ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(内村鑑三):神の犯罪心理学。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年06月05日 00時06分05秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    すなわち良心の必然的命令によって自己を糺して
    みました結果、自己の神に叛き、幽暗(くらき)を
    好むものであることを発見し、この罪人を救うことの
    できる救い主を求めて、ついにここにキリストに接して
    この痛める良心を医すことのできるある者を見出すように
    なったのであります。そうして私は罪とは人に対して犯した
    ものではなくて、神に対して犯したものでありますために、
    この罪の苦悶を取り去ってくれた者は必ず神でなくてはならない
    ことを知ったのであります。

      (「一日一生」内村鑑三著 教文館 )

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 主への信仰というものを全くもって無い者でも、自分の犯した罪に対して何にかしら「良心のとがめ」「良心の痛み」を感じるのがフツーの人間である。
 わたしはフツーのクリスチャンとしてまたフツーの人間として上記の内村氏の一文そして、自分の「信仰体験」から「死刑制度」には絶対に反対である。警察機関が容疑者をなぜ逮捕するかといえば、それはただ単純に「社会」に対して「安全」をはかるためだけではない。その逮捕された者を「真に更生」に導くためである。
 国家がたとえどのような罪を犯した者であっても「殺す」権限はない。わたしは戦争と同じくそれこそ「犯罪だ」「人殺し」だと言えるのだ。主イエス・キリストの御名によって。
 どうしても「あの犯罪者は殺さなくては気が済まない」とそれこそ何も良心のとがめもなく主張したい人は「仇討免許状」でも「国家」から発行してもらってくれたまえ。

 (わたしも、あのプーのやつなど死んでしまえ、とつい思ってしまうのだ。でも、それは彼がやっている罪と同じことなのだ、とつくづく思うのである。)



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      ↓:♥。罪。✝。
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