存在の世界に自己の停止点を見つめ、
そこに自己を定着させる、ということです。
(奥村一郎選集 第5巻 『現代人と宗教』)
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上記に引用した文はまさに主イエス・キリストのみ言葉「そして真理はあなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ:8・32)そのものだと思う。
フツーのクリスチャンにとって「存在の世界に自己の停止点を見つめる」とは、すなわち真理のみことば主イエス・キリストご自身の中に自分の存在を見つめるということだ。主イエス・キリストの中に自分を見るということだ。
わたしは主イエス・キリストに出会ってやっと「自分」を見つめることができた。そして「主イエス・キリストによる自由」を得たのだ。だからフツーのクリスチャンのわたしは主イエス・キリストにお祈りする。主イエス・キリストとおしゃべりする。昨今大流行の「パワー」をいただくためではない。主イエス・キリストの親友になるためだ。子になるためだ。
すると主イエス・キリストこそがわたしにとって掛け買いのない友だということがわかり、この方が全宇宙を創造したという真理を打ち明けて下さり、あらゆることを打ち明けておしゃべりしてくださっていることが分かる。そして何よりもわたしのこの親友は、小さなわたしをこの果てしない全宇宙の中で生かして下さっていることがわかる。
主イエス・キリストとわたしの関係そのものが「永遠のいのち」だとつくづく思う。
さて、あなたにとって「愛」とは「いのち」とは、そして「自由」とは何であろうか?
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↓;自由にぽちっ。
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