろうかとか、仲間はずれにされてイジメられるんじゃないかとかそんなこと考えない。考えて主イエス・キリストのところへ行けないのは「幼子」ではない。いのちはいのちに対していつも敏感に反応し、まっすぐ「自分の命」に向かう。
いのちをいのちと考えられないのは、いつもきまってヘンチクリンなごりっぱな「大人」どもである。
「神が人間となられた」ことに驚きを感じ素直に信じ、感謝することができるのは「幼子」だけである。
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上記引用の「この驚き」とは主の創造のみわざに対する単純な感情である。
主の創造のみわざに対して驚きの感情をいちばん強くもつのは「いつも子供たちです」。
子供は単純だからである。
主が二千年前
「幼子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。
神の国はこのような者の国である」(マルコ10:14)。
とおっしゃったとおりである。
幼子は主イエス・キリストの言うことを信じたらお金がもらえなくなるんじゃないだろうかとか、仲間はずれにされてイジメられるんじゃないかとかそんなこと考えない。考えて主イエス・キリストのところへ行けないのは「幼子」ではない。いのちはいのちに対していつも敏感に反応し、まっすぐ「自分の命」に向かう。
いのちをいのちと考えられないのは、いつもきまってヘンチクリンなごりっぱな「大人」どもである。
「神が人間となられた」ことに驚きを感じ素直に信じ、感謝することができるのは「幼子」だけである。
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