かつ、しもべはあなたが選ばれた、あなたの民、
すなわちその数が多くて、数えることも、調べることも
できないほどのおびただしい民の中におります。
それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民を
さばかせ、わたしに善意をわきまえることを得させてください。
だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう。
(列王記上 第3章 8・9節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
ソロモンの神へのお祈りである。なんという見事なお祈りなのだろうか。
まず第一に「自分の願い」を祈らなかった。
第二に治めているおびただしい民たちのためを祈った。
わたしたち普通のクリスチャンにはとてもこれだけのお祈りはできない。
その意味でソロモンは主イエス・キリストを指し示してはいないだろうか。
しかし主イエス・キリストのお祈りといったらまず「主の祈り」である。
べつにソロモンが悪いというのではないが、「主の祈り」の中にはちゃんと
「自分の願い」も入っている。なんという主イエス・キリストの祈りであろうか。
「ちゃんと自分のことも忘れずに祈るんだよ」とおっしゃっている主イエスの
御声が聞こえてくるようである。
何をどのように祈ればよいのか。わからなくなったら「主の祈り」を祈ろう。
「主の祈り」をさえ祈っていれば大丈夫である。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:大丈夫
にほんブログ村