どんな場合にもほかのものよりも力も強ければ
頭もいい人間がいるのだから、平等などという
ことはしょせんありえない、と言われている。
しかしながら、他のものよりも強ければ、頭も
いい人間がいるからこそ、なおのこと人間の権利
の平等が必要なのである、とリヒテンベルクは言っている。
強者による弱者に対する迫害が現在これほどすさまじい
ものになっているのは、知力や体力の不平等のほかに、
そのうえさらに権利の不平等までが加わっているために
ほかならない。
(「ことばの日めくり」トルストイ著 小沼文彦編訳
女子パウロ会 )
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上記引用のトルストイの一文は「法律」というものがなぜわたしたち人間に(人間にかぎって言えば)主より与えられているかということの根拠であると思う。
そもそも「法律」とは何か?
わたしたち人間がお互いに全く違ったものとしてつまりトルストイの言葉を借りれば不平等に創造されているからこそ必要なものだ。
「不平等」をいかにして少しでも「平等」に近づけるか。それはお互いに主よりお互いを愛する愛をいただけますようにとお祈りするしかないと思う。これは主がわたしのようなフツーのクリスチャンに耳が痛くなるほどおっしゃっていることだが、「権利とは同時に義務である」というみことばである。
たとえば「信教の自由を行使する権利は同時に信教の自由を守る義務である」。
主より愛をいただこう。お互いの権利と義務を守り不平等を少しでもない状態にひとりひとりの心と魂と体が主と似た者とされるために。
お互いの権利を大切なものとして守り合うために。
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