彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者と
なるからである。
(マタイによる福音書 第1章21節 )
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「救い」ってなんだろう?
主イエス・キリストは上記に引用した聖句のように「救い主」あるいは「救世主」としてお生まれになった。わたしはまず自分にとって「救い」とは何だろうと一心に祈り求めながら「聖書」を読み進んだ。
わたしにとって「救い」とは、personを失うことなしに真に愛し合える人とペアに、つまり「夫婦」となることだった。「あの人の花嫁になりたいの」などといういかにもロマンチックな幻想ではない。
文字通り主イエス・キリストと似た者とならせていただくための「助けて」が必要だったのだ。主なる神が創造したとおりの「助けて」が欲しかった。それほどにわたしはpersonではなく、ただただ「孤独」だった。「孤独」のどん底だった。それでごく自然に主イエス・キリストによろこばれるような「助け手」=「夫」を祈り求めた。それはある日突然に主より「あなたにとって救いとはこれだよ」と示していただいた確信による。
今では夫と娘(にゃん)とわたしの3人暮らしである。
「それじゃ、あんた救われたんだね」と言われれば、もちろんそうである。
しかし主の主王の王主イエス・キリストに似た者となるように「家族で愛し合う」とはまさしく「真の革命」(いのちがあらたまること)なのである。これは主イエス・キリストの御力なくしては到底に実現ができないことである。
主に、感謝。
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主イエス・キリストは上記に引用した聖句のように「救い主」あるいは「救世主」としてお生まれになった。わたしはまず自分にとって「救い」とは何だろうと一心に祈り求めながら「聖書」を読み進んだ。
わたしにとって「救い」とは、personを失うことなしに真に愛し合える人とペアに、つまり「夫婦」となることだった。「あの人の花嫁になりたいの」などといういかにもロマンチックな幻想ではない。
文字通り主イエス・キリストと似た者とならせていただくための「助けて」が必要だったのだ。主なる神が創造したとおりの「助けて」が欲しかった。それほどにわたしはpersonではなく、ただただ「孤独」だった。「孤独」のどん底だった。それでごく自然に主イエス・キリストによろこばれるような「助け手」=「夫」を祈り求めた。それはある日突然に主より「あなたにとって救いとはこれだよ」と示していただいた確信による。
今では夫と娘(にゃん)とわたしの3人暮らしである。
「それじゃ、あんた救われたんだね」と言われれば、もちろんそうである。
しかし主の主王の王主イエス・キリストに似た者となるように「家族で愛し合う」とはまさしく「真の革命」(いのちがあらたまること)なのである。これは主イエス・キリストの御力なくしては到底に実現ができないことである。
主に、感謝。
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