信仰は「信じること」と「告白すること」から
成り立ちます。
「心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ロマ10・10)。
「主の御名を呼び求める者はだれでも救われる」(ロマ10.13)。
からです。
詩篇1篇は何をしても栄える人について教えます。
その人は「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ」のです。
口にする、声に出す、呼び求める、叫ぶ、告白するなどのことばが聖書全巻
を通して書かれています。あたかも、声に出さなければ神は聴こえないかの
ように。
神はヨシュアに「この律法の書をあなたの口から離さず、昼も夜も口ずさまなければ
ならない。……そうすればあなたのすることで繁栄し、また栄えることができる」(ヨシュア1・8)
と約束しました。私たちは、信じているゆえに語り、語るときに、さらに信仰の霊を受けます。
(「よくわかる聖霊論」平野耕一著 いのちのことば社 )
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上記引用の平野耕一師の言葉はまさに「よくわかる聖霊論」全巻の骨子である。
わたしたちフツーのクリスチャンは主イエス・キリストを信じ「信仰告白」というのをするのであるが、それは神よりの聖霊の導きであり、み守りの故にできることである。それには主のお導きをよく祈り求めることが絶対に必要である。
「神さま神さま神さま」と全身全霊で誠実にお祈りして叫ぶだけでも(つまりあまりむずかしく考えないで神の方に全身全霊を向けようと心がけるだけでも)、主はただちに導きを与えてくださる。
人によってさまざまだが「聖霊」を勉強してみたくなるかもしれない。
また毎日「お祈りする習慣」をもちたいと思うかもしれない。
すべては主の御霊の導きである。
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