「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように
私のために主に祈ってください」
(使徒行伝 第8章 24節 )
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わたしたちはともすれば経済的な力に頼りがちである。
つまり金さえ出せば何でも手にはいると思ってしまう。
実に愚かな悲しい生命体である。
人間とはこのような生命体(心と魂と肉体がある)である。
しかし主は富んでいたのに貧しくなられた。その結果が、わたしたちを救うための十字架であり、復活である。
神ご自身の御身の上にボロ布を着たようなものである。
お金は、主の御用のためにこそつまりいのちを救うためにこそ必要とされなくてはならない。
何か宗教的な権威のためとか、何か権力のためだけであってはならない。
上記引用のシモンは金で使徒の権威そして主の御力を変えると思ってしまったのである。
しかしペテロのさとしによって自分の罪に気づくことができ罰が恐ろしくなって「お祈りしてもらう」ことにした。
たいていの人間よりはるかにマシであると主は言われる。
主イエス・キリストはいつもわたしたちのために天の父にお祈りしてくださっている。だからわたしたちもお祈りしよう。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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