ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

互いに愛し合うために。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2021年09月14日 00時06分14秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者と
    なるからである。

      (マタイによる福音書 第1章21節 )


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 「救い」ってなんだろう?
 主イエス・キリストは上記に引用した聖句のように「救い主」あるいは「救世主」としてお生まれになった。わたしはまず自分にとって「救い」とは何だろうと一心に祈り求めながら「聖書」を読み進んだ。
 わたしにとって「救い」とは、personを失うことなしに真に愛し合える人とペアに、つまり「夫婦」となることだった。「あの人の花嫁になりたいの」などといういかにもロマンチックな幻想ではない。
 文字通り主イエス・キリストと似た者とならせていただくための「助けて」が必要だったのだ。主なる神が創造したとおりの「助けて」が欲しかった。それほどにわたしはpersonではなく、ただただ「孤独」だった。「孤独」のどん底だった。それでごく自然に主イエス・キリストによろこばれるような「助け手」=「夫」を祈り求めた。それはある日突然に主より「あなたにとって救いとはこれだよ」と示していただいた確信による。
 今では夫と娘(にゃん)とわたしの3人暮らしである。
 「それじゃ、あんた救われたんだね」と言われれば、もちろんそうである。
 しかし主の主王の王主イエス・キリストに似た者となるように「家族で愛し合う」とはまさしく「真の革命」(いのちがあらたまること)なのである。これは主イエス・キリストの御力なくしては到底に実現ができないことである。
 主に、感謝。


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