ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

わたしの回心。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2021年05月17日 00時00分47秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
 それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムに引っ張って来るためであった。
 ところが、道を急いでダマスコの近くに来たとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照らした。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねた。すると答えがあった。
 「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ、立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたの為すべきことが告げられるであろう」

  (使徒行伝第9章 第2節から6節 )

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 この拙文を読んで下さっているあなたは他者を迫害する、あるいは他者をイジメてしまったことがあるだろうか?イジメはイジメられる方はもちろんイジメている当の本人をも殺してしまう殺人の罪だとわたしはフツーのクリスチャンとして警告するものである。
 宣教の大使徒サウロことパウロは「キリスト教徒をイジメて殺すことが神に仕えることだ」というヘンチクリン極まりない確信をもってしまっていた。そして上記の聖句にあるようにキリスト教徒を探し出してはイジメていた。殺していた。そんなパウロに主イエス・キリストご自身が語りかけた。
 「なぜわたしを迫害するのか? 」と。
 フツーのクリスチャンのわたしもしょっちゅう他人をイジメてしまう殺人の罪を犯してしまう。そのたびに主の御声が迫って来る。
 「なぜわたしを迫害するのか? 」と。
 そしてわたしはやっとの思いで「ああ、こんなことを他人にやっちゃいけない。主よ、許してください。主イエス・キリストの御名によってお願いします」という「回心」に導いていただく。
 他人に意地悪な言葉を投げつけてしまうと、特にわたしの良心は傷つく。これは主よりの尊いお恵みだと思っている。昨今の報道番組などを見ているとどうしても、どこの国でも「人間としての心」が荒れに荒れているなあと思えてならない。「人間としての心」がないところには「回心」はない。悪いことをしてしまったという反省もない。犯罪にまでゆきつかなくても、またそのような罪を犯さないためにも一度「自分の心の中には何が存在しているか」を吟味してみることをお勧めするものである。
 「回心」とは「悪」に対する健康的な拒絶反応によってだんだんと少しずつなされてゆくものだ。パウロの回心のようにパッと一度に変われるものなら、この地球上から戦争や人殺しや差別や姦淫などはキレイになくなっていたに違いない。わたしたちフツーのクリスチャンはパウロとは違う。だんだんに少しずつ「人間としての心」を取り戻すために「良心」を研ぎ澄ませ、「悪」を退けるように心がけなくてはならない。これがフツーの「人間としての心」を取り戻すために全人類に必要なことだと、わたしは思う。

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