つまり、トマスにとって神学は、幸福へ向かって
進められる人間の「生」の歩みから切り離された、
何らかの知的建造物をつくりだすことを試みる
知的探求ではなく、まさしく人間の真の幸福としての
神への到達をめざす人間の「生」の営みそのものであった。
(トマス・アクィナス『神学大全』稲垣良典著 講談社選書メチエ )
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上記引用文からフツーのクリスチャンのわたしたちが言えることは(人間にかぎって言えば)わたしたちの生活の一挙手一投足がまさしく主の主王の王主イエス・キリストへと向かう「神学そのもの」である。
わたしたちの様々な思いも言葉も行ないもすべては衣食住のすべては「神学そのもの」である。
だからわたしは「それはキリスト教で扱うべき問題ではない」という意見は言論の自由、思想、信教、信条の自由として尊重し認めさせていただくが、わたしたちフツーのクリスチャンにとって「クリスチャンが口出しすべき問題ではない」というのはありえないことだと思う。主は神であるのにまるで衣を着るごとく人性(人間としての条件のすべて)を着てくださった。それはまさしくトマスが主張するようにご自分についてきて欲しい、そしてご自分の復活のいのちに生かされる者になって欲しい、(つまり主と少しでも似た者とされること)からであった。
ここに主がわたしたちの罪のために十字架にかかって復活してくださった無限大の愛(神の愛)がある。
人間はこの御方との出会い、この御方を目標として生かされ生きるものとして創造されているというのがフツーのクリスチャンの主張である。
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何らかの知的建造物をつくりだすことを試みる
知的探求ではなく、まさしく人間の真の幸福としての
神への到達をめざす人間の「生」の営みそのものであった。
(トマス・アクィナス『神学大全』稲垣良典著 講談社選書メチエ )
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上記引用文からフツーのクリスチャンのわたしたちが言えることは(人間にかぎって言えば)わたしたちの生活の一挙手一投足がまさしく主の主王の王主イエス・キリストへと向かう「神学そのもの」である。
わたしたちの様々な思いも言葉も行ないもすべては衣食住のすべては「神学そのもの」である。
だからわたしは「それはキリスト教で扱うべき問題ではない」という意見は言論の自由、思想、信教、信条の自由として尊重し認めさせていただくが、わたしたちフツーのクリスチャンにとって「クリスチャンが口出しすべき問題ではない」というのはありえないことだと思う。主は神であるのにまるで衣を着るごとく人性(人間としての条件のすべて)を着てくださった。それはまさしくトマスが主張するようにご自分についてきて欲しい、そしてご自分の復活のいのちに生かされる者になって欲しい、(つまり主と少しでも似た者とされること)からであった。
ここに主がわたしたちの罪のために十字架にかかって復活してくださった無限大の愛(神の愛)がある。
人間はこの御方との出会い、この御方を目標として生かされ生きるものとして創造されているというのがフツーのクリスチャンの主張である。
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