創造者なる神の「肯定」は全ての生きもの、特に肉体をもつものにまで
拡張される。すなわち、受肉における「本質」は特に人間的であるだけでなく、
それはまた被造物でもある。
もし我々がこの事実に考えをめぐらせるならば、我々は他の人間以外の存在との
関係において「傲慢」から解放されるであろう。
(「神は何のために動物を造ったのか」動物のための権利神学
A・リンゼイ著 宇都宮秀和訳 教文館 )
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リンゼイ師の主張はフツーのクリスチャンのわたしには当たり前に持っている「主の創造」の思想である。
「主に創造された」というこの一つの明確な事実の前に全宇宙の「すべての生命は平等」であるとフツーのクリスチャンのわたしたちは考えている。それは身近な例で言えば、小さな細菌の類から大はシロナガスクジラまで、すべての生命体は「生きる権利」があり、主ご自身に「生かされる権利」を持つものである。それゆえに各々の生命体はその生命体としての生命維持、衣食住にあずかる権利、その生命体としての「幸福を追求する権利」つまりその生命体としてのいわば基本的人権(いのち権)が尊重されなくてはならないとフツーのクリスチャンのわたしたちは考えている。
リンゼイ師がこの著書で主張している通り、各々の生命体は決して人間の衣食住のためだけに主に創造されたのではない。
たしかに聖書の創世記には、まるで人間の衣食住や楽しみのためだけに人間以外の他の生命体が創造されたかのごとく書かれている。たいていの神学者が「人間以外の生命体の主の御前での権利」ということを意識的に無視して各神学者の神学体系を構築してきてしまった。自分たち以外の生命体各自が当然に持っている「生命の権利」を考えもしなかったのである。
わたしたちは生命は主なる神の創造であるという基本に立ち返り、その価値と生命が有する筈の権利について考察しなければならない。21世紀はそういう時代である。
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