ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(ヘンリ・J・ナウエン):真の自由人。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年01月12日 00時01分12秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    身の上話の仕方には二つある。
    一つはせっぱつまった痛切な話し方で、
    現在の苦しみは過去の経験の結果だと
    思うものだから、つい昔話になってしまう
    のである。
    だがもう一つ、べつの話し方もある。
    そんなものからは解放された立場から、
    話すこともできるのだ。
    ある距離をおいて語り、それを現在の
    自由に至る道とみなすのである。

     (「心の奥の愛の声」へンリ・J・M・ナウエン 小野寺健訳
                            女子パウロ会 )

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 上記に引用したナウエン神父の言葉の「解放された立場」とは、フツーのクリスチャンにとっては主の十字架が自分のためであり、主の復活は自分を復活のいのちに生かすためだったと心底思うことができる信仰の立場のことだ。
 簡単に言ってしまえば、あらゆるものからの真の解放である。
 人間として、その霊魂もその肉体も真に生かされるということだ。
 主より復活のいのちを与えられることによって。
 フツーのクリスチャンは以上のような理由から現在まさに「自由に至る道」を主に祈り求めながら歩んでいるのである。
 「真の自由」とは「主の主王の王主イエス・キリストの復活のいのちに生かされること」である。主ご自身まさに「完全な自由そのもの」に生きておられる御方だ。
 「主に似た者」とされることは「真の自由人」となることであるとフツーのクリスチャンのわたしたちは主に感謝している。



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