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わたしたちの体の細胞ひとつひとつはただひとつだけでも主にとってはかけがいのない主の全宇宙である。
だからわたしたちひとりひとり一匹一匹がたとえどのようなかたちの体をしていても主にとっては愛してやまない主の全宇宙である。
わたしたち人間にかぎって言わせていただくと、いわゆる体のどこかに障ガイをもっている人を差別することは「殺人に等しい」。それは主の全宇宙の全否定であり、主のいのちのシステムの全否定である。しかしパウロのような大使徒ですら「わたしは自分のしていることがわからない。わたしの欲している善は行なわないで、かえって悪を行なっている。わたしはなんというみじめな人間なのだろう。誰がこの死の体からわたしを救ってくれるだろう」(ローマ人への手紙第7章19節から24節)。
そう告白しているように、わたしたち人間はどう気をつけていても(お祈りの最中ですら)いろいろな理由でいろいろな状態の人いろいろな出自の人、いろいろな状況下におかれている人を「自分たちとは違う」として「差別」してしまうのである。わたしはフツーのクリスチャンとして主のいのちのシステムの全否定だけにはよくよく気をつけるようにしていただけるようにいつも主に向かって祈り求めている。
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【言の葉(少女ジーザス):主のいのちのシステム】11・11・02
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