だれが人に口を授けたのか。
(出エジプト記第4章第11節 )
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イスラエルの大指導者モーセが召命を受けたとき、モーセは「わたしは口下手ですから」とその職務を断ろうとした。そのとき主がおっしゃった御言葉である。
わたしたちは主にどのようなことをやれと言われても自分がその使命に相応しくないと思って心配することはないのである。
主があなたをあなたとして創造なさったのだからである。あなたは自分は口下手だからとか自分を卑下して尻込みすることはないのだ。
このようなブログで詩や拙文を書かせていただいているこのわたしはと言えば、高校時代国語の成績は10段階方で6という評価だった。
決して言葉巧みに書くとか、文章が特別上手だという評価ではなかった。むしろその評価は低かったと言える。
だからわたしのようなものでもモーセの気持ちはとてもよくわかるし、彼ほどの人でも主の命令の前に尻込みするのも無理はないと思っている。
ではわたしのような者がキリスト教のブログを造ってはいけないのか?
それこそ憲法で保障されている言論の自由・思想、信教の自由・表現の自由・良心の自由である。
要するに憲法で保障されている「自由」を行使しているだけである。その自由を行使してキリスト教を宣教させていただく。主イエス・キリストの御名によって召しを受けたから。
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